第3話・青天の辟易(三)
「――――なかなか面白そうな話をしているようだな」
凛と涼やかな声は笑いを含んで、耳に心地よく染み入った。
唐突に聞こえたダベりメンバー以外の声に、大樹の心臓は大きく跳ねる。もうちょいで口から出そうなくらい。しかも教師連中に聞かれたらアレなことを話していた真っ最中だったのでなおさらだった。どこどこ鳴るチキンハートを押さえつつそおっと振り向いた先には少年少女。見慣れたその姿に大樹は溶けそうなくらい安堵する。
「・・・っだよ脅かすなよ、誰かと思ったよ」
「それはこちらの台詞だな」
テスト明けに図書室にくる物好きなど私たちくらいなものかと思っていたのだが。長い赤毛(染色ではない、天然ものだ)を下ろしたままになびかせて、彼女は颯爽と大樹たちのテーブルへとやってきた。一歩遅れて、少年も続く。
「珍しいなタイジュ。まさかお前を図書室で見る日が来ようとは」
「お前こそ期末の終わった図書室で何やってんだ。補習が決まった教科があんのか?」
「お前と一緒にするな。夏休みの宿題だ。こういうのは始まる前に終わらせる主義でな」
「は、なにそれお前馬鹿じゃねえ?!ありえねえ・・・休み終了3日前にまとめてやるもんだろそんなんは」
「色々駄目だなお前。主に人として」
「俺の人格完全否定?!」
非道いことを云われて叫ぶ大樹にはは、と中嶋斗は快活に笑う。いろんなところが遙とはまた別の意味で漢らしいこの少女は、騎士道なるものを尊ぶ現代女子高生としては少々毛色の変わった友人だった。勤勉、勇敢、礼節、名誉、女性への奉仕等、騎士道において徳とされる性質を地で行くなかなかどうしてたいした変人である。
そんな斗の後ろにまるで従騎士のように控える、少女に見紛うほど線の細い少年がよ、と無表情に手を上げたので大樹もやっほいと手を振り返す。
「で、お前も宿題か咲耶」
「ああ、今年はゆっくりやってる時間もなさそうだしな」
だったら今のうちに済ませてしまったほうが楽だろうとさらりと云ってのけてしまえるのが優等生と凡人の差、越えられぬ壁である。霧島咲耶はどさりと大樹たちがダベっているテーブルの空いた席にノートやら本やらを放り出し座った。斗もならい彼の正面の席に着く。
「ところで、さきちゃんとひーちゃん、今の話聞いてたのね?」
ちくる?ことりと首を傾げて京那が訊いた。
「「まさか」」
即答。
心外だとでも云いたげに眉を寄せるふたりにとりあえずは安堵。斗も咲耶も友人を売るような人間ではないし、ふたりともこちら側である。
大樹らの年頃の子供はなにくれとなく子供と大人を隔てたがる。普段いくら角突き合わせていようと、例えば教師なんかと大人対子供の図で対立するようなことがあれば、敵もかばうし手さえ組む。斗も咲耶も模範的な優等生だが、大人のいい分が絶対正しいなんてあほなことはまさか思っちゃいないだろう。京那もとりあえず訊いてみただけのようで、そうだよねとにこり笑った。
ていうか、ノートを開きながら斗が視線だけで皆を見回す。
「寧ろ私もそれ混ぜて欲しいんだが」
「えッ?!」
爆弾発言に大樹は思わず声を裏返した。だって斗という少女はクソ真面目で石頭で、どっちかっていうとストッパーの苦労人というイメージだ。いつだって毅然とこうべをあげて自分の道を貫き通し、間違っていると思ったならば相手が目上だろうとなんだろうと容赦しない。その場合、一応の礼儀を欠くことはないが。大樹たちが馬鹿をやる場合だって大抵苦笑しつつ眺めるだけで、時にたしなめるような役回りの彼女が、今なんて云った?
