5話「彼女が着飾った日」
メルサルバに言われたとおり進んでたどり着いたのは、少し人が少なくなった場所にあるような古着屋だった。綺麗な都会の店、というよりは少し田舎にあるような古ぼけたような佇まい。なるほど、確かにこういう雰囲気はこの街には少し合わないかもしれない。
頼りなく軋む音とともに店内に入る俺たちを迎えたのは、快活とした声だった。
「いらっしゃいませっ!」
少し似合わないからか、不意打ちを受けたような気分だった。シロナも俺の背に隠れる。
店の場所、そして石造りということもあって少し薄暗い雰囲気。そんな中明るく笑うその女の店員は、若いとはいえなんとなく違和感がある。そんな思考が顔に出ていたのか、彼女は苦笑いをしながら「いらっしゃいませ」と抑え気味に言い直した。
「あ、えっと、ここって古着屋でよかったか?」
「はい、そうですよ。ようこそいらっしゃいました」
そう言って彼女は人当たりの良さそうな笑みを浮かべる。やけに安心するのは、さっきおかしな人物にあったからだろうか。シロナもすこしだが俺の背から顔を出した。
「何かお探しですか?」
「ああ、こいつの服を見繕って欲しいんだけど」
「あっ……」
すこし強引にシロナの背を押して前に出した。やけに軽いシロナは簡単に俺の背から姿をあらわす。そのままシロナのフードを脱がし、露わになる白髪と赤目。突然だったからかシロナの小さな肩が震え、自身の左目の眼帯に触れる。でも知ったことかと、俺は店員に視線を向けた。
確かにここは差別がないとメルサルバに言われた店だ。だが初対面のあいつをどうして信用できようか。
言ってしまえば、これは確認だ。今立っているのは店の入り口。他に人の気配はない。いざとなったら逃げられる。
シロナを見て、店員の瞳がわずかに揺れる。しかし、かと思えばまた先ほどのような笑みを貼り付けた。
「わかりました。目一杯、かわいくしますね!」
「いや、別に可愛くする必要は――」
「では少々お待ちください!」
彼女は俺たちに背を向け、店の奥へと歩き出す。嵐のような彼女にあっけにとられながら、その背を見て思わず胸をなでおろした。どうやら大丈夫そうだ。とてもじゃないが、裏表のある人間には見えない。
「ほら、シロナ。行ってこい」
「え……」
「お前の服だ。古着屋だからそこまで高くはならないと思うし。あの店員さんについてって一緒に選んでこい」
しかしシロナは動こうとしない。俺の袖を相変わらず掴んだまま、すこし俯いて。
どうやらシロナは、クロナと同じ顔をしておいて知らない人が怖いらしい。つい漏れ出したため息は思ったよりも荒い。怯えるように彼女の体が震え、顔を上げる。
「……ユルトも一緒に――」
「ほら、行ってこい」
彼女の小さな声を遮って、背中を押した。もともと自分からはあまり主張しないシロナだ。もうそれ以上何も言わず、不安げながらも店員の方に向かって歩き出す。俺はその余計に小さく見えるその背中を見ながら、また一つため息をついた。
「冷たいですね」
一人になった俺に声をかけたのは、やはりクロナだ。
「一緒に選んであげればよかったんじゃないですか?」
「俺には無理だって」
「まあ確かに最近出てきた田舎者ですからねー。ユルトのセンスは期待できなさそうです」
「田舎者はお前もだろうが」
そうでしたねとクロナはカラカラ笑う。なんて言ってみたが、こんなこともクロナならそつなくこなして見せそうだから怖い。まあ正直、今のクロナに服が必要とも思えないが。
「それに」とクロナは続けた。
「仲良くなるチャンスだったのに」
「仲良くなる必要もないだろ」
「もったいないですねー。あんなにかわいいじゃないですか」
それは自画自賛か、と。そう言いそうになって口を閉じた。そして軽く自己嫌悪。行き場をなくした言葉は俺の中でくすぶって、重く息をはく。
クロナの口から軽やかな笑みが漏れだした。すべてを見透かしたような瞳から逃げるように俺はシロナに視線を向ける。
ちゃんと店員と会話はできているらしい。あれを会話といっていいか微妙なものだが。店員から次々服を渡され、着せ替え人形にされているようにも見えた。
「わたしとシロナは同じじゃありませんよ」
「――っ」
心臓を直接つかまれたような感覚。いつもと同じ調子だというのに首をすくめそうになるのを何とかこらえる。
「……どうしたんだ、急に」
「気づいてないとでも思いました? まったく、私を誰だと思ってるんだか」
呆れたような視線。それを受けて、俺は隠すことをあきらめた。
昔からそうだ。俺がこっそりいたずらを仕掛けた時も、彼女が珍しく大切にしていた人形を俺がなくしたときも、彼女は当たり前のように見破ってくる。基本的に俺は彼女に隠し事ができないのだ。
「しょうがないだろ、あんなに似てるんだから」
しぶしぶ言葉にしたそれは、思っていたよりもずっと滑らかに口から飛び出した。
「そりゃそうです。とはいえ、ですよ。仲良くしないと。これからどれだけ一緒にいるかわからないんですから。感情に任せてずっとそうしているつもりですか? やめてくださいよそんなの。子供じゃないんですから」
「……お前、なんか厳しくないか?」
「気のせいですよ」
わかってるんだそれくらい。
