第210話 王子様系TS少女は真の魔王と対峙する
「アンリ、もういいよっ、そこでストップ!」
「―――っ、はい!」
アンリの指先から放たれていた光線が収まると、視界の先で魔王がどさっと膝をついて倒れた。
「“探れ”」
皆が固唾を呑んで見守る中、ローズは探知魔法を発動させる。
「…………うん、魔王の魔力はもうすっかり空だね」
「それってつまり―――」
「ああ、僕らの勝ちだ」
わっと歓声が上がった。
「いやぁ、もう一波乱くらいあるかと思ったけど、案外すんなり終わったわねっ!」
「何言ってるの、トリア。十分波乱はあったのっ!」
「ええ、ありましたね。まさか土壇場で光魔法に対する対抗手段を獲得するだなんて」
「あれにはさすがにもう駄目かと思いました。ローズ様の適切な指示が無ければ、今頃どうなっていたことか」
「あれってどういった原理だったんでしょうっ、テレーズ先生?」
「う~ん、もしかしたらあれが失われたとされる闇魔法属性なのかしら?」
「闇魔法っ、あれが?」
「あくまで可能性の話よ、私にも分からないわ」
魔王は追いつめられる度に新たな能力を覚醒させローズ達に抗った。―――いや、正確には新たな能力なのではなく、当人も把握していなかった生来の能力なのだろうが。
最後には魔力の腕をうっすらと黒く変色させ、光魔法に対する耐性を宿すにまで至った。完全な耐性ではなくせいぜい抵抗性と言った程度だったから何とか押し切ることが出来たが、もし最初からその力を発揮されていれば追い詰められたのはこちらだったろう。自身の能力も把握していない魔王の未熟さに助けられた形だ。
その魔王はと言うと、大穴の底で倒れ込んだままぴくりとも動かない。トリアではないが、皆でボコって終わりと言うのは魔王とのラストバトルの結末としては少々拍子抜けだが、ゲームではない現実はこんなものか。
「……とりあえず、魔王をこっちへ運び出そうか」
「あ、手伝います、ローズさん」
蟻地獄の中にアンリと二人で踏み込んで、魔王の長い足を一本ずつ小脇に抱えてずりずりと引きずって歩く。
ひどい扱いだが、他に手を貸そうと言う者もいないし仕方がない。拉致監禁宣言はさすがにきつい。
「うっへえ、これってどういう状態なわけ?」
地上に運び出した魔王の姿を見て、トリアが例によってはしたない声を漏らした。魔王の胸元には光魔法で受けた傷があって、やはり例によって赤紫の剥き出しの肉がびくびくと脈動している。
「魔力切れで意識を失っている状態だね」
「じゃあじゃあ、そのうち魔力が回復して目覚めるってことよね?」
「そうなるね。でも常時発動の回復魔法に自動的に魔力が使われるから、 まずは傷が癒えてからだね」
「こうなってしまうと、回復魔法の常時発動というのも良い面ばかりではありませんね。こうやって意識もなく無防備な姿を晒し続けることになるのですから」
この状況を作り上げた策士が話をまとめた。
実際、今の魔王は魔力の鎧もなく生身の身体であるから、光魔法を使うまでもなくローズ達の魔法でも十分に痛手を負わせることが出来る。いや、魔法を使うまでもなく剣や槍での攻撃も十分に有効だ。もしアンリへの制止が遅れていれば跡形もなく消し飛んでいただろう。
魔族領での孤独な十七年間には今も同情を禁じ得ないので、そんなことにならずに済んでローズはほっと胸を撫で下ろすのだった。
「……さてと、それで結局どうしましょうか、彼?」
魔王の身体を指差し、皆の顔を伺う。
「……どうしたものかしらね?」
言うまでもなく決定権を持つのは女王であるが、その女王も決めかねているご様子。
「ここまでしてしまった以上、もう始末してしまった方が良いのではありませんか?」
「さすがにそれはまずいでしょ。そんなことしたら、もう魔族との戦争再開だよ。それも今度こそどっちかが絶滅するまで終わらないような」
エリカの提案にローズは異を唱える。
同郷人の私情を抜きにしても賛成は出来なかった。二百年も続いた人魔戦争を自分達の手で再開するだなんて、さすがに荷が重過ぎる。
「だからこそ、ここで魔人の片割れを片付けるんじゃないですか」
「…………あ、なるほど。魔人は雌雄一対の生物だから、彼を失えば種として絶滅する以外ないのか」
「ええ、この魔王を討ち取った時点で、最終的な人類の勝利が確定します」
「うわっ、さすがエリカ、考えることエグっ」
魔人さえ絶滅してしまえば、残る魔物は統制も何もないただの強い動物に過ぎない。軍を率い魔法を操る人類の敵ではないだろう。
「―――と、言うのは冗談です。片割れの魔人が残る状況では、魔物の報復が我が国に一手にのし掛かることになりかねませんからね。人類のために祖国を犠牲にするほど私は博愛主義者じゃありませんよ」
「博愛主義者って。散々悪辣なこと言っておいて、そりゃそうでしょうよ」
