第四話(最終話) クリスタルが赤くなる瞬間(とき)
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写しを清書した物に目を通し、その場の全員がサインをして教会への寄進を払うことで、写しの手続きは終わります。
ウィルは青ざめてはいましたが指には震えが到達していませんでした。素早く美しい字でサインをした後、自身のポケットから財布を取り出そうとしてはたと止まり、別のポケットから天鵞絨で包まれた小さな箱を取り出しました。
箱を開けると美しい青色のサファイアが白金の爪で留められた見事な指輪が輝いています。ウィルはそれを箱ごと机の上に投げ落とすように置きました。
「……あっ!」
ミカエラ・マキンリー伯爵令嬢がそれを見て、小さく声を飲み込みました。
「すまないが、これで充分に足りる筈だ」
それだけ言ってウィルはすぐに踵を返します。一刻も早くこの部屋から出たいが為に。暴れん坊ミックと一秒でも同じ空気を吸っていたく無いが為に。
「ウィル! 待って!!」
かつての暴れん坊ミック……そして先程まではウィルに愛称で"ミア"と呼ばれていたミカエラ・マキンリー伯爵令嬢が、彼の腕に取り縋ろうとします。が。
「ひいぃっ!!」
ウィルは悲鳴をあげて彼女の手を振り切り、逃げ出しました。
「お願い! 私の話を聞いて!!」
「ぎゃああぁ!!」
ウィルは美しいはずの顔を恐怖で醜く歪め、叫びながら部屋を飛び出していきました。
ウィルを追いかけ部屋を出たミカエラ・マキンリー伯爵令嬢の泣き喚く声が、そしてウィルが慌てて走り去る足音が、教会の部屋の中から外の礼拝堂まで響き渡りました。
部屋に残されたのは四人の友人と数人の僧。僧たちはこういったゴタゴタには慣れたものなのか、平常心といった様子でいます。
アリーは硬い表情で俯いたまま、椅子に座っていました。
ルーパートはアリーにどう声をかけたものか考えあぐねた結果、ちょっとおどけて言いました。
「ウィルのやつ、俺様があれだけやめておけって忠告してやったのに! あれは絶対女性不信か、最悪女性恐怖症になってるぞ」
「そうね。可哀想だけど自業自得だわ。アリーという婚約者が居ながらあんな人になびくなんて!」
「まぁミックの演技力も大したもんだったけどなぁ。私は弱い女なんです~っ、乱暴なんて絶対しません~ってフリが板についてたぜ。けどあいつがショーンに言い返した時に『あっ、やっぱり暴れん坊ミックだわ』って確信したよ。リズもそう思っただろ?」
ルーパートの言葉に、リズは身震いしました。
「ええ。私、あまり昔の事を覚えてなかったのだけど、あの目を見た時、あの子に大きな石を投げつけられたのを思い出したわ……。それに慰謝料を払う事になるのに階段の件をウィルに話しちゃうなんて後先考えないところは、昔のミックのままね!」
「……そうだ、慰謝料! アリー、ウィルとの婚約破棄もそうだけど、他言無用を破った件でもミックにガッツリ請求しとけよ!」
ルーパートがそう言うと、俯いたままのアリーはぽつりと返答しました。
「慰謝料なんてどうでもいいわ……私はこの事をウィルから隠したかっただけだもの」
「そういうわけには……」
ルーパートの言葉を、ショーンが止めます。
「いや、この場合は正解だ。婚約破棄のきっかけになった慰謝料は請求しても良いが、階段の事は請求すればかえってあのクソ忌々しいクソ女が有ること無いこと周りにベラベラ喋りかねない」
「あ、ああ……(クソって二回言ったな……)」
ショーンの身体から立ち上る怒りと憎悪に、珍しくひきつるルーパート。
「このやりとりは俺達とウィルと、秘密を守ってくれる教会の人間しか知らない。今回の事をマキンリー伯爵家に厳しく注意した上で、今後あのクソ女がまた喋ったらその時は莫大な請求をする……と脅した方が良い」
「……そうね。アリーをこれ以上傷つけさせないためにも、ショーンの言うとおりかもね」
リズも同意します。ルーパートもこくこくと頷きました。しかしアリーは無言のままです。ショーンはそっとアリーに近寄り、肩に手を置きました。
「アリー……」
その手が、正に涙を塞き止める堤防に打ち込んだ楔の役割だったのでしょう。アリーは堪えきれずわっと泣き出しました。彼女の頬や顎をつたった涙が次々とこぼれ落ち、ドレスに染みを作ってゆきます。
