第31話 先生と仲間たち
魔人カルラ……全ての家事と様々な職務を万能にこなすバーンズ家のメイド。
『旧き6つの家』の内の一つヴェゼルザーク家に属する魔人であったが某事件の際にウィリアムの事務所に転がり込む。
並外れたカレー好きであり放っておくとカレーばかり出してくるのでウィリアム家ではカレーは一週間に一度と決められている。
ウィリアムは今回、塔へ向かう事が決まってすぐに世界中に散る仲間たちに連絡を入れていた。
とはいえ、仮に全員が即連絡を受け取ってくれたとしても距離的に間に合うものではないことも彼は重々承知した上での事で……それは半ば祈りにも近い行為だったのだが。
しかし、今ここに1人駆け付けてくれた者がいた。
それも仲間たちの中では最強の戦闘力を誇るメイドが。
「……なるほど、少々面倒な相手ですね。この有能で可愛らしいメイドさんに助けを求めるのもわかります」
カルラの視線の先で、先ほど彼女が蹴り飛ばしたゼクウが起き上がる。
蹴りをそこに受けたのか鎖骨の辺りが砕けてなくなり大きく抉れていた。
だがその砕けてなくなってしまった部分に無数の塔の瓦礫が纏わり付いて粘土のように形を変えながら肉体を再生してしまう。
(……そうか、奴は武器だけでなく己の身体も塔から補う事ができるのか)
その事実に戦慄するウィリアム。
そして彼は再び千切れた足からの痛みに呻く。
「あれまあ、お可哀想に……少々お待ちくだせえましよ。先生の敵はこのまほろが片付けちまいやすんでね」
「……まほろ!」
再び驚いて目を見開くウィリアム。
傍らに屈みこんでいるのは編み笠を被って杖を持った和風の旅装の女性だ。
細い目でストレートの黒髪の美人で、頭に二つの獣耳が付いている。
上和泉まほろ……化け狸の妖怪でウィリアムの事務所のスタッフの1人。
そして背後からガランゴロンと豪快に響いてくる下駄の音。
「無事かよ先生。うお……随分とこっぴどくやられたな」
「トウガ!!!」
ぬっと現れたのは黒い道着姿で下駄履きの2mを越える巨漢だ。
バサバサの黒髪に口の周りを髭で覆った中年男。
全身を筋肉の鎧で覆った武術家緒仁原トウガ。
彼もまたウィリアムの頼れる仲間の1人だ。
「ついでなので何人か連れてきました。雑魚ぴっぴばかりですが何かの役には立つでしょう」
しれっと辛らつな物言いをするカルラにまほろは苦笑しトウガは愕然としている。
「……先生」
そして、彼女が自分の脇に立った。
長いエメラルドグリーンの髪の毛が揺れている。
「パルテリース……」
自らを見下ろすハイエルフの目に涙が浮かんだ。
「えっちゃんも……あいつがやったんだね」
ぐいっと乱暴に涙を拭ってからゼクウを見るパルテリース。
その横顔はウィリアムがかつて見たことの無い冷たい怒りを表していた。
「お前は楽には死なせない」
乾いた声で言い放つと彼女は一歩前に出る。
「……来るがいい」
ゼクウが一同へ向けて大剣を構える。
一騎当千の猛者たちをこれだけ前にしてもゼクウの超然とした態度には僅かな変化も見られない。
黒衣の男へ向けて一斉に床を蹴るウィリアムの仲間たち。
そして……戦いが始まった。
「……ヌン!!」
両手で構えた大剣を横薙ぎにしてくるゼクウ。
暴風を伴った巨大な刃が唸りを上げて一同に襲い掛かった。
背中に仲間たちをかばうようにトウガが前に出る。
ゴガッッッッッ!!!!!!
そしてトウガはまともにゼクウのその一撃を胴体で受け止めた。
ガシャン!!!!!!!
