・私はモブだ
私の住む町に、隣町のパン屋の評判が伝わってきた。
その名前を聞いた時。
「フラフィーグ? どこかで……パン屋、看板娘……」
変な顔して私を見る友達に、何でもないって断って一目散に家に帰った。
「嘘でしょ! フラフィーグって、乙女ゲーの『フラフィーグ』だよね! わ、私は何なの?」
鏡を見た。そこには当然見慣れた私が映っていて。
「いや、誰」
そうツッコんだけど、うっすらと見覚えがあるような無いような。
「……背景じゃん」
スチルの背景に溶け込むようにして描かれた通行人が、こんな姿だった、ような、気がする。顔なんてはっきり描かれてない、よくある背景モブ。
確か、攻略キャラとヒロインちゃんが手を繋ぐやつだったような。
いや、よく覚えてるな、私。
「モブだ……せめて『対キャラ』の誰かだったら……いや、待てよ」
私は良い事を思いついた。
モブならモブらしく、背景に溶け込んで色々楽しめるのでは?
「そうと決まれば、聖地巡り!」
私は心の底に漂う何か――自分がモブであるという事実――に蓋をするように、わざと声を上げて意気込んだ。隣の部屋のお母さんにうるさいって怒られちゃった。
「すごい……ほんとにフラフィーグだ」
目の前には、趣のある水色のドア。出窓からはパンの展示が見える。
この店――主人公の実家なんだけど、これがそのままタイトル画面なんだよね。でもストーリー中盤以降は、二号店のちょっとリッチな外観に変わる。
私は初期のこの、こじんまりしたザ・パン屋さんっていう外観が好きだったなぁ。
大好きだった乙女ゲーに思いを馳せて、ドキドキしながら入店する。ドアベルが鳴って。
「この音タイトルのSEだ……!」
タイトル画面で、はじめから、つづきから、オプションとかを決定した時に鳴る音そのまんまだった。
感動しきりな私に、更に感動の波が襲いかかる。
「いらっしゃいませ!」
若い女の子の声だ。もしかして、ってカウンターの向こうにいる店員さんを見たら、やっぱり!
「ヒロイン! サーラちゃんだ……!」
思わず声を出しちゃって、ヒロインちゃんに首を傾げられた。でも彼女はそうしただけで客の私に何か言う事もない。
オープニングで二号店の話が持ち上がって、そこの店長として就任するところから本格的にゲームスタートなんだよね。
開始直後はこの実家で研修中。
「あんな声だったんだね、ヒロインちゃん。ボイスなしだったもんね」
私は乙女ゲー主人公は断然、声有り派。
主人公は大抵好きになるし、でも無個性でも、一キャラとして個性があってもどっちでも良い派。
うんうんと一人で頷きながら、感無量で店内を巡る。
食パンにバターロール、クロワッサン、くるみパン、王道のメロンパン、たまごサンド。
「さすがにまだ無いかぁ」
だけどまだチュートリアル中だから、ヒロインちゃんのスキルやレシピ入手による目新しいパンは並んでないみたい。
そもそもこの時点ではプレイヤーはパン焼けないんだよね。
私はクロワッサンを家族の分トレイに乗せて、ヒロインちゃんの元へ行く。
「ありがとうございます」
にこにこ笑顔のヒロインちゃんだけど、ゲーム開始直後まだその可愛い顔を晒してないんだよね。まるでモブみたいに野暮ったい前髪で顔を隠してる。
衛生的にどうなのって話はもっともだけど、無粋なツッコミにそこはゲームなんだからいいじゃんってツッコんだ覚えがある。
目隠れ系主人公が実は美少女なんて、王道も王道だもん。
このゲームはシミュレーションでもあって、引継ぎ要素有りでニューゲームも出来た。
ステータス、レシピ、技術レベル、コスチューム、お金。これ全部引き継げて、強くてニューゲームが楽しかったなぁ。
だからそれに慣れちゃって、一からまた始めるのは中々面倒なんだよね。
「あ、あの」
だから、遠回しに私が知ってる事を教えよう。
