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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

無冠のソニアはくじけない

 ねえ、もしも両親が何かのエキスパートだったらと考えたことはある?

 幼少期からプロの指導を受けられて、血筋ゆえの才能を伸ばしてくれる環境があればと。


「あなたに、魔術を極める才能は無いわ」


 3才の時に杖を握り、母に魔術を習って2年。

 この日、母が教えてくれたのは、夢の叶え方ではなく現実との向き合い方でした。


「杖を振るのは自由よ。でも、あなたが魔術の神髄を求めるなら、夢と凡才の狭間で一生葛藤し続けることになる」


 母は元宮廷魔術師団長筆頭候補でした。

 一時は限りなく魔術の神髄に近づきながら、それを諦めた理由は一つ。

 ある魔族との戦争でした。


 3日3晩に渡る死闘だったと聞いています。

 その戦いで母の魔力回路は大半が焼き切れて、志半ばに、夢を諦めざるを得なかったのです。


「あなたなら私の代わりになれるかと期待したのに」


 ですから、母は私に魔術を叩き込みました。

 途絶えた夢の続きを歩くために。


 嬉しかったな。

 嬉しかったかな?


 惨めだとは思わなかったでしょうか。

 歪な愛情を悲しいとは思わなかったでしょうか。


 いえ、やっぱり、嬉しかったです。


 だって私は母のことが好きでしたから。

 期待してもらえたことが嬉しかったんです。

 だから、期待に応えようと思って、必死に。


 でもその期待も、裏切ってしまった。

 私が、紛い物だったから。

 母の期待に、応えられなかったから。


 情けなかった。

 情けなかったな。

 興味を失っていく母を見る悲しさよりも、自分に価値が無いのではないかと疑ってしまう自分が、情けなかった。


 でも、それなら。

 自分の価値は、自分で証明すればいい。


「お母様、もし、もし私が魔術で1番になれたら、そのときは、よく頑張ったと、褒めてくださりますか?」


 母の顔から、表情が抜け落ちた。

 それ以上の言葉が見つかりませんでした。

 母は期待も抑揚も無い声で、ただ短く――


「あなたに何ができるの」


 ――そう、呟きました。


 私には、絶望的に魔術の才能が無いのですか?

 それほどお母様を失望させてしまったのですか?


 ううん。

 足りない才能は鍛練で補えばいい。

 そうすればきっと、いつかは頂に届くはずだから。




「惜しいな」


 5歳の時に剣を握り、父に剣を習って5年。

 この日、父が送ってくれたのは、賞賛の言葉ではなく痛惜の念でした。


「いくつになる」

「今年で10に」

「まだ10か」

「もう10です」


 母の期待を裏切ってしまってから、少しした時のことです。何かに取りつかれたように魔術にのめり込んでいた私に、剣聖の父はひと言「剣を取れ」と口にしました。


 剣は杖と違って重くて、だけど魔法と違って地味で、あまり楽しいとは思えませんでした。

 ですが、初めての稽古の終わりに、父がひと言声を掛けてくれたんです。


 ――筋がいい。


 嬉しかった。

 嬉しかったかな?


 辛いとは思わなかったでしょうか。

 魔術の才能が無いのに、剣の才能があると口にする父を憎ましいと思いませんでしたか?


 ……いえ、嬉しかったです。

 だって私は父のことも好きでしたから。


 母からはもらえなかった賞賛をくれたのが、嬉しかったんです。


 だから、それからは剣も必死に学びました。

 魔術の訓練をおろそかにするわけではありません。

 どちらも私にとっては大切で、だからどちらも貪欲に学んできたのです。


「お前は、剣聖には成れない」

「……え?」


 だから、その一言が、すごくつらかった。


「や、やめてよ。何かの冗談? 面白くないんだけど」

「冗談ではない」

「……どうして、急にそんなことを言うの?

 だって、今までそんなこと言わなかった」

「お前の剣の腕はいい。10で私と斬り合えるなど異常だ。それも、女にもかかわらず、だ」

「だったら……!」

「だが、女だ」


 父がぴしゃりと言葉を遮った。

 瞬間、全身が金縛りになったように硬直して、声すらまともに発せられなかった。


「女は男より筋肉が付きにくい。骨格だって違う」

「……何、それ」

「先天的な能力を才能と表現するなら、性別こそがそれだ。後天的な努力ではどうにもできん」


 だったら、どうして。

 ……ねえ、教えてよ。

 だったら私は、何のために剣を振ってきたの。

 どうして私に剣を握らせたの。


「私の剣に、意味は無いって言いたいの?」

「……人に言われて剣を捨てる程度なら、お前に剣を握る資格は無い」

「勝手なことを!」


 剣を握りたいなんて願ったことはなかった。

 私に握らせたのはお父様じゃないですか。

 こんな、こんなもの――


「いいかよく聞け」


 投げ捨てようと、振りかぶった剣を、父に掴まれました。切れ味の悪い鍔元を握っているとはいえ、白刃はその手のひらに確かに食い込み鮮血が滲んでいます。

 面食らった私の目に映ったのは、いつにもまして真剣な表情の父の顔。


「夢が破れたって執着は消えやしない。夢は呪いだ。お前を救いたければ、お前自身が『成る』しかない」


 ……わかってる。

 そんなこと、言われなくても、わかってる!


