始めの4月。その3。
原稿が出来たそうです。
「残念。」
そう私を見て神田栞は一言だけ言い放った。
何が残念だか分かる。
「栞も朝比奈さんに会いたかったの?」
「うーん。それだけじゃないんだけど。」
「じゃあ、何さ。」
再び「うーん。」と言いながら彼女は自席のパソコンに向かい合う。
彼女は神田栞。私の同期であり社内では唯一の友人である。
創刊されるフリーペーパーの原稿デザインを担当する事になり、元々は一緒の求人部だったのだが4月から新設されたtownWALKの部署に異動になったのだ。
求人雑誌でも誌面隙間に求人のプチスキル等の細かな記事を書いて載せていたのが地味に評価されていたので、今回は引き抜かれた異動と私は考えている。
「しかし、面白いね。この『傘特集』って。私、この日時計になってる傘が好き〜。」
細かくタブレットのペンを動かしながら栞は話し出す。
「期間ギリギリだったし、朝比奈さんの知り合いが勤めてる会社さんが卸してるお洒落な傘を紹介する事にしたのよ。」
「ふーん。で、2人で行ったの?」
「そりゃあ…そうでしょう。」
「楽しかった?」
彼女の視線はパソコン画面とタブレットを往復したままだけど、嬉しそうに聞いてくる。
「楽しかったって…遊びに行った訳じゃ無いし。」
「そーお?だって天下の朝比奈氏だよ?モンスター級の美形を連れて歩くだけでテンション上がりそうだけど。」
相変わらず朝比奈さんに対する免疫?が乏しいらしく、会うと緊張するのは全く進歩がない。
取材でも、お互いに気になる傘を1本選んでみようって話になった際も、無茶苦茶な傘を選んでしまったしなぁ…。
『持ち手が水鉄砲なんだ。小森さんってユニークだね。』
ええ。そりゃあ、それ以上にユニークな傘はありませんでしょうね。
そして見事にその傘も記事になり、写真を見た栞は一言も言わず吹いて「任せて」とパソコンに向かったのを覚えている。小刻みに肩が震えてたのも忘れてない。
「まあまあ…こんな感じで。如何っすか?」
ブルーをベースに綺麗にデザインされたイメージ画像が私の目に飛び込んできた。
何とか書き上げた文面、写真もとりあえず色々なパターンで撮影したけど、見事に栞の技術で纏まっている。
「うわ…流石だわ。栞。」
そんな彼女はガチャリと受話器を片手にボタンを押す。
「そりゃ私はこれでお金を貰ってますからね。………あ。もしもし、お疲れ様です。townWALK原担の神田ですが。朝比奈さん?」
「え。」
「あのー。創刊号のゲラが出来たんで、お手隙なら来て頂けると。はい。小森も今、居ますんで。」
はい。はーい。と静かに受話器を置くと
「朝比奈氏、今来るって。」
「え。来るってってって…。」
「そりゃそうでしょ。朝比奈氏だって書いてんだから。ゲラチェは当然でしょう。」
さらっと言いながら栞は回転椅子でぐるぐる回り出す。
そりゃそうだけど…。
そう短いやりとりの間に朝比奈さんの聞き慣れた声が背後から聞こえて来た。
「小森さん、お疲れ様です。」
「お疲れ様です…。」
「後…神田さん、今回はよろしくお願いします。」
どもー。と栞は短く挨拶をすると椅子に座ったまま後退して
「こんな感じで。傘なんで色合いもブルー系で無難にしちゃいましたけど、明るさは結構足しました。」
「流石ですねー。神田さん。」
「小森にも同じ賞賛を頂きました。」
「だって、ねぇ。僕らじゃ出来ないからね。」
今日も眩しい位の笑顔で朝比奈さんは私に微笑む。
……………ってか緊張してるの、私だけ?
栞と朝比奈さん、凄いナチュラルに会話してんだけど。
そう言えば、今までに何度か朝比奈さんと他の人が話をしているシーンを見ているけど…みんな普通に話をしているよね…。
何で私だけがこんなに臆病になっているんだろう。
何だか急に胸が痛くなってきた。
「小森ー。」
「おぅ。」
凄い返事の仕方をしてしまった。
「小森さぁ又、何か考えてんでしょう。」
「あ…ごめん。」
「小森さんと神田さんって仲が良いんですよね。」
朝比奈さんがそんな私達の会話に入って来た。
「小森とは同期だし、先月まで一緒の部だったからね〜。あ、朝比奈氏に良い事、教えてあげる。」
「何ですか?小森さんの事?」
うんうん。と栞は笑いながら私と朝比奈さんを見る。下手な事は言わないでよ…。
「小森って考えている時は変な返事するから。」
……………。
「しっ栞!何言ってんのよ!!」
「だってそうじゃん。今だって『おぅ。』って何さ。もう少し可愛い返事しなさいよ。男出来ないぞ。」
「男出来ないのは関係無いでしょー!」
「朝比奈氏、聞いてるよ。」
ハッと気付いて朝比奈さんの顔を見る。何時もの爽やか笑顔であるが…。
「お恥ずかしい所を朝比奈さんに…。」
「小森さんはお付き合いしてる人、居ないの?」
確実に顔面から火が吹き出た。
「小森、いないよ〜。」
そして栞の発言で火では無くて炎へとなった。
「栞…今、仕事には関係無いでしょう…。」
「神田さんは?」
「私?居るよ。サバゲー好きの。絶対にこの水鉄砲傘は欲しがるわ。」
「それ面白いよね〜僕も欲しいもん。」
後は正直、どうこの場を去ったのか覚えてない。
何とか記憶してるのが『ゲラOK』って事と、栞からの『こんど奢るわ』のサインって事。
あー。朝比奈さんにどう思われたかなぁ。
男居なくて寂しい奴って思われたかなぁ。
朝比奈さんはそんな事、無さそうだなぁ。
常に誰かが予約待ちって感じだもんなぁ。
男の人と付き合ってるからと言って、それが必ずしも充実だとは思ってはいない。昔から。
趣味に没頭したり、勉学に励んだり。友人と遊んだりだって充分に充実した人生である。
ただ私は仕事だったなだけで……………あれ。これって地味に寂しい発想か?
そんな考えに辿り着いた時には退社のチャイムが鳴り響いていた。
次で4月は終わるかな。
神田栞は私的には好きな奴です。