第二話 彼女を選ぶのだけはダメだ
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教会の一室を借りてそれは始まりました。
「ではまず、双方誓いを」
進行役である僧に言われ、二人は前に進み出て、聖なるクリスタルに手を置き、この場でのお決まりの台詞を言います。
「ラブキン伯爵家三男、ウィリアム・ラブキンはクリスタルの神のもと、真実のみ述べることを誓います」
「グレンジャー侯爵家長女、ミカエラ・アリシア・グレンジャーはクリスタルの神のもと、真実のみ述べることを誓います」
クリスタルが変色しなかった事を確認してから二人はそれぞれの席に戻りました。アリーの後ろにはリズ達が控え、ウィルの後ろにはマキンリー伯爵令嬢がいます。皆も証人として順にクリスタルに誓いをしました。
それらが終わるとウィルは待ちきれないとばかりに話を切り出します。
「アリシア、君はここにいるマキンリー伯爵令嬢を階段から突き落としたそうだな!」
ひどく過激な質問にもかかわらず、それを聞いたアリーとその友人達は少し表情を変え、お互い目配せをしたのみでした。何故なら四人ともこの質問は先ほどのウィルの様子から予想済みだったからです。
アリーが固い表情で口を開きます。
「それを答える前に、こちらの質問に答えて頂きたいわ。その話をいつ、誰から聞いて、何故ここで問い質そうとしているの?」
「『質問には質問で返すな』といつもお前が言っている事だろう!」
「“いつ、誰が、何故”はとても大事な事だわ。それに先程『俺達の婚約が破棄できる』と貴方は言ったわ。この質問と婚約破棄に関係があるのでしょう?」
「なっ……そうやっていつもいつも俺が一言言えば三倍で返すから、お前は生意気で可愛くないんだ!!」
顔を赤くして叫ぶかのように言葉を吐いたウィルとは対照的に、うっすらと顔色が悪くなりつつも冷静さを維持しようと努めるアリー。
しかし彼女の心の中は嵐のようでした。
(そんな事、私だってわかっているわ……だけど厳しくても、きつくても、婚約者としてウィルに言わなければならない事だってあったのだもの……!)
アリーが小さく震えているのに気づいたショーンが立ち上がります。
「今の言葉はアリーへの侮辱と受け取れるが、写しに残して良いのか? お前が不利になりかねないぞ」
「!!」
ウィルはハッと口を抑えました。
「俺も文官の端くれだから写しを取る場に居るのは初めてじゃない。アリーの言った通り“いつ、誰が、何故”を抜きにして話を進めれば、お前に都合の良い言葉だけを切り取って写しに残される可能性もある。だからそこの筋はきちんと通して貰う。……代わりに、さっきの侮辱の言葉は写しから削除するのに同意してやるのはどうだ? アリー」
「……そうね。私もウィルにそんな事を言われたと記録に残されるのは気持ちの良いものではないし、私の質問に先に答えてくれるなら削除に同意するわ」
ウィルは渋々と、直前の自分の発言を写しの記録から削除するように記録係の僧へ依頼します。記録係は今までの会話を一字の漏れもなく写し取っていた帳面にすーっと1本の線を引いてから顔をあげ、眼鏡のズレを直しながら何か言いたげな顔をしました。
おそらく同じ表情をリズやルーパートもしていたでしょう。
「さあ、いつ、誰から、その話を聞いたのかと、何故その質問が婚約破棄と関係があるのか話して?」
事務的に抑揚の無い声で話しかけるアリーを憎々しげに睨み付けながら、ぎりりと絞り出すように話すウィル。
「……お前が、嫉妬にかられてマキンリー伯爵令嬢を階段から突き落としたと聞いたからだ。そんな女と婚約など続けられるわけなかろう!」
「“いつ”が抜けているけど……『私が彼女を、嫉妬にかられて、階段から突き落とした』と。それを彼女本人から聞いたのね?」
アリーとリズ達がウィルの後ろに目線をやると、マキンリー伯爵令嬢はびくりとして震え、目を逸らしました。
「わ、私はそんな事は……言ってないわ」
「ミア!? 何を言ってるんだ。君はこの間俺に言ったじゃないか。『これは真実だからクリスタルに誓っても良い』と!」
信じていた女性に背中を撃たれた形になり、明らかに狼狽するウィル。そのウィルに迫られても目を逸らしたまま、俯いて無言になる伯爵令嬢。その様子を見たアリーは彼女に向かいこう言います。
「当ててみせましょうか。貴女は『嫉妬にかられて』なんて言っていない。ただ私に『階段から突き落とされた』とだけ言ったんでしょう」
「じゃあお前はやはりミアを突き落とし……!」
ウィルの声を遮り、続く言葉を強く発するアリー。
「そしてウィルから『教会に行こう』と言われて、自分がクリスタルに触れて『私は階段から突き落とされた』と宣言をするのだと思っていたのでしょう? まさかウィルが私に直接事の真偽を確かめるだなんて思っていなかった。違いますか? マキンリー伯爵令嬢。……クリスタルに誓えますか?」
「……ウィル……」
アリーの質問には全く答えず、大きい宝石の様な緑のつり目に涙を滲ませ、震えながらウィルを見上げる伯爵令嬢。