 だからこうして、必死に。




 必死に、鍛錬を重ねた。

 死に物狂いで研鑽を積んだ。


 12歳になるころ、

 王都の学園から推薦の話をいただいた。

 もし、もしもここで1番いい成績を残せたら、母だって認めてくれるかもしれない。

 そんな理由で入学した。


 親のコネだと言ってくる輩がいた。

 片っ端から実力でねじ伏せた。


 でも、それができたのも最初の数年だけ。

 3年も経つ頃には各分野に突出した才能を持つ人が現れたのです。次第に、私たちの学年を黄金の世代と呼ぶ風潮が出来上がっていました。


 ……それでも、頑張った。

 本当の、本当に、頑張ったんです。

 ですが。


 4年経って迎えた卒業式。

 私はただの一つも1番になれなかった。

 でも、黄金の世代と言われる、それぞれに突出した才能を持つこの世代の全分野で2位。

 凄いことに変わりはない。


 だから、もしかしたら。

 今度はお母様も認めてくれるかもしれない。

 よく頑張ったねって、一度だけでも褒めてくれるかもしれない。


 お願いです。

 ただの一度だけでいいんです。

 私がしてきたことは無駄じゃないって。

 意味のあることだったんだって。

 私を、認めて……



「――ああ、やっぱり1番にはなれなかったのね」



 ……私の中で、何かが砕けた音がした。




 ねえ、もしも両親が何かのエキスパートだったらと考えたことはある?

 幼少期からプロの指導を受けられて、血筋ゆえの才能を伸ばしてくれる環境があればと。

 その上で、何においても1番になれない出来損ないに育ってしまったらと。


 これは、何者にも成れ(・・)なかった私の物語です。



 アクトルーン王立学院は、数々の偉人を輩出してきた歴史ある学院である。

 その57代学長であるフリードリヒ・フォン・アイントラッヘは、今年の新1年生の顔ぶれを見て頬を緩めた。


「お爺様。此度の入学試験に足を運ぶだけの価値があるとお思いで?」

「思うておる」


 隣に立つ少女が声を掛ければ間髪入れずに答えが返ってくる。例年とは違う反応に、生徒会長であり、学長の孫娘でもあるレイツェル・フォン・カサブランカは違和を覚える。


禁門破り(ブレイカー)も出るやもしれん」

「……っ、まさか」


 禁門破り(ブレイカー)

 それは、クラス分け試験の1つである、瞬間最大火力検定における栄誉を指す。


 禁門(きんもん)とは特殊合金からなる大きな門のことで、ありとあらゆる攻撃を吸収する性質がある。門が吸収した威力は数値化でき、これが最大火力を測る指標となる。


 だが、禁門も人の手によって作られている以上、吸収できる威力には限界がある。上限超過分は門を通り抜ける。これが禁門破り(ブレイカー)だ。


 とはいえ、それは例外も例外。

 卒業生でも100人に1人いれば豊作。

 まして、新入生となればなおさらだ。


「学院には何枚の禁門がある?」

「全て集めれば、20枚が……まさかお爺様」


 学長フリードリヒ・フォン・アイントラッヘは首肯した。


「すべてを試験会場に集めよ」


 少女、レイツェルは困惑した。

 彼女は魔術の腕に絶対の自信を持っている。

 卒業まであと1年残して禁門破り(ブレイカー)に到達していることからも、適切な自己評価と言える。


 だからこそ言える


 禁門の、複数枚破り。

 それが可能なのは歴史に名を刻むほどの天才だけ。

 ただの天才ではその領域にたどり着くことすら叶わないと。


「歴史が動くと?」

「何事も起こらなければそれでよい。ただの保険じゃて」

「……かしこまりました。すぐに手配いたします」


 何事も起こるわけがない。

 少女は内心でそう思いながら、学長の指示通りに、禁門を試験会場に集めさせた。




 試験はつつがなく進行した。

 新入生の9割が禁門の試験を終えて、未だ禁門破り(ブレイカー)の栄誉を得た者はいない。

 やはり取り越し苦労だったのだと、レイツェルは半ば考えていた。


「レイツェルよ、来たぞ。【氷龍】の娘だ」

「【氷龍】……、まさかSランク冒険者の?」

「そうじゃ」

「ではお爺様が禁門を破りうると考えているのは彼女のことで?」

「ほっほ。そのうちの一人じゃな」


 そのうちの、一人?

 レイツェルは祖父の言葉に首を傾げた。

 そうそう何人にも禁門を破られてはたまらない。

 彼女だって、突破できるようになったのはつい最近のことなのだから。


 ……だが。


『つ……貫いたッ!! 貫きました!! とんでもない大物ルーキーです! 新入生にして禁門破り(ブレイカー)達成! 記録は1枚と417ポイント!!』


「そ、そんな……まさか本当に貫くなんて」

「レイツェルよ。まだ終わらんぞ。次は【紫電】の孫じゃ」

「【紫電】!? それって、50年前の人魔対戦で功績をあげて騎士爵を叙勲されたあの【紫電】ですか!?」


 レイツェルの問いにフリードリヒはニヤリと笑みを浮かべた。


『ななななんと! またしても禁門破り(ブレイカー)誕生だ! 記録は1枚と547ポイント!』


「そ、そんな」


 レイツェルは目の前の出来事に理解が追い付かない。まだ12歳のはずの年下が、次から次へと偉業を達成していくのだから。


 さすがにこれ以上の禁門破り(ブレイカー)は出ない。

 そうレイツェルは願ったが、禁門破り(ブレイカー)は次から次へと現れる。多くは偉人の血族だが、中には野生児のような子もいた。

 天才たちが、偶然居合わせた奇跡の世代。

 そう思い知らされるのも、時間の問題だった。


 だが、と。

 レイツェルはふと思う。


(確かに禁門破り(ブレイカー)は現れたけれど、複数枚破る人はさすがにいない)


