第168話 王子様系TS少女は再び婚前お泊り旅行に繰り出す その5
「―――っ!?」
「アンリ、もう寝てしまいましたか?」
ノックと問い掛けがもう一度繰り返された。
「い、院長先生? な、何か御用でしょうか?」
「いえ、少し話せないかと思いまして。―――入りますよ」
「はっ、はいっ」
「…………おや、もう寝るところでしたか」
「え、ええっ、まあっ」
―――か、間一髪。
二人して寝台に潜り込むのが間に合った。アンリは布団から頭だけだし、ローズはそのアンリの胸から下に引っ付くようにして全身を布団の中へ隠した。
すなわちラブコメの修学旅行編とかでよく見るあのシチュエーションだ。いや、修学旅行と違ってわざわざ隠れる必要まであったのかと言う気もするが、さすがはギャルゲーの主人公アンリ、持っている。
「そ、それで、お話というのは?」
「昼は誕生会の準備があってあまり落ち着いて会話も出来ませんでしたからね。もうすこし近況でも聞かせて頂こうかと思ったのですが。もう寝るのでしたら、明日にしましょうか?」
「い、いえっ、大丈夫です」
“では明日で”と答えればそれで話は終わるところだが、罪悪感が勝ったかアンリが承諾してしまう。―――それにしてもこのお布団良い匂いする。いや、布団じゃなくアンリ本人の匂いか、これ?
「え~と、……か、身体を起こしますね」
わざわざ宣告すると、アンリはもったいぶるようにゆっくりと上体を起こす。―――要するに今の発言は院長先生にではなくローズに対しての合図と言うことだろう。アンリの動きに合わせて、布団の中でもぞもぞと腰の辺りまで移動する。
「学園生活はどうですか?」
「えっと、毎日楽しく過ごせています。魔法の勉強も、思ったよりもずっと面白くて。そうだ、この前授業でやった魔法戦で、初めて一対一でエリカさんに勝ったんですよ。あ、エリカさんって言うのは、入学以来ずっと学年首席で、先日生徒会長にもなったすごい子なんですけど」
「以前にローズさんと一緒に孤児院へ来てくださった方ですね、覚えておりますよ。確か宰相閣下の娘さんでしたか」
「ええ。今までも引き分けになることはあったんですけど、ちゃんと勝てたのは初めてで。ローズさんはもちろん、テレーズ先輩やジャンヌさんからも色々とアドバイスを貰って、それでようやく一勝出来て。エリカさん、ずいぶん悔しがってたなぁ」
光魔法を抜きにしても、すでにアンリの魔法戦の実力はエリカとそこまで大きな差はない。実際、唯一エリカに勝ち越しているテレーズからも何度か勝利を収めているくらいなのだ。
しかしエリカは形勢不利となると得意の土魔法で築いた城壁に籠って授業時間が過ぎるのを待つという、必勝ならぬ必引き分けの黄金パターンを有している。だから実力以上に一勝が遠かったのだ。
「楽しんでいるようで何よりです。授業の方は順調として、普段の生活の方はどうですか? 幸い、良い友人には恵まれたようですが」
「そうですね、ローズさんが色々と手伝ってくれるようになって、すっごく助けられてます。……その、学園でのおトイレとか。それに今日もジル達に見せるために、わざわざ騎士学園の制服を用意してくれたんですよ」
「ああ、あれはそういうことでしたか。本当に良いご友人のようですね。少々奇抜な方とお見受けしましたから、アンリとはあまり合わないんじゃないかと、少し心配していたのですが」
「そんなことはありませんっ! ローズさんと僕はとっても気が合うんですよっ。ビルファンなのも一緒だし、魔法や戦い方の相性だって良いし、ジル達のことも大事にしてくれるしっ」
「そ、そうなのですね。ふふっ、貴方がそんな風に声を大にするのを見たのは、いつ以来でしょうか?」
「すっ、すいません」
「良いのですよ。ふふ、本当に仲良くさせて頂いているのですね」
「はいっ」
アンリが即答する。
嬉しいが、言葉だけでなく身体まで前のめりになるものだから、ローズの頭が布団から出てしまいそうだ。もぞっと、もう少し下へと移動する。
「―――ひゃんっ!」
「ど、どうかしましたか、アンリ?」
「なっ、なんでもありません。……くぅっ」
言いつつ、アンリの身体はぴくぴくと小刻みにふるえる。
―――あれ、これ、ひょっとしてまずいところに顔うずめちゃってる?
