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夕暮れ色は間違ってる

■夕暮れ色は間違ってる-1


 教室に戻っても気にする人間はだれもいない。都合2時間時間ほどいなくなっていても、教師ですらそれを気にしない。今授業をしている社会科教師も、俺が授業中に教室に入っても微動だにしなかった。まるで、俺の存在初めからなんかなかったように。俺は、このクラスの空気。誰にも認識されず、誰とも繋がっていない。教師の囁くような声を聞きながら、その現実を再確認していた。

「よーし、じゃあ、今日も歴史の授業やるぞ。今日はフェイスマッシュの成り立ちだ。」

 長髪の社会科教師が教壇の上でしゃべっている。

「増え続ける社会保障費に既得権を手放さない大人たち今世紀にはいってしばらくして。この国はデフォルトした。デフォルトって意味わかるか」

 この男のしゃべり方はどうにかならないのか。ブックには洪水のように大量の補足情報が流れている。

「んーじゃあ大友―」

「わかりません」

 俺は、どんな質問だろうと、授業中は必ずこう答える事に決めていた。これが空気の役目だ。俺が役目を果たしていると、どこからか、消しゴムが飛んできた。

「そうか。じゃあ10ギルマイナスな。んーじゃあ、仁科」

 仁科が立ちあがる。このクラスの見えない秩序の最上位にいる男。

「債務不履行。つまり借金が返せなくなった事です」

 おおーっという声が聞こえる。声を上げていたのは平野と逸見。そう言われるといかにも難問を解いたかのように錯覚される。彼らもまた、この秩序の最上位にいる人間だ。だが、その位置は仁科とは若干異なる。仁科を中心とした、平野、逸見ら7人ほどのグループが最上位グループとして事実上、このクラスの意思決定を担っている。彼らは自分たちで「セブンス」という「サークル」を作って交流している。一方で女子グループは「セブンス」のメンバーでもある山田さくらを中心としたグループがメインのグループだ。山田は以前フェイスマッシュ上の企画で美人高校生と取り上げられたぐらい、美人で端正な顔立ちをしている。彼女らとつかず離れずの距離でいるのが優等生女子軍団。

「よし。じゃあ10ギルプラスな。大友。「チャージ」しといて」

 仁科に10ギル「チャージ」する。すると「調子のってんじゃねぇ」というありがたいメッセージが送られてきた。ありがとうございます。このクラス、というか世の中のすべての組織には見えない秩序があって、その上のクラスの人間には下々のものは絶対に逆らえないようになっている。

「債務不履行に陥ったこの国を救ったシステムがフェイスマッシュだ。」

「当時、先生も大学生だったんだけど、ある日突然銀行がしまって、ATMはもちろん、窓口も一切動かなくなってびっくりしたよ。近くの銀行の支店には顧客が殺到して、ひどいあり様だった。当然大学も休校。食料も買えないもんだから仕方なく学校の友達を集めて下宿の食料を分け合って何週間か過ごしたんだ」

「それって、何が原因だったんですか?」

 女子優等生軍団のリーダー、広田玲於奈が言う。ショートカットに意外なほど童顔のルックスは密かなファンがクラス内にも多いという。彼女は「セブンス」の一員「だった」。

「デフォルトになる少し前から日本国債の金利が上がっていてね。当時、国債の発行残高は2,000兆円ほどあって、日本のGDPの4倍あったんだから。到底返せるような額じゃなかった。だから、金利が上がるのも当然なんだけど」

「そんなに、何に使ってたんですか?」

「広田、いい質問だね。誰かわかる人?」

「確か、年金と保険料ですよね」

 男子優等生軍団のリーダー、学級委員の後藤賢治が答える。このクラスの授業は大体、この二人の掛け合いで進んでいく。

「そうだな。やっぱりその2つが一番大きいかな」

「それがわからないんですけど、年金って一体なんですか?」

「えーと、年齢が65歳になると国からもらえる金かな。一種の保険みたいなものだと思ってもらえればいい。毎月掛け金を払って、65歳になると払い戻される保険。ただし、支払い条件がある年齢に達する事だったから途中で死なない限りほぼ100パーセント払い戻される。しかも、加入は強制。年金には一つ特徴があって、今の世代から取った保険料は今の年金受取世代への支払いに使われるってことなんだ」

