・私はモブ、じゃなかった
「あなたの……欲のためにわたしを使わないでください」
ヒロインちゃんが切実に頭を下げたのを、私は、ぼーっと見てた。
その日はそのまま帰った。
次の日も、ぼうっとしてても惰性でリントン区に来ちゃった。
街を歩いてたら、あのエイミ・ドロッセアが何だか地味な男の人と手を繋いで歩いてた。
どうみても恋人同士みたいな感じで、エイミはパシバルと結婚した時よりも女の子の顔をしてた。恋をしてる顔。
エイミは対イベントで最終的にパシバルと結ばれる。幼馴染としての情、同じ傷を持つ者同士、全部混ざって育って愛情になった。って、言ってたっけ。
でも、今のエイミは違う。
明るくて、好きな人と一緒にいるのが幸せだって全身全霊で言ってるみたい。
「誰……? パシバルはどうしたの……? 彼と婚約してるんじゃないの?」
エイミたちとすれ違う時、思わず言ってしまって、二人に怪訝な顔をされた。
「あ……フランツ、この子、だわ。多分」
エイミはどうしてか私の事を話してたみたい。告げ口された気分になった。
「うーん……知らない子だな。本当にこの子がオレの事言ってた?」
「うん……私がフランツの事好きだって知ってて……本当に? 本当に知り合いじゃないの?」
ゲームのエイミと同じような暗い顔してる。
「それはオレの事じゃないんじゃないか? いつものパシバルの追っかけの子だろ」
「あの、本当……? あなた、フランツの事……」
どこか申し訳なさそうに隣の男の人の手をそっと離したエイミに、こっちが申し訳なく感じた。だって、私。
「えっと、フランツさん、という人はちょっと……」
エイミは考え込んでから、はっとしたみたい。
「ご、ごめんなさい。だって、直前までフランツの話してて、好きな人って言われたらフランツの事だとばかり……」
エイミは謝ってるけど、私は何が何だか分からなかった。
「あの、私はこの人と婚約したから、パシバルとはそもそもただの幼馴染なの。誤解させてごめんなさい」
エイミは可愛らしく顔を赤くして隣の男性に寄り添った。
どういうこと?
パシバルと婚約してないのに、幼馴染二人は最初から明るくて、つまりそれって、二人はトラウマを克服――ううん、この世界ではそもそもトラウマなんて無いってこと?
もしかして、この男の人が、二人の『大切な人』? 平凡な顔だけど日に焼けて逞しい、まるでモブみたいな――。
この人もまさか転生者?
だって、本当ならこの人は亡くなっている筈で。
「す、すみません。こっちも誤解してしまって……」
混乱してても、つい会釈して謝るのは元日本人の性かもしれない。
さすがに「どうして生きてるんですか」なんて聞けなかった。いや、ちょっと前のテンション高かった私なら――ヤバかった。
私はもう家に帰ろうと思った。
そんな私を追い詰めるように、まだまだツケはやってくる。
「あ……」
馬車乗り場に立っているジード王子と鉢合わせてしまった。
私、この人にヒロインちゃんの名前を間違って教えちゃったんだ。訂正しないと。
「あ、あの。前に」
「? 君は? えっと、どこかで会ったかな……?」
王子が申し訳なさそうに私の顔を見る。私は、覚えられていなかった。
「いえ、勘違いでした、すみません」
私はその場から早足で逃げた。もう、どうしようもなく恥ずかしくて。
ありがちだと思ってた、モブをやたら気にかける攻略対象者とか、ヒロインを推して見守るモブとか。そんなのは全く私には関係なかったんだって。
私、あわよくばって思って、行動してた――。
ただ見守るだけならあんなに馬鹿みたいに、知らない人たちにいきなり変な事言ったりなんて、常識で考えたらしない。
あわよくば、モブの私が、って。
私は乙女ゲーの主人公は愛される存在だって思ってる。主人公が中心なんだから逆ハーレムは当然だって。
それは、私がプレイヤーだったから――。
自己投影するから、どんな主人公でも好きになれた――。
