第三話 その顔を見てドキドキするのは
部屋の中の静寂を打ち消したのはショーンです。彼は眉間に皺を寄せ低い声で言いました。
「……ウィル、お前はいつもそうだったな。自分の理解が及ばない事を言われると、理解しようと努力せず難しい事を言う方が悪いと言っていた。俺達が何故理由を言えずにその女との付き合いを反対しているのか、一度でも考えた事はあるのか?」
「何故……? そ、それは……ミアが美しいから周りの女に嫉妬されて……彼女は誤解されやすいんだ! 本当は淑やかで良い子なのに悪い噂をお前らが信じているだけだろう!」
「それならお前が自分の両親に反対されたのは? ラブキン伯爵夫妻はただの誤解や噂を鵜呑みにするほど愚かなのか?」
「……っ!! お、俺が三男で、特に資産も無いし、アリシアの所に婿入りすれば伯爵家にもメリットが大きいから……だからアリシアとの婚約破棄に反対なんだろう……」
先ほどまでの勢いとは打って変わってしどろもどろになりながら、最後は呟くように俯いて話すウィルを見て、ショーンの眉がやれやれとでも言いたげに下がります。彼はウィルに縋るように傍にいる女性に向かって、失礼を承知で指差しました。
「じゃあ、そこの“良い子ちゃん”とやらの手をクリスタルに触れた上で宣言して貰え。『私はアリシアに階段で突き落とされた、とウィルに話した』ってな」
「クリスタルを使わなくても誓えるわ! それは本当よ!」
今までの弱々しげな様子から一転、緑の目にいかづちの様な強い光をひらめかせて主張するマキンリー伯爵令嬢。
「ミア……!」
彼女の様子を見たウィルは胸の動悸が早まるのを確かに感じ、先ほどのルーパートの「真実の愛ではない」という言葉は間違っていると強く思いました。二人は見つめあいます。マキンリー伯爵令嬢は美しく微笑みました。
「そしてウィル、私は貴方が本当に好き。愛しているの。それも誓えるわ」
このやり取りを見ていたアリーは能面のように表情が固まったままです。リズは恐ろしいものを見たような顔をし、ルーパートは声にならない苦笑いを浮かべました。
そして今度こそ本当にショーンが「やれやれ」と小さく呟き、言葉を続けます。
「金をケチって嘘をつかれてはかなわないが、今、誓えると言ったな。写しの記録に残るぞ」
貴重な聖なるクリスタルを使って真偽を判別した回数が増えれば増えるほど、教会への寄進は増える決まりです。そのため教会に写しを取ってもらう際には、皆最初の誓いの言葉以外には殆どクリスタルに触れようとはしません。
結果『写しに記録されていることが全て真実である』という前提で皆話すのです。ショーンはその念を押したのでした。
「ええ。今さっきの言葉なら真実ですもの」
「じゃあ、いつ、ウィルに階段の件を話した」
「それは……」
言い淀み目配せをするふたり。ショーンが素早く注意します。
「いい加減な事を言えばクリスタルに手を触れて貰うことになるぞ」
「……先週だ。俺はミアから先週この事を聞いた」
ウィルが観念したように言います。
「だそうだ。アリー、お前の読み通りだな。ウィルは半月以上前にラブキン伯爵夫妻に『アリーとの婚約を破棄してミカエラ・マキンリー伯爵令嬢と婚約し直したい』と相談した。それを反対されたから、お前が結婚相手として相応しくない理由を探し、婚約破棄を主張するつもりだったんだろう」
「そうだ……しかし! アリシアのやった事は許されない!! ミアに謝罪してもらおう!!」
ウィルが再び主導権を取り戻さんと勢いづいて言います。ショーンが反論しようとしたのをアリーは手を挙げて制しました。
「ショーン、いいわもう。貴方は流石ね。大事な事をちゃんと聞いて写しの記録に残してくれたわ。きっと私だけではこうは上手くいかなかったでしょうね」
「アリー……」
「ウィル、みんなが貴方の行動を反対し、諫めていた時に理由を言えなかったのはね、私のせいなの。私が自分の中に醜い心があると貴方に知られたくなかったから、みんなに口をつぐむようずっとお願いをしていたのよ」
「アリー! 貴女の言い方!……違うわウィル! アリーは悪くないの!」
「リズ、もうウィルと婚約を続けるのは無理だとわかったわ。だからいいの。全部彼に話すわ」
