諸星大二郎という越えられない北壁
御田文人さんの『F先生に影響を受け続けた半生』に触発され、諸星大二郎に対する愛を語ろうかと思う。恥ずかしながら、御田さんみたいに生業にまで影響を受けたわけではないが……。
尾妻和宥の精神構造を知るのに役立つエッセイになるかもしれない。需要はないだろうが、覚書として残しておいても罰は当たるまい。
今の年齢は恥ずかしいから言えないが、子どものころから変わっていない好きなものがいくつかある。
小学5年のころに出会った諸星 大二郎の漫画は衝撃的だった。以来、先生を敬愛してやまない。それは今でも不変。心の師でもあり、創作のめざすべき頂点でもある。
実は人と比べ、漫画はあまり読まない方だ。
というのも僕の場合、漫画の探究は、諸星 大二郎と星野 之宣で完結してしまっているからだ。
この二人だけ追っていれば、他は要らない。尾妻 和宥は、この双璧によって純粋培養されたと言っても過言ではない。
諸星 大二郎の肩書はあえてここでは書くまい。
以下、文字数を減らすためにモロ☆と略す。作者のファンならわかってくれよう。
子どものころ、本屋でたまたま手にした『暗黒神話』や『妖怪ハンター』の単行本。
絵がおどろおどろしく、ひと目見ただけで網膜に焼き付いた。のみならず子どもながらに、「この漫画家は、たくさんの参考文献を駆使した勉強家だな」と思わせた。
実際、モロ☆は日本神話をはじめ、聖書、リグ・ヴェーダ(古代インドの聖典)を物語に活かしている。例えば『暗黒神話』が週刊少年ジャンプで掲載されたのは、1976年。少なくともモロ☆が27歳のときには古事記に詳しかったし、考古学、民俗学、宗教学、文化人類学とあらゆる知識の総動員がなされていた。この年齢で、これだけの薀蓄をぶっ込むのはかなり勇気がいる。
我が師にならい、日本神話や聖書、ギリシャ神話を読んだが、とても作品に落とし込めていない。あいにく考古学には興味はいかなかったが、民俗学に傾倒するきっかけを作ってくれた。そういう意味で指針になっているかもしれない。
巻末に参考文献リストを入れるのはカッコいい。
むろん、知識をひけらかすだけの鼻持ちならない小説に偏るべきではない。読者を置いてけぼりにしてしまう恐れがある。しかしながらモロ☆も星野 之宣も、相性が合えばその世界にのめり込むこと必至。
ストーリーテラーとして一級品であるため、創作をやる人間にとっては最高のお手本となるにちがいない。
現在、僕はある別のエッセイ(あるいはホラー)を水面下で書き進めている。軽く15万文字は超えており、お披露目は年内とはいえ、ずっと先だが。――題材は隠れキリシタンだ。
モロ☆は隠れキリシタンにも精通していた。『妖怪ハンターシリーズ』で傑作と名高い一編『生命の木』(「みんな、ぱらいそさ、いくだ!」のセリフがネットミーム化して有名。2005年に公開された映画『奇談』の原作)がそれだ。
このように、モロ☆を追って、その勉強の仕方ですら模倣しようとするのだが、到底届きそうもない。素養が悪すぎるのだろう。
目標となる北壁はあまりにも高すぎる……。
◆◆◆◆◆
作風に迫ろう。
そもそもである。
大抵の漫画家の作品は、「この作品、きっとあの漫画に影響を受けたな」と読めるが、モロ☆のそれは出所がわからない。
BSマンガ夜話の第13回『僕とフリオと校庭で』で、モロ☆の回がある。
マンガコラムニストの夏目 房之介が指摘しており、なるほどな、と膝を打ったものだ。要はオンリーワンなのだ。
モロ☆はもちろん、星野もそうだ。毎回物語に『驚き』を提供してくれる。
知らない世界を教えてくれるのが真の大人だ。そういった意味で、僕が描くホラー小説も『怖さ』だけではなく、『驚き』を与えられるよう、常に苦心しているつもりだ。
モロ☆の絵は、お世辞にもうまいとは言えない。
ただ、デッサンが狂っているわけでもなく、むしろ構図は映像的である。人物は独特で、ひと目見ただけで、「あ、モロ☆だな」と、唯一無二。とくにホラーものはこの不安定な絵でないと成立しない。ちなみに朋友・星野 之宣は芸術大学で日本画科を専攻していただけに、絵にかけては抜群にうまい。
絵に関する話を続けよう。