 当然だ。

 0枚と1枚の間に凡人と天才の壁があるように、1枚と2枚の間にも大きな壁が存在する。

 そのような天才が、いるわけ――


「来たか。満を持して」

「お、お爺様?」


 先ほどまで、孫を愛でるような目で見ていた祖父が突然硬い声を発した。表情は険しく、そこに優しそうな学長の面影はない。


「レイツェルよ。よく見ておけ。これから行われる、今年最大の禁門破り(ブレイカー)誕生の瞬間を」



「……嘘でしょ?」


 力なくつぶやく少女は誰でしょう。

 そう、私です。ソニアです。

 推薦入学だと聞いていました。

 しかしいざ入学式にやってきてみればこれからクラス分け試験が行われるといいます。


 そんなの聞いてません。


「落ちこぼれは嫌だ、落ちこぼれは嫌だ、落ちこぼれは嫌だ」

「お、おい君、大丈夫か?」

「ひっ! ご、ごめんなさい!」

「あ、いや。君、死体でも見たのかってくらい顔色が悪いよ。体調が悪いなら保健室に連れて行こうか?」


 保健室?

 だめ。

 クラス分け試験だから、いい成績を残さないといけないから。

 成果もあげられない私に、存在意義は無いから。


 勝つ。

 勝つ、勝つ。

 勝って、存在理由を証明しないと――


『次、受験番号998番、ソニアさん。禁門の試験にどうぞ』


「わ、私! 行きます!」

「え、あ、おい!!」


 禁門の試験。

 聞いたことはあります。

 禁門と呼ばれる特殊合金に衝撃を与えて、瞬間最大火力を判定する装置だと。

 しかし、しかしです。


「……ぇ?」


 そこにあったのは、20枚もの禁門。

 そ、そんな。

 こんなに多くの禁門を貫かないといけないの?


 ――おい、あの子大丈夫か?

 ――顔色真っ青じゃねえか。

 ――体調悪いんじゃね?


 そんな声が聞こえてきます。


 どうして、どうしてみんなそんなに平気なの?

 20枚の禁門を軽々しく突破できないと学院の生徒として不出来なの?


「っ!!」


 やるんだ。

 やるしかないんだ。


(勝てない私に、価値は無い――!!)



 生徒会長のレイツェルの目から見て、それは異常な光景だった。


二重詠唱(デュアルキャスト)……いえ、まさか三重詠唱(トリプルキャスト)!?)


 多重詠唱とは複数の魔法を同時に行使する超高等技術である。レイツェルだって去年二重詠唱(デュアルキャスト)をできるようになったばかりだ。

 ただし、同系統の二重詠唱(デュアルキャスト)に限るが。


(炎に、雷、それに……霧? 三属性の三重詠唱(トリプルキャスト)だとでも言うの!?)


 少女の周りでは炎と雷が二重らせんを描いていて、禁門の周囲にはキラキラと輝く粒子が発生している。


 異なる系統の多重詠唱は、同系統のそれと比べてはるかに難しい。まして三属性ともなれば、いったいどれだけの使い手がいるだろうか……。


(炎と雷は分かる……いえ、しれっと火と風の上位属性を使用しているのはおかしいですが、破壊力の観点からもこの試験で使用する意図は分かります。

 ですが、霧はいったい何のために)


