オルトレイドにやってきた
大陸の中でも西方の外れに位置する街、オルトレイド。
このあたりが次元の門が出現する確率が高い地域となっている。
「見て、リリー! かわいい猫の置物が売ってるよ!」
「どれどれ?」
ラスティに言われて近寄ってみると、そこに鎮座していたのは猫というよりは熊……というか「なんだコレ?」と言いたくなるような謎の置物だった。
身体は熊のようにずんぐりとしているが、よく見れば尻尾は猫のように長い。
それに、耳も垂れていて猫でも熊でもない……よくわからない生き物だ。
かわいい……ような気もするが、気の抜けるような目でリリーとしてはあまり可愛いとも思えなかった。
でも、コレをかわいいと言っているラスティがかわいいとリリーは思っていた。
そんな会話をしていると、店の店主と見られるおじさんが話しかけてくる。
「このあたりじゃ見ない顔だな。勘違いしてるようだが、それは猫じゃない。このあたりで信仰されているクィアヌ様という神様なんだ」
「クィアヌ様……?」
「あぁ、ここらへんは俺が言うのも何だが独自の文化が根強くてな。ほら、ここには魔術機関だってないことは知ってるだろ?」
そう、ここには魔術機関の支部がない。
オルトレイドほどの規模の街でありながら魔術機関の支部がないというのは、この時代においては非常に稀有で珍しいことだった。
そもそも、この大陸には街や村はたくさんあるが一つの国しか存在しておらず、国という概念すら形骸化していると言っても良いかもしれない。
では、現在一番力を持っているのは誰なのかといえば、魔術機関であった。
……大昔はたくさんの国があったとも言われているのだが、魔神や悪魔の破壊活動によって人類は一致団結して立ち向かうことを余儀なくされた。
魔神や悪魔に対抗しなくては人が滅ぶ。
人同士で争っている場合ではない。
事態を重く見た国々は話し合いの場を設け、すべての国にまたがる魔術機関というものを立ち上げた。
魔術の力で魔神や悪魔という脅威に対抗し、人類の未来を拓くために。
そして、長い年月が経ち、手を取り合った国々の境界線は希薄なものとなる。
それでも、依然として消えない魔神や悪魔の脅威。
すべての魔術師を一手に担う魔術機関の重要性は上がっていく一方。
そうなれば、魔術機関が世界の旗振り役として上に立つのは自然なことと言えた。
つまり、今の時代に魔術機関は大陸全土において強い影響力を持ち、この大陸を実質的に統治している機構であると言って良い。
これが一般的な、魔術機関の成り立ちと人々からの認識だ。
それでは、何故オルトレイドには魔術機関の支部がないのか?
「知ってますけど……どうして魔術機関を受け入れなかったんですか?」
「なんたって俺らには長様とオルトレイド魔術師団が居るからなぁ。悪魔に対抗するだけの組織を受け入れる必要がなかったのさ」
答えは単純。
オルトレイドは自前で魔術師団を組織して運用していたからだ。
魔術機関は大陸中のほとんどの魔術師を抱えている組織ではあるが、魔術師の中にはリリーたちのように魔術機関に所属していない者もいる。
このおじさんの話によれば、オルトレイドでは魔術機関に頼らずに魔術師の育成を行っていたため、魔術機関に所属していない魔術師がたくさん居るということだった。
加えて、長と呼ばれるオルトレイドの統治者は代々非常に強力な魔術師であり、その実力の高さから魔術機関が支部の設置を強行することもできなかったというわけである。
「ま、俺たちが排他的ってわけじゃあねぇが、魔術機関の助けなんて必要ないっていう誇りがあるってわけよ」
「へー……長様というのはすごい魔術師なんですね」
