世界中の謎より知りたい、君の心を
■世界中の謎より知りたい、君の心を-1
夏休みになった。
岐阜の夏はとても暑い。冬はとても寒いのに夏暑いのはどういうことだと言いたくなる。この街に住むにはエアコンが必需品だ。だが、貧乏学生にエアコンなんて魔法の道具はそうそう使えるはずもなく。結果として我々は引き寄せられるように学校に集うことになる。
千々石峰から山岸と学校に向かう。この生活は今までと全く変わっていない。変わったのは、外の空気が刺すように痛いことだ。そして、とにかく汗をかく。脂肪にまみれた俺の体はいつの間にか変化を遂げつつあったが、それでもその体からは大量の汗が噴き出ていた。
「なあ、学校行く前にシャワー浴びて行かない。こんなに汗をかいた状態じゃあ、乙女はくらしていけないわ」
何が、乙女だ。だが、提案自体はしごくまっとうなものだった。
「いいね、それ。今だったら誰もいないだろうし」
確かに早朝の更衣室にはだれもいない。
「いいか、私は先に行くけど、絶対にシャワー室を間違えるなよ。あんたは男子シャワー室だからな。絶対だぞ」
念を押す山岸。まさかそんなことする人はいないだろ。と鼻で笑っていた俺は浅はかだった。更衣室で服を脱ぎ、シャワー室に入った途端、シャワーの音が響いていた。確かに男子シャワー室に入ったつもりだったのに。ドアの音を聞きつけ、山岸のハイキックが炸裂する。
「お前は3流ラブコメの主人公かよ!」
一閃。
だが、俺は奴のハイキックを見事にかわし、山岸玲子のお胸(といってもそれほど立派なものでもなかったが)をしっかりと拝んだうえで足払いをしかけた。もっとも、あまりにしっかりと拝見したおかげで、第二撃への反応がコンマ1秒遅れ、まともに食らってしまったが。
ブラックアウト。
岐阜の夏はとても暑い。密閉されたシャワー室の中といえばなおさらだ。ほんの数分気を失っていたとしても、体全体にじんわり汗が浮かんでくる。俺は誰もいないシャワー室でシャワーを浴びた後、図書室に向かった。図書館に行く途中、八巻遥に出会った。これで彼女にあったのは3回目か。レアモンスターの遭遇確率でいえば、なかなかのもんだ。八巻は、心なしか機嫌が良いように見える。
「63パーセント」
「何それ?」
「あなたが山岸玲子にハイキックを喰らう確率」
一瞬、八巻がいたずらっぽく笑ったような気がしたが、次の瞬間、八巻遥はどこにもいなくなっていた。詮索してもしょうがない。気を取り直して、俺は図書館のドアを開けた。
一閃。
俺は山岸の蹴りを上体をそらして受け流した。
「良くかわしたな、変態」
「いや、変態じゃないから。俺が入った時には、間違いなく男子トイレの立て札がかかっていたんだ」
「誰がそんな言葉信じるのよ」
「いや、本当だって!」
「うるさい。まぁいいわ、次やったら本当に殺すからな」
まったくもって、冗談に聞こえない。シャワーを覗いて殺されるなんていう間抜けな人間が、この世にいるとしたら、多分それは俺だ。
「じゃ、また勉強始めなさい」
しかし、本当に間違いだとしたら、誰がシャワー室の名札を変えるなんてことしたんだろう。
「なぁ、あんた、夏休みなのに帰らなくていいのか」
「帰るって、どこに」
「自分の家とか実家とか」
「バカねぇ。社会人はあんたら学生と違って忙しいのよ」
「だけど、同い年なんだろ、俺と。学生らしい事は何もしなくていいのかよ」
「じゃあ、何。学生らしく、夏祭りとか、花火とかに連れて行ってくれるの?」
「ああ、長良川の花火大会にでも行く?俺も子供の時しか行ったことないけれど」
長良川河畔で行われる全国花火大会は、一晩で約3万発の花火が打ち上げられる全国有数の花火大会だ。あたりにはものすごい数の出店や人で、一晩で30万人とも40万人ともいわれる人々が訪れるという。岐阜市の数少ない自慢の一つだ。
「何それ。そんなイベントあったんだ。本当に連れて行ってくれるの?嘘だったら、殺すから」
冗談に、聞こえない。
蹴りがみぞおちに入る。それを皮切りに、相手のラッシュを喰らって。腹に三発。胸に二発。シメに思いっきり蹴り飛ばされて吹っ飛ぶ。だが、俺もここ数カ月の鍛錬によってずいぶん撃たれ強くなった。俺の修行の日々は夏休みだろうが変わらない。
「ほぉ、あれを喰らって立ちあがってくるなんて結構根性あるじゃないか」
「私が毎日鍛えているんだから、こんなんでダウンしてもらってたら困るのよ」