 手に汗を握るとはこのことだろう。

 レイツェルは手すりをぎゅっと握りしめ、わずかに身を乗り出した。

 とんでもないことが起こる。

 そんな予感だけがあった。


 一秒が長い。

 いつだ、いつになればその時は来る。

 滴る汗が、レイツェルから離れた、その時。

 少女が静かに口を開いた。


「――ファイアボルト・チェインバースト」


 刹那、少女から雷と火炎が解き放たれた。

 自由を得た龍のごとき魔法が暴れ狂うように、禁門に向かって突き進む。


 まず最初に轟いたのは破裂音。

 火炎に先行した雷が霧を引き裂くたびにけたたましい音が会場中に響き渡る。


 何が起きているのか。

 理解するよりも先に、次なる衝撃が襲い掛かった。

 爆撃。

 カッとまばゆい閃光が迸ったかと思うと、次に耳が破れるほどの大音量が襲ってきたのだ。


 まぶたを閉じ、耳をふさぐ。


 恐る恐る、目を開けて。

 それでも最初、レイツェルは目の前の光景を理解できなかった。

 いや、彼女だけではない。

 採点係だって、野次馬根性で見に来ていた上級性だって、誰一人。

 その記録を理解できはしなかった。


『き、記録! 12枚と8192ポイント!! このようなことが起こりうるのでしょうか!? 歴史に残る大記録です!!』


「お、お爺様! 彼女はいったい――」

四重詠唱(クワッドキャスト)……」

「え?」

「あの子は今、4つの属性魔法を同時に行使した」

「4つ? 炎、雷、霧の3属性では?」

「不純物じゃ」


 フリードリヒはまなじりを決していた。

 額には大粒の汗を垂らしている。


「通常、魔術で作った水は限りなく純水に近い。通電率は低く、それゆえ雷属性への対抗呪文としても活用される」

「で、ですが彼女の雷は確かに」

「ああ。霧を引き裂いた。何故だかわかるか?」


 フリードリヒの問いに、レイツェルは歯噛みしながらも首を振るしかできない。


「電解質じゃ。土属性の上位属性である金属魔法で、水蒸気に不純物を織り交ぜたのじゃ。電気を通せばすなわち自然性の気体と他然性の気体に分解される。そこに炎などぶつけようものなら」

「……大爆発を起こす!」

「そうじゃ」


 それが、12枚もの禁門を破ったからくり。

 16歳未満に限れば前人未到の最高記録!

 それを可能とした……!


「あっぱれじゃ。剣聖と魔導師の娘ソニアよ」



 届かなかった。


 禁門の試験を終えた後は、ただただ無力感で胸が押しつぶされそうでした。

 用意された20枚の禁門。

 全てを貫くつもりで全力の一撃を放ちました。


 ですが、記録はたったの12枚。


 目の前が真っ白になっていくのを覚えています。

 採点係の人や、周囲にいた人が騒いでいた記憶はありますが、どれも耳に入ってきませんでした。

 きっと侮蔑の言葉だったでしょうし、ある意味幸運だったのかもしれません。


 このほかにも治癒魔術や薬学、武術の試験を終えたはずですが、あまり記憶に残っていません。


 ダメなのに。

 こんなんじゃ、ダメなのに。

 勝てない私に価値は無い。

 存在理由を証明しないといけないのに。


「以上をもってクラス分け試験が完了した。これより記念品授与に移る。全員手を空にかざせ!」


 どうやらクラス分け試験は終わったようです。

 指示された通り、周りのみんなが手を上げ始めたので私も真似するように手をかざしました。


 すると、虚空からブレスレットが現れて、私の手首に巻きつきました。いえ、私だけではないようです。周りの人たちの手首にも同じようなものが巻かれています。


「今、諸君らの手首に巻かれたブレスレットはこの学院における学生証のようなものだ。刻印された文字は部屋番号を表している。

 なお、ルームメイトは実力の近しい者同士で組まれる。互いに切磋琢磨し合うように」


 FW1015?

 これが私の部屋番号ですか。

 ルームメイトさんはどのような方でしょうね。

 物静かな方だといいですね。


「以上をもって入学式の全プログラムを完了とする! 諸君、入学おめでとう!」


 あと、そうですね。

 ルームメイトは実力の近い者同士。

 これが少しラッキーかもしれません。


 というのも私、自分のクラス分け試験を全く覚えていないので。相手の試験結果から自分の試験結果が推測できるような気がします。


 過ぎてしまったことは仕方がありませんが、せめて治癒魔術や武術ではまともな成績を残せたと信じましょう。




「え、ルームメイト? 何かの間違いじゃないかな?」


 FW1015室に向かった私を待ち受けたのは、黒い髪をした男の子でした。


「間違い? ここはFW1015室ですよね?」

「そうだけど……うわ、本当にこの部屋番になってる」


 ブレスレットを見せると、目の前の男の子は少しばかり目を見開きました。それから手を口の前に持っていき、ぶつぶつと何かを呟き始めました。

 少し怖いですね。


「よし、学長に話を聞きに行こうか」

「へ?」



 黒髪の男の子に連れられてやってきたのは、アクアリウムのような一室でした。その奥部には一席の机と椅子があって、そこに一人の老人が座っています。

 あの人、入学式の時にスピーチしていた……。


「ふむ。やはり来たか。ユーゼフ、それにソニア」


 やはり?

 やはりとは一体、何を指しているのでしょう。


「あの……」

「学長、ルームメイトは実力の近しい者同士を組ませる。そのはずですよね」


 私が質問を投げかけるより早く、黒髪の男子――ユーゼフさんって言うのかな――が平手を、学長の机にかましました。

 渇いた音が学長室に響き渡ります。


「うむ。そうだ」

「だったら、どうして僕みたいな落第生と彼女が同じ部屋になるんですか!」


 落第生……?

