契約
「走るぞ!」
「えっ、ちょ! 離しなさい!」
ジルは少女の手を掴んで走り出した。
今のジルにはそうするしかない。
応戦する力もないジルは、目の前の脅威から逃げる事しか許されなかった。
しかし、それを黙って見逃すほど、餌を前にした魔物は甘くない。
シュルシュルと地面を擦る音が背後から迫ってくるのを、ジルは必死に振り払おうとして走る。
右に、左に、何度も曲がりながら追ってこなくなることを願う。
だが――――。
「しまった! 行き止まりか……」
「あんた、何してんのよ」
ジルは元々下層に降りるつもりはなかった。
そのため下調べなどもしておらず、入り組んだ道筋なども当然頭に入っている訳もない。
そんな中見知らぬ道を運を頼りに駆けてきたが、どうやらツキにはみなされてしまったらしく、行き止まりへとぶつかってしまう。
「ちっ……せっかく封印が解けたのにいきなり面倒に巻き込むんじゃないわよ……」
「悪い……」
「もう終わったような顔、やめなさい。私はここであんたと心中するつもりはないわよ」
「でも……俺にはあれをどうすることもできない」
「なんでよ?」
「俺は精霊術師だ。でも……今は契約している精霊もいないし、近くに仮契約できそうな微精霊もいない。あんなのに太刀打ちできる力はないんだよ!」
ジルは声を荒げて心の内を吐き出した。
あまりにも無力。
この状況を打破する力もない。
そんな自分に手を引かれてきてしまった少女はその表情をどんな感情で染めているのだろうかとうつむいた顔を上げたジルは、予想を裏切られて息を呑んだ
少女はジルの話を聞いて呆れるでも馬鹿にするでも、ましてや絶望するでもなく、口角を上げて不敵に笑みを浮かべていた。
「あは、あはははっ。使えない人間かと思ったけど案外そうでもなかったみたいね。あんたの幸運はこの私の封印を解いたことよ、喜びなさい」
「は? 何を……言ってるんだ? もしかして、何か策があるのか?」
この状況で高笑いを上げる少女にジルは反応に困った。
しかし、少女の言葉の内容、強気な姿勢、口調、表情はこの絶望的な状況をひっくり返すための考えがあるというのを物語っていた。
もしそれが本当ならジルはそれに縋るしかない。
どうしようもない暗闇の絶望に差し込んだ一筋の光――――それに手を伸ばすべく、ジルは恐る恐る尋ねた。
「悠長に話している暇はないだろうから手短に言うわね。私の名前はルカ・アメジスト。今から約千年前に人の手によって生み出された人工精霊よ」
「千年……? 人工……精霊……?」
「今それを疑問に思っても仕方ないでしょ。あんたに残された選択肢は二つ。このまま黙って死ぬか、この私と契約してあのでかい蛇を何とかするか。どっち? 早く決めなさい」
またしても疑問は増える。
だが、今それを追及している暇はないし、優先順位は間違えてはいけない。
重要なのは少女――――ルカが何者かや、どんな存在かなどではない。
ルカが精霊で、ジルが精霊術師であること。
そして――――ルカが契約を持ち掛けているということ。
「力を貸してくれるってことか……?」
「バカ、逆よ。あんたが私に力を貸すの」
「どっちでもいい。生き残るためなら是非もない……!」
「そう、決まりね」
ルカはジルに残された選択肢は二つと言ったが、ジルにとっては実質一つだ。
彼女の持ち掛けた契約を受けるしかない。
本来ならば属性相性や力の質など考慮すべき点はあるのだが、今はルカの言う通り悠長していられない状況。
出会ったばかりでお互いのことも知らないコンビ――――だが、不思議とジルに不安はなかった。
「えっと……精霊との本契約には名前と精霊を宿す媒体となるものが必要なんだよな」
「そんなのどっちもいらないわ。これ着けて、契約の意志を持って私の名前を呼びなさい」
「うわっ……と、何? 腕輪?」
「早くしなさい! もう来るわよ!」
ジルはルカに投げ渡された腕輪をキャッチするとまたしても怪訝そうにそれとルカを交互に見つめる。
しかし、そんなことをしている暇はないと言わんばかりに急かされ、やむを得ずその通りに腕輪をはめてその手を伸ばした。
「ルカ! 力を貸してくれ!」
「ちっ……だから逆だっての……フン、まあいいわ。せいぜい使いこなしなさい」
契約の意志を持った呼びかけにルカは応えた。
すると紫色の光が腕輪から放たれ、ジルを包み込んでいく。
その光が炸裂するのと、ジルを追ってきていたブラックサーペントが再度相対するのはほぼ同時だった。
だが、先程までとは違う。
以前追い詰められている状況なのは変わりないが、もう逃げ惑うだけじゃない。
精霊術師ジルと、謎の精霊ルカ。
ここに契約は成った。
「全部終わったらちゃんと話を聞かせろよ」
「フン、だったらしっかり生き残る事ね」
逃げ場はもう無い。
だが、逃げる必要ももう無い。
ジルは己に溢れだす力をその身で感じて、闘志十分で目の前の大蛇を睨みつけるのだった。




