第7話 玉緒の後輩 2
次の日、約束の時間、行きつけの喫茶店に玉緒は出向いた。
すでに到着していた後輩の相坂詩織から挨拶をしてくる。
「おひさしぶりです、玉緒先輩!」
「おひさしぶりですね、詩織さん」
「本当にお久しぶりです。サークルでもあまり顔みかけないですし、やっぱり、就職活動大変なんですね? お疲れ様です」
「そ、そうですね・・」
まさか、一介の女子学生が、起業に立ち会って土地売買で忙しかったとは夢にも思わないだろう。
それから少し近況の話をした後、こほん、と言って体勢を整えてから玉緒は詩織に言った。
「それでね、詩織さん。電話で言った個人的な相談なんだけど・・・」
「はい、何でしょうか、玉緒先輩。何でも言ってください!」
「あの・・・・」
「はい、玉緒先輩?」
「ひょっとして、これは・・・」
「はい?」
「詩織さんが隠していることかもしれませんが・・・」
「 ? ・・・・ ! 」
玉緒の言葉を聞いた後、詩織の体がぴたっと止まり、無言となった。
玉緒が詩織の顔を見ると、だんだん顔色が青ざめていくのが分かる。
「決して、詩織さんの隠し事をあばくつもりはなかったんですが・・・」
「・・・・・」
詩織は目をキョロキョロ左右に動かした後、下を向いて、汗をだらだら流し始めた。
思ったよりも過剰な反応に、玉緒は内心ですこし驚いていた。
そんなに、イラストを描くとか、同人誌を書いてみたいとかいうのが、恥ずかしいことだったんでしょうか。
「ごめんなさいね、詩織さん、でも、こちらも少し必要があってのことだったので」
「・・・・」
詩織は、顔を下に向いたまま、体が小刻みに震えるようになった。
詩織は、玉緒を非常に尊敬していたのだが、それと同時に、ひどく畏れてもいた。玉緒が非常に優しい先輩と知っているが、それ以上に、膨大な人脈を駆使してあらゆる情報をかき集めているコミュお化けであることも腹の底から理解していた。
玉緒ならば、詩織のひた隠しにしていた秘密など、ばれて当然だったのだろう。そうだ、玉緒先輩ならば、私のことなど何もかも、当然のように把握しているだろう。うちの兄貴がそうされたように。しかし、それでも、それでもやめられなかったんや、その想いが、今、詩織の体の中を駆け巡っていた。
黙っていた詩織が口を開けた。
「あ、あ、あ・・・あの、玉緒先輩」
「はい、なんでしょう?」
玉緒先輩のかわいい笑顔も、今の詩織にとっては、青筋をぴきっとたてて威圧する、地獄の閻魔様の笑顔のように見えていた。気のせいか、背景に黒い炎があがっているようにも見える。客観的には本当に気のせいだったのだが。
「あ、あの・・・」
「はい?」
ごくっと息を飲みながら、詩織は一気に話し始めた。
「すみません、玉緒先輩! たしかに、いつもはBL好きだと公言していたんですが、本当は、本当は、GLのほうが好きだったんです!」
「・・・は?」
「特に、お嬢様学校を舞台にしたようなGLが昔から大っ好物でして、実は、『○○○様がみてる』が密かな愛読書なんです! 100回ぐらい読み返すくらいに好きなんです!」
「・・・へ?」
「現実にこんな学校ないよなーと中学校のときは思っていたんですが、いざ、先輩と同じ本当のお嬢様学校に入ると、それと同じくらい、いや、それ以上のきれいで優しい先輩方や同級生がいて、思わず我慢できずに、自分で妄想イラストを描き始めてしまったんです!」
「・・・ほ?」
「こんな自分の想い、高校時代のお淑やかな周りの友人たちには誰にもいえなくて、大学に入って知り合った数少ないイラスト好きの友人も趣味はBLだったので、思わず私もBL好きだと言って、話を合わせてしまって・・・」
「でも、でも、本当に好きだったのはGLだったんです! 長く書いているうちに絵もだんだん上手くなっていって、ますますGLのイラストや妄想小説を書くのが辞められなくて。そして、その中でも、特に姉妹の関係を書くのが本当に大好きで、その妄想イラストを描くだけで一日が終わってしまっても過言ではなくて・・・」
