1 偽りの正義
婚約破棄ものが書きたくて。
正義を振りかざしていた訳ではなかった。
ただ、そうしなければならなかっただけで。
温厚と言われ続けたイメージを自分で崩し、胸を焦がすかのような焦燥感に駆られながら、勢いのままに言い放った。
ベルンハルト王国立学園に通う、全生徒と国中の有力貴族である保護者が集ったパーティーホールの真ん中で。
「エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢!学園内での虐めの首謀と盗賊団を使って殺人未遂。この罪は重いぞ。この場で貴女との婚約を破棄させてもらう!陛下からのご命令である!」
「そ……んな……」
エリザベス・フィレイゼル。その名と同じく有名な呼び名がある。
社交界の薔薇。
美しく、気高い彼女は、誰も触れられない棘のような雰囲気をいつでも、どんな時でも身に纏っていた。
――筈だった。
騎士に両腕を拘束された彼女は、俺の発言に白磁のような白い肌を更に白くする。
呆然としていたのは僅か数秒で、彼女はアメジストに似た綺麗な瞳を俺の隣にいた少女へと向けた。
鋭い視線にその少女は怯えたように肩を竦めて、一歩後ろへ下がる。すると俺を取り囲む四人の男が、少女を守るように公爵令嬢の視線を遮った。
それを見て、公爵令嬢は諦めたように少女を目で追うのを止め、俯く。
彼女の見事なプラチナブロンドの長い髪が一房、肩から落ちた。
全ての切っ掛けは一体何だったか。確か俺の友人の一人がジェニー嬢という、男爵家の令嬢に惚れてからだったと思う。
恋人も婚約者もおらず、女と話した場面さえ見た事がない、剣が恋人かのような朴念仁のユーゴが好きな人が出来たと言い出したのだ。
俺と友人達は興味津々で誰かと根掘り葉掘り聞き、彼に協力してやろうと勢い込んでいた。
しかし、不思議なことに友人達はジェニー嬢と話す度に軒並み陥落していく。
将来の側近として、幼い頃から一緒にいた友人達がジェニー嬢を連れ回すから、自然と俺とジェニー嬢の接点も増えた。
多分、それから直ぐの事だった。
エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢の取り巻き達と俺の側近の婚約者達が、ジェニー嬢を虐め始めたのは。
貴族間での虐めなんて、よくある事だ。というか、日常茶飯事。
だから、俺は知っていたけど放っていた。エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢も同じだったと思う。
ただ、俺の未来の側近達は黙っていなくて、張本人ではないエリザベス・フィレイゼル公爵令嬢を糾弾し始めたのだ。
勿論俺は友人達を止めた。
だけど、友人達は俺のいない所でエリザベス・フィレイゼル公爵令嬢を批難し続けた。
エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢達が次第に劣勢になっていくのは、予想できた事だった。だから俺は彼女に取り巻き達を上手くジェニー嬢から手を引くよう誘導しろと忠告して、聡い彼女も従い、迅速に対応した。
でも俺が外交の問題で3ヶ月だけ隣国リーゼンバイス王国に留学している間に、事態は最悪になったのだ。
エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢の異母弟であるエリアが、フィレイゼル公爵とエリザベス嬢が共謀してジェニー嬢の殺害計画を立てているという証拠を、公の場に引っ張り出してきたのだ。
俺の側近である騎士団長の嫡男ユーゴ、魔術師団長の嫡男レンドルが盗賊団を壊滅させた時に、盗賊団のアジトから殺害計画が出てきたんだと。
留学していた俺の所まで情報が回ってこなかったのは、俺の侍従もジェニー嬢に心酔していたから。
俺が全てを知った時は、もう遅かった。
エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢は嵌められたのだ。
僕の側近である男達と、一人の女に。
全ては留学から帰ってきてから、国王陛下の勅命で知った事。
羊皮紙の上に幾つも並ぶ罪状を読んで、大まかな事態を把握した。
貴族間での蹴落とし合いなんて当たり前なのに、俺は憤っていた。
俺の留学も、彼女と俺の婚約は、リーゼンバイス王国との友好の為だったのに、と。
騒がしかったパーティーホールは静まり返り、皆固唾を飲んでこの事態の行方を見守っている。数人、喜んだり、俺に咎めるような眼差しを向けたりと正反対の対応をしているが、大半の者は自分は無関係を装っている。
だが、殆どの人は内心で喜んでいるだろう。
筆頭公爵家であるフィレイゼル家存亡の危機、そして王太子の婚約者の座が空くのだから。
俺は前者の反応をした者達には気を留めず、後者の反応をした者達を片っ端から記憶していった。
「わ、私は関係ないぞ!全てエリザベスがやったことだ!」