「はい! なんでしょうか?」
「あの、私、米粉ドーナツが好きなんです。このお店にも並んでたら嬉しいなぁって。あ、米粉は貿易商が取り扱ってくれると思います」
米粉ドーナツは前世好きだったお菓子。『フラフィーグ』にもあって嬉しかったのを覚えてる。レシピ入手の時期からして、米粉ドーナツの難易度は中級ってところかな。
ヒロインちゃんは一瞬真顔になったけど、すぐ愛らしい笑顔に戻った。
「貴重なご意見ありがとうございます。参考にします!」
「はい、楽しみにしてます」
私はるんるんで店を出た。
翌日も隣町、リントン区に聖地巡礼に来た私。
「あ、リントン像! あのお店も見た事ある!」
キャラの立ち絵、その背景に描かれた風景があちらこちらに見られて、感動しきりだった。
「あ……まって、待って! あれは」
私は咄嗟に建物の陰に隠れた。
「アイクと……リメル? うわ、本物」
ヒロインの幼馴染で、攻略可能キャラのアイク。その人と話をしているのは区長の娘、リメル。アイクの『対』になるキャラ。
二人は特に親しそうでもなく、アイクが何か差し出して、それをリメルが会釈して受け取ってすぐに別れた。
「まだ知り合ってもないもんね、そりゃそうか」
一瞬びっくりした。ヒロインの行動次第ではあの二人は恋人になって、その後結婚するんだから。
「アイクはヒロインちゃん大好きだからなぁ」
顔がにやにやするのを抑えられなくて、手で隠した。まあ、普通にプレイしてたら最終的に全員ヒロインちゃんに堕ちるんだけど。
そもそもこの『対イベント』が独特で、攻略可能キャラとその対になるキャラはそれぞれ好感度がある。
プレイヤーがキャラと結婚しようと思ったら、その対キャラの好感度も上げる必要があるんだよね。
対キャラ――ヒロインの恋敵になる女キャラ――の好感度を上げないと、対カップルが徐々にイベントを経て成立してしまうっていう、ちょっと私的には嫌な仕様だった。
女の子とも仲良くなって軋轢をなくそう、ってシステムらしい。
乙女ゲーとしてそれはどうなの。最初から恋敵を設定しないでほしい。
こういう批判が殺到したんだと思う。同じ世界観の続編では、このシステム無くなったんだよね。そりゃそうだ。
生憎、次世代機のローンチタイトルだったから、貧乏高校生の私は手が出せなかったんだよね。
どんな感じだったっけ。あれ? 同じ経営系だったような気もするけど覚えてないや。
私は彼らを見た事で更に、この世界に入り込んだんだって実感する。もっと攻略可能キャラを見たい。
「テオ先生でしょ、パシバルでしょ、ルードニックさん、ジード様……全員会ってみたいなぁ」
特に、私の推し、隠しキャラのジード様。普通なら絶対に会えないお人。
「何だかんだ最後は王子様だよね。ヒロインちゃんも一番幸せになるルートだし。でもやっぱ全員幸せ『疑似逆ハー』が至高なんだよなぁ」
イベント進行を一定で止めて、全員の好感度を万遍なく上げるのが楽しかった。
システムとしての逆ハーレムは無いけど、それぞれが好感度の高い台詞をヒロインに呟いたりする状況がそれっぽくて、たまらなくときめいたんだよね。
でも、ストーリー通りにジード様がお忍びでフラフィーグ二号店にやってきたら、私が全力でヒロインちゃんを推せ推せしよう。
このままストーリーをなぞるのを外側から見れるんだ。
そう、思ってたのに――。
お母さんに呆れられながら、私は毎日リントン区に通った。
そんなある日。
「嘘、何で? パシバルとエイミが……笑ってる?」
私は、もやっと嫌な感じが湧き上がってくる。
攻略可能キャラのパシバルは、陰のある二枚目キャラ。区内で浮名を流している噂はあるけど、幼馴染のエイミをこれでもかと気にかけて守ってる、ちょっとユーザーの間でも賛否あるキャラ。
