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No.070

また。詩ではなく短編小説になりますです。

No,070


本通りから少し脇道に入り、狭まった道の奥にある喫茶店。

 外装は鈍色に纏まっており、ひっそりと横手に幾つかの花の植えられた植木鉢が置いてある。

 落ち着いた味のある、曇りガラスの嵌った扉を開け中に入っていく、長く伸ばした髪と落ち着いた雰囲気が目を引く青年がいた。


 扉を開けると、『メヌエット』の旋律が響いてきた。

 中には幾つかのテーブル席にバーカウンターがあり、シックな雰囲気が店全体に醸し出している。

 その店の奥まったほうに、不釣合いとも嵌っているとも言い難いグランドピアノが鎮座している。

 カウンターの中にいた、マスターが声を掛けてきた。

 「やあ、いらっしゃい」

 「こんにちわ」

 青年は挨拶を返して、慣れた感じに歩きカウンター席の一番奥、ピアノの真横の席の腰を下ろした。

 「いつもの、お願いします」

 マスターは笑みを浮かべて応えた。

 「あいよ」


 『メヌエット』が終わり『ガヴォット』が流れ始めた頃、青年の前に珈琲とトーストが並んでいた。

 青年がそれに手を付けていると、マスターが声を掛けてきた。

 「3日ぶりだね……、原稿はあがったのかい」

 「ええ、何とかですけど」

 青年は苦笑いを浮かべながら応えた。


 マスターと青年がその原稿に付いて語り合いながら、青年がトーストと珈琲を片付けて、珈琲のお代わりを頼んだ頃に『ガヴォット』から何曲か過ぎ『ノクターン』が流れ始めた。

 

 その『ノクターン』を聴きながらマスターが何気無しに呟いた。

 「あれから。もうすぐ2年になるのか……」

 青年は何とも形容し難い、憂いの表情を浮かべ応えた。

 「そうですね……。月日が流れるのも早いものです」

 マスターは決意を込め、青年に向き合い言った。

 「前にも言ったが、会いに行く気はないのかい?」

 青年は哀しげに瞳を伏せ、首を振った。

 「ええ、前に向かい進んでいるのならそれで……、それで良いのです」

 「だが……」

 「もうその話は止めましょう、前にも言った通り会わないほうが彼女の為なのですよ……」

 マスターは複雑な面持ちのまま首を振り、そして頷いた。

 「ああ、そうだな」


 『ノクターン』が終わり『月の光り』が流れ始めた。

 「原稿があがったって事は、当分暇なのかい」

 「ええ、次作にむけて休養です」

 二人は楽しげに話している。


 そして、『月の光り』が終わり『乙女の祈り』が流れ始めたとき、扉が開き客が入ってきた。

 マスターは客に向かい挨拶をしようとした。

 「いらっしゃ……」

 マスターは入ってきた客の容貌に驚き、声を失い立ち尽くした。

 普段にないマスターの様子に驚き、青年も入り口の方に瞳をむけ驚きに固まった。

 ヴァイオリンが入ってるケースを片手に持ち、空いた手にメモを持ち店内を見ている、髪を長く伸ばした女性がそこにいた。




 本通りを歩く、涼やかな雰囲気を感じさせる髪の長い女性。

 片方の手にヴァイオリンケースを提げ、空いた手にメモを持ち、そのメモを見ながら歩いている。

 女性は脇道に入り、メモを頼りに狭まった道の奥にある喫茶店の前に立った。

 外装は鈍色に纏まっており、ひっそりと横手に幾つかの花の植えられた植木鉢が置いてある。

 女性はその光景を探るように、視線を彷徨わす。

 「ふぅ……」

 小さく息を吐き、そして小さく呟き扉の取っ手に手を掛けた。

 「ここに答えがあるのかしら、失われた全ての答えが…………」


 扉を開けると、『乙女の祈り』の旋律が響いて来た。

 その旋律に、耳を傾けながら店の中に入って行く。

 店内を見渡した途端、女性の胸にざわめきが起こる。

 (やはり、ここにあるのですね……)

