8 崩れた名声
よく晴れた午後、王城の廊下を歩いていると、見知った人物が向こうからやって来るのが見えた。
丁度良い、と俺は考え、軽く手を挙げる。
「やあ、マリオット辺境伯。久しぶりだね」
エリザベス嬢が処刑された頃から会っていないから、3週間振りだ。
「殿下、お久しぶりです」
俺に一礼したマリオット辺境伯は、相変わらず年の割には体型を保っている。鍛えているのだろう。ただ、白髪だけは増えているように感じた。
「いきなりで悪いけど、今暇かい?」
「ええ、問題ありませんが……」
「じゃあ、少し仕事を手伝ってくれないかな?」
「はい」
頷いたマリオット辺境伯に、俺は内心安心した。一人で終わらせられる量じゃなかったのだ。
「そういえば殿下、ご存知ですか?貴族議会に新たな議員が加わる事を」
声を潜めたマリオット辺境伯に「ああ、そんな話が上がってたね」と、俺は思い出す。
貴族議会の議員資格は、伯爵以上の貴族当主だ。
当主の代替わりでメンバーは変わるが、それは数年に1度の割合でしかない。
滅多に変わらない貴族議会の顔ぶれが変わるということだけでも話題となるのに、今回の件は異例中の異例だった。
ジェニー嬢の父親であるペティエット男爵が、貴族議会に加わるらしい。
その為に、男爵から伯爵へと昇進させるそう。
「ペティエット男爵って、何か国に貢献したかな?」
俺の疑問に、マリオット辺境伯は難しい顔をした。
「……いえ、儂が覚えている限り、無かったように思いますぞ」
「うん。私も記憶にないね。誰が二階級も位を引き上げるなんて言ってるの?」
「国王陛下が直々に、らしいですぞ」
「呆れた」
周りの反発が大きいだろうに。
額に手を当てて、溜め息をついた。その時、俺を呼び止める声が背後から聞こえて、振り返る。
「殿下、これを」
黒髪碧眼の爽やかそうな青年――メーラー侯爵は、執務室に向かおうとしていた俺に1通の書状を差し出した。
「これは?」
受け取りながら聞くと、メーラー侯爵は渋い顔をして答えた。
「バイゼン皇国からです」
――来た。
リーゼンバイス王国は、ベルンハルト王国の左隣にある。
その逆、右隣には永世中立国であるバイゼン皇国が位置している。
フリードが留学してきた事といい、また厄介事かと容易に想像がついた。
「メーラー侯爵、一緒に来てくれ」
「はい」
俺の言葉に大人しく従ったメーラー侯爵だったが、俺の隣にいたマリオット辺境伯には敵意を向けた。
辺境伯と侯爵の位は大して変わらない。メーラー侯爵は俺に敵意を向けられない分、マリオット辺境伯に向けているのだろう。
昔、俺とメーラー侯爵にエリザベス嬢を加えた3人で、よく外交関係について議論をした。
仕事の為、1年の半分しかメーラー侯爵はいなかったが、彼の話は濃くて為になるものばかりだった。
仲が良かったのは、エリザベス嬢が居た時までの話。
感情を表に出さない彼の俺を見る瞳は、失望と怒りの色が今も宿っている。
彼はエリザベス嬢の処刑に大反対していた。
執務室に戻り、書状を確認すると、此方も第二皇子を留学させたいとの内容だった。
バイゼン皇国の第二皇子は中々の切れる皇子と聞く。
だが、バイゼン皇国の方もベルンハルト王国に攻め入るか否か、内情を確かめようとしているのだろう。
あからさますぎる。
永世中立国は他国同士が戦争した際、どちらの味方にも付かないだけであって、平和主義を掲げている訳ではない。
だから、自国を広げようという思想があっても、おかしくはないのである。
むしろバイゼン皇国は軍事に特化し、自国を広げようという傾向が強い。
そのバイゼンが、ベルンハルトとリーゼンバイスの仲違いの危機を見逃す訳がないだろう。
ある意味、リーゼンバイスよりも厄介と言うべき相手だ。
一通り読み終えた俺は、椅子に深々と腰掛けて、溜め息をついた。
「リーゼンバイスにしても、バイゼンにしても、私を舐めているね」
マリオット辺境伯とメーラー侯爵は、俺の声に反応する。
「他所からだと、身分の低い娘に入れ揚げて、恋に盲目になった愚かな王太子に見えるのだろうね。……まあ、そうにしか見えないから、当たり前か」
その前は、文武両道、眉目秀麗、温厚で非の打ち所がないと有名な王太子様だったのに、相当な堕落ぶりだ。この件で苦労して積み上げてきた名声は、一気に崩れた。
王太子は馬鹿だから、簡単に取り入る事が出来る、とバイゼンも思ったのだろう。
