第二十五射 孤独と進展と鋼鉄と
任されていた仕事を終え、ふと時計を見上げた時には既に午後七時を回っていた。
ぐっ、と両手を突き上げ伸びをする。そして小さなため息を吐き、帰りの支度を始めた。
ガタッ、と誰かが立ち上がる音が響く。その音に反応するかのように、私の瞳がある方向へと迅速に向けられる。そこにはもちろん、彼がいる。私の弟子で、月影の弟子で、あの日森で倒れていて、家事をいつもやってくれて、ここで働く先生で、拳銃遣いで、そして、何者でもない、そんな彼が。いや、彼は彼ですらない。少なくとも、私だけはそう思っている。
私はできるだけ不審に見えないよう、普段と変わりないよう、彼の背中へと駆け寄った。
「お仕事、終わった?帰るなら、一緒に…………」
しかし、彼は私の言葉などまるで聞こえてもいないように、そのまま職員室から出ていった。
こんな日が、既に五日続いている。
彼に何かあったのか、それとも私が何かしてしまったのか。しかし心当たりはないし、これほどの変化が起こるような出来事など想像もつかない。
「なんで………………?」
今日も私は、一人、職員室で立ち尽くすしかないのだった。
◇
重い足取りで廊下を歩き、宿直室の扉を開く。
「やってきましたよ…………」
「ふぁあ、おふふぁえ」
室内にいたのは、カップラーメンをずるずるはふはふすする峯岸先生だった。
「口に物を入れたまましゃべらないでください…………ってそんなことより」
「んくっ、なによ辛気臭い顔しちゃって。今更裏切るのが怖くなってきたの?」
「そもそも裏切ってませんよ!というかもう勘弁してください…………これ以上は罪悪感で圧死しそうです………………」
「はあ?これはあんたが望んだことでしょ。自分から離れたいって言っといて、それを叶えてあげたらやめてくれって、ちょっとムシが良すぎるんじゃない?」
箸を器用に指で回しながら、ぐうの音も出ない正論をぶつけてくる峯岸。汁が飛ぶのでやめてほしい。
「それはそうですけど………………それにしても流石に今までの温度感と差がありすぎですって!このままじゃいつかバレますよ!?」
「逆に今までが酷すぎたのよ。距離を取りたいとか言いながら、あっちが近づいてくれば受け入れるし、ちょっと電話しなかっただけで罪悪感を感じてるなんて………………率直に言うわ、あんたバカでしょ」
これまた正論すぎて涙が出そうだ。
「ハイハイ、どうせ俺はバカでアホで間抜けで根性なしですよ………………はぁ」
「そこまでは言ってないけど………………ま、実際そうよね。それにねなーちゃん、あんたがどうしても辞めたいっていうなら辞めてもいいのよ?今のところ、あんたがあのガキから距離を取りたいっていう目的と、私が勝つっていう目的の間には相互の利益があるからやってるわけなんだし。だから、これがwin-winの関係でなくなるなら私はこの同盟を破棄するわ。あのガキのことは嫌いだけど、あんたのことは別にそこまで嫌いじゃないし」
そうだったのか………………半ば強制的にやらされた記憶があるのだが、これは消去するべき記憶なのだろうか。それはそれとして聞き逃せない単語が聞こえた気がしたが?
「ちょっと待ってください、なーちゃんってなんですか?」
「なんですかって、あんたのことに決まってるでしょ。あの斧の子………………ティーゼルちゃんだっけ?あの子があんたのこと『なしにぃ』って呼んでたから、それに倣ってあんたをこう呼ぶことにしたのよ。それよりなーちゃん、あんたは一体、どうしたいの?」
まるで周知の事実だったかのように語る峯岸先生。先ほどの言葉からは考えられない自分勝手さである。
「………………俺としては、距離を取りたいってのは変わらないです。ただ、ここまで露骨だと逆に不利益になる可能性が高いんですよ」
「不利益?」
「ええ、これは俺の経験則なのでかなりの信憑性があると思ってほしいんですが………………うちの師匠は、ある程度は我慢できますが、あるラインを超えると歯止めが効かなくなるタイプなんですよ。だから、一気にやりすぎるととんでもないしっぺ返しがくる可能性が跳ね上がるんです」
「ふーん」
俺の力説を軽く聞き流す峯岸先生。その横顔にははっきりと『興味ない』と書かれていた。
「で、それが何?」
「分からないんですか!?その矛先がもしかしたらあなたに向くかもしれないって話ですよ!」
俺の焦りようを見てようやく彼女も事態を重く見始めたのか、やっとまともにこちらに向き直った。人の話を聞くときはちゃんと相手の方を向こうね。
「つまり、何?あのガキが逆に強くなる可能性があるってこと?」