「それって、支払う世代の頭数が増えてくか物価が上がる事が前提になってますよね。」

「そういうことだ。で、当時の日本は全くそんな事にはなってなくて、不足分を国債で支払っていた。当時から間違いなく破綻するだろうとは言われていたけれど、その日が具体的にいつ来るかって事は誰も深くは考えていなかったんだろう。で、ある日デフォルトした。それが不思議なもんでね。いざデフォルトしてみるとこれが意外にもいい感じなんだよね。デフォルトした当初は周りの国に日本が征服されるとか、餓死者が続出するとか色々言われてたんだけど、この国の大部分の人達は「逆ギレ」したんだ。あの時のどうにもならない一線を越えたようで、それでいて晴れやかな気分は、実際に体験してみないとわからないよ。一度倒産した「株式会社日本国」は再建される時、今度は完全なる企業として振る舞う事にしたんだ。年金や保険といった不採算部門は民間に全てアウトソース、一方で「日本国民」を担保に世界中の市場から数兆円の資金を調達すると、その金で世界中の優秀なプログラマーを雇った。あれほど嫌がっていた移民も全面解禁。当時の世界的IT企業群から人材を根こそぎヘッドハンティングして、半年でこのシステムを作り上げた。人間に値札をつけるなんて、という人も中にはいたけれど、「人類が使うすべての情報を集め整理する」という思想に共鳴しないプログラマはいなかった。」

「当時、グーグルとかいう会社がその思想を掲げていたんですよね」

 クラス内の定期テスト順位3位の手塚昭雄が言う。男女2トップの下にいる万年3位男。それがこの男のアイデンティティだ。

「さすが。よく調べているね。日本国が国家レベルで推し進めようとしたのがまさにそれだった。つまり、人類の使う情報どころか、人類自体をWebページ上に整理しようとしたんだ。そしてそれは成功した。元々、民間部門では世界トップクラスの技術を持っていたからね。何人かが世界的な業績をあげた事で、フェイスマッシュのシステムの有用性は実証された。彼らはフェイスマッシュを使ってアセットを集めることで成功したからね。我々は自分の人的資本ソーシャルキャピタルに投資をする事で無限の富が作られる事に気がついたんだ。その時、人的資本を担保に借金をし、世界各地に投資をし、その運用益でさらに投資を行うという無限の錬金術システムが完成したんだ。空前規模の借金ももはや問題にする人はいなくなった。そのうち、世界の国々は金が払えなくなったと言うので、仕方がなく、我々は借金を棒引きする代わりに他人の国の経営に参画させてもらうことにしたんだ。債権の株式化ってやつだ。具体的には債権の代わりにその国からいろんなものをもらった。マーライオンやアンコールワットももらったし、ロシアは北方四島を譲ってくれた。欧州議会は我々のために全議席の10パーセントをくれた」

「その結果が今のフェイスマッシュということですか」

「そう。この国では、今や何をするにも、電子マネーを使う。そして、その記録はログとしてフェイスマッシュ上に公開される。例えば、電車でお年寄りに席を譲れば10ギル。ネット上の友達であるフォロワーが一人増えるごとに1000ギル、大学を出れば10,000ギル、結婚すれば50,000ギル、上げた写真やツイートに「good」ボタンが付くごとに1ギル、といった具合に。ギルというのは、電子通貨の一種だな。ギルを消費する事で、ジュースを買ったり、店の会計をしたりできる。良い事をしたり、友達をたくさん作ったりすればソーシャルキャピタルは増えていく。逆に友達が減ったり、学校の授業に出席しなかったりすると減っていく。だから、お前らもしっかり授業に出るんだぞー」

 教師の呼びかけがむなしく響く。われ関せずでまったく話を聞いていないのは後藤隆二。クラス内の不良グループのリーダーだ。学級委員の後藤賢治とは双子の兄弟なのにこの違いは一体なんだろう。授業を聞いていない兄に比べて、弟は真剣にノートを取っている。

