第26話『Aria-前編-』
美来と有紗さんが一緒に作ったお昼ご飯のハンバーグはとても美味しかった。
僕が食事の後片付けをしている間に、有紗さんはメイド服からスーツ姿に戻っていた。一旦家に帰り、僕の家に泊まるために荷物を持ってくるとのこと。僕のことが好きだと告白されてから彼女とも泊まりそうだと思ったけれど、やっぱり泊まるんだな。
「じゃあ、また後でね。2時間くらいで戻ってくると思うから」
「分かりました」
「ゆっくりでかまいませんからね」
「……なるべく早く戻ってくるからね、美来ちゃん」
そう言って、有紗さんは一旦、家へと帰っていった。
久しぶりの美来との2人きりの時間か。何だか、昨日の有紗さんと一緒に帰ってから今までがとても長く感じた気がする。
「智也さん、やっと2人きりですね」
「そうだね」
「まさか、月村さんがあそこまで智也さんのことが好きだとは思いませんでした。キスをしているのを見ると嫉妬しちゃいます。でも、私と同じだと考えたら、止めてとは言えないです」
「そっか。有紗さんが僕を気になっているのかなって思える場面は何度もあったけれど、実際に好きだと言われたときには驚いたよ」
職場で多くの人に気を持たれている有紗さんが、まさか僕のことが好きだとは思えなくて。ただ、僕と2人きりでいるときや家にいるときの有紗さんは、仕事のときとは違って本当に可愛らしい。
「私、智也さんにプロポーズを受け入れてくれるように頑張りますね」
「……ごめんね、なかなか返事できなくて」
「いえ、いいんです。突然プロポーズされて、すぐに返事できるとは思えません。それに、智也さんとこうして一緒にいられることが幸せですから。ただ、OKだとしても、ダメだとしても、答えをしっかりと伝えてくれると嬉しいです」
「そうか。もちろん、答えはしっかりと自分の言葉で伝えるからね」
美来だけを見ていれば良かった状況だったのが、有紗さんに好きだと言ったことで色々な方向に目を向けていかなくてはならなくなった。
2人が悪いわけではない。ただ、恋愛経験もない、仕事以外で女性ともあまり接したことのない僕が、2人に対する気持ちにちゃんと向き合えるかどうか不安で仕方ない。
「コーヒーでも飲みますか?」
「ああ、お願いするよ」
食後のコーヒー&ティータイム。僕はコーヒーで美来は紅茶。
――プルルッ。
最初の一口を呑もうとしたときに呼び出し音が聞こえた。メールかな。
スマートフォンを見てみると新着メールが1件。差出人は『羽賀尊』。メールを開いてみると、さっき僕が頼んでおいた諸澄君の写真が添付されていた。
「どうかしましたか?」
「いや、羽賀からメールだったよ。これからも、今日みたいにたまに遊ぼうって」
「そうですか」
美来は適当にごまかしたけれど、羽賀は本当にそう思っているかもしれないな。ゲームをしているときの羽賀は昔のように楽しそうだったから。
そうだ、今は美来と2人きりなんだ。諸澄君のことを直接は訊きづらいから、何か上手く学校での話を聞き出すことができないのだろうか。
「月村さんと一緒にいるのも楽しいですけど、やっぱり智也さんと2人きりの時間が一番いいです。ゆったりとできますし。このために頑張って高校も通っていたようなものですから。いいなぁ、月村さんは日中、智也さんの隣にいることができて」
「でも、そのときは仕事だからね」
ただ、随分と前から有紗さんは僕のことが好きだったみたいだし。もしかしたら、仕事中も僕を意識していたのかもしれない。
「美来は僕と会うために今週も頑張ったんだね」
「はい!」
嬉しそうに返事をしてくれるな。
「高校はどう? 楽しい?」
「はい。授業もついていけていますし、部活も楽しいですし……」
「部活は確か、声楽部に入っているんだよね」
カラオケでのあの歌声は本当に良かった。また聴きたい。
部活が楽しいのは大きいよな。部活があるってことは、結構遅い時間に僕の家に来て料理を作ってくれていたってことか。頑張り屋さんだ。
「ねえ、美来」
「何でしょう?」
「さっきさ、僕が名前のことで色々と悪口を言われた話をしたよね。あのときは、たまたま羽賀や岡村が様子を見ていてくれたから、親とかに言えなかったけれど、何とか元気になることができたんだ」
「そうですか……」
「だから、美来も何か嫌なことがあったときは、遠慮なく僕や有紗さんに言ってくれていいからね。僕らに迷惑がかけちゃうかもしれないとか、そんなことは全然考えなくていいから。美来が楽しく学校生活を送ってもらうために動くのは、大人である僕らの役目でもあるんだ」
頑張り屋さんの美来は、もしかしたら誰かに頼るのをいけないこと、恥ずかしいことだと思っているかもしれない。今は何もなくても、いつでも大人である僕らが美来を守っていくつもりであることを伝えておきたかったんだ。
「智也さん……」
嬉しいからなのか、それとも、学校で何かあったからなのか。美来は涙を流して僕を抱きしめてきた。掛ける言葉が見つからなかったので、彼女の頭を優しく撫でる。
そのまま、静かな時間が流れていき、
「智也さん、見てくれませんか……」
美来は僕と顔を見合った瞬間、そんなことを言い出し、メイド服をゆっくりと脱ぎ始めた。み、見てくれって、まさか。
「いや、美来、あの……僕が好きな気持ちは分かるけれど、まだ昼過ぎだし、その……僕にも心の準備が必要で……」
「ご、ごめんなさい! 誤解させるような感じで言ってしまって。見てほしいのは私の……裸ではないんです。ここ……」
上半身だけ下着姿になった美来は、右の脇腹のあたりを指さしている。すると、そこには小さなあざがあった。
「これはあざかな。体育の授業とかでぶつけたの?」
そう問いかけると、美来は再び涙を流し始める。今度はとても悲しそうな表情をして。僕の言ったことが違っているからなのか、美来はゆっくりと首を横に振った。
「実はクラスや部活で、いじめを……受けているんです」
やっとの想いで振り絞ったかのように思える声に乗せられた内容は、いじめというとても悲痛なものなのであった。