「そりゃあもう、すごいとしか言いようがないよ。文字通りオルトレイドの長として理想的な統治をしてくれているし、なにより、あそこの山が不自然に抉れているのが見えるだろう? あれは、当代の長様の魔術によるものさ」
リリーが店主の指差した先を見れば、確かに山の形が不自然で、高くそびえ立つ山の中腹が谷のように内側に削れている。
山が遠いので正確な規模まではわからないが、裏を返せばそのくらいの距離からでもはっきりと削れているのが分かる規模ではあるということだ。
ここまで大規模な魔術を行使できるとなれば、下手すれば魔神にも近しい力かもしれない……
リリーは”長様”とやらの存在を記憶に刻む。
「……それで、そのクィアヌ様の置物は買ってくれんのかい?」
「これだと荷物になりそうだから、鞄に付けられそうなこっちのやつください!」
「まいどあり!」
ラスティがストラップのようなクィアヌ様の工芸品を買っている。
やっぱりその顔は気の抜ける顔をしていて、なんとも言えない感じであった。
うーむ……一体どこがかわいいのだろう。
……だけど、よほど気に入ったのかな、とリリーは微笑ましく思うのだった。
*
リリーたちがオルトレイドに滞在を始めてから数日、予想されていた通り悪魔の出現を確認していた。
ハルテアの街を発つ前に立ち寄った魔術機関の支部では、すでにファルヴァはまとめたデータをリリーたちのために残してくれていたため、リリーは今後一年程度の次元の門の出現データを手にしている。
そのデータを元にして、リリーたちは悪魔の出現をいち早く察知することが出来ていた。
「リリー、くるよ!」
「分かってる!」
ボクはリリーに注意を呼びかける。
僕たちが次元の門に出くわしたのは数十分ほど前のことだ。
もともとは偵察のつもりだったのだが、偶然にも空間の亀裂で目の前に現れてそのまま悪魔との戦闘に突入してしまった。
魔神討伐をした時以来、悪魔は少し強くなっているので、ボクは悪魔の攻撃を捌くのにも手一杯だ。
ファルヴァさんのように力強く素早い一撃を繰り出せればいいのだが、ボクの強化術の腕前ではまだ難しい。
こうしている間にも、巨大な猿のような悪魔が鋭い爪を振り下ろしてくる。
「ラスティ、大丈夫!?」
「大丈夫だよ! 心配しないで!」
こうは答えたが、多くの悪魔の攻撃を同時に受けていたから、先程の爪の攻撃を肩に受けてしまっていた。
しかし、服は破けていてもボクの肌には傷一つない。
正確に言えば……もう”治った”のだ。
リリーがファルヴァさんを死霊術で治療したあのときから、ボクは小さな傷なら一瞬で治るようになっていた。
おそらく、リリーが死霊術の新しい使い方に目覚めたことで、無意識の内に死霊術で動いているボクの身体にも変化が出ているのだと思う。
「まだまだ……!」
ボクは悪魔の攻撃を次々に受けていく。
もちろんいくつかの攻撃はボクの防御をすり抜けてくるけれど、ちょっとした傷なんて今のボクにはないのと同じだ。
正直言えば、人間やめてるなぁ……とは思いつつも、この変化は戦う上では嬉しいことだった。
リリーをより守ることができるようになるしね。
でも、少しだけ複雑なのも間違いない。
リリーは強くなっているのに、ボクは強くなれていない。
傷が治るのはボクの力じゃなくてリリーの力だ。
それだけじゃない。
あの魔神との戦いから少ししか経っていないというのに、リリーの死霊術はぐっと強くなっていた。
劇的な経験は魔術の才能を開花させる。
魔神との戦いを経てリリーの死霊術がさらに強くなるのは不思議じゃない。
でも、同じく魔神と戦ったはずのボクはそんなに強くなったわけじゃなかった。
本当ならボクが強くなってリリーを守らないといけないのに。
……そんなことを考えていたからだろうか。
ボクは背後から素早く走ってきた悪魔の存在に気づけなかった。
「ラスティ!! 後ろっ!!」