 あ、これは聞いてもいっか。


「落第生?」

「……ああ、そういえば何も言わずにつれてきてしまったね。僕はユーゼフ。去年この学院に入学した1年生だ」

「そうでしたか。ソニアと申します」

「あ、これはご丁寧に……って違う!」


 うわあ。

 急に大声出さないでください。

 びっくりするじゃないですか。


「君はそれでいいのか!?」

「良くはありませんが……」


 賢い私はだいたいすべてを察しました。

 私はきっと、治癒魔術や武術でも同じように凄惨な結果を残してしまったのでしょう。

 進級する見込みもない。

 それがこの学院から見た私の評価ということでしょう。


「すべては私の未熟さゆえ」


 握りこぶしに力が入りました。

 やっぱり私には、才能が無いようです。

 そんなこと、最初から分かってた。


「無才を嘆く暇があるなら、研鑽を積み重ねないといけないんです」


 じゃないと、私は何者にも『成れ』ないから。

 私が私であるために、私を私が救うために。




「ちょっとタイム。学長、こっち来てください」



「え、学長、あの子ですよね? 禁門の12枚破りを達成した新入生って」

「そうじゃな」

「それなのにあの反応ってどういうことですか」

「わしも聞きたいよ」


 学長室の、横にある準備室。

 そこにユーゼフとフリードリヒは向かい、ひそひそ話を繰り広げていた。


「わしの想定じゃと『禁門破り(ブレイカー)の私が落第生と同部屋なんて認められません! 部屋替えを要求します!』って言ってくるはずだったんじゃ」

「そんな傲慢な女の子いませんよ」

「ジェネレーションギャップじゃな」

「なんか違うと思う。で? 僕に決闘を挑まさせて鼻っ柱を折る腹積もりだったと?」

「話が早いの」


 学長のたくらみを聞き終えて、ユーゼフはくだらないと斬り伏せた。


「彼女は鼻を高くするタイプじゃないでしょう。早く正当な相方と組ませてあげてください」

「ほう、ユーゼフ。お主、それでよいのか?

 それとも、知らんのか?」

「何がです」

「あの子はな、剣聖イグゼリオンの娘じゃ」


 フリードリヒがニタリと笑みを浮かべると、ユーゼフはぎろりと鋭い眼光を宿した。


「……強いんです?」

「わしもそれが知りたい。どうじゃ、ユーゼフ」


 ――またとない機会じゃと思うぞ?


 フリードリヒがそう言うと、ユーゼフもまた獰猛な笑みを浮かべた。


「ハッ、上等だ。今回だけはあんたのたくらみに乗ってやるよ狸ジジイ」



 一人ぽつんと学長室に取り残されました。

 どうしたものでしょう。

 と、思っていたのですが、お二人はほどなくして戻ってきました。


「やーお待たせ。ソニアさん」

「いえ、もう戻ってもよろしいでしょうか?」

「あー、その前に、一つ提案してもいいかな。

 今から親睦会やらない?

 ――刀と刀で語り合う形式の、ね」


 刀と刀で語り合う、親睦会?

 ……ああ、模擬戦のことですか。

 模擬戦自体は構わないのですが。


「傷の舐め合いをするつもりはありません」


 そんなの、自分がみじめになるだけです。

 お互いにとってメリットがありません。


 と、遠回しに伝えてみると、ユーゼフさんが「やべ」と言いたそうな顔をしました。一瞬でしたが。

 彼はすぐに表情を取り繕うと今度はこう言いました。


「へえ、逃げるんだ。臆病なんだね、剣聖の血筋って言うのは」


 ……ああ。

 二人で隠れて何を話していたのかと思えば、私の出自の話でしたか。

 余計に気に食わないですね。


「安い挑発ですね。そんなものに食いつくほど、私は軽くないので」

「……マジか。ごめん、謝る! 謝るから、一戦! 一戦だけでいいから試合してくれ!」

「嫌です。私、そういう薄汚い魂胆が見え透いている人、嫌いなので」

「が、学長! あんたからもなんか言ってくれよ」


 だいたい、この人はどうしてそこまで戦闘にこだわるんですか。戦闘狂ですか。だから留年したんですか。そうしておきますか。


「ふむ、ではこういうのはどうかね。

 勝者は相手に一つだけ命令する権利を得る。

 それならソニア君も戦う利点があると思うが?」

「私は別に、彼に頼みたいことなんて……」


 言いつつ、思いつきました。

 学長は「相手に」命令する権利と口にしました。

 「敗者に」ではなく「相手に」。

 ……でしたら。


「その命令する相手というのは、学長、あなたでもいいのですか?」

「えっ」

「わかりました。お受けいたしましょう」

「えっ、ちょいと待たれよ。何を言うつもりじゃ?」

「ありがとうございます」

「お、おい!」


 こういう時は有無を言わせてはいけません。

 勢いで言質を取るのです。


「ユーゼフ! 絶対に負けるなよ!!」

「落第生に何期待してんだか……」


 こうして、私とユーゼフの決闘が決まった。




 学院が所有する決闘場へとやってきた私は、黒髪の男子、ユーゼフと向き合った。


「ユーゼフ! 負けるなよ!?」

「あー、わかったっつうの」


 勝利条件は単純明快。

 この闘技場から相手をはじき出すか、相手に参ったと言わせるか。

 時間制限はなく、勝者と敗者が必ず決まる。


「勝てるつもりでいるのね」


 それはユーゼフにかけるつもりの言葉ではなかったのだけれど、彼は律儀に返事をした。


「ま、努力はしてきたからね。凡人でも天才に勝てるんだって証明するのが僕の夢だから」


 私が一番、苛立つ形の言葉で。


 ふと父の言葉が蘇る。


『だが、女だ』

『先天的な能力を才能と表現するなら、性別こそがそれだ。後天的な努力ではどうにもできん』


 ぎりりと奥歯が軋む。

 口の中に鉄の味が広がる。


(何が、凡人だ)


