彼女と夜の屋上
こんな恋ができればな~と書きました。
…………悲しくなったり。
寒かった。
冬の星空には、見上げれば目が驚くほどの星がある。
吐く息が白くなり、僕から離れていくほど空気に混ざっていくように消えていく。
学校指定のブレザーの上に、厚手のコートを着ていても、校舎の屋上はいやに寒い。
隣で望遠鏡を片手に、マフラーを鼻まで覆うように巻いて、縮こまっている亜紀も凍えて震えていた。耳宛ニット帽子も被っているため、目元しか見えない。
「ほらよ」
と。魔法瓶に入れて持ってきたホットコーヒーを渡す。
受け取るかと思ったが、
「私、ミルク入れてくれないと飲めない」
要らない注文を付けて返却される。
はあ、と一息白い溜息を吐いて、鞄の中に入れていたミルクを入れて再び渡す。
「ありがと」
ようやく受け取ったはいいものの。受け取ってすぐに床に置いた。
「猫舌なの。冷ましてから飲む」
「ホットの意味が無いだろうが」
「温くなってから飲む」
「絶対にアイスになるね」
確信できるほどの寒さだった。
なぜこんな日に限って人生最初のデートをしなければならないのかと後悔した。
午前の授業が終わった後の昼休み。二人しかいない静かな部室で、今夜の予定を聞かれて、迂闊にもないと言ってしまったのが運の尽き。断ることも出来ずに連れてこられた。
ていうか、夜の学校でデートって。どれだけロマンチックなんだよと思うのだが、どうにも僕はそういった感覚が鈍いようで、イマイチ興起できない。
相手が悪いわけではないはずだ。顔は悪く言っても中の上はあるぐらいだし、性格も暗いといえるが許容範囲内のレベルだ。
ということは、やはり僕が悪いのだろう。
僕は所謂、乗りの悪い男。KYって奴だ。いや、この場合はNWだろうか。
そんな性格だから、僕には友達はいるが親友と呼べるものが一人も居ないという状況である。
「太一君」
僕の名前を呼ぶ、縮こまっている小動物風の女の子。
来い来いと言いたいのだろう。震える手で手招きをしている。
「なんだよ、UFOでも見えたか」
「それが見えたら太一君を盾にして逃げるつもりだから違う」
何気に酷いことを言われた気がするが、ここはおいておく。
三脚で支えられた望遠鏡の覗き込む部分を指差す。おそらく見ろと言いたいのだろう。どうして言葉にしない、と。心の中で呟く。
覗き込むと、他の星とは違って一際光彩を強く放つ星が三つ見えた。
「プロキオン、ベテルギウス、シリウス。あの三つが冬の大三角形と言われてる」
「ふ~ん」
「ちなみにこっちが北斗七星」
ああ、あれが例の。あの脇にある星が見えたら死ぬんだったよな。
「冬は明るい星が多いの。みんな寒くて外に出なくなるからわからないけど、星空は冬が一番綺麗なんだよ」
「へえ~」
とりあえず相槌を打っておく。
そして、一つ一つの星の名前とその由来を教えられる。
アンドロメダは神話のお姫様で、鯨に生贄にされるところをペガサスに乗ったペルセウスに助けられたというお話も。
オリオン座とさそり座は天球上でほぼ反対側に位置して同時には上らないことから、不仲や疎遠な人間関係を指して『参商の如し』と言う言葉がある、ということまで。
星の話をしている亜紀は、とても楽しそうだった。
口がよく動く。
学校ではわからないような喋り方を見つけた。
こんなにも笑って話したことなど、一度もなかったと思う。
「――――でね……あ、ごめん。私ばっか、話してる」
「いや、いいよ。聞いてて楽しいし。なんだか新鮮だったから」
「新鮮?」
「うん。なんだか得した気分」
「? ますますわかんない」
「わかんなくていいよ」
「?」
コクッと、コーヒーを飲み込む。僕のは彼女の星座談義の最中に入れたものだから、まだ暖かかったが。彼女のはどうなんだろう。
僕がコーヒーを空にしたのと同時に、彼女も自分のコーヒーを口にする。
「…………冷たい」
「だから言ったのに」
「入れ直して」
「残念、さっきので売り切れ」
と。魔法瓶を開けてその中身が空なのを知らせる。
「むううぅ」
唸る亜紀。震えて、自分の身体を抱きしめるように再び縮こまる。余程寒がりなのだろうか、カチカチと歯を打つ音も聞こえる。
どうにかしてあげようと思ったが、ふと何かに気付いたようにこちらを見て近づいてくる。
「これならあったかいよね」
ギュッと、僕に抱きつくように胸の中に顔をうずめてきた。
咄嗟のことで、ウヒェ、と情けない悲鳴が口から出てしまった。人生一生の恥だ。
その悲鳴を聞いて、彼女は申し訳なさそうな顔でこちらを見上げてくる。
「あ、ごめん。迷惑だった?」
「い、いや。びっくりしただけ」
「そっか。でも、本当に迷惑だったら」
「いや、このままでいい。このままでいてください」
彼女が離れないように、がっしりと、こちらも抱きしめ返す。
あくまで、寒さを凌ぐためだ。下心があるわけじゃない。
「ひゃ」
今度は向こうから悲鳴が出た。
「「…………」」
そしてなぜか、お互いにしばしの沈黙が走る。
先ほど、驚いたときに落とした魔法瓶がカランコロンと、転がる音が後ろから聞こえる。
抱きしめあったまま、どれくらい経っただろうか。10分は経ったような気がするが、実際は数秒といったところだろうか。それとも、そのどちらでもない程の時間が過ぎたのだろうか。
心臓がバクバクと脈打っているのが、僕の胸の中でいる彼女に聞こえないか、少し心配だった。
「あのね、一つだけ聞きたいんだけど」
僕に聞こえるか聞こえないかの声量で、話しかけてくる亜紀。
「……なに?」
一拍おいて、返す。
「つまんなくなかった?」
今度の彼女の声は、寒さのためか少しだけ震えていた。
「私、いつも星の事ばかりだから。つまんなくなかった?」
「うんうん。楽しかった」
その質問に、今度は一拍もおかず、きちんと、本心を伝える。
「言ったでしょ? 新鮮だって。それだけでも、この寒空の中コーヒーだけで耐え抜いた甲斐があったよ」
「でも」
「それにね」
彼女の言葉をかき消すように、僕の言葉を割り込ませる。
「自分の好きな子とこうして傍にいられるだけで、男としてはどうしようもないぐらい幸せなんだよ」
「…………うん」
亜紀の、僕の背に回していた手がより一層強く僕を抱きしめてきた。
それを返すように、僕も少しだけ強く抱きしめる。
「ねえ、もう少しだけここにいてもいい?」
彼女がもう一度、だが違う質問をぶつけてくる。
「いいよ、まだ見たい星があるの?」
「ううん。もう全部見たけど、もう少しこうしていたいの」
「果てなく同意」
そのまま、僕たちは1時間も屋上にいた。
次の日、お互い風邪をひいて、マスクをつけていた時は、この世の終わりが来てもいいぐらいに笑ってしまった。