15 愛おしい少女は何処へ
今回少し長めです。
きゃっきゃと笑い声と喋り声が飛び交う中で、俺は思わず手に持っていたペンを握り締めた。机上には、休んでいた分の課題が積まれている。内容自体は大したこと無いが、量が多い。
俺の執務室に資料を取りに来ていたマリオット辺境伯も、室内の状況に思わず顔を険しくする。体格が良いのと、加齢による皺が、彼の凄みを増幅させていた。
それでも追い返せない理由がある。
俺は無言で、マリオット辺境伯に怒りを抑えるように指示しておいた。
彼も愚行は犯さないだろう。
俺の予想に反して、マリオット辺境伯は俺の執務室の本棚を覗く等して、室内に留まる。
何をしているかこっそり様子を窺ったら、王太子の執務室でばか騒ぎしている者達を隠れて監察していた。
彼も怪しいと、漸く気付いたのだろう。
意外と、遅かったな。
「なあなあ、聞いてくれよ!アルフレッド」
マリオット辺境伯と王太子である俺が雑に追い返せない程の人物――隣国リーゼンバイスの王太子フリードリヒ・リーゼンバイスは、キラキラと目を輝かせて僕に迫ってきた。
来賓用ソファに座る、俺の側近達とジェニー嬢とすっかり仲良くなったらしい。
隣国の王太子がいる為、いつもの執務に使っている部屋――執務室は来賓用の執務室と通常の執務室、仮眠用の寝室の3部屋になっている――とは別の来賓用の部屋を使っている。最近は側近達といる時ですら、来賓用のだが。
課題から顔を上げて、フリードに先を促すと、彼は何故か胸を張って得意気に言い放った。
「昨日言いそびれてたんだけど、俺、好きな人に求婚したんだ!!」
フリードの顔から課題に視線を移し、僕は再びペンを進める。
昨日の夜は俺が飲み物に睡眠薬を盛ったので、フリードはほとんど何も話さずにすぐに寝た。
宿の周囲では暗部同士がやり合ったらしく、時々小さな金属音が聞こえたけれど、俺達の所まで来た暗殺者はいなかった。
セイドリックも頑張ってくれたらしい。
徹夜明けというのに、セイドリックは今も俺の後ろに控えて手が回らない雑事を引き受けてくれていた。
「……へえ」
「え?!相変わらずだけど、もうちょっと何かねえの?!」
「課題を終わらせる事より優先性を感じられない……かな。ちょっと静かにしてほしい」
「ひでえ!」
ぷくうっと頬を膨らませるフリードに、僕はげんなりした気持ちになった。
フリードの目が聞いてほしそうにしている。
「フリード、おめでとう。どんな人?」
普通、王太子が求婚したらよっぽどの理由がない限り、相手は断れない。
だから、僕はこの言葉を選んだ。
しかし、フリードは首を横に振った。
「いや、『夫がいるのでごめんなさい』ってさ」
「……流石に人妻を狙うのはどうかと」
僕は思わず呆れてしまった。何やってるんだ、フリードは。
「いや、彼女はリーゼンバイスの公爵家の縁戚の姫で、身寄りが居なくなったからって公爵が引き取ったんだってさ。身寄りがなくて夫がいるってことは、好き者のオヤジが若いうちに彼女をめとったけど、ポックリ逝ったとかそんな所だろ。彼女はきっと未亡人だ。あんな綺麗で素晴らしいし、頭も良い最高のレディなのに!!」
「へえ」
「留学が終わったら、求婚と周囲の説得に忙しくなるぞ!」
何気ない、フリードの一言が胸に刺さった。
留学が終わったら――ベルンハルトのタイムリミットはあと少ししかない。
なのに、成果が出ない。
左耳に手をやる。
相変わらずそこには、アメジストがあった。
――果たさなければいけない、約束がある。
「あの、アルフレッド」
いつの間にか下がっていた顔をあげ、目の前の男爵令嬢を見る。
さっきまで俺の側近達と話していたジェニー嬢は、ついと俺の左耳を指差した。
「それずっと付けてますよね?」
「そうだね」
否定する理由はないので、頷く。
ジェニー嬢の言葉に侍従のドイルが目を瞬かせた。
「確かにずっと付けてるよなー。俺達と会った頃からもう付けてたっけ?」
「言われてみればそうだねぇ」