だって、他の『対カップル』は始めは初対面なのに、この二人だけは幼馴染なんだもん。
エイミもパシバルと同じく、陰があって光の無い目の、ちょっと病んでる美少女。
二人はアンニュイカップルって言われるくらい、序盤とにかく暗いというか無気力なキャラだけど、それは過去に大切な人を亡くしたせい。
対イベントが進むにつれて二人は徐々に前を向いて、婚約。お互いの傷を舐め合うためじゃなく、二人で幸せになるために結婚する。
それ以降二人の立ち絵は明るい笑顔の差分になるんだよね。
今、目の前の二人みたいに。
「まだゲーム開始前なのに、イベントが進み過ぎてる……もしかして」
私は高い可能性が頭を過った。私がそうなんだから有り得る。
「エイミも転生者……? パシバルが好きでストーリーとキャラを歪めたの?」
実際、二人は幼馴染だ。小さい時から関係性を好きなように操作してたのかもしれない。
「反則じゃん……」
パシバルはヒロインちゃんを好きになる未来があったかもしれないのに。ヒロインちゃんもパシバルを選んだかもしれないのに――。
一人になったエイミに私は思わず話しかけてしまった。
「『フラフィーグ』って、ご存知ですよね」
やっぱり。
エイミは何だか凄い良い笑顔で肯定した。こんな笑顔、パシバルとの結婚後にしか見られないもん。
まあ、バグとかで表情差分と陰気な台詞が入れ替わって、カオスになったりもするけどそれはご愛嬌。さすがにこれがバグなんて事はないと思う。
怖くなって思わず逃げた先。
あれは――!
リントン区の中心商業地域から少し外れた住宅地で、キラキラする金髪を見つけた。
あれは、まさか。
「あのっ」
私の声に振り返ったその人は、よく知る顔だった。
凄い! 完璧な王子様だ!
信じられない位カッコイイ――何だか熱に浮かされそう。
「フラフィーグに用ですか? 可愛い看板娘のサーラちゃんが待ってますよ! 是非寄って行ってくださいね!」
目を瞬いていたその人、ジード様の反応を見る前に、私は一方的にヒロインちゃんを宣伝してから走って去った。
よくある「私モブなのに~」みたいな展開になっても困るもんね。私はエイミみたいな事はしたくない。
でも今ので目をつけられたかも――。
私はジード様を見かけた翌日も、リントン区とフラフィーグに足を運んだ。
「いらっしゃいませ!」
やっぱりヒロインちゃん、癒されるなぁ。
店内を見回すけど、さすがにまだ米粉ドーナツは出されてないみたい。残念。
壁には二号店オープンの手書き感溢れる張り紙があった。
予定日はゲームとは違ってるけど、さすがに年始にパン屋オープンなんて無理だもんね。
「あれ……」
私はオープン予定日がゲーム開始時とは違う事よりも、最後の一文に目を奪われて、困惑した。
『二号店の店長になる娘をどうぞよろしくお願いします!』
ヒロインちゃんの親が書いたに違いないその文字、そこに書かれてる娘の名前――。
「え、誰……? サーラちゃんがここの娘で、二号店の店長じゃないの?」
知らない、けどどこか懐かしい響きの名前に動揺してたら、カウンターの向こうでじっと私を見てるヒロインちゃんと目が合った。いや、ヒロインちゃん目は隠して見えてないんだけど。
彼女はゆっくりこっちに歩いてくる。
「前に何度かいらっしゃった人ですよね。その時から何となくそうじゃないかって思ってました」
ヒロインサーラちゃん――いや、多分違う名前のその子は、丁寧だけど全く親しみを感じさせない、緊張した雰囲気だった。
え、もしかして私、怖がられてる?
「私はサーラという名前じゃありません。お願いですから、外で変に誤解させるような事を、口に出して言うのはやめてもらえませんか?」
その前髪の向こうで、どんな目をして私を見てるんだろう。
ヒロインちゃんはお辞儀して、そのままカウンターに戻っていっちゃった。