 お前は、持っている側じゃないか。

 私が願っても、手に入れられない才能を。


「それでは、試合開始!!」


 合図が鳴った瞬間、思考がクリアに研ぎ澄まされた。一瞬前まで思考を支配していた怒りが消え失せ、代わりに思考速度がギアを上げる。


 正眼の構えから、ゆっくりと刀を引き上げ、肩に乗せる。


 ユーゼフが眉をひそめた。

 それはそうだろう。

 普通であればこんな構え方はしない。


 父は言っていた。

『女は男より筋肉が付きにくい。骨格だって違う』

 だから私は、工夫する必要があった。

 持たざる者として、持つ者に対抗するべく。



(なるほど、そういうことか)


 ソニアが肩に剣を乗せるという変わった構えを見せた寸秒後、ユーゼフはその合理性を理解した。


(同じ正眼同士の構えであれば、筋肉量から彼女の方が先に疲弊するのは明白だった。だけどあの構えならどうだろう。刀の重さを肩で支えることで、腕にかかる負担を減らしている)


 筋肉量の差を埋める、創意工夫。

 なるほど彼女の剣は、ただ剣聖を模倣しただけのものではないらしい。彼女だけの剣だ。

 わずか12歳で、剣の理を生み出す。

 予想外の展開に、ユーゼフは喜悦の笑みを浮かべる。


(それだけじゃない。柄から切っ先までが僕から見て真正面にあるせいで刃渡りが把握できない。つまり、間合いの情報アドバンテージは彼女が握っている)


 実力者の間合いというのは、剣の結界のようなものだ。迂闊に飛び込めばたちまち斬り捨てられる。

 その境界線が不明瞭なのだ。


「面白い」


 呟いて、ユーゼフは一気に踏み込んだ。


 狙うは最速の一撃。

 刃を振り上げ、振り下ろす。

 肩に剣を乗せるという構成上、どうあがいても初動は遅れる。


(確かにその構えは長期戦に向いているだろうね。だけど短期決戦ならどうか、な!?)


 だが、彼女の取った一手に、ユーゼフは絶句する。


(刀の柄を押し出して、僕の切っ先をそらした!?)


 彼女の初撃は、斬撃ではなく刺突。

 それも切っ先ではなく、柄側。

 まさしく最短、これぞ最速。

 そう言わんばかりの対応に、ユーゼフの一刀は虚空を撫でるに終わる。


(まずい……!)


