第89話 王子様系TS少女は眠れぬ夜を過ごす
「…………」
ローズは客室の窓から町を見下ろした。
事情聴取とお茶会を終えると、すでにすっかり日が暮れていた。リザードマンのこともあり、夜道を王都へ帰還するのは危険と言うことで、勧められるままに代官の屋敷に一泊することとした。
「―――っ、―――――っ」
町全体が何となく騒がしいのは、衛兵たちがリザードマンの亡骸を運び込んだからだろう。
リザードマンは本来魔族領の奥深くに生息する種で、人間の領域で目撃された例はほとんどない。人里で見られる魔物は角兎や角狼と言った動物に毛が生えた程度のものが大半なのだ。
「……ふうっ、寝るか」
疲労を感じ、ベッドに横になる。身体、と言うよりも精神的なものだろう。
キャラを演じるのはすっかり板についているから、人前では王子様の仮面を崩さずにいられた。が、何と言っても初めて一人で魔物と戦ったのだ。
学園では女王クラスの魔法使いは一人で戦略級の戦力を有すると教えられる。女王にははるかに及ばないながら上位の魔法使いであるローズも並みの魔物など束になっても敵わない、言うなれば“戦術級”の戦力に相当する。
結果を見れば事実その通りなのだろうが、思い返すとあの巨大なトカゲ相手によくも大立ち回りを演じられたものだ。
前回は相手が並みどころではない魔物だったとはいえ、主人公もヒロイン達も一緒だった。だからこんなところで自分達が負けるはずはないと確信出来た。しかし今回は本当に一人。いくら格下と言ったところで、リザードマンの投げた石槍が胸を貫けば否応なく人は死ぬ。
「……うぅん」
確かな疲労は感じるのに体も心も変に興奮して眠りを寄せ付けない、そんな悶々とした時間を送っていると―――
「…………あの、ローズ様。まだお目覚めでいらっしゃいますでしょうか?」
控えめなノック音の後、やはり控えめな声でドアの外から尋ねられた。
グレース嬢だ。知り合ったばかりだが、それが彼女らしくない振る舞いなのは何となく分かる。
訝しく思いつつも、ローズは身を起こし返答する。
「ああ、起きてるよ。どうぞ、入っておいで」
「…………失礼します」
「―――えっろ」
「はっ、はい? な、なんでしょうか?」
「いや、何でもないよ」
思わず声に出ていた。
いわゆるネグリジェというやつで、この世界の寝巻としては一般的と言っても良いものだ。が、スッケスケである。
彼女の貴族趣味の最終産物がこれかと思えば、どうもそういうわけでもないらしい。当人も赤い顔でもじもじとドアの前に立ちすくんでいる。
「と、とりあえず、そんなところへ立ってないで、こっちへおいで」
「は、はひっ」
グレースはベッドサイドまでしずしずと足を進める。合わせてこちらもベッドから出ると、びくっと身体を震わせた。
“何もする気はないよ”と両手を開いて見せながら問い掛ける。
「何かあったのかい? 君のような淑女が他人の寝室を訪ねるには、少し遅い時間に思えるけど」
「そ、その、助けて頂いたお礼に伺いました」
「お礼って、もう十分に感謝の言葉は頂いているよ。夕食も御馳走になったし」
「じ、自分から夜分に寝室を訪ねてくるような、そんなはしたない女はお嫌いと言うことでしょうか?」
「うん? えっと、ちょっとからかっちゃったけど、女同士なんだし、そこは別に気にしなくても」
「で、でしたらっ。わ、私がお嫌いでないのでしたらっ、ど、どどどっ、どうぞっ」
グレースはぎゅっと目をつぶり、胸の前で手を組んだ。
「あっ、そういう。……くっ、あはははっ」
「ど、どうしましたのっ、ローズ様?」
「ははははっ、もうっ、僕が助けたお礼に身体を差し出せだなんて言うと思ったの? ははっ、それは心外だなぁ」
「い、いえっ、ローズ様がそのようなご無体なことをなさるとは思っておりませんわ。でも、女性がお好きな方だとお聞きしておりましたので、少しでも感謝の気持ちを伝えられればと。―――そ、それにそのっ、ローズ様がお相手なら私っ、や、やぶさかではありませんものっ」
「そ、そうなんだ」
命の恩人とは言え、たった半日でずいぶんと気に入られたものだ。
まあ元々の憧れと、グレースの貴族趣味とローズの王子様キャラの親和性を考えれば不思議はないのかもしれないが。
「でもグレース、もっと自分を大切にしないと駄目だよ」
「ロ、ローズ様のお相手をするのが、自分を大切にしないことだとは私思いませんわっ」
「それは光栄だけど。でも、そういうのは大切な人に取って置いた方が良い」
「で、ですからっ、だからこそっ、ローズ様にっ」
赤い顔をさらに紅潮させて言う。
―――あれ、これひょっとしてガチなやつじゃない?