「・・・・・・斗さん?・・・え、マジですか?」
普段の彼女からはあんまり想像できないお言葉にほとんど呆然として聞き返すと、斗は当然といった顔であっさり頷く。
「ああ。面白そうだからな」
「・・・・・・・・・」
そうだコイツはこういう奴だったかもしんない。大樹はこめかみに鈍い痛みを覚えてうめく。クソ真面目で石頭で、考えなくとも良いようなことまで考えて無限ループに陥っちまう苦労人かと思いきや、実は正しさよりも楽しさを追求しくさる似非騎士だ。てゆうかヒィアンタそれ良いの。突っ伏した大樹に代わり陽がマニキュアを塗った手をひらひらと動かしながら呆れたような目で彼女を眺める。
「バレたら思いっきり怒られるわよー。アンタ爺様が厳しいって云ってンじゃない。ホントにやんの?」
「何、構わん。せっかくの高2の夏だ、圧制に反旗を翻すというのも面白い」
それに、と女王陛下よりナイト爵を賜った英国紳士を祖父に持つ赤毛の少女は、にこりとまるで嘘のように綺麗に笑った。
「どうせヒマだし」
「云い切った!」
がーんとそれっぽいタイポグラフィを背負った大樹に、暇潰しにやんちゃすると宣言しくさった彼女はそれで、と組んだ両手の上に顎を乗せ楽しそうに彼を見詰める。
「具体的に、何か良い案はあるのか?」
「いやそこはほら、2とか3とかを行ったり来たりしてるオレよりも、4とか5が普通の奴らで」
「つまりなんにも考えてないと」
見も蓋もない事実をあっさり指摘され明後日の方向を向く大樹をほっといてじゃあどうすると一同は頭を寄せてああだこうだと案を出し合う。そのいかにも楽しげなふうに、
「・・・・・・・・・。はーいじゃあ意見ある人ー」
放置されてなんか寂しくなった大樹も参加。総勢8人となった反乱軍はまるで玩具を与えられた子供のように沸いていた。水を得た魚、悪ガキに悪戯。わくわくうきうき、と全員カラーペンで顔に書いてある。
そうだなあ、ふうむと腕を組んで隆生が唸った。一番オーソドックスでお手軽簡単な方法といえば、やはり司法取引になるだろうな。
「校長の不祥事とか。教頭の不祥事とか。校長の不祥事とか。校長の弱み握るとか」
「よしそれでイこう」
「即決?!」
思わず声をあげた大樹に陽はしれっとした顔で返す。
「だってアタシあのハゲ嫌いだもーん。話し長いし」
「・・・・・・もしかしてお前か、校長像の頭わざわざ磨いてワックスまでかけてンの」
蛍光塗料も塗ってあるから夜光るよ。マジでか!こんなところで意外な新事実を発見してしまったが、それは置いといて。え、その案で決定なの?見回せば皆そうだねーとばかりに頷き会ってるし。
「ま、そこらへんが妥当かなー」
「でもそんなに都合良くいくもんかね?」
「大の大人よ。叩きゃ埃のひとつやふたつ出て来るわ」
「偏見・・・でもねェか。よし、そんじゃそんなカンジで」
なんか皆乗り気だし。ちょっぴり遠い目になりながらひとりだけ微妙に話に入っていなかった咲耶にこそっと声をかけてみる。
「・・・てゆーか何気に数に入ってるが良いのか咲耶?」
彼は特に面白くもなさそうにワークブックのページをめくりながら肩をすくめた。
「まあ、ここで抜けるのも今更だから。面白そうだし。邪魔じゃなければ是非にとは」
「オレらは別に良いけどさ。・・・まあ良いか。頼りにしてんぜ優等生」
「ああ、よろしく。精々頑張らせてもらうさ」
ぐるりと一堂を見回して大樹は満足げに鼻を鳴らす。云いだしっぺの彼などより余程乗り気な悪友連中が頼もしくて仕方がない。はーいちゅうもーく。立ち上がってぱんぱんと手を打ち視線を集める。
「よっしゃ、んーじゃそんな感じで、いっちょやってみましょうか。とりあえずは校長の黒歴史探しってことでいいかなー?」
「いいともー!」
ノリよく突き上げられた拳に、なんとなく顔を見合わせて吹き出した。