 「いらっしゃ……」

 店のマスターが、女性の方に顔を向けて挨拶をしようとしたら、それが途中で途切れた。

 その様子に驚いたらしい、ただ一人だけのお客の青年も、女性の方に顔を向け驚きに目を瞠っている。

 女性はその様子に、核心を得たかのように薄く笑みを浮かべた、色々な想いの混じった笑みを。

 (あぁ……、その時が来たのですね……)


 女性は青年が座っているカウンター席の、青年の反対側の端に腰を掛けた。

 ヴァイオリンケースを下に置きマスターの方に瞳を向けた。

 マスターがお冷を置き、注文を聞いた。

 「いらっしゃいませ、・・・御注文は?」

 「えーと、紅茶頂けますか」

 「はい、承りました」

 

 『乙女の祈り』が終わり『新世界』が終わり『美しく青きドナウ』が流れ始めた頃、女性の前にカップが置かれた。

 「ごゆっくり、どうぞ」

 そう言って、マスターは奥でグラスを拭き始めた。

 青年は曲に耳を傾けながら、ふと気付いたかのように、手元にあるカップに口付けている。

 女性は、そっとカップに口付けて、驚きの表情を浮かべた。

 (この味は……)


 紅茶を飲みほして一息つき、女性はマスターに声を掛けた。

 「すみません、少し聴きたい事があるのですが…」

 マスターが、作業の手を止め女性の前までより聴き返した。

 「なんでしょう?」


 女性は、一回手元に目線を落として一瞬間を置き、意を決して目線をマスターに向けて口を開いた。

 「2年ぐらい前…このお店に、私が来た事はありませんか?」

 マスターはその言葉に、色々な感情の入り混じった愁いの表情を浮かべ、質問には答えずに聴き返した。

 「どうして、そんな事をお聞きになられるのですか?」

 女性は、マスターの表情に何を感じたのか、軽く瞳を伏せ少し考え込んだ。


 女性が瞳を開けゆっくりと応えた。

 「私は二年一ヶ月程前に、記憶を失ってた時期があるんです、一月ほど……」

 マスターは何も言わずに耳を傾けている。

 女性は話を続ける。

 「記憶を失った原因は解らないのですが、病院で気が付いたら一月経っていて…。

  失くしていた記憶を探す暇もなく、失くす前から決まっていた音楽の勉強のための留学に出ていたのです。

  留学が終わり帰ってきて、荷物を整理していたら記憶を失くしていたときの荷物の中から、一枚の手紙を見つけたのです。

  それは、記憶を失くしていた時の私が、記憶を取り戻した私に向けたものだったのです」

 マスターが愕然とした表情で呟いた。

 「えっ」

 聞き耳を立てていた青年も、体を強張らせた。 

 女性は二人に気を止めずに話を続けた。

 「その手紙にはこう綴られていました。

  【始めまして?…、それとも久しぶりかな?。

   今この手紙を読んでいるのは、この一月の記憶を持つ私?それとも過去の記憶だけの私?…どちらなのかな?

   苦笑しているのかな?戸惑っているのかな?もし戸惑っているのなら、これから先を読む前によく考えて欲しいな。

   この一月の記憶が今のあなたにいるものなのか、どうかを。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   決めたかな?

   この一月の記憶が無い事で、不安と喪失感で心の半分が欠けた様な気がしているのでしょう?

