第32話『打ち上げ花火、横から見る。』
昨日と同じように、ホテルの夕食はバイキング形式だった。
明日はもう帰るので、二日酔いにならないようにとお酒を控え目にして、昨日はあまり食べなかった洋風の料理を中心に食べた。
そんな僕とは対照的に美来は和風の料理を中心に食べ、フルーツやスイーツをたくさん食べていた。特にスイーツを食べているときの嬉しそうな笑顔はとても可愛らしかった。その顔を見るとお腹はいっぱいにならないけど、胸はいっぱいに。
「美味しかったですね、智也さん」
「そうだね。料理はかなり堪能した気がする」
ホテルの朝食と夕食、お昼に羽崎山の展望台近くのレストランでこの地域の食べ物や料理を堪能できたかな。
当初は明日の朝だったけど、うっかり忘れてしまう可能性もあるので、レストランを後にすると僕と美来は一緒に売店へと向かい、食べ物を中心にお土産を買った。
13階に戻り、フロアにある自動販売機コーナーで僕は缶コーヒー、美来はペットボトルの紅茶を買った。
部屋に戻ったら、昨日の夜と同じようにちょっとゆっくりして、一緒にお風呂に入って、美来と……たっぷりイチャイチャしようかな。
「そういえば、今思い出したんですけど、昨日の酒入りコーヒー……まだ残っていたので部屋の冷蔵庫に入れませんでしたっけ?」
「そう……だったかも。まあ、残っていたらそれを全部呑んじゃおうかな。このコーヒーは明日飲んでもいいし。すっかり忘れていたよ。教えてくれてありがとね」
「いえいえ」
1301号室に戻って、さっそく僕は冷蔵庫の中を確認すると、美来の言っていたとおり飲みかけの酒入りコーヒーのボトルが入っていた。半分くらいかな。
「よし、今夜中にこれを全部呑んじゃおうかな」
何だかんだ、昨日と変わらないくらいの量を呑むことになるのかな。ただ、昨日のお酒の量でも、今日は運転に支障がなかったから、残っている酒入りコーヒーを全て呑んでも、しっかりと寝れば明日は大丈夫か。
「ちょっと製氷室で氷をもらってくるから、美来はゆっくりしてて」
「はーい」
製氷室で氷をもらった後、お酒の気分転換にと思って自動販売機でペットボトルの緑茶を1本買った。
部屋に戻ると、美来はさっき買った紅茶を飲みながらテレビを観ていた。
「おかえりなさい、智也さん」
「うん、ただいま」
「今日もオリンピックで日本人選手がメダルを取っていましたよ」
「そっかぁ……嬉しいね」
そういえば、今はオリンピックの開催期間中だった。旅行ですっかりと忘れていたけど。時差の関係で生放送は夜遅くからだったような。
今はハイライト番組ということで、メダルを取ったシーンを中心に放送されている。氷割りの酒入りコーヒーを呑みながら、美来と一緒に番組を見る。
「おおっ、凄いね」
「この種目でメダルが取れるとは思いませんでしたね」
「そうだね」
注目されている選手がメダルを取るともちろん嬉しいけど、予想外の種目でメダルを取ったことを知ると感動するなぁ。
――ドーン!
うん? 外から何か大きな音が聞こえたけれど。
「何でしょうね」
そう言って、美来がバルコニーの方へ向かうと、
――ドーン!