1970年、漫画雑誌『CОМ』のデビュー当時は純粋に未熟だった(リアルタイムで読んだわけではない。僕はまだ生まれていなかった)。
73年の傑作短編『不安の立像』こそ、不安を掻き立てる細い線が、現在に繋がるモロ☆漫画を確立しはじめたと言えよう。
74年の記念すべき『妖怪ハンターシリーズ』第一作『黒い探究者』で決定的となる(しかしながら同年の同シリーズ『赤い唇』、『死人帰り』ではなぜか劣化。週刊少年ジャンプの連載が早々打ち切りとなる)。
76年、リベンジすべく連載された『暗黒神話』の絵は、丁寧に描いてはいたが、まだこなれていない印象だった。
ピーク時は、『妖怪ハンターシリーズ』の一編『海竜祭の夜』(88)、中国古典をモチーフとした『無面目・太公望伝』(89)あたりではないか。絵の描き込み、物語構成、ストーリーテラーとしての妙も申し分ない。
しかしながら、『闇の客人』(90)あたりで急速に凋落。
とくに93年の、『井戸のまわりで』あたりの絵はひどすぎた。下書きせず、直接筆ペンで書いたんじゃないかと思えるほどの手抜きっぷり。連動して、あれほど綿密にネーム(プロット)を立ててから物語を構築していたのに、それさえも荒くなったのはいかがなものか。じっさい手元の資料による全作品リストを見ると、91年あたりから仕事量が減っていたようだ。モロ☆のメンタルも下降気味だったのではないかと邪推してしまう。
漫画史に燦然と輝く名作『暗黒神話』(76)や『孔子暗黒伝』(77)、『マッドメン』(75~82)、『無面目・太公望伝』(89)は、今読んでも唸らされる。何度読み込んだことか。くり返し読むにも堪えられ、読むたびに新たな発見がある。
モロ☆のライフワーク『西遊妖猿伝』(1983~不定期に続き、いまだ未完)は、前半は身震いするほど血沸き肉躍る展開だったのに、中盤から中だるみがして好みではない。個人的にはモロ☆は中編規模の、付け入る隙がないほど完成度の高い作品が好きだ。
モロ☆作品の、すべての単行本をコンプリートしているわけではない。
いくら作者を敬愛していても、好きな作品と嫌いな作品があった。
真面目で、壮大な系譜の伝奇作品や古代中国ものは好きだったが、一方でモロ☆が息抜きで書いた(作者は嬉々として描いたのかもしれないが)、ナンセンスギャグは嫌いだった。例えば『栞と紙魚子シリーズ』や『コンプレックスシティ』などは集めていない。
僕は過激にして先鋭的なファンだろう。
これらはモロ☆にとって黒歴史に等しい。はっきり言ってギャグセンスは壊滅的だと思うからやめて欲しい。せっかくの輝かしい経歴に傷をつける……。
プロットと言えば、僕は勝手に『暗黒神話』をノベライズ化してみたことがある。物語構成の勉強のつもりだったから、自己消費する分には構うまい。
やってみると、本作は巧妙に練られ、これは並の小説家が束になってかかっても足元にも及ばないと再確認させられた。これを当時27歳の青年がやってのけたとは言葉をなくす。無駄に年を食った今の僕でも悲しいかな、到底叶わない。
以前、星野 之宣の『宗像教授伝奇考』特別版で、星野とモロ☆のスペシャル対談のコーナーがあった。
その席で、星野がこう言っている。
「諸星さんの漫画は閉じた世界で完結している。僕は一応、外に向かって開いているつもりだ(読者に説明しているつもりだ)」
まさに言い得て妙である。
しかしながらその閉じた世界では、好きな者にとって、長年遊んでいられるからたまらないのだ。
了
※参考文献
『ユリイカ2009年3月号 特集・諸星大二郎』青土社
『諸星大二郎 異界と俗世の狭間から』河出書房新社
『諸星大二郎「妖怪ハンター」異界への旅』平凡社
『諸星大二郎「暗黒神話」と古代史の旅』平凡社
『諸星大二郎 マッドメンの世界』河出書房新社
★★★おまけ★★★
『暗黒神話』における結末の意味するもの その仮説
モロ☆漫画を語るにおいて避けては通れない参考文献の1つが、柳田国男の著書『一つ目小僧その他』である。
集英社A5判の『失楽園』に収録された『詔命』や、双葉社アクションコミックス『ぼくとフリオと校庭で』の短編『鎮守の森』などの作中でよく引用されるので、ファンならおなじみの資料だ。
