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2話「彼女を知った日」


「いやー見れば見るほど私に似てますね。私に双子はいなかったはずですけど」


 いかにも興味津々といった調子で、クロナがその少女の周りをうろついていた。少女も何か感じたのか、居心地悪そうに身じろぎをする。


 俺はそんなクロナを傍目に、濡らしたタオルで少女の髪を拭いた。


「それにしても、なかなかの役得じゃないですか。こんないたいけな少女のはだかを拝めるんですから」


 クロナはニヤニヤ笑いながら、そんなことを口にする。

 人聞きの悪いことを言うな。

 そう言いたいのをなんとか飲み込んで、俺は目の前の作業に没頭しようとした。


 何かの虫が鳴く音。森の木の葉は夜風にざわめいて。月明かりの下、サワサワと水の流れる音が耳に心地いい。小川が宝石のように蒼く輝いていた。

 当たり前だ。俺は今森の中にあった川にいるんだから。

 川岸の湿った土に腰掛けているせいで尻は濡れたし、水につかる両足は冷たい。そして目の前にあるのは、小さな背中。その肢体を隠すものは何もない。


 なぜこうなったのか。思い出そうとしてもよくわからなかった。


「はあ……」


 重々しくため息をついても目の前でこちらに背を向けて座る少女は答えてくれない。ただ隣でクロナが楽しそうに笑うだけだ。


  

 少女を助け出しミズキもファウロさんも星噛みを殺した後、当然ながら少女の話になった。星狩りは星噛みを殺すことが最優先だが、もちろん被害者の保護も請け負っている。連れて行くのは当然として、しかしファウロさんがいうには次の街までまだ距離がある。だからとりあえずは黒い血だったり砂だったりと汚れた彼女を綺麗にしようという話になった。

 あたりまえだが助けた少女の性別は女だ。警戒してかなんとなく不服そうだったが、その役割もミズキが受けようとした。


 彼女の後頭部から視線を滑らせる。艶やかなうなじを通って小さな肩へ。そこからのびる腕はその華奢さを裏切らず、簡単に折れてしまいそうだ。そしてその片腕が伸びる先にあるのは、俺の服の裾。


「……なあ、いい加減離してくれないか? ここにはミズキもファウロさんもいないんだからさ」

「…………」

「ずいぶんと好かれてますね」

「はあ……」


 なんとなく、少女が俺の裾を握る力が強くなった気がした。


 これだ。これのせいで俺は今こんなことをしているんだ

 ファウロさんが何を言っても、ミズキがどれだけなだめても、この少女は俺から離れようとしなかった。強くすがるように裾をにぎって、俺の背に隠れて。そのくせ何も話さない。ショックを受けているのかもとだれも強く言えない。「あまりジロジロみないようにね。あと何かあったらすぐに呼びなさい」とミズキに、そして「なにかおかしなものがあったら絶対報告するように頼むよ」とファウロさんが。とくに彼に関してはやけにまじめな顔で念を押された。


 正直、やりづらくてしょうがない。これが普通の少女なら、こんな状態になっていてもなんの違和感を持たなかったかもしれない。でも彼女は少しの違いはあっても、あまりにもクロナに似ているんだ。