レンドルがおっとりした口調で、ドイルに同意した。
彼等と会った12歳。それより2年前からこれを――全てを見透かすような、あの綺麗な瞳と同じ色をしたアメジストを付けている。
「とても綺麗だわ」
キラキラと無邪気な子供のような瞳をした、ジェニー嬢を見て、唐突に不安になった。
俺は皆の目から隠すように左手で左耳を覆う。
綺麗なのは当たり前だ。
だってこのピアスは、俺が石から選んで作らせた特注なのだから。
あの瞳と同じ色をした石を、探したのだから。
「欲しいな……」
上目遣いをして、ポツリと溢すように呟いたジェニー嬢の言葉に、俺の心が冷えていく。
手足に温度がいかない。震える指先を隠すよりも先に、俺は言っていた。
「駄目」
「えっ?」
「これは、駄目」
机上にあるペンでも良い。俺が今使っている懐中時計でも、腕輪でも良い。
だけど、これだけは、駄目だ。
大切なものだから、大事に大事に仕舞い込んでもよかった。
でも、そうして手を離してしまうと、2度とこの手に戻らない気がしてどうしても耳から外せなかった。
「おいおい、アルフレッド。女の子にねだられたら、男としてプレゼントしなきゃだろー?」
「嫌われてしまいますよ」
やれやれといった様子のドイルにエリア。マリオット辺境伯は、固唾をのんでこの状況の行く先を傍観している。
彼は俺がこのピアスに固執する所を見てしまったから。
「……アルフレッド」
咎めるように見てくるユーゴも、不思議そうに俺を見るレンドルも、呆れたような様子のドイルとエリアも。
皆何処で道を違えてしまった?
彼等の俺への忠誠心を感じていない訳ではなかった。
アンク達に比べると強いものではなかったけれど、俺に仕えてくれる存在が増える事に、俺は喜んでいたのだ。
彼等はエリザベス嬢を嫌っていたけれど、どちらかというと俺という主人をエリザベス嬢に取られた気分だったのだろうと思う。
彼等だって、最初は小さなわだかまりしか持っていなかった。
年と共に消えていくような感情だった、筈なのだ。
それを上手に利用された。
俺は彼等の近くにずっと居たのに、気付けなかった。
友人だと、俺は思っていたのに。
いや、最初から彼等は俺の事なんて見ていなかったのかもしれない。
誰もが認める完全無欠の王子様。そんな偶像しか見ていなかったのかもしれない。
ジェニー嬢が現れて、全てを引っ掻き回したのは、もうある程度の用意が出来ていたからだ。
全ての異変の原因は、もっともっと前からだった。
ジェニー嬢の桃色の瞳を真っ直ぐに見据える。
奪うのか?
俺の大切なものを、これ以上奪うの?
小さく深呼吸してから、上手く感情をコントロールする。高ぶっていた感情が凪いだ。
「これは人にあげるような物ではないから、今度別の何かをあげるよ」
ニコリと微笑んで見せると同時に、執務室の扉が大きく開かれた。
「ジェニーちゃああん!!……って、あら、どうしたの?」
「あっ、……いえ、何も……」
煌めく金髪に気の強そうな薄紅色の瞳。華やかな容姿の第一妾妃様――母上は、この部屋に漂っている異様な空気を察知して、顔をしかめた。
それにジェニー嬢が首を振る。しかしそれは弱々しく、うるうると瞳に涙の膜を張った全く説得力のないもの。
これでは何があったか丸分かりだ。
案の定、母上は眉をつり上げてジェニー嬢の慰めに回る。
そして、俺を視界に捉えた。
「アルフレッド!!一体これはどういう事なの?!」
「母上、本当に何も御座いません」
「嘘よ!じゃあ何でジェニーちゃんが泣いているの?!」
「さあ、私にも何がなんだか」
肩をすくめて分からないと告げると、母上は更に俺を睨み付けてきた。
本当、泣かれるとかタイミングが最悪すぎる。
でも、母上と父上にはこのピアスの意味を悟られる訳にはいかない。
これだけは、奪われてはいけない。
俺は国王陛下と議会と世論にだけは、逆らえないから。
でも、エリアが母上に普通に話してしまった。
「アルフレッドが持っているピアスをジェニーが欲しがったんですよ」
