第11話『旅先で呑む』
午後7時。
僕は美来と一緒に夕食の会場である1階のレストランへと向かう。レストランには結構な宿泊客がいたけれど、さすがに満席ということはなかった。
「飲み物は何にいたしますか?」
「僕はとりあえずビールで」
「私はアイスティーをお願いします」
「かしこまりました」
お酒にはあまり強くないので、空腹の状態でアルコールの強いお酒を呑むと気持ち悪くなってしまう。過去にそういった経験をしたことがあり、最初に呑むのはビールかサワーなどのアルコールが弱いものにしている。
「美来、先に取りに行ってきていいよ。飲み物が来るかもしれないから、僕、ここで待ってるから」
「分かりました。では、できるだけ素早く取ってきますね」
こういう場で、素早く取ってくる人は初めて見たな。
「ははっ、まあ、料理やスイーツもたくさんあるみたいだよね。バイキングだから何回かに分けて取りに行くのもありか。そこは美来に任せるよ」
「分かりました」
そう言うと、美来は席を立って料理を取りに行く。
周りを見てみると、僕らのようにカップルで来ている人達もいれば、家族で来ている人達もいる。いずれ、僕らも子供ができて家族で旅行しに来るのかな。
「失礼します。ビールとアイスティーになります」
「ありがとうございます」
てっきり、ビールは美来の頼んだアイスティーと同じように、グラスに注がれた状態で来ると思っていたけれど、瓶ビールに空の小さなコップか。まあ、それはそれでいいんだけどね。
「智也さん。取ってきましたよ……って、あれ? もう来たんですね」
「思った以上に早かったよ」
美来が料理を取ってくるのもね。
「食べたい物がたくさんあって、こんなにも取ってきちゃいましたよ」
「おお……」
ローストビーフにエビフライ、シーザーサラダにナポリタン。カボチャの冷製スープ……って洋風で固めてきたな。アイスティーにも合いそうだ。
「まずは洋風一式で取ってきました」
「……ははっ、たくさん取ってきたね。じゃあ、僕も取ってくるから先に食べていていいよ」
「はい、いってらっしゃい」
僕も料理を取りに行く。
「結構あるんだなぁ」
さっき美来が取ってきた洋風の料理はもちろん、和風や中華料理もあるし、お酒に合いそうな刺身やつまみもある。美来は洋風だったから、僕は和風料理を中心に取ろうかな。
「氷室様、楽しんでいますか?」
そう言うのは、スタッフの藍沢さんだった。若い女性を中心に、彼のことを見ている宿泊客が多いな。イケメンだからなぁ。
「とても楽しんでいます。これから夕食です」
「そうですか。美味しい料理がたくさんありますので、ごゆっくりお楽しみください」
夕食の時間帯だと、レストランのスタッフとして働いているのか。アルバイトの大学生だけれど、彼、できそうな感じがするからなぁ。
あっ、そうだ……あのことについて訊いてみようかな。
「あの、藍沢さん」
「はい、何でしょうか」
「もしかして、藍沢さんと一緒にこのホテルでアルバイトをしている彼女さんって、宮原さんのことですか? 赤い髪の……」
「ええ、そうですが……もしかして、彼女が何かしてしまいましたか?」
やっぱり、宮原さんが藍沢さんの彼女だったのか。
「いえ、ただ……このホテルの周辺にあるオススメの観光地を訊いたとき、鍾乳洞がオススメだと教えてくれて。以前、藍沢さんと一緒に行ったことがとてもいい思い出だったようで。楽しげに話していました」
「ああ……この時期だと、鍾乳洞の中は結構寒く感じますからね。私達が行ったとき、彼女はそれを口実に、僕に腕をぎゅっと絡ませてきたんですよ。私にとってもいい思い出です」
なるほど、いい話を聞いた。もしかしたら、美来も同じような感じで僕とくっついてくるかもしれないな。まあ、宮原さんから鍾乳洞の話を聞いたとき、僕とくっつけそうだって喜んでいたし。
「鍾乳洞は確か15℃くらいだと思うので、長いコースを歩くときには長袖のシャツやカーディガンがあるといいかもしれません。もしなくても、短いコースだったら15分くらいで歩けますので、今の氷室様のような恰好であれば大丈夫かと」
なるほど、短いコースの方なら半袖の服でもOKってことか。
「そうですか。分かりました。教えてくださってありがとうございます」
「いえいえ。では、失礼いたします」
そう言うと、藍沢さんは軽く頭を下げてレストランの入り口へと向かっていった。きっと、たまたま僕が近くにいたから話しかけたってところかな。
「おっと、料理を取って早く戻ろう」
僕は料理を取って、席に戻る。すると、美来は取ってきた料理やアイスティーには口を付けていない様子だった。
「お待たせ、美来。食べていても良かったんだよ?」
「それも良かったんですけど、智也さんを……待っていたくて」
「……そっか」
ちょっと顔を赤くしながらそんなことを言うなんて。まったく、可愛い子だな。
「智也さんは和風なんですね」
「ああ、ビールを呑むからまずは和風のものを食べようかなって」
僕がとりあえず取ってきたのはお刺身、天ぷら、酢の物、冷えた茶そば……何だか年配の方が食べそうなラインナップだな。羽崎町は漁業が盛んで美味しい魚介類がたくさんあるそうだから、魚中心に取ってみた。
僕は席に座り、ビールの栓を抜く。
「智也さん。ビールをお注ぎしますよ」
「ありがとう」
まさか、旅先で恋人の女子高生にビールを注いでもらえるなんて。以前、社員旅行で有紗さんからビールを注いでもらったことはあるけどさ。
「……よし、このくらいでいいよ。上手だね」