 常に冷静で飄々として、俺の憧れだったクロナ。彼女に似た少女が、弱々しく震えている。

 言いようのないもどかしさが気持ち悪かった。


「……よし」


 でも与えられた仕事はちゃんとこなさないといけない。

 憂鬱ながらも水でタオルを濡らして、少女の背中を拭う。汚れや、こべりついた黒い血を拭き取り、その後に乾いた布でもう一度。

 汚れでわからなかったが、改めて見ると綺麗な肌だった。絹のように肌触りはよく、真珠のような肌色で。つつと撫でれば、こそばゆそうに彼女は体をくねらせる。


「――っ」


 だからこそ、俺は顔をしかめる。

 綺麗な肌。でも傷がひどい。

 痛々しい青あざ、そしてできてしばらくたったであろう切り傷。こんな少女の背にあるものにしては明らかに異常だ。それこそ奴隷にできるような傷跡。

 なんとなく、踏み荒らされた雪原を連想した。


 視線を同じく隣で腰を下ろしていたクロナに向ける。水面に足を伸ばしぶらぶらと揺らしているのに水しぶきすら起こらない。

 彼女の体にも、こんな傷があるだろうか。クロナは以前でも俺よりずっと多くの戦闘を経験している。だから俺の知らないところで大きな傷を負っていても不思議じゃない。

 俺の思考が彼女に通じたのか、俺の眼と彼女の大きく黒い右目がパチリと交差する。そして彼女は軽く笑みをこぼした。


「フフ、なんです? そんなに見て」


 彼女を凝視していたことに気が付いて、慌てて視線を少女に戻した。


「わかってます、わかってますよ。ユルトが何を考えてるのか、何を求めているのか」

「……?」

「まったく水臭いですよ。わたしとユルトの仲じゃないですか」


 は? と、俺は思わず首を傾げそうになる。俺が何を考えているのか、何を求めているのか。特に思い当たることもなく、ただ楽しそうに笑うクロナをつい見つめてしまう。

 そこでふと、クロナの雰囲気が変わった。いっそわざとらしいほどに顔を赤らめ、うるんだ上目遣いでこちらを見つめ。どことなくそわそわと落ち着きがない。

 初めて見る彼女に俺もつい「え……?」と、少女のことも忘れ声を漏らす。


「もう……私だからわかるんですからね?」

「え……あ……?」

「ユルトも男の子なんですからそういうことを考えてしまうのもわかりますし」

「は?」

「少し、少しくらいなら――」


 そしてクロナはクスリとすると、自身の服に手をかけ、言った。


「――私、脱いでもいいですよ……?」

「ちがうわ!」


 ほぼ反射的に俺はそう叫んでいた。


「…………?」

「ああ、いや、なんでもない」


 少女は首をかしげながら振り返ろうとしていた。ああそうだ、ここにはこいつもいたんだ。

 この少女からしたら俺は突然叫びだしたおかしな人になるのだろうか。そう考えるとなんだか恥ずかしくなってくる。それにそんなことを考えていたわけじゃないのに。いや、クロナの背中のことを考えていたんだから、そういうことになるのだろうか。

 ふと彼女を見れば案の定というべきか、仮面を脱いだかのように意地の悪い笑みを浮かべていた。


 一つ、息を吐く。結局いつもみたいにクロナにからかわれただけだ。まじめに取り合うのも面倒になって、改めて彼女の髪を拭こうとしたその時、少女の後頭部に布の感触。彼女がしていた眼帯のものだった。


「なあ、眼帯、外してもいいか?」

「――!」


 ピクリと少女の肩が跳ねる。取りたくないのだろうか。


「すこしだけだから、な?」

「……いや、だ」

「っ!」


 俺は思わず息をのむ。

 この少女がちゃんとした言葉を発したのは、これが初めてだった。凛とした、鈴の鳴ったような声。ちょっとした声自体は聞いたことはあるが、やはり似ている。クロナの声と、これ以上ないくらいに似ている。


「……話せたのか。少しの間だけだから」

「ごめん、なさい……」

「はぁ。なんでいやなんだよ」

「わたしの右目、ケガした。グチャグチャ。だから……見せたくない」

「……そうか。なら、いい」


 すこし投げやりに返すと、少女の肩から力が抜ける。よっぽど見られたくなかったらしい。

 クロナと同じ顔をしておいてその押し殺したような弱い声も、リズムのまったく違う会話も。

 ああ、なんだろう、この気持ちは。名前は知らないけど、確実にいい感情じゃない。


「お前、名前は」

「……わからない」

「わからない?」

 

 俺はつい頭を抱えたくなった。しゃべれるのならこの少女について聞く必要がある。どうせ身元をはっきりしないといけないし、こいつがクロナではないとはっきりするから。でも返ってきたのは、まさかの『わからない』。