「なあんだ。アルフレッドあげなさいよ」
「母上、これは貰い物なので」
やんわりと断る僕に母上は目尻をつり上げて怒鳴った。
「アルフレッド!ジェニーちゃんが可哀想だわ!!良いじゃない。貰い物だろうが、きっとジェニーちゃんに付けてもらえるのなら、アルフレッドにプレゼントした相手も喜ぶわよ。だってもうすぐ王太子妃になるんですもの」
「これだけは、駄目です」
僕の返答で、急激に部屋の温度が下がるのを感じた。
分からないほど馬鹿ではない。やらかした。この男爵令嬢を泳がせるつもりで様子を見てたのに、失敗した。
それでも、これだけは譲れない。
「アルフレッド……貴方、何言ってるのよ……!」
低い声で呻くように母上が歯を食い縛る。
前言撤回しても遅いと悟り、もう一度癇癪を起こした子供を慰めるように言葉を紡いだ。
「これは人に譲るようなものではないのです」
俺の言葉に訝しげに眉を寄せた母上は、顔を背ける。
そして、俺の後ろにいたセイドリックへと声を掛けた。
「ねえ、そこの貴方。アルフレッドの文官?見かけない顔ね」
「お前達、何をしている?」
突然響いたバリトンボイスに、俺の頭の中の警鐘が鳴った。
耳鳴りがしたように一切の雑音が聞こえなくなる。
不味い。本当に不味い。
顔から血の気が引いていく。
「へ……いか」
少し掠れた声で、その人を呼んだ。
長い金髪に俺と同じ碧眼。気弱な雰囲気の彼だが、持っている権力故に俺にはとてつもなく恐ろしい人のように思えた。
「陛下、アルフレッドがジェニーちゃんにピアスをプレゼントしてあげないの」
セイドリックに構おうとした母上は、父上に向かって甘えた声を出し、その胸元に擦り寄る。
父上はそれを優しく抱き止め、俺を見た。
「良いじゃないか。ピアスの1つや2つ位。減るもんじゃないだろう?」
何て、言えばいい?
思わず息が詰まって、うまく吸えなくなった。
「あっ、あのっ、いいんです!大丈夫です!アルフレッドが大事にしているなら、無理に取っちゃ……」
わたわたしたように手を振って父上を説得するジェニー嬢に、周りが仕方ないと言うような顔をする。
大人しく父上が引いたのを見て、ジェニー嬢は俺をジッと見つめてきた。
引き込まれそうになる桃色の瞳に真正面から見つめられる。
ジェニー嬢はそっと俺の両頬に手を添えた。
「ごめんなさい……。我が儘を言ってしまったわ。私、こんなのじゃ駄目ね……。アルフレッドに相応しくないわ」
弱々しく謝るジェニー嬢を援護する声が何処からか聞こえてくる。
その邪魔な声は段々遠くなって、世界にジェニー嬢と俺だけしか居ないような錯覚を起こす。
そう、目の前にはジェニー嬢だけ。
俺がジェニー嬢の頬へと手を伸ばしかけた時、俺の頭に割れるような痛みが走った。
「……っ?!」
「アルフレッド?!」
声にならない呻き声を上げて崩れ落ちた俺をジェニー嬢は思わず支えようとしたが、耐え切れずに2人して床に倒れ込む。
脈打つように激しく痛む頭を押さえながら、俺はぼやけてくる視界で必死に探し物をした。
忘れてはいけない。忘れたくない。
大事に大事に想ってきて、ずっと隣にいて、彼女の隣に帰りたくて。
俺から手を離して遠くに行ってしまった悔しさも、守れなかった自分の非力さに打ちのめされた事も、全部全部真っ白へと変わってく。
そうして、俺は目の前の少女を視界に捉えた。
すごく苦しそうで、憔悴しきっている少女。愛らしい桃色の瞳は、今にも涙がこぼれそうだった。
手を伸ばして、少女の目尻に浮かんだ涙を拭ってやる。
腕が思うように動かない。意識も段々ぼやけてくる。
それでも少女を安心させる為に、淡く微笑んで優しく言葉を紡いだ。
「……ほら、泣かないで。ちょっと、疲れてただけだから」
俺は一体何を必死に探していたんだろう?
薄れゆく意識の中で、俺は思う。
愛おしい少女は目の前にいたのに。
お金が減りますよ、国王様。
動き出しました〜。次回の更新は明後日です。
毎日更新できる人本当すごい。