焦ったリズが立ち上がりアリーを庇おうと主張しますが、アリーはリズに向かって首を振り、止めます。そしてウィルに向き直りました。
「ウィル、貴方に最初に階段の件を『いつ、誰から聞いて、何故この場で問い質すのか』と私は質問したわね。ショーンの力を借りたけど結果的に貴方は先に答えてくれたわ。だから私も貴方の質問に答えるのが筋と言うものよね。――――――ええ、確かに私は彼女を階段から突き落としました。クリスタルに誓うまでもなく、真実よ」
「アリー!!」
リズが悲鳴に近い声音で叫びます。ウィルは今までの鬱憤を晴らすかの如く勝ち誇りました。
「やはりそうか! この婚約はお前の落ち度による破棄とさせて貰う!」
「いいえ。破棄はともかく、その理由が私の落ち度とはならないわ。何故なら階段の事は一部始終が記録にきちんと残っているから」
「…………は?」
アリーはハンドバッグから小さなメモを取りだし、進行役の僧に見せます。
「この番号の記録の写しを開示してください。私、ミカエラ・アリシア・グレンジャーには開示する権利があると両親から聞いています」
「……少々お待ちください。古い記録ですのでお時間を頂きます」
僧が退出した後、アリーは婚約者を見つめます。その顔は変わらず固い表情でしたが、目には悲しみの色をたたえて。
「私は『いつ、誰が、何故、はとても大事な事だ』とも言ったわね。後で記録を見ればわかるけど、先に言うわ。答えはふたつあるの」
「……ふたつ?」
アリシアの言う事に、そしてなんの記録を開示するのかに理解が追いつかず、口を開いてもただそれだけしか言えないウィル。
「ひとつは、“私達が三歳の時、ミカエラが、嫉妬にかられて”階段から突き落とした。もうひとつは、“ひとつめの直後、もう一人のミカエラが、復讐の為に”階段から突き落としたのよ」
「……意味がわからない。アリシア、お前はそうやってまた話を誤魔化そうとしているんだろう!」
「ああ、私の言い方が良くないってさっきもリズに叱られたわね。回りくどくてごめんなさい。簡単に言うとこうなのよ」
アリーは目に悲しみの色を残したまま微笑みました。
「三歳の時、そこにいるミカエラ・マキンリー伯爵令嬢が先に私を階段から突き落としたの。私はそれにカッとなって階段を駆け上がり、その場で高笑いしていた彼女を突き落とし返したのよ」
◇◆◇◆◇
アリー達が三歳の時に、彼らの交流は始まりました。当時はもっと多くの貴族令息、令嬢が集まっていましたが、今でもアリーと特に親しい関係を続けているのはウィル、リズ、ルーパート、ショーンの四人です。
その、当時は集まっていた令嬢達の内の一人がミカエラ・マキンリー伯爵令嬢です。金の巻き毛に大きな緑のつり目が印象的な女の子ですが……彼女は「暴れん坊」と陰で呼ばれており、まるで男の子の様でした。
庭で駆け回り茂みに突っ込み、すぐドレスを汚したり破くので乗馬服のようなズボン姿で居ることが度々ありましたし、男女構わず悪戯や意地悪をしかけます。
しかも自分より強いルーパートのような子には手を出さず弱い子にだけ乱暴をしがちでした。特にウィルは標的にされる事が多く、引きずり回すなど目に余る行為までもあったのです。アリーはいつも彼女からウィルを守り、真っ向から対立していました。
二人のファーストネームが偶然同じ“ミカエラ”だった為、周りの子供達は本名ではなく愛称で二人を呼び分けました。アリーは“ミア”、ミカエラは“ミック”と呼ばれたのです。
ミアとミックの対立が半年以上続いたある日、ウィルが熱を出して寝込み、月例の集まりに参加できなかった時の事です。
その日の集まりはグレンジャー侯爵邸にて開かれました。ミアはミックに「お家を案内して」と言われ、お付きの侍女と共に家の中を案内して見せました。
そして階段の上に立った時に、事件は起きたのです。
ミアがミックに背中を突き飛ばされ、階段を転げ落ちたことで侍女は慌てふためきました。ヒステリックに大声で叫びながら「誰か!」と呼んだ侍女の声を聞いて集まったリズ達とグレンジャー侯爵家の人間、そして遊びに来ていた貴族達が見たものは、ミックを階段から突き飛ばすミアの姿でした。
幸いにして二人とも全身に打ち身程度で大した怪我はありませんでしたが、当然のことながらその場は大騒ぎとなりました。