   だから埋めるためにも、私を見つけてくれる事を信じているわ。

   私が一月過ごした場所を書いておきます、ここであなたと出逢う事を……】そう、綴られていたのです」

 女性は軽く首を振り、読んだ時の驚きを思い出したかのように、話を続けた。

 「私は、凄く驚きました。

  そこに書かれていたように、喪失感や不安をいつも抱えていたからです。

  特に、誰かと曲を演奏した時はいつもいつも、強く強く何かが足りない感じがして、不安に悩んでいたとこだったから……」

 マスターは、驚き戸惑ったように口を挟んだ。

 「それではあなた……、いえ敢えて彼女と言いましょうか。その彼女は今のあなたの状況を、解っていたというのですか」

 女性も肯きながら答えた。

 「ええ、そうとしか考えられないでしょう…、私の筈なのに。

  ……それでその手紙に書かれてあった、ここに来たのです。

  お願いします!!ここに来ていたのならば、その時の事を教えてください」

 女性はカウンターに、額を擦るぐらいに頭を下げた。



マスターは考え込み、そして意を決したように女性に問いかけた。

 「一つ聞いてもいいですか……。

  もしその時の事を私がお話したとして、それでその時の事を自分の物として思い出す事が、出来るとお思いですか?」

 女性は急所を突かれたような顔を、一瞬浮かべ戸惑ったように答えた。

 「そ・それは……」

 「た・確かに言われるとおり、それを聴いて直ぐに戻るなんて事は考えてはいませんが……」

 女性はそこで口を閉じ、逡巡したあと意を決して答えた。

 「でも、知らなければ何も変わらないのです!!

  だから、お願いします。どうか教えてください」

 マスターは、その決意に軽く頷き答えた。

 「御教えるのはいいのですが、それよりも彼女がここでよくしていた事をやってみませんか」

 女性は戸惑った用に答えた。

 「えっ?……それは一体」

 「失われた記憶を取り戻すのに、ただ情報として知るのではなく、経験として実際に再現して見るのが有効な事もあると聞きます」

 「あっ、確かに何かで聴いた記憶があります」

 「どうです?」

 女性は少し逡巡した後、頷き答えた。

 「記憶が戻るのならどんな方法でも構いません、やってみます」

 マスターはその言葉に頷き、話を続けた。

 「彼女はここで、いつも演奏をしてました……。色々な曲を」

 「だからここで、よく演奏していた曲を、演奏して見ると云うのはどうでしょう」

 「その曲とは?」

 「『クロイツェル』とかの、ヴァイオリンとピアノのソナタをよくやってました……」

 「確かに、私もソナタとかは好きですけど…、ピアノはどうするんですか?」

 女性は複雑な表情で聞いた。

 マスターは青年の方に顔を向けて答えた。

 「彼が弾けるから、彼に頼みましょう…。何回か一緒に弾いた事もある事ですし……」

 女性は驚き青年の方を見詰めた。

 青年はいきなりの話に、憤りの視線をマスターに向けた。

 青年とマスターが静かに睨み合う…。


 弱弱しく視線をはずした青年が、席を立ちピアノの前に腰掛けた。

 「彼が弾いてくれるそうですよ」

 マスターの言葉に、女性は青年から目をはずして聞いた。

 「いいのですか?」

 「ええ。彼がピアノの前に行ったという事は、そういうことですから」

 女性は、ケースからヴァイオリンを取り出しながら聞いた。

 「それで、どの曲を演奏するのですか?」

 「彼が弾き始めたら、すんなり曲に入っていけますよ、たぶん」

 「そんな……」

 「彼女は出来ていました、だからあなたも大丈夫ですよ」

 女性は困惑の表情を浮かべて、呟く。

 「そう言われたら、やるしかないじゃない……」


 女性の準備が終わったのを確認してから、青年が軽やかにピアノを弾き始めた。

 その音に合わして女性もヴァイオリンを弾きだした。

 ふたつの旋律が絡みあい混じりあい響いていく。

 (あっ、嘘!凄く心地がいい。

  今まで欠けていた、半身が戻ったような感じが……。

  ずっとこの身を苛んでいた、焦燥感が消えて行く)