端的にいえば人身御供(生贄)に関する柳田氏の自論で、1917(大正6)年、東京日々新聞紙上に『一つ目小僧』と題した論考を連載した。
当時としてはセンセーショナルな内容だったらしく、民俗学界ではあまりにも有名。
以下、重要と思われる箇所を抜粋してみる。
「……ずっと昔の大昔には、祭の度ごとに1人ずつの神主を殺す風習があつて、その用に宛てらるべき神主は前年度の祭の時から、籤または神託によつて定まつており、これを常の人と代別せしむるために、片目だけ傷つけておいたのではないか。
この神聖なる役を勤める人には、ある限りの歓待と尊敬を尽くし、当人もまた心が純一になつているために、よく神意宣伝の任を果たし得たところから、人智が進んで殺伐な祭式を廃して後までも、わざわざ片目にした人でなければ、神の霊智を映し出し得ぬもののごとく、見られていたのではないかというのである」
また柳田氏は『日本の伝説』の中で次のようにも言及。
「何にもせよ、目が一つしかないということは不思議なもの、またおそるべきもののしるしでありました。奥州の方では、一つまなぐ、東京では一つ目小僧などといって、顔の真ん中に眼の一つあるお化けを、想像するようになったのもそのためですが、最初日本では、片目のフナのように二つある目の片方が潰れたもの、ことにわざわざ二つ目を、一つ目にした力のもとを、おそれもし、また貴みもしていたのであります。(中略)もともと生贄に選ばれたものをその時まで生かしておくとき、そのしるしとして片目を潰す習慣があった。生贄は生きている間は敬われもし、恐れられもした。それが片目の聖性のもとになった」
……と考えていた(ところが、柳田氏の中では紆余曲折があり、明治44年に発表した『掛神の信仰について』では、「人の肉や血はいずれの時代の思想にても我が国では決してご馳走にはあらず」と、態度を一変している。この変遷については今回の件と趣旨違いなので割愛する)。
前置きが長くなった。
1976年作『暗黒神話』の主人公は、山門 武。13歳の中学生だ。
今さらストーリーは振り返るまでもないので省略する。宇宙原理ブラフマンと結びつくべく、個人原理アートマンと選ばれし武が、ヤマトタケルの西征・東征ルートを辿りながらスティグマータ(聖痕)を受ける通過儀礼の旅。
それを追う者として菊池彦らクマソの末裔たちとの、追いつ追われつの追走劇がスリリングに展開する……とだけ、説明しておこう。
長年、気がかりな点が2つあった。
1目はモロ☆が意図したものか、やけに武の行動力の乏しさが気になるのだ。
モロ☆がこれほど古代史の、あらゆる要素を詰め込んだ作品を手がけたのは初めてだったはず。前年の75年には『マッドメン』の第1話が発表されているものの、怒涛の情報量では本作の方に軍配が上がるだろう。
いたいけな少年とはいえ、小泉、菊池彦、竹内老人、挙句にはブラフマンの下僕に振り回されながら、ほぼなすがままであることに注目したい。
目立って能動的に動いたとすれば、『人間の章』で、10年前に殺害された父と、運命に翻弄された末に失うことになった母の仇討ちにすぎない。
アートマンの素養を秘めておきながら、乱暴的な言い方をすれば、あまりにも人間的でちっぽけな私怨による行動だ。
反対に、『マッドメン』のコドワは主体性をもって行動しているから、この落差は大きい。すなわちモロ☆自身(連載当時は27歳)の描き方に落ち度があったわけではないと思う。これはわざと消極的なキャラに仕立て上げたと見てよい。
菊池彦に復讐を果たした武は、結局ヤマトタケルとして完全に覚醒することなく、オリオン座にある馬頭星雲を前に、ブラフマンが示す『決断』に迫られる。
結果はご存知のとおり。転輪聖王か仏陀か、あるいは宇宙の歯車としての自由な存在かを選ぶことができず、迷ったあげく弥勒如来としての道をとってしまう。
はるか56億7千万年後の未来に飛ばされた武に待つのは永遠の孤独だ。
もはや人類は滅亡し、荒野と変わり果てた大地に生存するのは餓鬼しかいない。武にとっては死に等しい選択だろう。
まさか竹内老人が弥勒如来の道に導こうとしたはずもない。
