第84話『私を警視庁に連れてって』
午後1時半過ぎ。
美来さんの家にそろそろ到着するところで、
「さっそく、か……」
美来さんの家の前には、昨日は皆無だったマスコミ関係者らしき人間がかなりいる。おそらく、鷺沼が働いている局で報道された内容により、被害者が朝比奈美来さんであるとバレてしまったのだろう。Tubutterでもかなり呟かれていたことも一因か。
「どうしましょうか……」
「……私だけで美来さんの家に行ってきます。浅野さんと詩織さんはここで待っていてください」
「分かりました。羽賀さん、気をつけてくださいね」
美来さんの家からちょっと距離のあるところに停車し、私だけが車から降りて美来さんの家へと向かい始める。
「すみません、警察です。ちょっとどいていただけますか」
「警察の方ですか? 氷室容疑者が被害者の朝比奈美来さんのことをいじめから助けたという情報がありますが、これは本当でしょうか?」
「氷室容疑者と朝比奈さんが休日には一緒に住んでいたという情報もありますが……」
どちらの質問の内容も本当だが、ここで正しいと答えたところでどう報道されるか分からないからな。ここは無視するに越したことはない。
私はマスコミからの質問には答えずに、美来さんの家の玄関前まで辿り着いてインターホンを押す。
「警視庁の羽賀です」
『お待ちしておりました、どうぞ』
男性の声……美来さんの父親だろうか。
すぐに扉が開くと、中からは白いワイシャツ姿の男性が現れる。美来さんの父親だろうか。
「警視庁捜査一課の羽賀尊と申します」
「朝比奈美来の父の朝比奈雅治です。どうぞ、中にお入りください。あと、マスコミの皆さん! 氷室さんは娘にわいせつなことは一切していませんから! それ以外に何も言うことはありませんのでお引き取りください!」
明るい声色でそう言い切れるのは、氷室のことを無実だと信じている証拠か。
私は美来さんの家の中に入る。
「私が警視庁へ面会しに家を出たときはまだ数人ほどだったのですがね。どうやら、朝の報道の影響で、多くのメディアが被害者と言われている少女が娘であることを突き止めたようですね」
「……申し訳ありません。そうなってしまった原因は私かもしれません。テレビ局に勤めている友人から昨晩、連絡がありまして。取材で氷室が美来さんのいじめを解決に導いたという情報が入ったので、それは本当かどうかを訊かれ、正しいと答えてしまったのです。誠に申し訳ございません」
「いえいえ。羽賀さんは何も悪くないのでは? それに、氷室君が美来に対して誠実だということが世間様に伝えることができたんですから」
「そう、ですか……」
そう受け取っていただけるのは有り難い。朝比奈さんが爽やかに笑顔を見せているのだから、今の言葉は本当なのだろう。
「羽賀さん!」
リビングの方から水色のワンピース姿の美来さんが姿を現す。元気そうな笑顔を見せてくれるのは嬉しいが、それを氷室にも見せてやってほしい。
「羽賀さん、さっそく行きましょう」
「分かった。車には詩織さんも待っている」
「そうなんですか!」
「ああ。ただ、外にはまだまだたくさんのマスコミ関係者がいる。美来さんの姿を晒すようなことはしたくないが……」
しかし、玄関を出なければ私の車には辿り着けない。私のジャケットを被せて家を出るなんてことをしたら、まるで美来さんを逮捕するように見えてしまうな。さて、どうするか。
「ふっ、まさかあれを使うときが来るとはな。母さん、あれを押し入れから出しておいてくれたか?」
「もちろん!」
朝比奈さんの言う「あれ」とは何だ? どうやら、果歩さんの所有物のようだが。
すると、階段から降りてきた果歩さんは……かぶり物のようなものを持っていた。結構大きい。よく見てみると、猫のかぶり物か。
「これを被りなさい、美来」
「うわっ、これ……小さいときに、お母さんが夜中に「猫のお化けだ~」とか言って、私を怖がらせるために使っていたやつじゃない」
苦笑いをする美来さん。
どうやら、なかなか変わった方法で娘を驚かせる母親なのだな。それにしても、このかぶり物……なかなかリアルに描かれている。茶トラ猫だろうか。今のように明るい場所で見れば可愛らしいが、これが夜中に突然現れたら怖いだろうな。小さい頃の私なら、多少は怖がっていたと思う。今は平気だが。
「うちのお母さん、こういうかぶり物も作りますし、服とかも趣味で作っているんです」
「ということは、もしや氷室の家にあったメイド服というのも?」
「私が作りました! ちなみに、私や妹の結菜が着るためのメイド服もあるんですよ」
「……なるほど」
氷室の家にはメイド服が2着。そして、朝比奈さんや妹の結菜さんが着るメイド服まであるのか。ということは、少なくとも4着作ったのか。なかなか物作りの力に長けている方のようだ。しかし、これだけリアルな猫のかぶり物をすれば、さすがに顔はバレ……ないと信じたい。混乱を招く危険もありそうだが。