が、ミアはすぐさま皆に真実を述べたのです。「ミックがさきにわたしをかいだんからおとしたの。だからわたしもおなじだけやりかえしたのよ」と。
ミックが何故ミアを階段から突き落としたのかについては、すぐには彼女の口からは語られませんでした。後日、教会で写しを取る際にクリスタルに手を置いたミックに幾つか質問をして判明した理由は、嫉妬に依るものでした。
「ミアはウィルを一人占めしていてズルい。それにミアがいなければ自分が男の様にミックと呼ばれる事もなかった」と考えていたのです。
しかしミックを見るだけで怯え、震えてミアの背中に隠れるほどウィルが怖がっていた事を考えれば、ウィルの事も男の子扱いされるのも原因はミアではなく彼女自身の粗暴さにあるのですが、三歳のミックにそんな事を言っても理解できる筈もありません。
その場で写しを取りながら双方の家の人間が協議をした結果、この事はお互いにやりあっている事、二人とも貴族女性としての未来がある事から、以下の形で決着を見ました。
― ― ― ― ―
ひとつ、この件は他言無用である。本件を知る第三者への謝罪と口をつぐむように依頼をするに辺り、かかる費用はグレンジャー侯爵家とマキンリー伯爵家の折半とする。
ふたつ、この件について、どちらかの家の者がそれを漏らし、他方の評判を害するような事があれば漏洩した側が他方に慰謝料を払う。
みっつ、今後、二人は極力接触させない事にするが、将来社交の場など避けられない事も考えられる。その際に二人が同名である為に再びトラブルや本件の漏洩が起こる事を防ぐ為に呼び名を変える。今後、ミカエラ・アリシア・グレンジャー嬢はセカンドネームであるアリシアを主な呼び名とする。
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これは先に手を出した形になるマキンリー伯爵家側としては願ってもない好条件でしたでしょう。家柄でも上回るグレンジャー侯爵家はもっと強気に出ても良かった筈です。
しかし、他ならぬミア……アリーが、それを強く望みました。
「おねがい。だれにも言わないで! ウィルにきらわれる!! わたしのなまえなんてどうでもいい!」と大泣きしながら、両親に懇願したのです。
アリーの主張は正しかったのです。
やがて成長して身体も丈夫になり、線はやや細いものの見た目は男性らしくなったウィル。
三歳の頃の記憶も殆ど無いそうですが、三つ子の魂百までと言います。ミックの恐怖が心の底に残っているのか、17歳の今でも乱暴な事を特に嫌っていました。
彼がたとえ他の女性に目移りなどしなくとも、アリーが復讐の為に階段からミックを突き落とし返すような苛烈な面を持っていたと知れば、彼女との結婚に尻込みをしたでしょう。
ですから共通の友人であるリズ達三人や、ウィルの両親すらも「ミカエラ・マキンリー伯爵令嬢の正体が暴れん坊ミックである」と暴露することは出来ませんでした。
それは写しの記録にある通り他言無用だった事もありますが、何よりアリーの為です。
ミックとの思い出からウィルが三歳の詳細な記憶を脳裏に呼び起こし「何故アリシアの呼び名は最初はミアだったのに途中から変わったのか」と疑問を持てば、アリーが隠し通したかった過去をいずれ知られてしまう事に繋がりかねなかったからです。
それに、こんな事態を誰も想像出来ませんでした。
まさか暴れん坊ミックが美しく淑やかに変身し(過去の件で困り果てたマキンリー伯爵夫妻が彼女をレディに見えるよう厳しく教育したのでしょうが)、いまだ残るウィルへの想いを胸に秘めて彼の前に現れるなど。
ウィルが彼女の顔を見てドキドキするのは、過去にイジメてきた乱暴な男の子の面影がそこにあったからですが、その恐怖心からの動悸を『真実の愛』と錯覚するなど。
そして彼女が自分の過去を誰かに――――――よりにもよってウィルに、まるで自身が被害者であるかのように話し、アリーもこの件を隠したいのだから自分とウィルだけが教会に行くなら大事にならないだろうと考えたなど。
誰が想像出来たでしょうか。
いいね、ブクマ、ポイントのご好意ありがとうございます。とても励みになります。
次回で最後です。