再び大きな音が聞こえた後、夜空をバッグに花火が打ち上げられたのが見えた。
「ホテル主催の打ち上げ花火でしょうかね」
「そんなのがあるんだ」
「ええ。ホームページを見ると、夏休みの期間の土日祝日のみの開催みたいですよ。ただ、何年か前は平日でも予告なしに開催したことがあったようです。それから、毎年、夏休みのこの時期には、平日のどこかで予告なしに花火を打ち上げられることがあるらしいですよ」
「じゃあ、今回もそのパターンかもしれないね」
お客さんを喜ばせたいってことなのかな。今年は今日がサプライズで打ち上げ花火を上げる日だったということか。そんな日に宿泊できたのは嬉しいな。
酒入りコーヒーが入ったグラスを持ちながらバルコニーに出ると……どうやら、ホテルの目の前にある浜辺で花火を打ち上げられているようだ。浴衣を着ている人が何人もいるし。
「きっと、打ち上げられたときの音を聞いて、お客さん達が集まったんでしょうね」
「そうだろうね。ついさっきから始まったみたいだけど、どうする? 浜辺で見る? それともここから見る? 僕はどっちでもかまわないけれど」
2つの違いは、この打ち上げ花火を下から見るか、それとも横から見るかってことか。13階のここからでも、ちょっと上を向かないと花火は見られないけど。あとは、浜辺に行くとより迫力があるってところかな。
「では、このバルコニーから見ましょう」
「うん、分かった」
お酒を呑んでいるから、ここで見るという美来の判断は有り難い。
「あと、せっかく花火を見るんですから、浴衣に着替えましょうよ。その浴衣もホテルの浴衣ですが」
「浴衣を着れば少しは風情が出るかもね。じゃあ、さっそく着替えようか」
「はいっ!」
打ち上げ花火を見られることになったのか、美来はとても嬉しそうだ。といっても、この旅行に行く前にも美来と一緒に花火大会を行ったことはあるけど。
僕と美来はホテルの浴衣に着替え、僕は酒入りコーヒー、美来は紅茶を持ってバルコニーへと出る。
「うわあ、綺麗ですね」
「……そうだね」
大勢の中で見る花火もいいけど、美来と2人きりで見る花火というのもいいな。しかも、酒入りコーヒーを呑みながら。これはとても贅沢な時間だ。
「たーまやー!」
打ち上げ花火を見るとそう叫びたくなるよね。
「とーもやー!」
どうやら、ここから打ち上げ花火を見るという判断は正しかったようだ。浜辺にいたら、今みたいに僕の名前を叫ぶことはない……とは言い切れないなぁ。これまではそんなことはなかったけど。
「えへへっ」
「……まったく、可愛いなぁ」
隣で笑われたら、もう何も言えなくなってしまう。だから、僕は酒入りコーヒーを呑みながら打ち上げ花火を見る。
「こうして2人きりで見る花火もいいですね。綺麗です」
「花火も綺麗だけど、美来の方がもっと綺麗だと思うけどなぁ」
僕がそう言うと、美来はくすくすと笑っている。
「さらりとそう言えるということは、智也さん……それなりに酔っていますね。もちろん、とても嬉しいですが」
「えっ? 僕は思ったことを素直に言っただけなんだけどね」
「そうそう、そういうことも普通に言えて」
僕、普段……美来に対して思ったことをあまり言えていないのかなぁ。
「そういうところも素敵だと思いますよ、智也さん」
「……美来は酔ったとき、どんな風になるんだろうね」
普段以上に僕にべったりとしてくるのか、汐らしくなってしまうのか。楽しみではあるけれど、それは4年後のお楽しみだな。
「まさか、旅先で花火を見ることができるなんて」
「そうだね。旅行のいい思い出になったよ」
「そうですね。今回の旅行がより忘れられない思い出になりそうです。もう……明日には帰っちゃうんですね。寂しいな……」
「ははっ、何だかもう家に帰っちゃったような感じに聞こえるけど。まだ、明日もあるんだよ?」
「それは分かっているんですけど、何だか寂しくなりませんか? 2泊3日以上の旅行での旅先の最後の夜って」
「……言われてみればそうかもなぁ」
明日にはいつもの日々に戻るのかと思うと、寂しい気分にはなるな。今日はたっぷりと美来と一緒に観光したり、プールで遊んだりしたから。家に帰っても美来が側にいるのが救いかな。
「でも、プールに入っているときに美来が言っていたじゃないか。いつかは終わるから、楽しい時間にしたいって。明日もあるし……その前に、今夜もあるじゃない」
「そう……ですね」
そう言うと、美来は椅子から立ち上がって、僕の脚の間にちょこんと座った。
「……まったく」
僕は左手で美来のことを抱きしめて、コップに残っていた酒入りコーヒーを飲み干した。
「……打ち上げ花火を見て、美来の温もりを感じながら呑むコーヒーは美味しいなぁ」
「温もりがおつまみみたいな言い方ですね」
「そんなことないよ。幸せなんだよ」
空のグラスをテーブルの上に置いて、僕は改めて美来のことを後ろからぎゅっと抱きしめる。
「……美来を抱きしめると落ち着くよ。酔いも早く醒めそうだ」
「ふふっ、そうですか。智也さんに抱きしめられるとドキドキしますね。この旅行を通じて、私……智也さんに後ろから抱きしめられるのが好きなんだって分かりました」
「あははっ、一つ発見したってことか。それは良かった。僕も……美来を後ろから抱きしめるといいなってことが分かったよ」
向かい合って普通に抱きしめることも魅力的だけど、こうして後ろから抱きしめることで美来を包み込んでいるような気がして。
「こうして抱きしめられていると、特等席で花火を見ているような感じがします」
「ははっ、そうか。まだまだ花火は続いているからこのまま見続けようか」
「そうですね」
僕は引き続き、美来のことを後ろから抱きしめながら、打ち上げ花火を見る。この非日常な時間がいつまでも続いてほしいと思うのであった。




