76 西方の情勢です
「国家機密を、そう簡単に教えられるか。少しは考えろ」
私の質問に対する、王太子殿下の答えはこうだった。
まぁ、そりゃそうだな。
辺境伯家の娘とはいえ、一介の学生に教えられるような事でもないか。
と、そこに、
「でも、一介の学生である私たちの私見を述べる事は出来るわよ」
リーズディシア嬢がそう言って助け船を出してくれる。
ああ、リーズディシア嬢。
ありがとうございます。
「で、その私見とは?」
「あぁ、また来たな、というのが正直な感想だ」
「また?」
「ええ・・・・・」
王太子殿下とリーズディシア嬢は、そこで僅かに目配せをして、私に向き直った。
「フェンリル。お前がどこから来たのか、リズから聞かされて知っている。リズに前世の記憶があるという所まで聞かされている」
王太子殿下は私の目を見ながら、
「俄には信じがたい事だが・・・・」
と、前置きをして、
「だが、だからこそ知識が無いという所は解っているつもりだ」
そう言った。
「その上で言うが、あの大公国の事は気にする必要は無い」
「何故ですか?」
漁夫の利を狙う、一番警戒しないといけない国ではないかと、私としては思うのだが。
「そもそもの国力が、あの国には無いからだ」
「軍事的に大国を装っていても、継戦能力は皆無に等しいのよ」
なる、ほど?
つまり、兵士は居ても兵站をまともに維持できるような国じゃないという事か?
「そう思ってもらって構わないわ」
「兵糧攻めをするだけで、相手は勝手に自滅してくれると?」
「ああ」
でも、おっちゃん、というか市井の実感としては、チュント大公国には戦意があるように捉えていたような気がするのだが。
例えば、裏でチュント大公国とアンザス王国が手を握っていたら?
アンザス王国がチュント王国に糧秣の援助を行っていたとしたら?
座視は出来ないのではなかろうか。
「無論、シンフォース王国としても、座視している訳ではない」
「詳しくは言えないのだけれど、王国は、アンザス王国にもチュント大公国にも諜報員を送り込んでいるから、アンザス王国からチュント大公国にどれくらいの値段で糧秣が流れているかを把握しているの」
なるほど。
糧秣の値段により、アンザス王国とチュント大公国の同盟の強さを測っているという訳か。で、今の所、アンザス王国側からチュント大公国に流れている糧秣の値段が高いから、チュント大公国としても、糧秣を自由に買う事が出来ず、兵站を維持するだけの準備が出来ていないと踏んでいるという事か。
「時にシンフォースにすり寄り、時にアンザスに媚び諂うチュント大公国は、大した脅威ではないという事だ」
「要は、アンザス王国が本格的に動かない限り、チュント大公国は無視しても良いと、王太子殿下個人としては思っておられるという事ですか」
「そういう事だ」
蝙蝠外交という奴か。
では、何故おっちゃんはチュント大公国を脅威に思っていたんだろうか。
「それは、民意というものになるわね」
リーズディシア嬢はそう言って、おっちゃんを代表とする民間の意志というものを説明してくれた。
曰く。
そもそもが、あの国はシンフォース王国が北の守りの為に建国を許したという経緯がある。
曰く。
それなのに、三十年前に裏切って戦争を仕掛けてきた。
曰く。
その事実は、いまだに民間人の心の中に残っている。
曰く。
経済的な交流を結ぶようになった今でも、その記憶は商人を始め、冒険者や旅行者の間でも残り続けていて、完全に信用しきれない所がある。
曰く。
信用しきれていないから、少しでも武力行使の気配があれば敏感に反応する。
そういった傾向にあるのだそうだ。
「それに、敗戦国なのにプライドだけは一丁前で、外交官は街に降りては狼藉を働くし、良いイメージが、国民の間には無いのだ」
「商人や旅行者も、同様と思ってもらっても良いわ」
なるほど。
つまり、礼儀を弁えていない、文明の発達していない国、という訳か。
そりゃ、嫌われるよな。
という事は、あれか。
おっちゃん的に、チュント大公国には、良いイメージがほとんど無いという事か。
そういう訳か。
「まぁ、一学生としては、そういう結論に達するわね」
一学生としては、か。
とすると、政治に携わる者としては、別の考えがあるという事か。
分からなくはないよ。
国を解体してチュント大公国の民族が雪崩れ込んできたら、犯罪率が上がるとか、そんな理由だろ。それに、国家を持ったという自尊心を与えておけば、裏切る事はあっても、叩けば躾ける事が可能とか判断しているんだろ。
民族浄化、という手もあっただろうに、それをしないという事は、そういう事だ。
利用価値があると踏んでいるのからしないのか、それをするのにリスクを背負う事になるからしないだけか、人道的にそれをしないのか、までは分からないが。
まぁ。
「リズ」
「なに?アイリ」
「この国は、まともですか?」
「日本人として?」
「ええ」
「まともよ」
「そうですか」
という事は、人道的にやらないだけか。
「リズ」
「なに?アイリ」
「この国は、私が生きている間、まともであり続ける事が出来ますか?」
「ええ」
「それは良かった」
それは良かった。
王太子殿下の手綱をどう握るのかまでは知らないが、嫁として、妻として、母として、この国を正しく導くと言い切ったリーズディシア嬢の言葉に、迷いはなかった。
それなら。
私も、迷うことなく槍を振るう事が出来る。
私がそこまで覚悟を決めたところで、
「気が済んだか、フェンリル」
「はい」
「であれば、だ」
王太子殿下はサロンの入り口を指差し
「今日の所は、退席してもらえるか?」
と、そう言った。
「リズとの仲が進展している事を、周囲に告知しておきたい」
それは、それは。
こういう時にも、恋人と楽しい時間を過ごしたいと言えない辺りが、王族の悲しい所なのかもしれないな。
まぁ、邪魔をするつもりは無い。
私は立ち上がり、
「それでは良いお話をありがとうございました」
そう言って、二人に背を向けた。
王太子殿下。
あとはご随意に。
「ちょ・・・・まっ・・・・最近の・・・は、グイグイと・・・・私一人で・・・・ちょっと、殿下・・・・待って」
リーズディシア嬢が何か言っていたが、私には断片的にしか聞き取れなかった。
お読みいただき、ありがとうございます