この場に漂う重苦しい雰囲気に耐えきれなくなったのか、エリザベス嬢と全く違った色彩を持つ、神経質そうな壮年の男性――フィレイゼル公爵が声を上げた。
「よくも、よくもフィレイゼル公爵家の経歴に泥を塗ったなっ!!」
ギリギリと唇を噛み締め、顔を真っ赤に染めるフィレイゼル公爵は、血走った眼をエリザベス嬢へ向ける。
そして、声高々に宣言した。
「エリザベス!お前は勘当だ!この先フィレイゼルの名を呼ぶことは許さん!そして、この婚約破棄の件にフィレイゼル公爵家の関与は一切無い!」
それを受けてか、ほんの少しだけパーティホールのざわめきが戻ってくる。
勘当を言い渡された当事者である彼女は、それに驚きも悲しみもせず、ただ俺を真っ直ぐに見つめた。
「アルフレッド殿下は……」
消え入りそうな弱々しい声で、彼女は俺の名を呼んだ。俺は、無表情で彼女を視界に映す。
その姿は勝ち気で、気の強い、社交界の薔薇と称えられた女と同一人物には見えなかった。
「アルフレッド殿下は、信じて下さらないのですね」
その言葉と同時に、彼女の頬に一筋の涙が伝う。泣き笑いのような表情を浮かべ、彼女は俺を見つめていた。
声に込められていたのは疑問じゃない、確信。
「連れていけ」
答えを求めていない問いには答えない。彼女から目を離し、俺は冷たく騎士に命じた。
絶望よりも諦めに染まった彼女を、騎士達は引っ立てるように荒々しく連れ去っていく。
壊れた人形のように力なく歩いていく彼女の後ろ姿を、俺は見えなくなるまで見送っていた。
言い知れぬ焦燥感が胸を焦がす。
これが正義だと綺麗事を言い切れる程、俺は図太くない。
◇◆◇◆◇◆
石の階段を踏む足音が二人分辺りに響く。国王陛下のご命令で貴人を捕らえるための塔に俺達は登っていた。
ピチャンピチャンと、何処かで水が規則正しく落ちる音がする。上下水道のどちらかが駄目になっているのかもしれない。なんせ、ずっと使われていなかったのだから。
苔やカビの臭いがする中で、塔の上から男二人の焦った声が聞こえた。
「――おい、やばい誰か来たぞ」
「っち、間に合わなかったか。エリザベス様。早くお逃げ下さい。我々が時間稼ぎを致しますので」
見張り役をしていた衛兵か、と声で推測する。
公爵令嬢なのに武芸に秀でていた彼女は、騎士団から慕われていた。ここまでとは思わなかったが。
俺が塔の最上部である鉄格子の前まで来ると、何事も無かったかのように衛兵達は俺に一礼したが、顔が少しだけ苦々しく歪められていた。
それに気付かないふりをして、鉄格子の向こうを覗く。
「エリザベス」
俺が呼び掛けた彼女は薄暗い錆びかけた鉄格子の向こうで、僅かに顔を上げた。
プラチナブロンドは、乱れてしまって見る影もない。あれから1日も経ってないのに、彼女はすっかり疲れきっていた。
彼女の父親であるフィレイゼル公爵家も、彼女を見放した。全ての罪を彼女に押し付けて。
だから今の彼女は、ただのエリザベスだ。
それでも地下牢にではなく塔の上に入れられたのは、つい先程まで公爵令嬢であったからだろう。
俺は懐から1枚の羊皮紙を取り出し、広げて彼女に見せる。
「陛下が直々にお前の処分を決められた。――死刑だそうだ。立会人は私とこちらのマリオット辺境伯。刑の執行は本日。分かったな」
俺の後ろに付いてきた体格の良い、白髪混じりの壮年の男性を視線で紹介する。彼女が軽く頷いたのを見て、俺は羊皮紙を懐に仕舞った。
そして、改めて彼女と向かい合った。
「ここに至る経緯で何があったか、ちゃんと理解しているな?」
重々しく告げた俺の問いに、彼女は頷く。
「私は、嵌められたのでしょう?」
「ああ」
「ならば、弁解も要りませんわね」
「そうだな」
自嘲気味に笑った彼女に、俺は皮肉っぽく笑い返した。
貴族社会で必要なものは、真実ではない。名誉と権力だ。
どちらか片方がなくなってしまった彼女は、もう貴族社会では生きていけないのだ。
貴族社会の正義なんて、勝った者にしかない。
俺の隣に立っていたマリオット辺境伯、衛兵二人は、俺を咎めるように見つめてきたが、俺はまた気付いていないフリをした。
そして胸ポケットから、小瓶を出す。
中に入っている深紫の液体を揺らすようにしながら、彼女に見せる。
「毒……ですか」
さして驚きもせず、彼女はそれの正体を当てる。
俺は、丁寧にコルクの蓋を開けた。
「ああ。貴族の処刑方法は、服毒だ」
「え……でも」
自分はもうフィレイゼル公爵家から勘当された、と続けようとした困惑気味の彼女の言葉を遮って、俺は答えた。
「勘当されたとしても、ずっと貴族として生きてきたんだ。最期も貴族として死なせてやれと、国王陛下のお情けだ」
隣のマリオット辺境伯が悔しそうに拳を握り締めたのが、視界の隅に映った。衛兵二人も武器を持つ手に力が入る。
「それでも苦しんで死ぬだろうが」
俺は深紫の毒薬を見つめ、彼女に差し出す。
彼女は今にも消えてしまいそうな淡い微笑みを浮かべ、それに手を伸ばした。
エリザベス・フィレイゼルは、断罪されたその日のうちに、処刑された。




