第1話「アクアマリン」
アクアマリン
「水没世界」
答えなんて、何処にもなかった。
僕らはいつだって迷子で、ただ道しるべだけを探していた。
†
何処までも続く空の色を、
鏡みたいな水面が今日も映し出して、
そのすべてを閉じ込めている。
記憶のない僕の意識さえ呑み込むように、
何もかもがその透明に沈んでいる。
見渡す限りの、透明。
降り注ぐ光と、水と、そして僕。
すべてが沈んだ世界。
水面から所々に突き出している建物の一画はまるで氷山のようで、
この場所こそがきっと、世界の果て。
そんな中に、僕は、ひとり、今、こうして此処にいる。
不思議と、恐怖なんて感じなかった。
ただ純粋に、キレイだと感じていた。
すべてを失くした、この美しい世界を、僕は、心から愛していた。
†
瞼を閉じて、耳を塞ぐ――。
自分の呼吸の音だけを、風が運んでいく。
耳を塞いで聞こえる声だけが、僕にとっての小さな本当で、
この広すぎる空の彼方まで、それは繋がっているような気がした。
足先で水面に触れると、まるで音楽を奏でるかのように、波紋が広がっていく。
冷たい水の中に、僕の感情をほんの少しだけ浮かべて、
それが溶けていく様を、ただゆうらりと眺める。
心というものが、本当にあるのなら、
今ここに在るものすべてが、僕の心だ。すべてが、僕の色。
ゆらめきの中に取り残された、僕というユメ。
ここに沈んでいるのは、
きっとすべてが、もともと色の無かったもの。
気が遠くなるほどに、無機質で、不透明だったもの。
まだ空は高い。
降り注ぐ光は、まだ充分に暖かい。
僕は深く息を吸い込むと、
水の中に飛び込んだ。
――青い、迷宮。
眩暈にも似た光と水の揺らぎが、心地よく全身に浸透していく。
世界と僕のすべてが、ひとつに溶け合っていく感覚。
視界を開けば、
滑らかで美しい、コンクリートの城壁。
いつか夢に見た、人魚の世界を泳いでいく。
誰もいない、不思議の国。
忘却の世界で置き去りにされた、大切だったものを探してはみるけれど、
確かなものは何ひとつ、見つけることなんてできないまま。
きっと忘れてしまっただけの願いさえ、もう僕には必要もないものなのだろう。
冷たい、冷たい、水の中で。
流れ込んでくるのは、
誰かの記憶―?
僕のユメ―?
脳裏に浮かぶ様々を、組み立ててはみるけれど、
証明なんて出来ないまま、すべては水面のゆらめきに溶けていく――。
空想もそろそろ途切れそうだ。
祈るように目を閉じて、
遠くに歪むあの境界に、手を伸ばしてはみるけれど、
結局は何も掴めないまま、意識が遠のいていくだけで。
自身から零れる泡だけが、
混じり気のない、存在の証明。
これもまだ、何かの途中――?
忘れ物はいつまでも、触れられない箱の中。
夜になれば、宇宙の声を聴く。
雨が降れば、星屑の涙を聴く。
黄昏の中に、期限付きの、明日を探す。
月と僕だけが生きる世界で、
壊れた世界を唄いながら、
僕はひとり、今日も眠る――。