誰も私の内心なんて知らない筈なのに、周りがみんな恥ずかしい私を笑ってるみたいに見えた。早く帰りたい――。
でも現実は無慈悲。
「あ、どうも」
家の買い出しかな、多分買い物帰りのヒロインちゃんが紙袋を抱えて、私に会釈してきた。なんと、前髪を切って大きな目が見えてるチュートリアル後の姿をしてた。
「こ、こんにちは」
複雑な私の顔を変に思ったのか、彼女は首を傾げた。ただそれだけの仕草なのに、信じられないくらい可愛い。
――羨ましい、なんて。
「やっぱりモブの私とは住む世界が違う」
気分が重くなって、目についた足元の煉瓦の境を目で沿う。
ヒロインちゃんはしばらく黙ってたけど。
「あの、自分がモブって考え方、やめた方がいいですよ」
慰めなのか、それとも私の知らない設定があるのか、そわそわして顔を上げた私だけど、彼女の顔は多分どっちでもない。
「偉そうに説教するみたいであれですけど……例えば、わたしに娘がいたとして、その子が自分はモブだって、世界の脇役だって思って生活してるって知ったら、凄く、辛い」
「えっと……」
「確かにわたしは偶々主人公に生まれ変わった。でも、それだけです。わたしはわたしの両親から生まれて、両親からすればわたしは大事な娘で。世界から見たらただの一人だけど、わたしはわたしの人生の主役なだけです」
彼女が何を言いたいのか分かってきた。
「主人公だから……今の人生順調で幸せ、なんて。思いたくないんです」
私はどこをどうしたのか曖昧なまま、家に帰ってきてた。
「おかえり。今日はパン買ってないんだね」
お母さんは最近の私の奇行に呆れつつ何も言わない。
「うん……もうリントン区には行かないかも」
「ふーん、そう。友達でも出来たのかと思ったけど」
友達か。私はそもそも地元の友達は少なくない。
最近はずっと遊びの誘いを断って、リントン区に通い詰めてたんだよね。前世の記憶を思い出してから、ずっとモブとして『フラフィーグ』の周辺にいたから。
「話題のパン屋を見に行ってただけ」
嘘は言ってない。でも、もう行かないってのは本当かも。
就職前のわずかな自由な期間、地元の友達と無性に遊びたくなった。
お母さんはお母さんって事なのか、沈んでる私に気付いた。
「ねえ、お母さん。私に幸せになってほしいって、思う?」
「何? 藪から棒に。当たり前じゃない」
自分の人生の主役は自分。ヒロインちゃんの言った通りだと思う。
転生したから全ての特別な存在にならなきゃいけない、なんて、それを私が内心望んでたなんて、それに無自覚だったのが恥ずかしい。中二病と高二病を同時に発症したみたいな。
「何でもない。今日は晩御飯私が作るよ」
「そう? 助かるよ。あんたの作るグラタンスープ好きなのよねえ」
「私はお母さんの大豆サラダが好きだな」
「じゃあ一緒に作ろうか」
「うんっ」
小さい頃、お母さんに教わった得意料理の準備に取り掛かる。
「お母さんみたいに手際よくならないんだよね」
「いずれ何も考えなくてもさっさと出来るようになるよ。あたしもそうだったしね」
そんなもんかな。
それにしても流石定食屋の娘だわ、お母さん。
普通で、当たり前の日常。これが当たり前で貴重なんだ。お父さんとお母さんの子供に生まれた事が奇跡なんだ。
一人ひとり違う人間なんだから、誰かが誰かを羨んだり妬んだり憧れたりなんて、どの世界でもあることじゃん。
私が彼女を可愛い、羨ましいって思う気持ちは、人間なら持ってて当たり前の感情だったんだ。
前世の記憶とか転生とか、モブだから、ヒロインだからとか関係なかった。
でも、もし。
もしも私がヒロインに転生してたらどうなってたかな。
逆ハー狙ってとんでもない事になってたかもって思ったら、多分これでよかったんじゃないかなって、今ならそう思える。
だって、私の推しは、あの人。
彼のルートの結末は、当然パン屋の店長なんて出来る立場じゃなくなるもん。
でもね、私やっぱり――『フラフィーグ』が好き。
こっそりイベント観賞くらいは、許してね、ヒロインちゃん。