「そして、そして、すみません、業が深いとは思っていたんですが、玉緒先輩の姉の寧々子さんに合わせてもらったとき、こう、びびっと、びびっと脳みそと心臓に稲妻が走ったんです! ああ、この姉妹の物語が、何よりも、私の魂にどんぴしゃだって! 大人しめで優しい寧々子さんと、しっかりしていて口では厳しいことを言いつつ、実は心の奥底では姉に甘えたがっている妹、この姉妹の物語が私の描きたかったもんなんだって! 私が今世において成し遂げなければならない宿題なんだって、思ってしまったんです!」
「お、おう」
玉緒は思わず男のような返事をしてしまう。
「その想いのまま書き綴った姉妹のいちゃらぶストーリーのイラスト、ある程度たまったので、大学生だし、思い切って同人誌を作っちゃおうかなって思ってしまって。それで、友人のつてで、同人誌即売会に出そうと考えてしまったんです! こんなこと、絶対玉緒先輩にばれると分かっていたのに! 本能に逆らえなかったんです! ごめんなさい、玉緒先輩!」
詩織は謝罪の言葉を言い切ると、がばっと頭を下げた
「・・・」
「・・・」
無言の時が流れる。
詩織は頭を下げ、泣きそうになりながら玉緒の怒りが爆発するのをぷるぷる恐れていた。
そして、玉緒は、ぽかーんと、本当に玉緒には珍しい、ぽかーんとした顔をして固まっていた。
それは、まさに宇宙猫を擬人化したような顔だった。
玉緒はぼんやりと今の状況を思考した。
えーっと、私は、確か、イラストのアルバイトを頼みたくて、後輩の詩織さんと喫茶店で待ち合わせしました。それで、それで?
それで、隠していた絵描きの趣味について話を振ると、BL好きだと公言していたけど、いや、そんな話は知らないけど、実はGLが好きだった? 何ですか、それ。
そんで、高校生のときから実はGL好きで、イラストを密かに書き溜めてて、えっと、私と姉さんの関係がびびっと?びびっと、どんぴしゃきて、その姉妹のいちゃらぶストーリーのイラストがある程度たまったので、たまったので? はあ?
「・・・はあーー?」
玉緒は思わず、男のような威圧感ある声をはなってしまった。
「ご、ご、ごめんなさい!」
詩織は再び謝って、ぷるぷるしていた。
玉緒はじっと詩織を見ながら考える。
頭痛が痛い・・・ああ、何だか、頭が痛いような、そうでもないような。
私は、いったい何を聞かせられたんだろう。元気で、先輩には礼儀正しくて、お嬢様目指すために頑張っていたはずの可愛い後輩が、いきなり得体の知れない生き物になったようだ。この人、本当にあの詩織なのかな?
ぷるぷる震える詩織を見ていると、ああ、そういえば、高校の広報部に入ったばかりの時も、失敗したときはこんなふうに震えていたな、ということを思い出した。うん、そうだ、彼女は可愛い後輩に間違いない。たまに間違いや失敗はするけどね。
だけど、そう、だけど。話を知ったからにはこのままにはしていけない。別に、BL好きでも、いや実はGLが好きだったとしても、別に個人の趣味だから構わない。個人の妄想など、うら若き乙女ならば、それは好きなだけやって構わない。けれど、そう、姉妹のいちゃらぶストーリーのイラストなるものは、見過ごすわけにはいかない。
「・・・詩織さん、いえ、相坂詩織さん」
「は、はい!」
びくっとしながら、詩織は背筋を伸ばして返事をする。
「あなた今、実家から通っているんですよね?」
「は、はい、そうです・・・」
にこっと笑いながら玉緒は続ける。
「ひさしぶりに、相坂さんの家に遊びに言っていいかしら?」
「は、はひ・・・」
「突然で申し訳ないけれど、大丈夫よ、少しくらい汚れていたって気にしないわ。かわいい後輩だもの、ね?」
「・・・・」
しばらく玉緒がじっと見つめると、詩織は少し涙目で返事をした。
「わ、分かりました。少し汚いと思いますが・・・」
・・・・・・
その後、久しぶりに相坂家を訪ねた玉緒は、詩織の親に挨拶した後、詩織の部屋をFBIのように捜索した。もちろん、本人の同意を得たうえで。詩織が隠していた趣味の本などは特に中身は見なかった。ただちらっと見たところ、男同士が表紙の本が3割ほど、女同士が表紙の本が7割くらいだった気がする。
問題は、ある姉妹のイラスト集だった。
「これね、その姉妹のイラスト集は、これで全部?」
「は、はい、そうです」
ぺらぺらっとめくって読んでいく。
「題名は、仲良し姉妹、ネネとタマの物語、と・・・」
そのままじゃない!
