10 知ってるから
ほんの少し涼しい風が吹き抜け、ざわざわと草木が音をたてる。芝生が日光に反射し、キラキラと光った。
所々で生えている小さな野花がゆらゆら揺れている様を、芝生に寝転がっていた俺は、ぼんやりと眺めていた。
「アル」
鈴の音のような可憐な声が、僕を愛称で呼ぶ。声の方を向こうとする前に、俺の視界が不意に翳った。
眩しい程綺麗なプラチナブロンドの長い髪を横結びにしたその人は、悪戯っぽく笑ながら、しゃがんで俺の顔を覗き込む。だけど俺の顔を見るなり、アメジストのようなアーモンドアイを大きく見開いた。
桜色に染まった唇が、への字を描く。
「アル、また一人で泣いていたの?」
眉も下げて問うてくる彼女に、俺は思わずグッと言葉を詰まらせた。
何でも見透かしてしまいそうなアメジストの瞳から逃げるように、視線をさ迷わせる。
それでもジッと見つめてくる彼女に耐えきれず、1つ溜め息をついて上半身を起こした。
彼女は俺の隣にちょこんと三角座りで腰を下ろす。俺もぞんざいに胡座をかいた。
王城に隣接している森林の奥深く、彼女と俺以外滅多に人が来ないこの場所は、俺達が自由でいられる所だった。
「……で、どうして泣いてたの?」
黙りを決め込む俺に、彼女は尚も迫ってくる。
それでも理由を頑なに話さない俺に痺れを切らしたのか、ボソリと彼女は呟いた。
「アルは泣き虫で、女々しくて、甘党で、根暗で、暗いの平気なのにおばけが怖くて、悲しい本と動物のドキュメンタリーの本はいつも号泣して」
「ちょ、止めさしてるからねそれ!」
隣で指を折って、俺が人に言いたくない欠点を挙げていくエリは、得意顔をした。
「温厚で文武両道、眉目秀麗の完璧王太子アルくんの人には言いたくない弱点は、まだまだあるけど」
「本当勘弁して……」
ぐったりと額に手を当てる俺に彼女はせっついた。
「ほらほら!今更弱味の1つや2つ、増えたところで何にも変わらないって!」
「……うん。俺は幾つ弱味を握られてるんだろうね……」
遠い目をしてしまったけど、隣に座る彼女のアメジストの瞳が思ったより真剣で、俺は一呼吸おいて話始めた。
「俺……、やっぱり、この国が嫌いだ」
未来の国王となる事が約束されている者がその言葉を言うのは、許されない。
自国が嫌いな国王なんて、欠陥品でしかない。
だけど、俺は言わずにはいられなかった。
「どうして俺なんだろう。国王になりたい人なんて、沢山いるだろうに。俺は嫌だよ。朝から晩まで勉強漬けで、常に他の人との出来を比べられてさ」
勿論聡い彼女とも何度か比べられた事がある。それと同時に、彼女だって他の人と比べられてるって事も知っている。
未来の国王と王妃だからって。
俺の出来はそんなに良くないのに、俺は弱いのに、一人っ子だから国王になる道が決まってる。
「父上も本当の母上も会いに来てくれないし。厳しかったけど、王妃様は僕の事可愛がってくれたのに……。国の皆が王妃様追い出しちゃったんだ。俺は王妃様を追い出した人達、皆大嫌いだよ」
リーゼンバイスから嫁いできた王妃様は、いつもベルンハルト王国を気にかけていたのに。
王妃様の頑張りを、何で皆は分からない?
「あー……駄目だな。俺……」
手で顔を覆って俯くと、ポンと彼女が俺の頭に手を置いた。
「駄目じゃない人間なんていないわよ。私だって駄目だもの」
え、何処が?と、突っ込もうとして面を上げると、思ったより近い位置に彼女の顔があって、
次の瞬間、唇に温もりが触れた。
数秒間、触れるだけだったそれが離れた時、彼女のプラチナブロンドの睫毛が俺の睫毛と触れる距離で、彼女は唇に魅惑的な弧を浮かべた。
「大事なのは、自分が思い描いてる理想に近付く為の、努力をすることなんじゃないかしら?」
ポカンと間抜けに彼女を見返す俺に、急に恥ずかしくなったのか彼女はほんのりと頬を染めて、狼狽えたように視線を逸らした。
「よ、要するに、投げ出さずに努力し続けてるアルは十分凄いってこと!」
暫く呆気に取られて彼女を見つめていたが、横目でこっそりと俺の反応を窺う彼女の様子に、思わずクスリと笑みが溢れた。
「え、な、何で笑うの?!」
若干涙目になった彼女は拗ねたように口を尖らせ、俺の左頬をつねってくる。
その様子に更にクスクス笑ながら、ごめんごめんと謝った。
「謝る気ないでしょ」
ますます剥れる彼女にもう一度ごめんと謝って、俺は笑ながら頬をつねる彼女の手を握った。
「社交界の薔薇って呼ばれてる、妖艶で狙った男は逃がさない遊び人だなんて誰が広めたんだか……な」
「そんなの悪口よ。いちいち気にしてる方が負けだわ」