集英社A5判の188ページで、胎蔵界曼荼羅に投影された映像を見ながら、「武は迷っておるな!?」と動揺していることから否定できる。
そもそも竹内老人のスタンスもどっちつかずだ。
一応143ページで、「わしは自分の役目を知ったのじゃ。歴史の証人…時として神の言葉を伝える者となることじゃ」と、審神者であることを示唆しているものの、133ページでは気絶した武を前にしてこうも独白。武の身体についた聖痕について、「八つの蛇形の聖痕…これを持った者を古代人はひどく恐れ、それが八俣の大蛇だとか八頭の竜といった伝説を生んだ…八俣の大蛇……すなわち八つの聖痕を持った人間が現れた時……暗黒神スサノオが(略)天空より舞い降り、地上におそるべき破壊と死をもたらす!」と、まるでそれを期待してるかのようなフシがあり、読者は煙にまかれる。
話をもとに戻そう。
2つ目の疑問、それは結末が気に食わなかったこと。あまりにも救われない終わり方にすっきりしなかったのだ。
あとがきでもモロ☆が告白しているように、『構想から完成まで丸々1年半かけたにもかかわらず、雑誌に掲載された時にはわずか6週で終わったので(略)』とある。
つまり、氏はもっと長めのプロットを完成させていたのに、大人の事情により、急きょ削除せねばならないエピソードがあったに違いない。
とすれば、辻褄合わせのためにプロットを変更させた可能性だってある。
それだけならまだしも、結末まで大きく手を加える必要があり、本書のような形で締めくくったのではないかと邪推したものだ。
それを証明するように、>>59のユリイカの138ページ、竹熊健太郎のコラムではこうある。
>僕は某雑誌の編集作業のなかで一番印象に残っていることは、初期の代表作である『暗黒神話』のネームを見せてもらったことです。
読んだら、印刷された作品では見たこともないシーンばかりで驚きました。ページ数も完成作品の倍くらいあった。
だから最初のプランでは、あれは長編作品だったわけです。それを、おそらくはジャンプ側の都合で、単行本1冊で完結させたいから10回ほどの連載でやってくれって要求があって、泣く泣く縮めたんでしょう。
まったくもって、『暗黒神話』の196ページ、途方に暮れた隼人の独白「もう誰もいない。菊池彦さまも…(略)武も……ああ…飛鳥に日が昇る…」は、当時の氏の心境そのものではなかろうか。
そこで幾度となく『暗黒神話』を読み返した末に、僕は大胆な仮説を立ててみた。――もしやモロ☆は、武を『人身御供』にしたのではないだろうか?
世界を滅ぼすことなく、地球に戻りたい願いは適ったものの、武自身がイケニエ的に身代わりとなったとすれば……。
壮大なイケニエだ。宇宙規模の人身御供。――僕は愕然とした。
文庫版『暗黒神話』の巻末解説に抜擢されたタケカワユキヒデ(ゴダイゴ)が、『氏は~まぎれもない天才だと思う』と結んでいるが、僕にはモロ☆こそアートマンのように思えてきた!
まさに柳田理論に精通していた氏ならではのオチではないだろうか。
したがって、やはり初期段階のプロットからすでに、このような結末を迎える予定だったのかもしれない。
ブラフマンに会うための聖痕といいつつも、形をかえた人身御供のための『しるし』にすぎないように思える。
上述した『受身』な立ち位置からも想像できるように、武自身は鬼ごっこのルーツ、『頭屋』のように逃げるに逃げられない隔離状態にある(これは短編『鎮守の森』を読むことで確認できる)。
まるでこれから人身御供に望む人のように、なす術がない。
柳田が言及する『片目片脚』の不具こそまぬがれたものの、やはり特別な異形のものと畏怖され、それなりの歓待を受けているのがなによりの証だ。
そんなわけで、柳田理論のバックボーンを踏まえて『暗黒神話』を読み直すのも一興かと思う。
※あくまでこの考察は個人的な仮説にすぎないことを念を押しておく。いずれにせよ、本作はここまで深読みが可能なほどおもしろい。
※参考文献
歴史群像シリーズ67 『古事記 記紀神話と日本の黎明』学研
『生贄と人柱の民俗学』礫川全次 批評社
『神、人を喰う 人身御供の民俗学』六車由美 新曜社
『妖怪の本 異界の闇に蠢く百鬼夜行の伝説』学研