「眼のところにちゃんと穴が空いてあるから、外の様子も見えるわよ」
「どれどれ……」
美来さんは果歩さんから受け取った猫のかぶり物を被る。
うむ、これはかなりシュールである。昔、バラエティ番組で馬のかぶり物をするお笑い芸人を見たことはあるが、それに匹敵するくらいにシュールである。
「うん、ちゃんと見えるよ!」
美来さんはそう言ってサムズアップ。
「良かった。まさか10年ぶりに使う日が来るなんて。じゃあ、それを被ったまま羽賀さんの車まで行くのよ。あと、氷室さんによろしく伝えてきてね」
「うん、分かった!」
母と娘の会話であることは分かっているのだが、美来さんが猫のかぶり物をしているので何とも言えない。
「それでは、美来さん。行こうか」
「はい!」
さて、この猫のかぶり物がどれだけ効果を発揮するか。報道陣にかぶり物を取られないように私がガードしなければ。
玄関を開けるとまだ報道陣がたくさんいて、
「朝比奈美来さんですか! 氷室容疑者、とは……」
かぶり物効果炸裂と言うべきだろうか。
私と一緒に出てきた女性が猫のかぶり物をしているというあまりにも非現実的な状況に、彼女にコメントを拾おうとマイクやICレコーダーをこちらに向けている報道陣も黙ってしまった。
「さあ、行きましょう」
「はい」
報道陣から何も訊かれることも猫のかぶり物を取られることもなく、美来さんを私の車まで連れて行く。
「羽賀さん、お疲れ様です……って、誰なんですか! 羽賀さんの隣にいる猫人間は! 胸がありますので女性だとは思いますが……」
「朝比奈美来さんです。報道陣に顔がばれないよう、彼女の母親が作ったかぶり物をしてここまで連れてきたんです。美来さん、後ろに乗ってください」
「はい」
私と美来さんが車に乗り、すぐに警視庁へと出発。
ルームミラーで後部座席の様子を見るが、猫のかぶり物をした美来さんのことを詩織さんがジロジロと見ている。
警視庁に向かって出発してから数分経ったところで、
「美来さん。もう取っても大丈夫ではないだろうか」
「そうですね」
ルームミラーをちらっと見ると、美来さんは猫のかぶり物を取っていた。そんな彼女の顔は少し赤くなっている。
「美来ちゃん……」
「詩織ちゃんも来てくれたんだね。智也さんに会いたいの?」
「まあ、それもあるけれど。でも、本当は……」
詩織さんは氷室が逮捕されてからの学校での様子を話した。たまにルームミラー越しに美来さんの様子を見てみるが、さすがに先ほどまでの笑顔は消えていた。
「そんな感じ。ごめんね、あそこにいるのが辛くなって……」
「あそこから離れるのをいいことだよ。辛い想いをしてまでクラスにいる必要はないよ。でも、そっか……智也さんが月が丘高校で起きたいじめを解決に導いたって報道したら、被害者が私だって気付く生徒はいるよね。智也さんのことは私が学校に通っていたときからもなんやかんや言われていたし、今更って感じかな。詩織ちゃん、教えてくれてありがとう」
美来さんの表情からしてあまりショックがないように見受けられるが、実際は結構ショックを受けているのだろう。
「……美来さん。その内容が今朝報道されたのは、私の責任だ。本当にすまない」
「えっ、どういうことですか?」
「全国ネットのテレビ局に就職した大学時代の友人がいるのだよ。昨晩、その友人から氷室が美来さんのいじめを解決したという情報を取材で手に入れたと連絡があったのだ。その友人には大学時代から、昔からの親友として氷室の話はしていたから、氷室智也という名前を見て感付いたらしい」
「そうだったんですか。そのときの連絡で、羽賀さんはテレビ局が掴んだ情報が本当だと言ったんですね」
「ああ」
少しでも氷室への批判が収まりそうな気がしたのだが、そうはならなかった。私の考えの甘さだ。酒が入っていたとはいえ、もう少し冷静に考えることができなかっただろうかと後悔してしまう。
「でも、情報を掴んでいたということは、私と氷室さんの関係が報道されるのは時間の問題だったのでは? 今朝の報道を家で見ていましたが、智也さんと私の関係が分かったことで、智也さんが本当に罪を犯したのか疑問を示していました。羽賀さんのおかげで、マスコミの論調は早い段階でいい方向へと変わってきていると思います」
「……そうか」
さすがは親子といったところか。私のしてしまったことを責めずに、むしろ氷室と美来さんの関係を世間に知ってもらえて良かったと言うとは。
「さあ、そろそろ警視庁に着くぞ」
「そうですか。……智也さんに早く会いたいな」
早く会いたい……か。
今回は警視庁の中でアクリル板を通しての面会だが、なるべく早く警視庁の外で自由の身になった氷室と会わせられるよう私達も頑張らなければ。