「え、勝ち負けの問題?薔薇って聞くと赤を思い浮かべるけど、エリはピンクとか白が似合いそうだよな」
「嫌よ。子供っぽいじゃない」
「え゛っ……子供っぽい?!一応誉めたんだけど……」
思わず呻いた俺を見て、彼女はクスクスと朗らかに笑う。
「でも、ピンクも白も嬉しいわよ。何だか可憐とか、純粋とか、女の子らしい色じゃない?ほらほら、私にピッタリ!」
「暇さえあれば、騎士団に混じって剣振ってるのに?」
「もおお、いいじゃない!確かに花言葉はさっぱりだけど、たまには女の子みたいにしたって」
「女の子みたいじゃなくて、女の子でしょ」
俺の一言に、彼女は顔を真っ赤に染める。
彼女の左耳で雫型の、色の薄いサファイアが、小刻みに揺れた。
「ずるい。アルはずるい。泣き虫なのに」
「あー……。さっきのは、格好悪かったな」
「そんなことない!」
いきなり噛み付くように大きな声を出した彼女は、その後風船が萎んでいくように段々と小さな声になった。
「アルは頑張ってる。頑張ってる人が格好悪いなんて事ないもの。そ、それに、私はアルの、お、奥さん、だ、し」
「ふふっ、そうだね」
そのまま指先を絡め合った俺達は、どちらともなく雲1つない青空を見上げた。
「私は、知ってるから。アルが頑張ってる事」
ポツリと彼女が呟いた言葉が、自然と俺の胸に滲みた。
足掻いて、踏ん張って、這いつくばって、それでも俺自身が欠陥品だと、どうしてもこの王国が好きになれないと思い知らされて、絶望して。
絶望した筈なのに、俺はこのままで良いと赦された気がした。
嗚呼、何だかまた泣きそうだ。
悔し涙でも、悲しい涙でも、ない。
彼女という存在が俺の側に居て、彼女の言葉だけで、俺が此処に存在していると安堵した。
「――うん」
微かに震えた俺の声は、俺達を取り巻く清涼な空気の中に溶けていった。
◇◆◇◆◇◆
「殿下、お目覚めになられましたか」
ふと顔を上げると、メーラー侯爵が書類を片手に穏やかに微笑んでいた。
周囲を見渡すと、積もりに積もった書類の山に、それを崩していく3人の文官。
「ああ、寝てしまったみたいだね。すまない」
「いえいえ」
問題ないといったように首を振ったメーラー侯爵と3人の文官に、俺は苦笑した。
また、仕事をしたまま寝てしまった。
手元に視線を落とすと、ペンを握ったままだった。
3人の文官が加わったお陰で、執務が滞りなくはかどるようになった。しかし、そのせいで溜まっていた国王陛下の仕事が更に回ってきた。
どの道俺がいつか引き継ぐ事になるのだろうが、臨時の補佐官を据えただけで国王の執務をこなせる訳がない。早いうちに国王陛下の所と変わらない、しっかりとした体制を整えないと、今いる優秀な3人の文官達を使い潰してしまいそうだ。
国王陛下が即位した当初は、真面目に仕事をしていた。
しかし、王妃様を追い出した辺りから、全くしなくなってしまった。
今までどうやって政治を回してきたのだろうか。不思議だ。
学園通学以前に、重大すぎる問題が多すぎる。
そのうち1つは、早急に解決しないと取り返しが効かない。
只でさえ時間がないのだ。
国王陛下に悪態をつきたくなっても、仕方がない。
「殿下」
「ん?なんだい?」
再び書類に取り掛かった俺を、メーラー侯爵は呼んだ。書類の内容は、とある領主の私兵を増やすといったもの。
俺はそれを見ながら、彼に応じた。
「シンリアの丘には、行かれていないのですか?」
シンリアの丘――別名、大罪人の墓地。
その通り、国で処刑された人々が埋められた墓が立ち並ぶ丘だ。
俺の頭が一瞬にして、書類に書かれた文章の理解を放棄した。メーラー侯爵の言葉ばかりが巡る。
メーラー侯爵の言っていることが理解できない程、俺は馬鹿じゃない。
再度顔を上げると、恐ろしいほど真剣な顔をしたメーラー侯爵がいた。
「1度しか、行ってない」
だから、俺も正直に言った。
そして、眉を寄せて険しい顔をしたメーラー侯爵に、俺は投げ掛けた。
「お墓の中で眠る人は、私の顔なんか見たくはないだろう?」
意地悪で、狡猾で、人の良さそうなメーラー侯爵が答えられそうにないような質問を。
黙り込んだ彼を見て、俺は手元の書類にサインを記す。
右手でペンを持って、左手でピアスを触って。
彼女が此処から居なくなっても、俺は相変わらず、嘘と本当を渡り歩く道化を演じる。それだけは、変わらない。
他の誰にでもない、自分に宛てた皮肉が、ほんの少しだけ胸に刺さった。
ちょっと引っ越しや入学等でドタバタしてて、体調崩してしまいました……。
すみません。少し更新ペース落ちます。2日に1回を目指す予定。