「まあ、特に断る理由はない。この件に関しては、ベルンハルトは受け入れる他ないのだけれど」
直ぐに貴族議会と国王陛下宛に報告書を書き、メーラー侯爵に渡す。
こういった件は始めに国王陛下の元に行くのだが、2年程前から俺が国王の仕事の半分を担っていた。
国王が仕事を溜め込み、王城の文官が俺に泣き付いてきたのが切っ掛けだ。
その当時は、エリザベス嬢も手伝ってくれていたので、まだ仕事をこなせていたのだが、最近は溜まる一方。
いい加減、1日の大半を取られる学園との両立が厳しくなってきた。
机上に積み上げられた、今日までが期限の膨大な書類を一人では捌けないと思い、たまたま居たマリオット辺境伯に手伝いを頼んだのだが、……手伝いは多いに越したことはない。メーラー侯爵はそこそこ信用できる人物だし。
チラリとメーラー侯爵を見上げて、俺は有無を言わせぬ黒い微笑みを浮かべた。
「メーラー侯爵、貴方の時間を少し私にくれないか?」
「…………これ、国王陛下預かりになるべき重要案件ですよね?」
「そうだね」
顔を引きつらせながら、メーラー侯爵は書類を一つ一つ確かめていく。手が動くにつれて、彼は「これでよく今まで政治が回っていたな……」とぼやいた。
若くして外務大臣を務めているだけあってか、仕事は速い。
マリオット辺境伯もいるので、今日までが期限のものだけでなく、明日期限のものまで終わりそうな勢いだ。
メーラー侯爵は、俺が国王陛下の仕事を手伝っている事は知っていた筈だ。だが、さほど重要なものではないものだろうと思っていたのだろう。
本来ならば、王妃様がこなさないといけない仕事も入っている。国王陛下が王妃様を追い出したせいで、仕事が増えたのは自業自得だ。
それが丸々俺に回ってきているのだから、本当に勘弁して欲しい。正式な補佐官がいない状況では、書類を捌く時間が掛かりすぎるのだ。
寝不足で頭が鈍く痛む。こめかみを揉みほぐしながら、書類を読み進めていく。
特に行事はないのに、忙しい。エリザベス嬢が抜けた穴は、大きかったという事か。
空が橙色に変わる頃、漸く明日期限の書類まで終えた俺は、ほっと一息ついた。
その様子をメーラー侯爵とマリオット辺境伯は、やや疲れきった面差しで見る。
「すまない。貴重な時間を取らせたね。お陰で仕事がはかどったよ。ありがとう」
「いえ、大丈夫です」
「殿下のお役にたてたのならば、光栄ですぞ」
苦笑しながら感謝すると、メーラー侯爵は物言いたげな顔をし、マリオット辺境伯はおおらかに笑った。
メーラー侯爵は暫し迷っているような雰囲気を見せたが、やがて決意した瞳で俺を映した。
「不敬を承知で、殿下にお聞きしたい事が御座います」
「何かな?」
「殿下はエリザベス様を助ける事が出来たのでは?」
エリザベス嬢の処刑に俺が反対した事は、貴族議会に出席した全員が知っている。外務大臣のメーラー侯爵なら、人一倍エリザベス嬢処刑がもたらすデメリットについて、よく分かっていただろう。
彼の問いに、俺は思わずふふっと声に出して笑った。
おかしくておかしくて仕方がない。
誰も彼も、俺が何でも出来ると思いすぎだ。
ひとしきり笑った後、怪訝そうな表情のメーラー侯爵に向き直った。
「王太子という座は、確かに高い位だ。でも王太子に与えられた特権は、無いに等しいんだよ」
貴族議会や国王の権力には到底及ばない。
何故なら王太子という地位は、俺のような成人前の王族の子供が就く事が多いのだから。
一々国王に許可を貰わなければならないから、独断では何も出来ない。
ハッと今更悟ったような顔をしたメーラー侯爵に、俺は更に言い募った。
「貴族議会と国王には、逆らえない」
メーラー侯爵も、マリオット辺境伯も、同じだ。
悔しさを滲ませ、二人は俯く。
「懺悔なら教会でやった方が良いよ」
――表立ってエリザベス嬢を擁護する人は、追放されてしまうだろうから。
王命の下で、刑は執行された。
それに反論するのは、王命に背くのと同意。
アメジストのピアスに触れる。指先から、冷たい石の温度が伝わってくるようだった。
俺は酷く無力で、何も持たない子供だと思い知らされた。
どんなに足掻いても、努力しても、王太子として欠陥品でしかない俺は所詮欠陥品のまま。
嘗て思い描いた未来は、日を追う事に崩れていく。
窓から差し込む橙色の陽が、無力にうちひしがれる俺達の影を長く伸ばしていた。