“グレースはローズさんと一緒で―――”。先刻アンリが口にしかけた台詞が思い起こされた。もしや、“一緒で”の後に続くのは“女の子が好き”か。
「…………ちゃんと説明したはずなんだけどなぁ」
ローズが好きなのは“男女問わず可愛い子”だとアンリにはすでに伝えたはずなのだが、いまだに女の子好きだと思われているのなら大問題だ。すなわち“自分はローズの恋愛対象外”とアンリに誤解されていることになる。―――常日頃の言動を省みれば、そう思われても仕方ないのだが。
「ローズ様? 何か?」
「ああ。いや、何でもないよ」
とは言え、まずは目の前の問題だ。こちらはこちらで大問題である。
「……ふ、ふふっ、良いのかい? 君のような女性にそんなことを言われると、僕もその気になってしまうよ?」
身を寄せて、耳元で囁いた。
「え、ええっ、私はとっくにその気ですわ」
「ほ、ほんとのほんとに良いのかい?」
「ええっ、覚悟は出来ておりますわ」
グレースは“あなたに全てを委ねます”と、ぎゅっと目をつぶった。
長い睫毛がフルフルと揺れ、胸の前で組んだ手はプルプルとふるえる。文句なしに可愛いのだが。
―――これは困ったな。
据え膳食わぬは男の恥と言うが、本命の幼馴染に手を出すなどどう考えても悪手だ。と言うかそもそも、色男ぶっては見ても童貞であり処女でもあるローズだ。こんな状況で何をどうすればいいものやら。
「…………ひうっ!?」
「―――っ!」
おっかなびっくり軽く腕に触れるとグレースはビクッとひきつけを起こし、漏らした吐息が掛かるとブルブルっと身を震わせる。そしてその都度ローズの方も弾かれたように腕を引っ込め、息を呑む。
膠着状態はやがて―――
「……きゅう」
「きゅう? ―――っと。グレース? 大丈夫?」
ふらりと身体を揺らしたかと思えば、胸元に倒れ込んで来た彼女を抱き止めた。
顔を覗くと、もはや赤と言うよりも赤黒くなるほど頬を上気させたグレースは、―――目を回していた。
焦らし過ぎたか。いや、ローズとしては焦らしているつもりなどなかったのだが。
「何にせよ、助かった。―――よっと」
お姫様抱っこで抱え上げ、ベッドに寝かし付けようとして―――、何となく面倒臭い展開になりそうな予感がして廊下へ出た。
「……さて、彼女の寝室はどこだろうか?」
「―――こちらです」
「っ!?」
声に目を向けると、廊下の暗がりに代官がたたずんでいた。
「どうやら娘がご迷惑をお掛けしてしまったようですね、ローズ様」
「……えっと、もしかしてけしかけました?」
「けしかけるだなんて。母はどんな恋であっても応援すると、そう背中を押しただけですわ」
伯爵家令嬢との繋がりは男爵家末席のグレースや代官にとっては得難いものだ。なかなか食えない女性である。
「そんなことしなくたって、何かあれば僕はグレースの味方をしますよ。まったく、夜這いに娘を送り出す親がどこにいますか。…………そういえば、グレースのお父様は? 晩餐にもお姿を見せませんでしたが」
男親ならさすがに娘の恋心や貞操を利用しようとはすまい。
「ふふっ、その子は“国父様の忘れ形見”と言うやつでしてね」
「それは、……お若い頃はずいぶんお遊びに?」
「あら、私は今でもまだまだ現役のつもりですわよ?」
「これは失礼を」
“国父様の忘れ形見”。
初代女王ヴィルヘルミナ・ファリアスの死後、“私は国父様に一夜を捧げ、この子はその時に授かった国父様のお子です”と主張する女性が後を絶たなかった。多くの女性と浮き名を流した国父様ではあるが百合ックスで子供は出来ない。当然一笑に付されることとなるのだが、この逸話を元に作られた言葉が“国父様の忘れ形見”である。
要するに父親不詳の子供を指す雅で婉曲な表現と言うわけだ。
ファリアス魔導王国は女権社会であるから、上流階級の中には存外この“国父様の忘れ形見”が多かったりする。身近な一例を上げるならトリアなどまさにそれだ。さすがに王女相手に口にする者はいないが。
「ふふふっ、娘の寝室へご案内しますわ」
何にせよ、代官に従いグレースを寝室まで運び入れ、客室へ戻った。
「……ちょっと惜しいことをしたのかな」
瞼の裏に焼き付いた艶姿に、先刻までとは別の興奮で寝付けないローズであった。