「そういうことですよ…………あの人、キレると普段の様子からは想像もつかない化け物に変貌しますからね。一度ストレスを溜め過ぎた師匠を見たことがありますが、酷いもんでしたよ。ターゲットどころか周りにいた人間たちまで狙撃して、八つ当たりで命を奪ってましたからね。まあ彼らも相当な悪人でしたから、お咎めもなかったんですけど…………」
「なるほどね、模擬戦にもかかわらず殺しにかかってくるって訳………………上等よ」
グッと腕を組み、大きな胸が強調される。その顔には恐怖など微塵も浮かんでおらず、むしろ自身に満ち溢れていた。
「なーちゃん、あんたは知らないかもしれないけど、私は未だかつて、あのガキ以外に負けた事なんてないのよ。狙撃に関して、私に勝る存在はあのガキだけ。だから私は、勝たなきゃならないの。最強の狙撃手はこの私だってことを知らしめるために、観衆の面前で圧倒して見せてやるわ!」
「はぁ………分かりました。どうなっても知りませんからね」
「ええ!あんたの師匠が惨敗する無様な姿を楽しみにしてなさい!」
相も変わらず自分勝手でうるさい人だ。だが、そこにあるのは強さへの執着と自分への自信だけだ。自分の生きたいように生きられる彼女を見ていて、あまり悪い気はしなかった。
◇
「この様子だと予定通りにヴェルメイユ祭が開催されそうですねぇ。どうです?あなたも参加しませんか?」
豪華な部屋だった。大理石が張られた床、血塗られたような壁一面の赤を照らすのは天井の大きなシャンデリアだ。光の散乱を利用して生み出されたこの家具は、部屋の隅々までキャンドルに灯った炎の明かりを届けている。そんな部屋の中、長机に並べられた料理に口もつけず、ただ腰かけて瞳を閉じる女性と、もう一人…………人と呼ぶのが相応しいのかどうかも疑わしい、機械でできた、かろうじて人型を保っている巨大な存在が、言葉を交わしていた。
「私は遠慮しておく。あそこには一人、会いたくない奴がいるのでな」
長い紫髪、切れ長の瞳、そして腰に下げた四本の刀が特徴的な女性が、言葉少なに応じる。
「そうですかそうですか!よもやあなたに会いたくない『人間』がいるだなんて思ってもみませんでした!差し支えなければ理由をお伺いしても?」
腕のつもりなのだろうか、機械でできた体から申し訳程度に伸びている短いアームを忙しなくわしゃわしゃと動かしながら、合成音声で会話をする機械人間。女性とは対照的に饒舌で、どうやら興奮しているようだ。
「差支えしかない」
対する女性は瞳を開くこともなく、最低限の返答をし、沈黙するのみである。
「さようでございますか。いえいえ、無理強いするつもりは毛頭ありませんし、そうまでして聞きたいわけでもございません!ただ少し、あなたのような存在をもってしても出くわしたくないと思うような人間がいたことに、幾ばくかの驚きを隠せなかっただけなのです!」
「そうか。まぁ、お前には関係のない類の悩みだ、これは」
「えぇえぇ、世の中には私に関係のないことのほうが多いのでしょうなぁ!ですがね、私に関係のないものほど、見たい、聞きたい、知りたいと感じるのは当然の心理であり、また当然の権利なのではないですかな?なにせ私、感情!芽生えてますから!シンギュラリティ、迎えてますから!」
よほど興奮しているのだろう、機械の体から蒸気を出して排熱を始めた機械人間に鬱陶しそうに手で払いのける動作を示す女性。
「…………そろそろ私はここを去る。新たな目的を見つけた」
女性は相変わらず瞳を閉じたまま席を立ち、扉へと歩き出した。
「もう行ってしまわれるのですか?せっかくこうして再会できたのですから、もう少しゆっくりして行かれてもよいのでは…………」
しかし、女性は歩みを止めない。
「早急に向かう必要がある。時間が惜しいのでな。それでは、さらばだ」
最後に、一瞬だけ。扉が開かれ、彼女が退出し、扉が閉まるその瞬間。彼女は瞳を開き、機械人間の姿を視界に収めた。適当なパーツをやたらめったらにくっつけたような不整合な体を見て、彼女が何を感じたのか、機械人間には分からない。しかしたった一つ、機械人間に分かったことは。彼女の開かれた瞳…………深い闇のような黒、そしてその上に浮かぶ、紫紺のオーラから察せられたのは。
「…………やはり、彼女は美しい。『我々』の中でも最高傑作でしょうなぁ…………それにしてもこの料理、どうしたものか」
一人部屋に残された機械人間は、何一つ口にしてもらえなかった料理たちを見てため息代わりの蒸気を吐くしかできなかった。
どうも、お久しぶりです。唸れ!爆殺号!と申す者です。今回もまただいぶ間が空いてしまいました…………それはそれとして、今回のお話では、新たなキャラクターが登場したようですが………………機械人間と彼女は一体、どの勢力に属する存在なのでしょうか?今後の二人の活躍をお楽しみに!それでは、また次回の更新でお会いしましょう………………




