No.031
今回も詩ではなく短編になっております。
青年が、いつも通ってる海岸沿いの道。
途中にある大切な想いが残る防波堤に、いつの頃からかそこで絵を描く、女性の後姿を見かけるようになった。
春、穏やかな日差しのなかで。
夏、輝く海の光りの中で。
秋、夕暮れの紅に染まりながら。
冬、寒風に荒れる海の前で。
季節は巡り、その女性を見かけるようになってから、一年が過ぎた。
最近ではそこに、その女性が居ないと、心がざわめきを覚え始めるようになっていた。
青年はある日、意を決してその女性に近づいて行った。
青年は絵を覗きこみながら、そっと話しかけた。
「綺麗な絵ですね」
声をかけられた女性は、お辞儀をしながら青年のほうに向いた。
「有難うございます」
女性は顔をあげて、青年を見た。
「……あっ!」
と、一声あげた女性は、魅入られたかのように青年の顔を見つめる。
青年はいきなり注視されたことに、戸惑いながら声をかけた。
「どうかしましたか?……私の顔が何か?」
問われた女性は、ただ黙って青年を見続ける。
青年は、女性の目に光るものを見つけて、息を呑んだ。
慌て戸惑う青年の耳に、かすかに漏れた声が聞こえた。
「・・と・・・た・」
耳を済ましながら、聞きなおした。
「どうしたんですか?……」
今度は風に載って、小さい声だけどはっきりと聞こえた。
「やっと、会えた」
二年前、私は愛してた人に裏切られ、無二の親友に裏切られそして、目指していた夢に挫折したのです。
私は全てを無くしたことに、哀しみ・疲れ・傷つき・戸惑う心のまま住んでいた町を出て、当ても無く進んでこの街に着いたのです。
どこをどう歩いて来たのか覚えていないのですが、気が付くと私は、この防波堤の突端の縁に腰をおろしていたんです。
そこで、海を見ながらずっと考えていたのです、全てを終わらすのか、どうかを。
そう悩んでいて幾程の刻がたったのか、日がだいぶ傾き出した頃、風に乗ってヴァイオリンの音色が聴こえてきたのです。
私は、その音色の方にそっと顔を向けました、そこには海に向かいヴァイオリンを奏でる、一人の青年がいました。
私は目を閉じて、風の音とヴァイオリンの音色に包まれながらもう一度想いました、愛した人、親友、夢のことを。
何かが解りかけた時、そっと音色が止みました。
私は、瞳を閉じて曲の余韻に浸ってる、青年の傍に近寄り声をかけました。
「お上手ですね」
青年はゆっくりと瞳を開き、淡く微笑みながら礼を述べました。
「ありがとうございます、拙いものを聞かせてしまいました」
「いえいえ、すごく良かったですよ」
「少しお聞きしていいですか?」
「なんでしょう?」
「どうして、こんな海の前でヴァイオリンを弾いていたのですか?……楽器類に潮風を当てるのは、「よくないと」、聞いたことがあるのですけど?」
青年は、そっと海の方に顔を向け、少し迷ったように一息置き答えた。
「これは儀式なのですよ、今は亡き大切な人のための……」
私はその言葉に、表情に、息を呑みました。
青年が、重たくなった空気を払うように、私に笑顔を向け聞いてきました。
「こちらには旅行で、来られたのですか?」
私は、どう答えるべきか迷ったけど、(誰かに聞いてもらいたい)、と云う気持ちがあったのでポツリポツリと話し初めていました。
全てを聞き終わった青年は、そっと息を吐き、声をかけて来ました。
「そうですか・・・。」
私は、音色に包まれていたときに解りかけた気持ちを、今度はちゃんと解りたいと思いに押され、青年に頼み込みました。
「こんなことを言うのは、おかしいのは解ってますけど、どうしてもお願いします、私のためにヴァイオリンを弾いてもらえないでしょうか」
青年は少し考え込み、そして……答えてくれました。
「ええ、いいですよ。……あなたのために弾きましょう、あなたが前に進める事を願う為に」
私は音色に包まれ、そして光りを見つけることが出来たのです。
そして青年にお礼を述べて、その地を離れ住んでた街に帰りました。
前に進むことが出来た私は、どうしても光りをくれた青年にもう一度会いたくて、そして再び始めることになった場所で暮らしたくなって、この街に移ってきたのです。
青年は、女性が涙を流しながら、ポツリポツリ話すのを聞いて、当時を思い返そうとしていた。
戸惑いながら青年は女性の顔をよく見直して、そして思い出してた。
女性は落ち着いた様子で、また話し始めた。
「この街に移ってきてから、直ぐにここに来たのです、だけどあなたに会うことは出来なかった……だから私はこの場所でずっと、絵を描きながら待ち続けました。あなたと会うこと願って。……そして今日やっと出会うことが出来ました」
話が止まったとき、青年はそっとハンカチを取り出し、女性に手渡した。
女性はハンカチを受け取り涙をぬぐった。
女性は深々と頭を下げ、声を続けた。
「有難うございました。あの日あなたに出会えたことで、私は前に進むことが出来ました、……本当に有難うございました」
「いえいえ、前に進めたのはあなた自身の力ですよ」
青年はそっと答えた。
「少し、訊いてもいいですか?あの日ヴァイオリンを弾くのは儀式だと言ってましたよね、そして毎日弾いていると。……でもここに来だして一年あまりになりますが、今日まで出会うことがありませんでした」
女性は一息置き告げた。
「もう弾くのは止められたのですか?」
青年はその言葉を聞くと、海に顔を向け溜息を吐いた。
「一年二ヶ月ほど前に、夢を見たのです。大切な大切な、今はもう亡き人の夢を……。その夢の中でその人はずっと、涙を流していました」
「私は目を覚ましてから、その夢について考えていました。そして考えが纏まらぬまま儀式をするためにここに来て、ヴァイオリンを弾き始めたら直ぐに弦が切れました、少し前に替えた筈の弦が。」
「そのとき悟ったのです。その人を縛り付けてることに、…….そして前に進むことをしようとしない自分の心の弱さに」
「次の日から、儀式をするのを止めました。……だけどヴァイオリンを弾くのを止めたわけでは、ありませんよ」
青年が話し終えてから、時が少し経った。
女性が青年に、意を決して話しかけた。
「あの…、今度ヴァイオリンを、聞かせてもらえませんか?」
「……いいですよ、これも何かの縁だと思うので」
「有難うございます。…それと、私と友達になってもらえませんか?」
「……ええ、こちらこそなりたいと、思っていましたから」
二人は顔を見合わせ、照れたように微笑みあった。
「それと、名前教えてもらいませんか?」
青年は、まだ自分の名を次げていないことと、女性の名前を聞いていないことに気付いた。
「そうですね、それではいっしょに言いましょうか」
「はい」
二人は向き合い、そっと告げた。
「私は・・・・・・」
「私は・・・・・・」
そっと出た言の葉を、風が舞い散らした。
・・・了。
「 会海過解 」 (過ちを解いた海で会う)