攻撃を仕掛けたゼクウ。
その一撃はまともに道着しか着用していないトウガのボディに命中している。
だが音を立てて砕け散ったのはゼクウの大剣だ。
「……!!!」
流石に驚愕で目を見開くゼクウ。
破損は武器だけに留まらない。
それを持っていた両手にも無数のヒビが入りそこから鮮血が噴出した。
「ガハハハ!! 何で攻撃した方がダメージを受けてんだよって言いてえか!? これが俺の攻撃する筋肉、天鎧流だ!!」
グワッと拳を引き絞るように構えるトウガ。
「モットーはな、『防御こそ最大の攻撃』だぜ!! よろしくなあ!!!」
トウガの拳を胸部に受けてゼクウがよろめいた。
守るばかりが緒仁原トウガではない。
胸部がひしゃげる程の打撃にゼクウの上体がグラグラと揺れる。
その隙を突いてまほろが側面に回りこむ。
「ほいさっと」
投げ付けた両端にクナイの付いた鎖がゼクウの足首に絡みついて足を床に縫い止める。
「そいつぁ力じゃ切れやせんよ。不動の呪を込めておりやすんでね。数秒頂戴致しやす。ささ、パルテ姐さん」
「……!!!」
自らの真下まで接近していたパルテリースに気付いたゼクウ。
刀の柄に手を掛けて彼女は鋭い視線で黒衣の破壊者を見上げている。
「『朱之遠雷』
直下からの飛び上がって放つ抜刀術。
ゼクウの左腕が肩口から切断されて宙を舞う。
「キサマらぁ……!!!!」
目を血走らせてゼクウが咆哮した。
「離れていなさい。巻き込んでも文句は聞きませんよ」
息を付く間もない攻防のさ中の間隙にその落ち着いた声が通った。
迷わずにパルテリースらが左右に散る。
その場に1人残った者、ゼクウ。
踊り手のように軽やかに舞うようにトントンと規則正しいステップを刻んでカルラはゼクウの間合いの内に立つ。
「お前は……!」
「名乗るつもりはありませんし、貴方にも何の興味もありません。ただ、奈落への片道切符だけはご用意しました。……それでは、良い旅を」
そう言って無造作にメイドが蹴る。
……彼女はただ蹴るだけ。
しかしその場にいた誰もが彼女の踵が浮いた瞬間に反応はできなかった。
爆発音にも似た音がして、ゼクウの上半身は粉々に砕け散った。
黒い無数の破片が後方へと撒き散らされる。
残された下半身はゆっくりと後ろに倒れた。
その時カルラの表情が彼女の事をよく知るものだけが気付けるレベルでわずかに変化した……眉を顰めたのだ。
「……しぶとい」
「生憎と、旅なら途方も無く長い道のりを越えてきたものでな」
虚空から低い声が響く。
床材が粘土のように持ち上がってゼクウの下半身を包んでそのまま床に戻った。
「勝負はここからだ」
ぼこん、と床が大きく盛り上がり一辺10m近くにもなる巨大な立方体を形成した。
キューブは床から分離し空中に浮かび上がる。
ビシッ!とキューブの表面にヒビが入った。
広がる蜘蛛の巣に似たヒビが。
それはまるで内側に閉じ込められている何者かが外に出ようと足掻いているかのようだ。
ビシッ!ビキッ!と放射状のヒビが2つ3つと増えていく。
そしてキューブが崩れ始めた。
中から少しずつ巨大な獣が姿を現す。
右面に三つ目と巨大な角……そう、それは妖怪王と呼ばれていた時のゼクウの姿だ。
神を狩る獣が無数のキューブの破片が降り注いでくる中床に足を下ろした。
ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!!!
いつか聞いた咆哮。
聞くものの魂を鷲掴みにして握り潰すかのような……。
「……とんでもねえな」
思わずイヤな顔をしてトウガがぼやく。
「ウィリアム・バーンズ!! お前が信じた『未来』を……お前の仲間たちごとバラバラに引き裂いてやろう!!!」
腕を振り上げる獣。
唸りを上げて振り下ろされたその腕が床を抉って砕き周囲がビリビリと震える。
「トーガ、跳ね返して!!」
「ありゃ無理だ!! 当たる範囲がデカ過ぎる!!!」
跳んで回避しながら言葉を交わすパルテリースとトウガ。
緒仁原トウガの編み出した武術『天鎧流』はインパクトの瞬間に着撃面に全神経を集中して相手の攻撃には耐えつつカウンターの衝撃波を浴びせるというものだ。
気功術を独自に発展させたオーラが一瞬の防御壁とその威力を吸収して上乗せしたカウンターの衝撃波になる。
限界を超えて鍛え上げた肉体と稀有な反射神経を必要とする為、開祖となってはみたものの今の所彼以外誰も習得できた者がいない。
相手の攻撃を受けるその一点に意識とオーラを集中する必要があるので一定以上に着撃面が大きな攻撃や同時に複数命中するような攻撃には対応できない。
そして2人がゼクウの攻撃を凌いでいる間にカルラがウィリアムの所へ戻ってきた。
「悪あがきを始めました。もう少しかかりそうなので離れていてください」
ウィリアムに肩を貸して立ち上がらせるカルラ。
エトワールはまほろが背負っている。
「……カルラ」
片足で立ち上がったウィリアム。
乱れた息の中掠れた声を彼は出す。
「私も……戦う。手を貸してくれ」
「何を言っているんですか。貴方は……」
困ったように言うカルラ。
左足の切断面の近くを固く縛って血は止まりかけているもののウィリアムが瀕死である事には変わりがない。
「頼む。奴は……私でなければ倒せない。そんな気がするんだ」
「………………ですが」
カルラは……彼女にとっては非常に稀な事であるが悩んでいた。
そんなメイドにウィリアムは血で汚れた口元を僅かに笑みの形にした。
「頼めるのは君しかいない。私の……有能で可愛らしいメイドさんの……君しか」
「……っ」
カルラは目を閉じて嘆息する。
「それを口に出されたら私も引き下がるわけにはいきませんね」
いつかの出会いを彼女は思い出していた。
あの時もこの男は瀕死なのに無傷で数段実力が上の自分に挑んできた。
……そして、見事に我を通した。
そうだ。
ウィリアム・バーンズという男は……子供のように我侭なのだ。
いつもは温和で女性に対しては気が弱い部分すらあるのに。
ここぞのいう所では絶対に譲らない。
それが彼だ。
そんな彼を慕って、そんな彼を愛して……今日まで一緒に歩んできた。
「今の貴方の身体では一撃持つか持たないかですよ」
「ああ。それでいい」
カルラに右の肩を預けながら左の手で剣を持つウィリアム。
自分の鼓動が聞こえる。
まだ自分は……生きている。
残っているものといえば、自分にはもうこれくらいしかない。
この生命をぶつけるのだ。
乾坤一擲の、これが本当の最後の勝負になる事だろう。