星狩りに保護された人は、隅々まで検査した後――今思えば星喰いの子かどうか確かめるためのものだった――、大抵次に訪れた街で衛兵に引き渡すことになっている。しかし今回、ミズキとファウロさんがそれを反対した。おそらくシロナが星喰いの子と似ているゆえに、衛兵に殺されかねないからだ。きっとそうなったときシロナは星喰いの子じゃなかったと主張しても、その衛兵は罪に問われない。それほど星噛みというのは国に嫌われている。だからこそ、シロナは身元がはっきりするか、信用できる機関に預けるまで一緒に行動することになるはずだ。
仲良くしたほうがいいに決まってる。でもそう簡単に飲み込めることでもない。
クロナは俺の憧れだった。顔が同じで、しかし弱々しい彼女がクロナを汚しているような気がして。全て俺の独りよがりってことはわかっているけど。
ほら、とクロナがシロナに視線を向けた。ちょうど店員さんがこちらに向かって来ているところだ。シロナの姿が見えない。店員の後ろに隠れでもしているのだろうか。
「仲良く、ですよ」
一言だけ告げて、クロナは俺から距離を取る。
湿ったため息を一つ。
「お待たせしました!」
俺の元に来た店員はこころなし先ほどよりも上機嫌だった。
「あー……えっと、終わったのか?」
「はい! かわいくなりましたよ!」
自分の表情が複雑になっているのを感じた。
仲良くっていったって、どうすればいいんだ。クロナの言葉からして、彼女はシロナの服に対する反応も仲良くなるチャンスとか思ってるみたいだが。
「ほら、シロナちゃん」
どうやらシロナは自分の名前まで教えたらしい。シロナがためらっているのか悶着した後、恐る恐るといった様子でシロナは姿を現した。
「おお……」
その声が耳に届いてから、それは自分の声だと気が付いた。
シロナが身にまとっているのは、白を基調とした、上衣とスカートが分かれたツーピースだった。今まで着ていたものがものだったからか、やけに輝いて見える。本人の華奢さもあって、まさに人形のようだった。
「……どう……?」
スカートのすそを不安げにつかみながらシロナは上目遣いで俺を見てくる。クロナは絶対に浮かべない表情。なんとなく言葉に詰まった。
悪いということはない。むしろいいとさえ思う。そのまま口にすればいいんだろうが、先のクロナの言葉が脳裏をよぎって、余計に意識してしまっていた。
痛い沈黙。次いでシロナの表情がかすかに歪む。
「だめ、だった……?」
「い、いや、そんなことない」
「かわいい、ですよね?」
念を押すように店員が問いかけてくる。なんだこの人。こんなにぐいぐい来る人だったのか。
かわいい、確かにかわいいとは思う。が、それを口にできるかといえばまた別問題で。しかし不安げなシロナを見ていると罪悪感と責めるような店員の視線がジクジク刺さるのもまた事実。結果俺が折れるのも時間の問題だった。
「ああ、かわいい、かわいいよ!」
投げやり気味にそういえば、店員が笑顔になった。反してシロナの反応は小さい。さらに俯いたかと思えば、蚊の鳴くような声で、
「……ありがとう」
と。
シロナは俺に背を向けた。そしてまた奥に向かって歩き出す。店員もそれに続いて。その背中はなんだか楽しそうだった。
なんだか無駄に疲れた気だする。大きく息を吐き出し、ふと気が付いた。
「クロナ?」
クロナが俺を見つめていた。
「まあたしかに私は仲良くしろとは言いましたけど……」
「なんかダメだったか?」
「いいえ? ダメなことないです満点ですよー」
という割には面白くなさそうな顔だ。訝しむような視線を向けても、自覚をしていないのかその表情を崩さない。かと思えば「あ、そうですね」と何か思いついたかのように手を鳴らし、クルリと一回転。
その瞬間、彼女の纏う衣服が変わっていた。
「――!?」
「ほら、ほら。どうですかー?」
「いやいや、お前それ、どうなってるんだ……?」
「私は言ってしまえば存在しないんだから、私に関することなら多分なんでもできますよ?」
衣服はもちろん、やろうと思えば年齢や髪型、背丈も変えれるんじゃないですかねとクロナは続けた。
「そんなことよりこの服、どうです?」
クロナはいつもの笑みを浮かべながら、スカートを掴んでまた一回転。
ぱっと見、シロナが着ていたものと似ている。しかしシロナのものが白を基調としていたのに対し、クロナのそれは全体的に黒っぽい。
もともとクロナは顔立ちは整っているほうだ。だから答えは決まっているが、やはり口にするのは気恥ずかしい。チラチラと視線を外したり口ごもっていると、クロナは一気に距離を詰めてくる。
「どうです? かわいいですか?」
視界いっぱいに広がるクロナの顔。正直ここまで近づくと着ているものなんて関係ないような気がするが、大きく俺の胸は跳ねて。
「……かわいいって」
その言葉が急かされたみたいに口から飛び出した。
クロナは満足そうに笑うと俺から距離を取る。俺の鼓動はいまだ早いままだ。
「あ、そうそう、お会計なんですけど――どうしました?」
「い、いや、なんでもない。会計、会計だな。今行く」
またこちらにやってきた店員の後を追う。どことなく火照ったような気がした頬を軽くたたく。
その先にシロナはいた。もともと雪みたいに白い彼女の肌だ。少し赤くなっただけでわかりやすい。だが彼女は複雑そうな表情をしながらこちらを見ていた。
なんだろうか。さっきはうれしそうにしていたのに。
首をかしげながら歩くその時、なんとなしに振り返った。示し合わせたかのように、クロナと目が合う。彼女はさらに笑みを深め。
「ありがとうございますね」
俺の眼を見てはっきりと、そう言った。