その憐憫を誘う仕草にアリーはイラつきを覚えます。
(何も知らない者が見れば、彼女を責め立てている私が悪者に見えるでしょうね……)
「ミア!」
そして何も知らないであろうウィルが“ミカエラ”の愛称のひとつである“ミア”と呼びながら彼女の肩を抱き寄せ、アリーを睨み付けました。アリーは真っ直ぐに彼の目を見返しながら思わず拳を握ります。
(ウィルは……今まで私を庇ってくれたことなんてあったかしら。やはり、もうやり直せないかもしれない……)
アリーは、小さな頃から心に盾を作っていました。
ウィルを狙う「暴れん坊」のいじめっ子から彼を守るため、本当は自分も恐かったのにその気持ちの前に盾を置き、いじめっ子と真っ向から対立していました。
やがてウィルが大きくなりいじめられる事はなくなりましたが、アリーと婚約してグレンジャー侯爵家に婿入りする予定となってからはアリーの両親から何度もプレッシャーをかけられました。
ウィルはグレンジャー家の領地経営に興味があまりなく、頭が痛いから、熱っぽいからと勉強を途中でやめてしまう事はあっても「貴族の交流」と言って遊びに行く時に限っては元気だったからです。
このままでは次期侯爵を継がせる人材として不安だ……と婚約解消を匂わせる父親、グレンジャー侯爵にアリーは生まれて初めて刃向かいました。
父親に反論するのに震えそうになりましたが、その恐れの前にやはり心の盾を置き、勇気を振り絞ってウィルを庇いました。
一方ではウィルの体調を管理しようとしたり、領地を学ぶよう口うるさく言い続けたのです。
ウィルの心が自分から離れたのは、彼の気持ちを考えずに口うるさく言い続けた自分にも責任の一端があるとアリーは自覚していました。
しかし、だからと言って他の女性に――――――よりによって彼女を選ぶなど、拳を握らずにはいられなかったのです。
その姿を後ろから見たショーンは、アリーを睨み付けるウィルの眼光を上回る鋭さのそれでウィルをねめつけました。しかしウィルはそれに気づかず、アリーに向かって憎悪を隠さずに叫びます。
「お前はいつもそうやって自分の得意な論戦に持ち込み、いかにも相手が悪いかのように話をすり替えるんだな!」
「すり替えてなんかいないわ。私はいつもきちんと筋を立てて話をしているだけよ」
「いや! お前はさっきミアを階段から突き落としたと認めるも同然の発言をした! どんなに言葉を重ねて誤魔化そうとも、そんな卑劣で乱暴な真似をしたお前は悪だろう! 俺はそんな女と結婚するぐらいなら死んだ方がましだ!」
アリーの顔色がいよいよ真っ青になりました。彼女の胸が大きく膨らみ、また萎みます。
アリーが深呼吸をする度に心の中にある盾に小さなヒビが入る様な気がしました。握っていた拳にもう一つの手を重ねてぎゅっと抑え、唇が震えるのを必死にこらえて話し出します。
「ウィル、貴方は『階段から女の子を突き落とすような卑劣で乱暴な女とは結婚できない』から婚約破棄をしたいのね?」
「今そう言っただろう!」
「そうね。貴方は昔からそういう人だったわね。でも順番が逆じゃなくて? 貴方は『私と婚約破棄をしたいから、私が卑劣で乱暴な女だと写しの記録に残したい』のでしょう?」
「……っ!」
ウィルの表情が苦虫を噛み潰したかの様になります。
「貴方がひと月前に『婚約は無かったことにしてほしい。いずれ正式に家を通じて申し入れをする』と書いた手紙を私はちゃんと残しているわ。それにルーパートからも聞いているわ。貴方がルーパートに『俺は真実の愛を見つけた』と何度も言っている、と」
ルーパートが手を挙げて発言します。
「俺は今のアリーの言葉の証人だ。そして補足をさせてもらうと『マキンリー伯爵令嬢だけはやめておけ、理由は言えないが真実の愛とはそんなものじゃない』と何度もウィルに忠告もしたぞ」
「ルーパート! 裏切者め!!」
アリーに向けていた憎悪を友人にも向けるウィルですが、ルーパートは肩をすくめてかわします。
「確かにアリーはちょっと頭が固いし、口調も強い事がある。それに比べてマキンリー伯爵令嬢は誰が見ても美人だ。仕草も言う事も男のツボがよくわかっていて、か弱く可憐な女に見える。普通なら彼女の方に心を動かされるさ」
「ルー!! 貴方何を言ってるの……!」
突然大事な友人をこき下ろすような事を言い始めた大柄な恋人に、小柄なリズは憤慨します。しかしルーパートは微笑んでリズの腰に手をまわし引き寄せました。
「だけどお前がその女を選ぶのだけはダメだ。俺はお前の友として、お前を裏切りたくないからこそ忠告している。お前が彼女を見て胸が弾むのは、俺がリズを見て思うのとは全く違うと断言できるからだ」
「何を言ってるんだ! お前までわけのわからない事を言って誤魔化そうとするのか!!」
アリーは唇を一文字に引き結んだままの無言です。ルーパートとリズはウィルの言葉に同時にため息をつきました。刹那、この部屋の中を記録係のペンが立てるサラサラという音だけが支配しています。