 刀を振り下ろし終えるタイミングに呼吸を合わせるかの如く、彼女が震脚する。刺突で突き出した腕を引き戻し、白刃の太刀が天から振り下ろされる。


 避ける能わず。

 捌く叶わず。


 音速に迫ろうかという一撃を知覚しながら、ユーゼフは笑った。




 ドゴォン、と。

 おおよそ刃物が振り下ろされた音とは似つかわしくない音が闘技場に響き渡った。


 否、刃物が振り下ろされた音ではない。

 それは、ユーゼフが闘技場の床を踏み抜いた音だ。


「……まさか使わされることになるとは。恐れ入ったよ、ソニアさん」

「何を、したの?」


 ソニアが首から上を最小限動かして、ユーゼフを睨みながら呟いた。


「リミット・バースト。僕はそう呼んで、いるッ!」


 また、闘技場の床が抉られて、ユーゼフが再びソニアに向けて踏み込んだ。愚直に、だが今回は速度が違う。亜音速に迫ろうかという速度だ。

 これにはソニアも息を飲み、距離を取った。

 今度こそ正真正銘、ユーゼフの刀が闘技場を斬り裂く音が響き渡る。


「僕は生来魔力が少なくてね。魔術師になるのは不可能だった!」


 ソニアの剣を叩き切るつもりで刃を振る。

 その意図を察してか偶然か、ソニアは剣で剣を受けることを避けた。ユーゼフの刀は虚空を引き裂いて、再びソニアに迫る。


「剣士の基本、【魔力武装】だって僕には使えない! だけど、だからこそたどり着いた!」


 キン、と高い音が鳴り、闘技場を何かが跳ねた。

 ソニアが手にしていた剣の鍔である。


「これが、【魔力暴走(リミット・バースト)】だ」


 通常であれば、そんなことをすれば魔力回路が焼き切れる……というより、実際に焼き切れたのがソニアの母だ。


 だが、ユーゼフは生まれつき魔力量が少ない。

 それも極端に。

 だからこそ、魔力を無理に活性化させ、暴走させても回路は焼き切れない。

 魔力量が少ないことを生かした彼だけの戦闘スタイル。


 もっとも、1日1分しか使用できないというデメリットは存在する。

 だが、こと達人同士の斬り合いにおいて、1分というのは十分すぎる時間だ。

 こうしてソニアと会話する余裕があるほどに。


「……なるほど。ユーゼフさん。私はあなたのことを侮っていました」


 すうっと、ユーゼフは心の熱気が冷えていくのを感じた。

 奥の手である【魔力暴走(リミット・バースト)】ですら対処されるのではないかと危惧――いや、期待していたのだ。


 だが、今の発言を鑑みるに、これ以上の奇策は無いらしい。


 と、そう判断した。


「ここからは、私も慢心を捨てて全力で挑ませていただきます」

「……は?」


 ユーゼフは素っ頓狂な声を上げた。

 目の前で起きている状況を理解できなかった。


 なぜなら、彼女が行おうとしているのは――


「ま、待て! やめろ!! 君の魔力総量でそんなことをしたら!」


 彼自身が得意とする、奥の手。


「【魔力暴走(リミット・バー)――」

「いいえ、違います」

「え?」


 ではなかった。


「驚いたわ。まさか私と同じ発想にたどり着いている人がいるだなんて。でも、まだ足りない」


 いや、根本的な部分は同じだ。

 魔力を励起させ、活性化させ、暴走を誘発する。

 基本はそれだけだ。

 だが、彼女は――


「あなたの【魔力暴走(リミット・バースト)】には無駄が多い」


 過剰分の魔力を、治癒魔術に割り当てていた。


 本来、いくら【魔力暴走(リミット・バースト)】で魔力回路が壊れなかったとしても、限界以上に酷使した肉体は悲鳴を上げる。

 筋繊維は断裂し、効果が発動した後は耐え難い筋肉痛に襲われる。


 その度、彼女は筋組織を回復させているのだ。

 暴走する魔力が回路を焼き切らないように精密な魔力操作で制御しつつ、絶えず治癒魔術を行使し続けているのだ。


天輪魔装(オーバーライド)と、私は呼んでいるわ」

「……は、はは。マジか」


 治癒魔術の効果も相まって、彼女は神々しく発光していた。それこそ、まるで天女のように。


 目の前の少女の異常性を目の当たりにし、ユーゼフは乾いた笑みをこぼす。

 もう、笑うしかなかった。


「それが、完成形か」


 敵わない。

 そう悟ってなお、ユーゼフは剣を握りなおした。

 手放すつもりはなかった。


「……終わりにしましょうか」

「そうだね」


 ここに刃は重なり合う。

 立っていたのはただ一人。


「しょ、勝者、ソニア!」


 剣聖の娘、その人だった。



 勝てた。


 落第生相手に、死力を尽くして、やっと。


 本当に、自分が情けない。


「……さて、学長。約束は覚えていますね」

「う、な、なんじゃ。わしにいったい何をさせる気じゃ!」


 私が学長に要求したかったことは、ただ一つ。


「……私の学院での成績を、父や母に、伝えないでおいてほしいのです」


 落ちこぼれ。


 父も母も、とっくにわかっていたことでしょう。


 ですが、私はそれを認めたくありません。


 器の小さな人間だとは思います。

 至らない自分が恥ずかしい。


 そんな私に、学長は腕を組んで押し黙るばかり。

 やっぱり、無茶な要求だったかな。

 そう、思った時。

 学長の口が開かれるのを私は見ました。


「……そうか、君は野心家だな」


 野心家……、え?

 野心家?

 全然違いますけど。

 むしろ保身のことしか考えてませんけど。

 何か話がかみ合ってないような?


「そういうことなら了解した。わしに任せるといい」

「あ、はい。お願いします」


 まあ、多分大丈夫でしょう。

 卒業までの4年間。

 私は全力で挑もうと思います。



 魔導師の母と剣聖の父を両親に持つソニアは、英才教育を施されてきた。

 だが――


『あなたに、魔術を極める才能は無いわ』

『女では努力しても剣聖には成れん』


 ソニアはそのどちらからも未来を否定された。


 だから彼女は己を鍛えた。

 足りない才能を補うために、死ぬ気で。


 だが、本当に彼女に才能は無かったのだろうか。




*(元宮廷魔術師団長筆頭候補エステル)*


「あの子の才能が、恐ろしかった」


 あの子に魔法を教え始めたのは、あの子が3歳の時だった。

 訓練の強制はしなかった。

 けれど、杖を持たせてみたらあまりにも簡単に魔法を行使するものだから、気まぐれに魔法を教えた。


 あの子が嫌だと言えば、やめさせるつもりだった。


「雷属性に特化した私と違い、あの子はすべての属性に適性があった。どの属性も10年に一人くらいに優秀だった。でも、その程度」


 非凡ではあるけれど、敵無しではない。

 むしろ「一つ先のステージがある」と確信できているからこそ、超えられない壁に悩む、平凡な子供。

 最初、あの子を私はそう評価した。


 だから安心して魔法を教えられた。


(きっとこの子なら、私のような無茶はしないはず)


 私はかつて、魔族と戦った。

 足りない魔力は命を燃やしてかき集めて、魔力回路の限界を超えた魔力をめぐらせ続け、どうにか至った共倒れ。


 国からは賞賛されたけれど、代償は大きく、私の魔力回路の大半は使い物にならなくなってしまった。


(自分の限界をきちんと理解して、身の丈に合った戦い方ができる魔術師に――)


 自分の考えが間違っていると悟ったのは、あの子が5歳になる、少し前のことだった。


 ――エアロフレイム。


 それが、あの子の最初に使った複合魔法だった。

 風属性と火属性。

 その二つを組み合わせることで爆発的な威力を生み出す複合魔法。


 複合魔法は単体魔法と比べて難易度が高い。

 一生複合魔法が使えないまま終わる魔術師も少なくないというのに、初級魔法同士の組み合わせとはいえたったの4歳で、あの子は。


 末恐ろしいものを感じた。

 でも、その正体が何なのか、この時はまだ掴み切れていなかった。


 理解したのは、それから数日後。


 ――ファイアボルト。


 たった数日。

 たったの数日で、あの子は上位属性同士の複合魔法を会得してしまった。


 この時になって私はようやく理解した。


(この子の真価は、単体魔法じゃない。

 複合魔法こそ、この子の本領……っ!)