「ふふっ」
何だか、僕なんかがこんなに幸せな時間を過ごしてしまっていいのかと思ってしまう。いや、いいんだろう。だからこそ、美来と一緒に旅行に行っているんだし。
「それでは、乾杯です」
「乾杯」
僕はビールの入ったコップを、美来の持っている紅茶のグラスに軽く当てて、ビールを一気に呑んだ。
「あぁ、美味しい」
「美味しいですね」
「さあ、食べよう。いただきます」
「はい! いただきます!」
いよいよこの旅行最初の夕ご飯が始まる。まずは地元で取れた魚の刺身から食べよう。
「……うん、美味しい」
脂が乗っていて甘みが感じられて美味しい。昔は刺身が全然食べることができなかったのに、今は魚なら刺身が一番好きになった。もちろん、お寿司も大好きだ。大人になると好みも変わっていくのかな。天ぷらなども美味しいのでビールが進むなぁ。
「智也さん、ビールがなくなってきましたけど、おかわりでもいただきますか?」
「ビールのおかわりもいいけど、羽賀にこの地域の日本酒を買いたいから、どんなものなのか呑んでみたいと思ってさ」
「なるほどです。呑みましょう!」
美来の奴、僕を適度に酔っ払わせて、部屋で自分の思うままにしようとしているな。
「すみません、いいですか」
近くに男性のスタッフがいたので、日本酒を頼むことに。
「はい」
「あの……ここの地域の日本酒ってこの中にありますか?」
「羽崎酒、こちらになりますね」
「……はっきりと書いてありますね」
普通にここの地域の名前そのままの羽崎酒という名前の日本酒が、メニュー表の中にあった。これには美来も我慢できなかったのか、口元を抑えながら笑っている。
「じゃあ、この羽崎酒を1つ」
「冷酒と燗酒とありますが、どちらに?」
「冷酒でお願いします」
今は夏だし、冷酒の方を呑みたい。それに、羽賀も今は冷酒でよく呑むと聞いていたので、冷酒が美味しいものをお土産にしたいから。
「すみません、この荻野市の緑茶をいただけ……ますか。冷たい方で……」
「かしこまりました」
へえ、隣の荻野市は緑茶栽培が盛んなのかな。
「……もう、笑わせないでください。もしかして、結構酔ってますか?」
「ちょっと酔っているけれど、普通に気付かなかっただけ」
「ふふっ」
美来、今度は声に出して笑っている。
ビールを1本呑んだから酔っ払ってはいるけどさ。でも、気付かなかったなぁ。灯台下暗しってこういうことを言うのかな。言わないか。あぁ、恥ずかしい。
「智也さん、料理を取りに行ってきますね」
「うん。笑いすぎて周りの迷惑にならないようにね」
「分かってますって」
と言いながらも、美来は笑いながら料理を取りに行った。さっきの僕のうっかりが笑いのツボだったのかな。
まだ、茶そばを一口も食べていないから食べてみよう。
「……うん、美味しい」
よく、呑み会で締めのラーメンと言うけど、そばもなかなかいけるじゃないか。冷たくてさっぱりしているからかな。
「おまたせしました。羽崎酒の冷酒と荻野市の緑茶になります」
「ありがとうございます」
ビールと同じように日本酒が瓶の中に入っていて、今度は日本酒ということもあってお猪口か。
「智也さん、お料理を取ってきました。お酒のおつまみにいいかと思って、フライドポテトと枝豆も」
「ありがとう。ちょうどポテトを食べたい気分だったんだ」
「良かったです。あっ、お茶と羽崎のお酒が来たんですね。お注ぎしますよ」
「ありがとね。あと、あまりからかわないでくれるかな。恥ずかしいんだ……」
「ふふっ、今日の智也さんは可愛いですね」
そう言って美来は日本酒を注いでくれるけれど、可愛いと言われてもそこまで嬉しくないのが本音。まあ、美来が楽しそうだからいいけれどさ。
僕はさっそく羽崎酒を一口呑んでみる。
「……うん、このお酒は美味しい。羽賀へのお土産決定だな」
「それは良かったです」
「……あぁ、やっぱり日本酒を呑むと酔ってくるね」
「お酒に酔うって、具体的にはどんな感じになるんですか?」
「人それぞれだけれど、僕の場合は体が温かくなって、眠くもなって……何だか気分が良くなるかなぁ。ふわふわするっていうのかな」
お酒に弱いのは分かっているし、日本酒くらいで留めているからこの程度だけれど、もっと強いお酒を呑んだらどうなるか。日本酒を呑んでも普段とさほど変わりない様子の羽賀が凄いと思っている。
「そうなんですね。私は呑むとどうなるんだろう……」
「20歳になるまでは試さないでね。でも、美来の場合は甘えてきそうな気がするな」
「もしそうだとしても、甘えるのは智也さんだけですから」
「そうであってくれよ。美来は僕の妻……なんだから。あとはせいぜい、有紗さんや結菜ちゃんや果歩さんくらいで」
「もちろんですとも、あなた」
「……よろしい」
あぁ、酔ってきてるな、僕。ビールくらいなら普段とさほど変わりないけれど、日本酒くらいの強さのお酒を呑むと……酔ってきちゃうんだよなぁ、これが。
「ささっ、お注ぎしますよ」
「どうもありがとう」
お猪口を持ちながら、美来に頭を下げてしまった。あぁ、酔ってる。頭の中では分かっているだけれど、普段ではあまりしない行動をし始めている。気を付けなければ。
「智也さん、あーん」
「……あ、あーん」
美来にフライドポテトを食べさせてもらってしまった。僕が酔っているからか、普段なら僕が断りそうなことをしてくる。まったく、可愛い奥さんなんだから。
その後も、美来と一緒にゆっくりと旅行初日の夕ご飯を楽しむのであった。




