第106話『サタデーコール』
6月4日、土曜日。
美来に囁かれた後、僕は2人のことを考えていたら……程良い眠気が来たので再びぐっすりと眠った。
昨日は9時間も寝たにも関わらず、勾留の疲れが残っていたのか、起きたときには午前8時前だった。
朝食を食べるとき、果歩さんだけはやけにニヤニヤとした表情をして僕と有紗さんのことを見ていた。
どうやら、早朝に有紗さんとお風呂に入っていたとき、果歩さんは起きていたようで、話し声が聞こえてしまっていたようだ。朝食後、結菜ちゃんと雅治さんのいないところで美来と果歩さんから色々と訊かれてしまった。
「ううっ、まさか果歩さんに声を訊かれていたなんて……」
恥ずかしいと言って、有紗さんは美来のベッドに寝込んでいる。ベッドに入るときの有紗さんの顔は、熟れたさくらんぼに負けないくらいに赤かった。僕や美来に顔を見せたくないのか頭までふとんを被っている。
お風呂に入ってキスくらいしかしていないんだけど、有紗さんにとってその声でさえも果歩さんに聞こえてしまったことが恥ずかしいようだ。
「智也さん、何をしますか?」
「そうだね……」
水曜日の昼過ぎからおよそ2日間、勾留されていたからな。こうして自由の身になって美来の部屋にいること自体で幸せを感じている。何かしたいことか。
「テレビを観るのはちょっとな……」
どこかのチャンネルで、平日5日間で起こった出来事を振り返る番組があったと思う。きっと、その番組で確実に僕の事件が大々的に報じられるはずだ。無実になったものの、報道関連の番組とかは観る気になれない。
「……とりあえずゆっくりしようか」
「ふふっ、分かりました。コーヒーでも淹れてきましょうか?」
「じゃあ、お願いするよ。有紗さんはどうしますか?」
僕がそう訊くと、有紗さんはふとんから目元まで姿を現して、
「……コーヒーをお願いできる? 砂糖とミルクをたっぷり」
やっぱりコーヒーなんだ。いや、砂糖とミルクがたっぷりだと、コーヒーではなくてカフェオレなんじゃないだろうか。
「分かりました。では、淹れてきますね」
美来は部屋を後にする。何だか、彼女にはいつもコーヒーを淹れてもらって悪いな。
僕はベッドの側まで行き、ベッドを背にして座る。
「少しは恥ずかしさもなくなりましたか?」
「……なかなか消えないって。お風呂の声を他の人に聞かれていたんだよ? 美来ちゃんならまだしも……」
「僕と一緒にお風呂に入らない方が良かったですかね」
「……入らない方がもっと後悔していたと思うから、一緒に入ってくれて良かった。今は恥ずかしいけれど、智也君と一緒に入るお風呂は気持ち良くて幸せだったから」
「……有紗さんならそう言うと思っていました」
有紗さんの性格上、する後悔よりもしない後悔の方が強そうだから。
すると、後ろから抱きしめられる。
「まったく、智也君ったら……かっこいいこと言ってくれちゃって」
「僕、何かかっこいいこと言いました?」
「……そういうところ」
ふふっ、と有紗さんの笑い声が聞こえる。
振り返ってみると、そこにはいつもの彼女の可愛らしい顔があった。有紗さんと目が合うと彼女はそっとキスしてきた。そして、再び可愛らしい笑みが。
「まったく、私の部屋にある私のベッドで何をイチャイチャしているんですか」
「ひゃああっ!」
さっきの尋問がまだ影響しているのか、部屋の扉のところには美来しかいないのに有紗さんは大きな声を上げる。
「そんなに驚いてしまいましたか? 逆に、今の声に驚いて危うくコーヒーをこぼしてしまうところでしたよ……」
「ご、ごめんね。美来ちゃん」
「まあいいですけどね。さあ、淹れましたので飲みましょう」
僕達は3人で朝食後のブレークタイムを過ごす。僕の家じゃないけれど、美来や有紗さんと一緒にコーヒーを飲むと落ち着くなぁ。
だけど、それも今のうちで、どちらと付き合うのかを決めたら、こういった時間を過ごせなくなってしまうのかな。いや、過ごせるだろう、きっと。
「どうしたの? 智也君、何だかしみじみしちゃって」
「いや、また2人とこのような時間を過ごせるとは思っていなくて。しかも、こんなにすぐに」
「なるほどね」
「何だか、今の智也さんは激動の時代を生き抜いてきたおじいちゃんみたいです」
「お、おじいちゃんか……」
せめて「おじちゃん」と言ってほしかったな。そんなに僕の顔には生気がないように見えるのかな。実際にまだ疲れは残っているけど。
2日間だけど、逮捕されて勾留されていたからな。それまでの10日ほどは美来のいじめを解決するために動いていたし。そう考えると、大げさだけど激動の時代を生き抜いたと言えるのかもしれない。
「こうしてまた過ごせるようになったからいいけど、本当に許せないよね。智也君を嵌めた人達のことを」
「そうですね。僕を起訴まで持って行ければ『TKS』の立てた計画は完遂と言えたんでしょうけど、実際には僕は無実であり、それをきっかけに警察の不正まで明らかになりましたからね。かなり大きな事件になりましたね」
僕は無実になったけれど、黒幕『TKS』にとっては僕が逮捕されて、世間に非難された段階で計画は成功したと考えているかも。ただ、僕が起訴され、裁判で有罪になることにまで拘っているなら、また動き出すかもしれない。
「黒幕『TKS』は誰なのでしょうかね、智也さん」
「……諸澄君だろうね。99%の確率で。羽賀達も『TKS』は諸澄司である可能性を念頭に捜査しているみたいだよ」
「やはり、智也さん達もそう考えていますか」
僕達「も」か。
もし、仮に諸澄君が『TKS』だったなら、美来がクラスでいじめられているときに、美来のことを助けるような発言をしなかったり、いじめの原因となっている噂を否定しなかったりする理由も分かってくるかもしれない。
――プルルッ。
おっ、僕のスマートフォンが鳴っている。
発信者を確認すると、発信者名は『羽賀尊』となっていた。何か事件について情報を掴むことができたのかな。
「おはよう、羽賀」
『おはよう。氷室、ゆっくりと休めているだろうか』
「おかげさまで、ひどい眠気はなくなったよ。まだ疲れは残っているけれど。もしかして、羽賀は今日も浅野さんと一緒に仕事なのか?」
『ああ、そうだ。もう少しでこの事件も解決できそうだからな。状況にもよるが、土日は休まずに捜査をしていくつもりだ。そうなったとしても、休日働いた分は平日にしっかりと休めばいいだけの話だ』
羽賀の場合はきちんとそれができそうだから凄い。まあ、そういう僕も休日出勤は幸いなことに一度も経験したことないけれど。
「昨晩届いたメールを読んだぞ。やっぱり、黒幕『TKS』のTubutterアカウントはネットカフェから利用されていたんだよな」
『……そのTubutterのことなのだが、動きがあった』
「例の『TKS』の身元が分かるような情報が掴めたのか?」
それなら一番いい。事件の解決に向けて一気に進むだろうし。
『そうではない。柚葉さんに犯行を指示した『TKS』のアカウントが復活したのだよ』