「貯めたソーシャルキャピタルは電子マネーとして利用できるし、それを担保に借金することだってできる。家の近所を掃除すればスコーンや、ラテだって買えるし、家だって、家族だって買える。この国では、今や何をするにも、電子マネーを使う。そして、その記録はログとしてフェイスマッシュという国営SNS上に公開される。それだけではない、フェイスマッシュ上にはソーシャルキャピタルとそれを担保にした借金した資産、つまりアセットが公開されている。それも全国民分。俺たちは、自分たちの人的資本を担保に借金する事で、膨大な債務を返済したんだ。ここは絶対にテストに出るからしっかり予習しておけよ。」

 なんだか、急にこの教師はもしかしたらとんでもないことを言ってるんじゃないか、という気がしてきた。フェイスマッシュがそういうシステムならば、いやだからこそ、学校ではジュースもろくに飲めないし、勉強をして、運動系の部活に参加し、教師とは衝突しつつもお互いを認め合い、仲間と恋と青春について語りあわなければならないのだ。そんな世の中でフォロワーが減ったり、学校を休んだりする事がどれだけ「ありえない」事なのかよくわかる。そんな中で誰とも友達がいない「空気」の俺は、どうしたらいいというんだろう。


■夕暮れ色は間違ってる-2


 学校が終わり、市立図書館の自習室の自分の席に座ると、隣の席には坂口美樹が座っている。

「大友君。早いね」

「坂口さんこそ」

「学校、あまりおもしろくないんだ。だから、はやくきちゃう」

 苦笑いする坂口さん。

「はは、実は、俺もそうなんだ」

 お互い、苦笑い。

 坂口さんは、学校内最大のサークルである「高校生ソーシャル課外活動部(H.S.E.C)」の代表として、知らない人間はいない。サークルとは、文字通りフェイスマッシュ上で、何人かのアカウントが集まって作るネット上のサークル活動の事だ。サークル内メンバー限定のメッセージやデータのやり取りもあり、フェイスマッシュで活動していくには必須の機能だ。それどころか、坂口さんはフェイスマッシュでもフォロワー数1万を超える有名ユーザーである。普段はそれを鼻にかける事もないが、現役女子高生カリスマアカウントとして、目ざといヘビーユーザー達の注目の的なのだという。は苦学生らしく、たまに市立図書館で会うことがある。一緒で、家も同じ方向ということで何となく話すようになった。余裕なのか、いい人だからなのかは分からないが、俺にも話しかけてくれる。自習室帰り。お互いぽつりぽつりと話をする。学校の事、勉強のこと、趣味のこと、将来のこと。彼女のショートカットの黒髪が少しだけ風に当たって揺れている。本やドラマの中だけだと思っていた学生らしい時間がすぎる。だが、学校で彼女から話しかけられる事はない。

「あ、綺麗な月。ちょっと待って。写真撮るから」

 そう言って、坂口さんはブックを取り出し、写真機能のアプリを起動する。カシャ、という音と共に、彼女が撮った夜空の写真は彼女のタイムライン上にアップされる。彼女の写真はアップされると同時に、無数の星マークがつく。これは、写真を見たユーザーがその写真を「良い」と評価した証拠だ。この星マークが一つ付くごとに1ギル手に入り、他のユーザーにも拡散される。彼女の一挙手一投足はネット上の注目の的だ。

 だが、俺はそれを見ることはない。フェイスマッシュ上のアカウントは教えてあるし、だけど、彼女は今まで一度も俺にフォロー申請しなかった。まるで、二人の間にはフェイスマッシュなんて存在しないみたいだった。

「じゃ、私こっちだから」

 坂口さんが言う。

「ああ。それじゃ」

 去っていく、坂口さんの後姿を見ながら、同い年なのにあまりにも違う立場について考えていた。彼女と俺の価値には天と地ほどの違いがある。なのに彼女はそれをおくびにも出さずに、俺みたいな人間とも対等に接してくれる。

 例え、図書館の自習室の中だけの関係であっても、俺にとっては唯一の人間らしい時間だ。

 そう、そのはずだった。この日、家に帰るまでは。

今回は学校の授業風景と「フェイスマッシュ」の成り立ちについて。まだまだ続きます。

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