第76話『家宅捜索-前編-』
午前9時半。
私は浅野さんと一緒に、私の運転する車で警視庁から氷室の家があるアパートに向かう。平日のこの時間帯だとあまり人が歩いていないのだな。
「浅野さん。私は大家さんに鍵を借りて、氷室の部屋を捜査するので、浅野さんはアパート周辺で聞き込み捜査をお願いします。証拠として挙がっている2枚の写真のうち、1枚は氷室と美来さんが家に入る瞬間が撮影されていますので」
昨日の氷室への取調べで、この2枚の写真は5月14日の土曜日の前後に撮影されたと分かっている。アパートの写真ではないもう1枚の写真は、氷室が美来さんと初めてデートをした日に歩いた駅前の風景に似ているとのこと。
「今、メールで諸澄司の写真を送りますね」
以前、私がこっそりと撮影した諸澄司の写真を添付したメールを浅野さんに送った。
「届きました。羽賀さんと張り合えるくらいのイケメンですね。男女問わずモテそうです」
「……美来さんをじめた中心人物である佐相柚葉さんは、彼のことが好きだそうです。そんな彼を振ったことを理由にいじめを行なったと」
「はぁ。嫉妬って恐ろしいですね。妄想すれば万事解決なのに」
「実際のことにならなければ、気が済まなかったのでしょう」
浅野さんみたいな性格であれば幸せだったのかもしれない。そうすれば、美来さんに対するいじめもなかったのかもしれないな。
「話は戻りますが、彼が撮影した可能性が高いんですか?」
「ええ。ですから、彼がこの近辺で何かしていたかどうかを中心に、聞き込みを行なってください。私は氷室の家の中を捜査しますので」
「了解です」
浅野さんと二手に分かれて捜査を開始する。
このアパートの大家に氷室の家の鍵を借りて、私は氷室の部屋の中に入る。まさか、2度目の訪問が、ここの家主の逮捕による調査になってしまうとは。
部屋の中は物がちょっと多めだが、きちんと整理整頓されているな。美来さんや月村さんが週末に泊まりに来るからだろうか。部屋の中を見渡した感じでは、氷室が罪を犯したような痕跡は見当たらないな。とりあえず、片っ端から見ていくとするか。
クローゼットには……黒いスーツのジャケットと複数枚の白いワイシャツ、あとメイド服が2着ハンガーに掛けられている。2着というのは……ああ、美来さんと月村さんが着ているのだな。以前、私が遊びに行ったときも彼女達はメイド服姿だった。
クローゼットについては怪しい点はないな。他に収納スペースは……ベッドの下にもあるのか。引き出しが3つある。
「ここも調べておくか」
私から向かって左側の引き出しから調べていく。
左側は氷室の下着や靴下、寝間着、タオルなどが収納されている。防虫剤も入っていて、きちんとしているな。中身を少し物色してみるが……特に問題点はなし。
中央の引き出しは……氷室の私服か。まだ衣替えをしていないからなのか、トレーナーやタートルネックなど厚手の服が入っている。私も、今度の週末に時間があれば、衣替えをしなければならないな。ここも中を物色しても怪しいところはない。
さあ、最後は右側の引き出しだ。ここには何があるのだろうか。
「……もしかしたら、ここには3人の男女が住んでいるのかもしれない」
氷室の家は、美来さんや月村さんの家とも言える状況になっているのだな。
右側の引き出しの中には、女性ものの下着や服、寝間着が入っている。
おそらく、週末はここに泊まることが習慣になると思って、美来さんと月村さんが衣服を入れさせてもらっているのだな。
ちなみに、中央に仕切りが置かれている。引き出しの縁の左右の端にそれぞれ、『美来』『有紗』と黒い文字が書かれたマスキングテープが貼られている。どうやら、左半分が美来さん、右半分が月村さんの衣類を置く決まりになっているようだ。
さすがに、女性ものの下着が入っている場所を私が物色するわけにはいかない。後で浅野さんに中を見てもらうことにしよう。
――プルルッ。
「おっ」
女性ものの下着を目の前にした状態で電話が掛かってきたので、ビックリしてしまったではないか。心臓に悪い。