 それこそ、千年に一人、いや、有史以来の逸材の可能性だってあり得る。


(もしもこの子が、このまま才能を伸ばせば――)


 ……何を馬鹿なことを考えているの。

 違うでしょう。


 ええ、間違いなく、この子には才能があった。

 それも魔術師団長などではおさまらないほど並外れた才能が。

 でも、ダメよ。

 歩む道を決めるには、この子は幼すぎる。


(……優れた魔法使いが最も活躍できるのは、戦場に他ならない)


 かつての私がそうだったように。


(もし、もしもこの子もまた、私のように魔族と戦って、再起不能になるくらいに壊れてしまったら)


「……っ! はぁ……っ!」


 血だらけになり、四肢を欠損したこの子の姿が脳裏に浮かぶ。幻想だ。こんなことになるはずない。

 イメージを強く否定するが、一度浮かんだ疑心は水も光もなくひとりでに育つ。


(この子に、あんな苦しい思いをしてほしくない)


 だから、だから……

 お母様と、そう口にする、可愛い可愛い娘に対し、

 私は、私は――


『あなたに、魔術を極める才能は無いわ』


 そう、言わざるを得なかった。


「……それで諦めてくれれば良かった。だけど、血なのかしらね。あの子は魔術を捨てなかった」


 私が魔法を教えなくなってからも、一人で訓練を続けていた。


「あなたの前にある道は、魔法だけじゃない。そう気づいてほしくて、あの人に剣を教えてもらうように頼んだの」


 皮肉なものよね。

 それがあの子に、諦めない心の強さを与えてしまったのだから。




*(剣聖イグゼリオン)*


「ソニアが男なら、剣聖を目指させた」


 娘に剣を教え始めたのは、あの子が5歳の時。


 教えるつもりはなかった。


 男と女では筋肉の付き方が違う。骨格も異なる。

 教えても、娘にとって不利益にしかならない。

 いつか剣を振ることを呪うだろうと思っていた。


 だが、切っ掛けは、妻の一言だった。

 特に期待もせずに剣を振らせた。

 それが重大なターニングポイントだった。


「ソニアには、剣聖に至る剣才があった」


 娘は、すこぶる目が良かった。


 多くの剣士は師の剣を真似て育つ。

 そもそもこの世に存在する多くの流派は、源流となる剣術の模倣と改良によって脈々と受け継がれてきたものである。


 真似る、そして物にする。

 こうして剣士は理を解し、成長する。


 その点において、ソニアは他の追随を許さぬ天才だった。


「一度見た動きであれば、自分の体格に最適化して模倣ができた」


 ――娘が俺の剣を己が物とするのは時間の問題だろう。


 俺は気づいてしまった。


(その時、ソニアには剣を握る理由がなくなる)


 いくら才能があろうとも、成長をやめてしまえば、剣士としてはそこで死ぬ。

 剣聖に成れなかった天才を俺は何人も知っている。

 娘の剣の余命はどれだけある。

 俺はいつまで娘に道を示してやれる。


(……剣士に必要なのは、折れない心)


 最後に教えることは、それになるだろう。

 剣を振らせて1年経つ頃にはそんな予感があった。

 そしてそれは現実になった。


『いくつになる』

『今年で10に』

『まだ10か』

『もう10です』


 およそ5年。

 俺はソニアに剣を教えた。


 それで娘が剣士として完成したわけじゃねえ。

 これから長い年月をかけて研鑽を積んで、ようやく一流の剣士としての自覚が芽生えるだろう。

 あとは、お前自身の足で歩まなければならない。


 だから、これが最後の指導だ。


『お前は、剣聖には成れない』


 折れるな。

 歩み続けろ。


 それが父としてではなく、剣聖イグゼリオンとして、剣士ソニアに教える最後の剣の理だ。





 ……両親の内心をつゆ知らず。

 少女は己の無才を嘆き、鍛錬を重ね続ける。


 そんな彼女を、月下。

 一人の男が観測し続けていた。


「ハハッ。不器用な家族だねえ。ま、おかげでボクも退屈せずに済みそうだよ」


 強い風が吹き抜けた。

 男が身に着けている不思議な紋様の編み込まれたクロークがはためいて、男の素顔が暴かれる。

 側頭部からは、捻じれた二本の角が生えていた。


「早くおいでよ、エステルの愛娘。

 あの日の続きを始めようじゃないか」



 これは、一人の少女の物語。

 何者にも成れず、けれど決して諦めなかった、一人の少女の序章である。


 いつの日か頂に至るまで、

 ――無冠のソニアはくじけない。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
[一言] 他の作品は愉しく拝読いたしました。 が。 過去一度読んだこの作品の、この両親だけは、やはり受け入れられませんでした。 彼らが己にどう言い訳しようとも、やっていることは虐待です。「言葉足らず」…
[良い点] ほかの小説もいくつか読んでとても楽しかったです [気になる点] 否定的な意見になって申し訳ないのですが両親による無自覚な精神的虐待に思えて後半の内容はこの親無理〜ってなってしまいました。酷…
[一言] 続きは、どこで読めますか
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