「本当に大丈夫ですか、アンリ? 顔色がずいぶんと赤いようですが。風邪でも引きましたか?」
院長先生が熱でも見ようとしたのか、布団越しに人が動く気配を感じた。
「い、いえっ、本当になんでもありませんからっ、大丈夫ですっ。そ、それにもし本当に風邪なら、院長先生にうつしちゃったらそれこそ大変です。み、みんなに広まっちゃうかもしれませんからっ。僕なら平気なので、は、離れていてください」
「……確かに小さい子もいますから、気を付けた方が良いですね。ふふっ、アンリは相変わらずしっかりしておりますね」
「え、ええっ、僕はみんなのお兄ちゃんですから」
「そうでしたね。貴方には本当に助けられています。…………そう言えば、先程名前が出ませんでしたが、前にヴィクトリア殿下もご一緒に孤児院へいらっしゃいましたね。殿下とは今でも親しいのですか?」
「はい。クラスは違いますけど、今は生徒会で一緒ですし、王宮にもよく伺わせて頂いています」
「そうですか。そうすると、陛下ともよくお会いになるのですか?」
「陛下ですか? そうですね、王宮でたまにご挨拶させて頂いたり、学園でもそれなりに。あ、ボーモン領でお会いした時には、すごく親切にして頂きました。朝食では、ご自分のテーブルに招いて下さって」
「あの陛下が親切に」
「あ、もしかして院長先生も陛下のこと、怖い人だって思ってますか? ローズさんや実の娘のトリアさんまでそう言いますけど、そんなことぜんぜんなくって、とってもお優しい方なんですよ」
「お優しい方。……陛下がお優しい方ですか」
「……院長先生? どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません」
布団越しに何やらけっこう意味深長な会話が交わされているような気もするが、右耳から入った言葉が脳をスルーして左耳からそのまま抜けていく。
男の身体も女の身体も経験したローズだから、汗臭さともちょっと違う男性特有の臭いと言うものがあることは理解している。しかしなんだろう、この男の娘臭は。フローラルでかぐわしく、優しい香りなのに鼻を抜けて脳天までガツンと痺れさせる。吸い過ぎれば中毒にでもなりそうな甘く危険な香り。ここは過剰摂取は控えるべきだろうが―――
「―――ぅんんっっ」
「だ、大丈夫ですか、アンリ?」
「は、はいぃ」
ほとんど無意識に鼻先をぐりぐりと押し付けていた。
アンリの身体がもう一度びくっと跳ねる。―――ごめん、アンリ。信じてもらえないかもしれないけど、決してわざとじゃないんだ。言うなればそう、ついなんだ、つい。
院長先生はさらに二、三の質問をし―――食事はちゃんと取っているか、などの家族らしい問いだ―――、席を立った。
「それではアンリも疲れているようですので、この辺りで失礼しますね。お休みなさい、アンリ」
「はい、お休みなさい、院長先生」
人の気配が寝台から遠ざかっていく。―――よかった、何とか乗り切ったか。
「―――ああ、そうだ。お休みになるなら用意した客室でお願いしますよ、ローズさん」
そんな声の後に、ぱたりとドアが閉まる音が聞こえた。
「……き、気付かれてた?」
ローズは恐る恐る布団をめくり、顔を覗かせた。
「み、みたいですね」
「はあっ、院長先生も案外お人が悪い」
「ちょっ、ちょっとローズさんっ」
お目こぼし頂いたらしい。ローズはほっと安堵の吐息を漏らしつつ、どさくさ紛れにぎゅうっとアンリにしがみつく。
改めて、かなり際どい。と言うよりそのままズバリなポジションだ。
さすがにこの絵面を見られていたら、院長先生も釘を刺すくらいでおさめてはくれなかっただろう。隠れていると言うよりも、そういうシチュエーションすら利用した特殊プレイを疑われてもちょっと言い訳が出来ない。危ないところだった。
―――いや、これはむしろ好機を逃したってことか?
いっそ露見していれば、なんせ聖心教の司教を務めたほどの聖職者である。“責任を取って息子とご結婚を”と言う展開もあり得たんじゃなかろうか。
「だ、だからローズさんっ、おっ、お願いっ、離れてぇっ」
思い悩むローズの頭上で、アンリが身悶えた。