 嘘には思えなかった。俺に見えるのは彼女の背だけで表情はわからない。でも嘘をつく必要もないし、いつのまにか少女の正面に回っていたクロナも何も言わない。

 でも、だからこそ憂鬱だ。


「出身は?」

「わからない。でも、あっちから来た」


 彼女は右側を指さした。だが俺はろくに見ることもなく、曇った気分を吐き出した。


「じゃあお前は――ああ、不便だな。先に名前を決めようか」

「名前?」

「覚えてないなら決めないと不便だろ? とりあえずの名前だ。なにかないか?」

「…………」


 そのまま少女は黙り込んだ。

 まあいきなり自分の名前を決めろと言われても難しいかもしれない。自分でこういう名前がいいと言い出すようにも見えない。

 でも自分で考えようとしても特に思いつかなかった。そんな俺たちを見かねたのか、クロナも改めて俺の横に腰かけると、「んーそうですねー」なんて零す。

 俺に名前のセンスがあるとも思えない。クロナはなんていうのかと彼女の言葉を待っていた。


「そうですねー、こんなに私と似ているなら――いっそのこと、クロナでいいんじゃないですか?」

「クロナ!!!」


 俺の怒鳴り声に、クロナは珍しく肩を跳ねさせる。彼女の瞳が揺れ、何かを言おうと口を開くが何かに耐えるように閉ざされた。


 いくらクロナでも、これは許せなかった。彼女は思いのほか自分のことには執着しない人間だ。自分はどうせ存在しない。自分と瓜二つの人間がいるのなら、自分の名前でもいい。そう考えても不思議じゃない。

 でもこちらからすればたまったものじゃなかった。

 確かにクロナはあのとき星噛みに飲み込まれた。でも今確かにクロナはいるのだ。俺の横に、たとえ俺にしか見えなくても。俺の憧れであり、心の支えであるクロナは他でもないクロナだけだ。この少女じゃない。誰も代わりにはなれないのだ。だからこそ、そんな気持ちをバカにされたような気がした。

 それにと、少女の華奢な背中に目を向けた。少しの間彼女を見てきたけど、こいつは弱々しすぎる。クロナと容姿は似ていても、中身はまったくちがう。こんな少女がクロナの名を語るだなんて、許せなかった。


「すみませんでした。すこし、軽率でしたね」


 そう言ってクロナは頭を下げる。前髪に隠れてその表情は見えない。

 は、とマヌケな声が漏れそうになる。クロナがこんなにも簡単に頭を下げるなんて、珍しい。体を侵食した激昂が溶け出していくようだった。


「クロナ……クロナ……」


 小さなつぶやき。探るように何度も、目の前の少女が口にしていた。


「名前、クロナがいい」

「な……っ!?」


 背後から剣で刺されたような気分だった。こいつはまさかクロナの声が聞こえてるのか? そう考えて、自分がクロナと叫んだんだったと思い出した。

 でもこのままこいつの名前がクロナになるのはまずい。俺の精神衛生上でも。


「……他のにしないか?」

「これがいい」

「な、なんで」


 知らず知らずのうちに俺の声はひどく強張っていた。しかし少女は気にする様子もなく「んー」と唸ると、


「……しっくりくる、から?」

「――!!」


 ああもう、勘弁してくれ。そう叫びたいのを押し殺して、大きく息をはく。自分の感情を誤魔化すように、乾いた布を手にとって彼女の髪を撫でた。

 お前がその名前を気に入っただけでも勘弁したいのに、その理由が『しっくりくるから』? どれだけ俺の心をかき乱せば気がすむんだ、こいつは。

 大人しくされるがままの少女は何も話さない。俺の返事を待っているのだろうか。しかし俺の口からも言葉は出てこなかった。

 感情が邪魔をして、いいとも言えない。かと言って理由が話せないからダメとも言えない。

 肌に刺さるような沈黙。浅い小川のせせらぎがやけに耳に残る。このまま拭き終わっても気まずいからと、何度も同じ場所をぬぐって。

 その沈黙を破ったのは、隣の彼女だった。


「……まあ、よく考えたらクロナはやっぱりダメですね。私と被ってややこしいですし。それに、私が二人というのもなんだか気に入りません。今や私は、ユルトだけのクロナですからねー」