スマートフォンの画面を確認すると『種田総一』と表示されている。種田さんは私の部下の男性警察官で、今は美来さんの診断書に関する捜査をお願いしている。何か分かったのだろうか。
「はい、羽賀です。お疲れ様です」
『お疲れ様です、種田です。証拠となっている朝比奈美来さんの診断書を発行した病院に行って話を聞いてきました。今週の月曜日に朝比奈さんがここで診断を受け、診断書を発行してもらっていました。朝比奈さんのカルテを見せてもらったのですが、暴行による複数のあざがあるとにしか書いてありませんでした』
「そうですか。あと、朝比奈さん以外に診断書を発行してもらった人物がいるはずですが、それについては?」
『はい。火曜日の昼前に警察関係者を名乗る男が、いじめの捜査をするという名目で診断書を発行してもらったそうです』
「いじめの捜査ですって?」
美来さんの受けているいじめについて、警察に捜査を依頼したという話は氷室から聞いていない。学校側がきちんと動き始めたから、警察が出る場面はなさそうだと氷室からも言われた。ちなみに、警察がいじめについて捜査していると報道された記憶はない。
「おそらく、それは朝比奈さんの診断書を発行してもらう口実でしょう。その刑事と名乗る男は誰なのかは分かりましたか?」
『いえ、分かっていません。その当時、受付にいた看護師からは、40代から50代の男性だとは聞いております。その男は風邪を引いていたからなのか、マスクをしていたので顔をはっきりと覚えていないようです』
「そうですか」
警察官と名乗る男は、自分が警察官であることを示すために手帳を一瞬見せただけなのかもしれない。なので、応対した看護師も名前は聞かなかった。
『病院の入り口には防犯カメラもありますし、周辺の道路にもいくつか監視カメラがあるので、カメラを管理している警備会社に協力してもらって、男が来たと火曜日の昼前の映像を確認してみます』
「よろしくお願いします。何か分かりましたら、また連絡をください」
『了解です。羽賀さんの方はどうですか?』
「浅野さんと一緒に被疑者の家に行き、二手に分かれて捜査していますが。これといった証拠は出てきていませんね」
氷室の無実を前提に捜査している以上、これといった証拠が出てきてしまったら困るのだが。もちろん、無実を証明する証拠であれば別である。
『そうですか。分かりました。では、また後で連絡しますね』
「分かりました。では、失礼します」
私の方から通話を切った。
やはり、美来さんが診断した後に、診断書を発行してもらった人物がいたのか。40代から50代の男……ということは、佐相警視もその範囲内だ。その男が誰にしても、防犯カメラの映像から特定できればいいのだが。
「羽賀さん、聞き込み調査をしてきました……って、スマートフォンを持ってどうしたんですか? 部屋の中の様子を撮影していたんですか?」
「いえ、種田さんから診断書についての連絡がありまして。どうやら、朝比奈さんが受診した翌日に警察を名乗る4、50代の男が病院にやってきて、診断書を発行したそうです」
「そうなんですか。実際に診断書が警察にあるってことは、朝比奈さん以外の誰かが診断書を発行していることになりますもんね。それにしても、その男は警察関係者だと名乗ったんですね。堂々としていますね」
「おそらく、名前を明かさずに診断書を発行してもらうためかと。自分の顔を覚えられない程度に警察手帳を見せて、診断書を発行してもらったのでしょう。理由は美来さんのいじめを捜査するためとのことですが」
「警察官本人が捜査のために診断書を発行するなんて私、聞いたことないですよ」
「捜査のために診断書が必要な場合は、ケガや病気をした本人やご家族に依頼して診断書を発行してもらい、それを警察の方に提出してもらう流れが普通ですね」
ただ、病院関係者といえど民間人だ。捜査をする上で診断書が重要だと言われて、警察官と名乗る男に診断書を発行してしまったのかもしれない。
「診断書の件は種田さんに任せておきましょう。それで、浅野さん。聞き込み調査をして何か分かりましたか?」
すると、浅野さんは持っていた手帳を広げて、
「複数人から、このアパート近辺で諸澄司を目撃したと証言が取れました」