「私が……私がいけなかったの!」
「アリー、君のせいじゃない。自分を責めるな」
「いいえ、私がウィルに侯爵家の立派な当主になって貰いたくて……きつい事を沢山言ってしまったから……!」
「それは……君と結婚すれば求められる物だったんだから当然だろう。ウィルはその覚悟が足りなかっただけだ」
「でも、でも私はウィルがそばにいてくれればそれだけで良かったの。私が領地の事を全て取り仕切ったって良かった。彼に多くを求めすぎたわ……」
ショーンに慰められてもなお、真珠のような涙を頬にこぼすアリーを見て、リズは一瞬迷いましたが覚悟を決めたようにキッと目を吊り上げて吐き出します。
「それは違うわ。ウィルはミックから逃げるためにいつもアリーの後ろにいた。そうやって面倒から逃げ回るくせに本当は自分でも動ける卑怯者よ! 私、さっき気づいたの!」
「おい、リズ。ウィルが卑怯者って……アリーに教会で階段の事を言わせて婚約を破棄しようとしたからか?」
「それはお互い様よ。もしも階段の事を知らなくても何か難癖をつけると予想したからこそ、アリーのお母様はわざと予定を作ったし私達も一緒に教会で待っていたのだから。だけどあの指輪の件は別よ!」
「指輪……」
女性であるアリーはリズの言わんとしている事がわかったのか、涙で濡らした顔を少し上げて友人を見ます。一方男性陣はなんの事かわからず、ショーンは眉根を寄せて黙り、ルーパートは口を半分開けて間抜けな顔をしながら問います。
「指輪……って、さっき代金代わりに置いてったあれか?」
「ルー、貴方も私に指輪をくれたでしょう。それは特別な意味よね?」
リズは自分の左手を見せます。薬指にはルーパートの瞳の色の宝石を使った婚約指輪が嵌められていました。彼は少し照れながら返事をします。
「あ、ああ……」
「私たち、宝石商にこの指輪を注文して、完成するまでに1か月以上かかったわよね? ウィルの持っていたサファイアの指輪だって立派だもの。きっと同じくらい時間が必要でしょう」
「まぁ、そうだろうけど。それがなんで卑怯なんだ?」
「貴方は騎士団から貰ったお給料をつぎ込んでこれを買ってくれたわ。だけどウィルはショーンの様に文官勤めをしているわけでもない。将来侯爵家へ婿入りする予定で領地の勉強をしているだけの、伯爵家の三男坊……それも、勉強だってアリーに言われて拗ねるような男よ。彼にあの立派な指輪を買えるだけの資金があると思う?」
「……まさか」
ショーンがそう呟き、その顔が再び険しくなりました。ルーパートはまだ意味がわからないようで「何? 何?」と聞いています。
「まぁ私の憶測だし、いくらアリーの家とウィルの家が親しくても流石にラブキン伯爵に確認する事もできない内容だけれど……1か月以上前ならまだ彼がミックの存在をご両親に隠したまま『愛するミカエラに指輪を贈るから』とか言って、お金を借りる事もできましたよね?……なんて聞けないもの」
ルーパートが手をパンと叩きました。
「なるほど! それだけなら嘘は言ってない。クリスタルに誓えるな! アリー、ウィルも意外と馬鹿じゃなかったって事だよ」
「……ルー? それまさかウィルを誉めてるの?」
「いや? どっちかって言うとリズと同意見だ。あいつはアリーが思ってたような可愛くて弱っちいお人形さんじゃなかったんだよって言いたいな。俺はとっくに知ってたけど。なぁ、ショーン?」
「そうだな。アリーはウィルをいつまでも綺麗で弱くて守ってやらなきゃいけない存在だと思っていなかったか?」
「……え?」
アリーは濡れた瞳を瞬きました。
「矛盾しているがウィルは責任から逃げつつも、自分がただ守られるだけの存在として扱われるなんて耐えられなかったんだと思う。だからか弱い女のフリをしていたミックなんかに引っ掛かったんだよ」
「……やっぱり、私のせいなのね……」
「違う。そうじゃない。君はとても愛情深い人間だよ。だけどもっと肩の力を抜いた方が良い。相手を守って自分だけが頑張るんじゃなくて、時には甘えたり支えあったりする事も知った方が良いって事だ」
「甘えたり……支えあう……?」
ショーンはアリーの手を取り、見つめます。
「そうだ」
しかしアリーは彼の目の奥にある意図には気づけなかったのか、また俯きました。