「そのまんまじゃない!」
「は、はひー、すいません!」
そのイラスト集の絵をよく見ると、大人しそうでやさしい風貌、どこかで見たような風貌の姉と、少しちっこい、きりっとした顔の、どこかでみたような顔の妹が描かれている。大抵、姉が何か困りごとを妹に相談し、妹がやれやれだから姉さんは、と厳しいことを言いながらも姉を手助けする話だ。妹は、厳しいことをいいつつ、実は心の中は姉のことが大好きで、厳しい言葉は恥ずかしさの裏返しとのことだった。これはツンデレです、とご丁寧に注釈もついている。
玉緒は読みながら赤面のあまりプルプルしてしまう。わ、私は外から見れば、こんな感じなんでしょうか。私がツンデレ? いや、私は思ったことは素直に口にしますし、決してツンデレ何かではないでしょう。これは妄想、こいつ、詩織の妄想に過ぎない。ふうー、落ち着け、私。
「う、うん、内容はともかく、このイラストはきれいでかわいいですね。こんな絵、私も好きですよ」
「はい、全身全霊で描いてますから!」
そこだけは自信たっぷりに詩織が告げる。
ま、まあ、いいでしょう。これを世に出したいと思っていた、と。
あれ、私、今日何しに来たんでしたっけ?
えっと、そうだ、会社の事業でする絵本作りで、イラストのアルバイトをやらないか、詩織を誘いにきたんでしたっけ。
うん、このかわいいイラストならば問題ないでしょう、姉も好きそうなかわいい絵ですし、とくに危ない表現は無いようですし。この内容さえ気にしなければ。
「あー、こほん、このイラスト集の話はさておき、実は、私のお願いというものがありまして」
「は、はい、なんでしょうか? そのイラスト集の廃棄だけは、何とか、何とかご勘弁してください」
「まあ、このイラスト集について私が勝手にどうこうするつもりはありませんよ。無断で公表はしないでほしいですが。・・・実はですね、私、今、姉さんと絵本か何かを作ろうと思ってですね、そのイラストのアルバイトを探していたんですが、詩織さんはどうかな、と思いまして。」
「え、イラストのアルバイトですか? 玉緒先輩と寧々子さんのお手伝いとしてですか、全然いいですよ! 3月に飲食のアルバイト辞めたばかりで、今、暇ですし!」
「ああ、それはよかった。じゃあ、時間あるときにでも、この事務所に来てもらえますか?」
と、玉緒は会社の名刺を渡した。
「はい、これですね。・・・た、玉緒先輩、いつのまに会社役員になっているんですか?」
「いやいや、これは形だけですよ、姉さんとこじんまりとした会社をちょっと経営しているだけで、ほとんど事業活動はしていません。ただ、絵本づくりを少ししたいと思いまして、その手助けをお願いしたいんです」
「それでもすごいです! いいなあ、姉妹で会社経営か。これは、これで・・・」
くふふ、と詩織が密かに笑ったように見えた。
「・・・ん、こほん。それでは、会社に来た時、姉さんにあなたの絵を見せたいので、自信のある絵をいくつか持ってきてください」
「自信のある絵ですか? この姉妹のイラスト集が一番の自信作ですが・・・」
玉緒は嫌そうな顔をする。
「んーーー、んーーー、なんで私、こんなことで悩んでいるんだろう・・・。別にいいですけど、いや、いいのかな? 詩織さん、あなたそれ、私の姉に見せてもいいんですか?」
「はい! もう、一番こわい玉緒先輩に見せたんで、もう怖いものないですから! むしろ、寧々子さんに見せて感想を聞きたいです!」
姉さんに見せたら、ドン引きされるとか思わないのかな、と玉緒は考えるが、
「ま、まあ、あなたがそれでかまわないのならば、いいですよ。」
「はい、お任せください! もうちょっとブラッシュアップしておきますね!」
余計なことはしなくていいです、と告げながら、玉緒は詩織が会社に来る日時を調整する。
今週の金曜日の午後には来れるそうだ。
「それでは、詩織さん、次は会社で」
「はい、玉緒さん、また今度!」
自宅に戻った時は青い顔をしていた詩織が、玉緒が帰るときはすこぶる元気な顔になっていたことに少し釈然としない思いをしながら、玉緒は帰路についた。
まあ、一応、絵描きの人、ゲットできそうですね
果たして、あのイラストを見て、姉さんはどんな反応をするのやら
少し心配しながら、玉緒は帰り道を歩いていった。