「っ!」


 そう言って彼女は俺との距離を詰めてくる。突然のことで俺は逃げるように距離を取り、足元の水がパシャと跳ねた。

 確かにクロナの言っていることは間違いじゃないけど、もう少し言い方はないのか。攻めるようにクロナを見ても、やっぱりいつものように笑うだけ。俺の気持ちを軽くしてくれたんだろうけど、なんだか負けた気分だ。

 クロナは俺から視線を外し、「そ、れ、に」と口にしながら少女を見る。


「この子はクロナって感じはしないじゃないですか。こんなに綺麗な白髪なんです。柔らかな肌なんです。どっちかっていうと、シロナって感じですね」

「……シロナ。わかった、私の名前シロナにする」


 ぽそりと少女も口にした。


 シロナ、シロナか。口の中だけで何度か呟いて、うなずいた。思った以上に自分の中でもしっくりきている。


「じゃあお前の名前は今からシロナだ」

「ん、わかった」

「よし、終わり。とりあえず着替えてこい。それからミズキとファウロさんに話をしよう」


 シロナに彼女が着ていた服と、一応タオルを渡し、彼女に背を向ける。シロナは服をほとんど着ていない。

 浅瀬に座っていた時ならともかく、立ってしまえばいろいろ見えてしまうかもしれない。

 背後で水の中を歩く音、それが消えて少しすると、茂みが動く音が聞こえてくる。


「はあ……」


 何度目かわからない、重いため息。体が鉛のようだ。思った以上にクロナに似た少女を前にして、緊張していたらしい。

 確かに違いはある。クロナは白髪ではなく黒髪だ。赤い目ではなく、黒い目をしている。あんな弱々しくはないし、もっと口が回る。眼帯もしていないし、長い前髪の下には無傷の右目がある。

 違いはいくらでもあった。しかし髪色が違っても目の色が違っても、髪の長さは同じくらいだし、目の形は同じだ。顔立ちも鏡に映ったように似ている。

 だからつい考えてしまう。もしかしたら、彼女はクロナなんじゃないかと。もしかしたら、クロナは生きていたんじゃないかと。

 胸がズキリと痛む。あんな風になってしまったクロナを見て、俺は素直に喜べるのだろうか。


「……ん?」


 ふと、やけに静かなことが気にかかった。聞こえるものといえば、やっぱり冷ややかな風くらい。人の気配がしない。俺一人しかここにいないと錯覚しそうになる。

 実際はそうなんだろうが、俺にとっては違う。二人きりになったら嬉々としてからかってくる、小うるさい隣人。


「クロナ?」


 彼女の名を口にしながら、そちらを向いた。そっちはシロナが歩いて行った方向だが、さすがにもう茂みで見えないだろう。そのことについてもからかってきそうなのに、彼女の声は聞こえてこない。

 視線の先、俺の横に彼女はいた。シロナが入っていったたであろう茂みを向き、ブツブツと何かをつぶやく。


「まさか……いや、そんなこと……」

「クロナ?」

「え、あ……」


 肩を叩けば、ゆっくりと振り向いた。彼女はそこにいる、いなくなったわけじゃない。だけどなんだか、様子がおかしい。


「クロナ、大丈夫か?」

「あ……はい、だいじょうぶ、です……」


 目は大きく見開いて、意識ここにあらずといった調子。やっと口にした言葉もぎこちなく、明らかにいつも通りじゃない。


「本当に、大丈夫なのか?」


 まっすぐ見つめ、はっきりと。

 嘘はついて欲しくなかった。もう彼女を失うのは嫌だから。

 途端、彼女は泣きそうな表情を浮かべた。しかしそれは一瞬のこと。次の瞬間には、いつもの笑みを貼り付けてる。しかしそれもやっぱりぎこちない。

 また、隠すのか。最後の夜のように、また一人で抱え込むのか。

 そう口にしようとしたがそれを制するように、クロナは「ねえ、ユルト」と小さく呟いた。


「私は、あなたの味方です」

「……急にどうしたんだ?」

「たとえあなたが全人類の敵になろうとも、悪に落ちようとも、わたしはあなたと共にあります」

「クロナ……?」

「だから――」


「――何があっても、諦めないでくださいね」


 そういって彼女は、泣きそうな笑みを浮かべた。


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