「でも……もう遅いわね。ウィルとはやり直せないわ。今から私は侯爵家に婿入りしてくれる他の人を探さなきゃいけないけれど、その人に甘えたり支えあうような信頼関係を築ける自信がないもの」
「アリー、ショ……」
ルーパートが言いかけた言葉をリズが慌てて止めます。そして二人は、アリーの手を握っているショーンの言葉を待ちました。
「アリー、俺に甘えることも無理か? 自信がない?」
「ショーンに? 今日はこうして協力もして貰ったし、充分甘えていると思うわ」
「あぁ、そういう意味じゃない……。仕方ないな。君は小さい頃からずっとウィルしか見ていなかったからな」
「えっ?」
ショーンは立ち上がり、片付けをしていた僧達に向かってこう言います。
「すまない。もうひとつ写しを頼む。すぐ終わるからクリスタルを今すぐ貸してくれ」
ショーンの言葉の意味がわからず戸惑うアリーにリズがそっと「ショーンを見ていてあげて」と優しく囁きます。ショーンはクリスタルに手を置き、アリーの方を向いて宣言しました。
「ロングフェロー伯爵家次男、ショーンはクリスタルの神に誓う。俺はミカエラ・アリシア・グレンジャーを愛している。昔からずっと彼女が好きだった!」
「!!」
アリーはショーンの言葉に、そしてクリスタルが変色しない事に心の底から驚きました。そんな事を考えたことも無かったからです。
「アリー、君が本当にウィルを愛していた事はそばで見てきた俺にはわかる。だから今すぐとは言わない。いつかでいい。その愛を俺に向ける事も考えてくれないか?……いつか、その時が来たら俺と結婚してくれ」
「ショーン……」
「おいおいショーン。カッコいい事言ってるけどさ、いつか、って、いつまでも待てるのか? アリーがおばあちゃんになってもか?」
「!……ああ、待てるさ」
ルーパートが冷やかすようにいつまでも待てるか、と尋ねるのに対してショーンはやや躊躇ってから肯定します。しかし、彼の手元のクリスタルが一瞬だけ赤く濁りました。
アリーはえっと小さく声をあげ、リズはクスクスと笑いながらアリーを優しく抱き締めます。
「ふふふっ。おばあちゃんまでは待てないんですって。困ったわねぇアリー。でも1、2年は待って貰いましょうか? 良いでしょ、ショーン」
「当たり前だ! じゅっ、10年くらい余裕だからな!」
「……あ、ありがとう……リズ、それにショーンとルーパートも……」
アリーは心の中で長年築きあげてきた盾が崩れていくような気がしました。
彼女は腕の力を抜いてリズを優しく抱き返しながら笑顔になりました。が、その目の端からまたも真珠のような涙が一粒こぼれ落ちます。
「さっ、いい加減ランチに行きましょう!」
リズがわざと明るい声でそう言うと、三人はそれぞれ違った笑みを返しました。
ひとりは純粋に明るく楽しそうに。
ひとりは照れながら、そして未来へ淡い期待を込めて。
ひとりは大きな哀しみを引きずりながらも、それに別れを告げるように。
これで完結です。お読み下さりありがとうございました!!
第一話の前書きに書きました「ごく一部が現実にあった出来事」のネタばらしですが、あまり気持ちの良い話ではないですので、苦手な方はスルーしてくださいませ。
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答えは、第一話冒頭の13行、場面転換(◇◆◇◆◇)までのシーンのうち、侍女のくだりを除いた全部が筆者の実体験です。
私は3歳の時に、近所のイタズラや暴力をふるう事で有名な女の子(同い年か一つ上だったかと思います)に階段の上から突き飛ばされました。特に理由はなく、面白いと思ったからだそうです。笑いながら「面白い顔」と言ったのも実話です。
私は突き飛ばされて同じ痛みを味あわせてやると誓いましたが、彼女は用心深く(最初に私を突き飛ばした時、侍女はもちろんいませんがwww誰も居ない隙を狙ったようです)すぐに階段を降り、その後も警戒をしていました。私はずっと復讐のチャンスを伺っていました。
数日後、やっとチャンスが来て私は彼女を階段から突き飛ばし返しましたが、向こうの親が実は見ていて大騒ぎになりました。
双方痛み分けでお互いの親が謝って終わりましたが、こちらに非がないのに突き飛ばされた事に私は納得いかず、大人になっても覚えていました。
すみません。しつこい性質の私が物語の中で彼女に「ざまぁ」をしたくて書いたお話ですw