トリアは本気で引いた表情。エリカはエリカで“王女なのだからそれくらいの気は回しなさい”とたしなめるような目付きだ。
「そうしますと、やはり拘束して“片割れ”との交渉に使うのが一番でしょうか。この魔王陛下のご姉弟であれば、話は通じないにしても一応言葉は通じる相手のようですし」
「でも拘束すると言ったって、大人しく捕まっていてくれるとは思えませんが」
「私達の魔法は口を塞がれてしまえば発動出来ませんが、魔王陛下の術は発声を必要としませんものね。仮に拘束しても―――」
アンリとマーガレット元会長は半崩壊した学び舎に視線をやる。
「だったら定期的に攻撃して、今の状態を維持すれば良いのっ!」
「あ、それは良いですね。今なら光魔法に頼らなくても攻撃が通じるわけですし」
「ええ、その辺りが妥当でしょうか。その間に陛下やお父様に魔人との交渉を進めてもらって」
「う、う~ん、その方法だと魔王陛下の意識はずっと戻らないってことになるけど、飲まず食わずだとさすがに衰弱死とかしちゃうんじゃないかな?」
皆が乗り気になったところで、ローズは再び異を唱えた。
今度は私情込みだ。散々なぶられた末に獄中死はさすがに哀れ過ぎる。
「体調管理に関しては研究所の方からスタッフを派遣させて頂きましょう。経口での摂取が難しいなら、血管から栄養を補給することも可能です。…………ついでに魔人の魔法について、色々と調べられそうですし」
「監視の兵には今回の戦いに参加した者を付けましょうか。それなら意識のない相手にもけっして油断することはないでしょうし、無抵抗な者をいたぶるのに躊躇いもしないでしょう」
大人達も賛同を示す。
ローズ以外からは一切同情的な意見が出ないのは、やはりあの最低な拉致監禁宣言の賜物か。ローズとしてもみんなの安全が最優先だから、命さえ保証されてしまえば強く否定する気にもなれないのだが―――
「―――それくらいにしてやってくれないか?」
声と共にローズ達の前に舞い降りたのは、長身の女だった。
本当にひらりとどこからか舞い降りたと言う感じで、視界の開けた演習場の真ん中にいつの間にかその姿はあった。
「……あなたは、この間の」
「ローズさん、どなたです? 制服を着ていますが、こんな生徒は私の記憶にないのですけれど」
「ああ、僕もちょっと前に一度話しただけなんだけど」
学園長室からの帰り、階段の踊り場で話しかけてきた子だ。一度会っただけだが、アンリを上回る長身に整った美貌はそう簡単に忘れられない。―――そんな子だけに、つい先日まで存在も知らなかったと言うのがいっそう異常なわけだが。
「ああ、まだ姿を変えたままだったわね」
呟いた直後、少女の姿が一変した。同時に目に見えない圧がぶわっと襲ってくる。
「―――っ、まさか、女の魔人っ!?」
紫の肌に白黒反転した目。学園の制服も黒のぴったりとしたドレスへと一瞬で変じた。
少女の容姿はもはや魔王の女性版としか言いようがない。圧―――感じる魔力も魔王とまったくの同等だ。
「ついさっきまで、なんの魔力も感じなかったのにっ。いったいどうやって!?」
「なあに、簡単なことよ。魔力をね、こう、捏ね繰り回してね」
言いながら女の魔王は何もない中空で両手を揉みしだいたかと思えば、その手をクリームでも塗り広げるように自身の腕に這わせた。
すると、その部分だけが紫の肌から人の肌に変化し、再び魔法学園の制服の袖までまとった。さらには発される魔力の圧もいくぶん弱まる。
「……魔力を、人に擬態させた魔力の鎧で押さえつけたということかしら?」
「うむ、弟はろくに魔力の使い方を学ぼうとしない未熟者ゆえこんな真似は出来ぬが、な。我ら魔人の能力をもってすればこの程度は容易いことよ」
ルイーズの言葉を女魔王は肯定する。
「ふふっ、実は私、それなりに頻繁にこの国にも訪れているのよっ。特にこの王都には何度も。さすがに学園にまで侵入したのは君に声を掛けた時が初めてだけどねっ、ローズ・ド・ボーモン。あ、軍事侵攻とかじゃなくただの観光だから見逃してくれるわよねっ、女王陛下っ?」
女魔王は口調を変えて普通の―――多少演技臭いが―――年頃の娘らしい人懐っこい話し方をした。踊り場で話し掛けられた時と同じ口調だ。擬態してこの国を訪れるうちに学んだ言動と言うことだろうか。
「さて、では改めて名乗らせてもらいましょうか。私はその子の姉であり、妃であり、もう一人の魔王よ」
そう、彼女もまた魔王。
それも足元に倒れている男魔王とは違い、魔王の能力を理解し行使可能な本物の魔王。かつて国父様さえも討伐を諦めたと言う正真正銘の魔物の霊長を前にして、ローズの口から洩れたのは―――。
「…………なんだよ、普通に可愛いじゃないか。同情して損したわぁ」
そんな感想だった。