 女性は久々に味わう充足感に、ゆっくりと瞳を閉じ浸っていく。




 女性は旋律に浸りながら、ゆっくりと瞳を開けた。

 するとそこは、先程までの喫茶店の中ではなく何もない白い空間だった。

 「えっ…」

 女性は驚き戸惑い辺りを見回した。

 何もない空間、だけど先ほどまで奏でていたはずの旋律が変わらずに響いている。

 「これは一体……」

 女性は落ち着かないようすで周りを見渡した。

 すると彼方から近づいてくる人影を見つけて、女性はその人影の方に体を向けた。

 近づいてくる人の姿をはっきりと見たとき、女性は声を失い固まった。

 ……それは、自分自身だったから。

 女性の前に立つともう一人の彼女は、優しく微笑みながら話しかけた。

 「やっと会えましたね、私」

 女性は戸惑ったように聴き返した。

 「えっ?…、ここは一体?…、それにあなたは…?」

 もう一人の彼女は、女性の困惑を理解しているかのように、一つづ応えた。

 「ここは、私達の心の中、いわゆる心象風景と云うものかしら?」

 「それで、私はあなたが捜していたもう一人のあなた……、ですよ」

 女性は驚きに声をあげた。

 「え〜〜!!」

 彼女はその驚き具合に楽しげな笑みを浮かべ、話を続けた。

 「しかし、見つけるのに時間がかかったわね〜」

 「そ・それは……って、何で時間がかかったって知っているの?」

 「ふふ、だって私はあなた、あなたは私なのですよ?」

 「でも、私はあなたの事を見つけれなかったのに」

 彼女は哀しげな笑みを浮かべて応えた。

 「それは、あなたが私の事を見つけるのが本当は怖かったから、見つけれなかったのよ」

 女性はその言葉に衝撃を受けて黙り込んだ。

 「ええ、そうだったみたい……。あなたの事を知る事で今の自分が消えてしまう気がしてたから」

 彼女は淡く笑みを浮かべて、女性に問いかけた。

 「ここにこれたから、もう聴かなくても答えは解っているけど……。あなたの口から聞きたいから聴くわ。」

 「本当に私とあなたが、一つになる事を希むのね?」

 女性は一瞬瞳を閉じてから、決意を込めて答えた。

 「ええ、このままじゃ、私の心は壊れてしまうから。自分が消える恐怖より心が壊れてしまうことのほうが怖いから…」

 「だから、私はあなたを取り戻すの」

 彼女はその答えに、満面の笑みを浮かべ女性に近づきながら答えた。

 「大丈夫、私はあなたで、あなたは私……。消える事なんてならないわ」

 「ただ、分かたれていたふたつの心が、一つに還るだけ」

 彼女は女性と触れるぐらいに近づくと、優しく女性を抱きしめた。

 女性も彼女を抱き返した。

 彼女の姿が女性に吸い込まれるように、重なり合っていく。

 彼女の姿はどんどん女性と重なり、薄れて行きとうとう消えてしまい、白い空間にただ一人女性だけになってしまった。

 女性は瞳を閉じて自分の体を抱きしめながら、涙を流し続けた。


 旋律が静かになっていく中、周りが見えないほどの皓き光りにゆっくりと染まっていく。

 「……さあ、再び出会いましょう。大切な大切なあの人と……」

 掠れ消えゆくように響いた声に頷きながら、微笑んで応えた。

 「ええ。ここからもう一度始めるです」





 最後の一音が響いて、演奏が終わった。

 青年は女性の方に瞳をやり、驚きに戸惑い凍り付いた。

 演奏が終わっても女性は、瞳を閉じ涙を流しながらその場に佇んでいた。


 女性はゆっくりと瞳を開け、涙を流したまま青年に向かって歩き出してそして青年の前に立ち止まった。

 二人は静かに見詰めあっている。

 女性は口を開きかけては閉じと繰り返している。

 青年は一瞬瞳を伏せ、そして微笑を浮かべ女性に右手を差し出しながら、言った。

 「おかえり……」

 女性はその言葉に目を見張り、涙を流しながら満面の笑みを浮かべて答えた。

 「た…、ただいまです……」

 女性は感極まったように、青年に抱きつき声を出して泣き出した。

 青年は、女性の頭を優しく撫でながら、柔らかにでもしっかりと女性を抱きしめた。

 マスターは二人の様子を眺め、そして目頭を押さえながらオーディオシステムの電源を入れた。

 二人の再会を祝うかのように、『 孤独の中の神の祝福 』が響きだした。


…………「完」


 「 双想爽奏 」 (双つの想い爽やかに奏でる)

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