山岸の話し声が聞こえる。確かに、奴のしごきに比べたらずいぶん優しい攻撃ではある。好機と見たか、相手は俺に近づいてきた。決着をつけるつもりだ。俺は無防備な上段への一撃をかわし、カウンターを放つ。吹っ飛ぶ相手。
「勝負ありだな」
男は指を鳴らしながら、準備運動する。
「じゃ、そろそろ俺が行くぞ」
以前、グレアムと名乗ったあの男だ。あれから毎週、俺はグレアム率いるサークル、「クラッシュ」のメンバーと戦い続けている。10人と戦い、10連勝なら俺の勝ち。一人でも俺を倒せれば「クラッシュ」に山岸玲子が10万ギル支払う。負けても俺は痛くもかゆくもないって?冗談言ったらいけない。あの女をなめてはいけない。負けたら翌日のトレーニングは通常メニューの5倍増しなんだから。いつもこなしている懸垂が明日は200回になる。それだけは避けなければならない。
9人抜きまで達成した所で真打が登場する。
「よう、今日もずいぶんご機嫌じゃねぇか」
「そっちこそ」
「じゃ、今日もいっちょもんでやるよ」
グレアムは指を鳴らすと、無防備に俺に飛び込んできた。これだ。パンチの応酬。一瞬でも気を抜くと一気にタコ殴りされる。この手数の多さこそがグレアムの最大の武器だ。たまらず、間合いを取る。すると、無理には追ってこない。だが、この状態ではこちらも手を出せない。不用意にこちらが飛び込めば、手痛いカウンターを喰らうことになる。ここは……俺はグレアムの懐に飛び込んでいた。カウンター。かわして回し蹴りを入れる。これはフェイント、俺はわざと体勢を崩したふりをする。刹那。宙を舞っていたのは俺のほうだった。裏をかいて放ったつもりの俺のカウンターは見事にかわされ、グレアムによって宙を舞っていた。
「惜しかったな」
暗転。
「ほら」
勝者はスポーツドリンクを2本放り投げる。
「目の付けどころは悪くなかった。だけど、お前、わかりやすすぎるんだ「これはフェイントです」ってな。だから、その誘いに乗ったふりをするのは簡単だった。多分、ああいうのはお前、向いてねぇよ」
「アドバイスありがとうございます。じゃあ、どうすればいいですか?」
「そんなことは自分で考えろよ。しかしまぁ、あんたら、なんでまたそこまでしてケンカしてんだ。ケンカが好きってわけでもねぇだろうし。あんたら、見たところそこそこいいとこの高校だろ」
「わたしは違うけどね。まぁちょっと、どうしてもこいつはケンカで勝たなければいけない相手がいるの。」
「へぇ、そんなものなのか」
「多分、勝たなければこいつの人生は始まらない」
「今まで、こいつの人生は始ってなかったのか」
「そう。確かに生きていたわ。だけど、生きていなかった」
勝手に俺の人生を語るな。
「ピンとこないけど、要するにボコりたいやつがいて、そいつをボコらねぇと先に進めねぇってことか」
「要するにそういうこと」
「はははは!それ面白いな。いやお前ら面白いよ。お高くとまってるのかと思ったら、そんなことでここまで一生懸命になってるなんてな」
「それだけ、相手は強いし、こいつは弱いのよ」
そう言って、山岸は俺をこづいた。
「俺らも、いつでも相手してやるから、いつでも来いよ。あと、「フォロー」したいんだけど」
「もちろん。いつかあなたとも勝負してみたいわ」
「いつでもいいぜ。女子供でも容赦しない」
肩をすくめて、いつになく上機嫌でグレアムは去って行った。
■世界中の謎より知りたい、君の心を-2
7月最終週の土曜日。俺は長良川の河川敷沿いの三叉路にいた。ブック内の時計を確認すると時間は午後6時を少し過ぎていた。女性陣の到着を待つ。傍らには藤巻先輩がいた。
「なあ、大友君。本当に一緒に行っていいのかい?」
「もちろん。テストのアプリは本当に助かりました。せめてものお礼です」
これは半分は本当だが、半分は嘘だ。確かに、なんて素晴らしいイベントなのか、とは思う。まさか誰かと一緒に、それも女子と一緒に花火大会に行く日がやってくるとは。生きていて良かった。心からそう思う。そう思うのだが……だが、もう半分は、もし山岸と2人で来たら、あの悪魔に何をされるかわかったもんじゃない、と思ったからだ。残念だが、他の皆さんにも犠牲になってもらう。そんな打算もあっての花火大会。だが、このイベントに心なしか浮かれている自分がいることにも気が付いていた。
「もつべきものは映画研究会だなぁ。僕は、こんなにわくわくした気分で花火大会を迎えたことはないよ」
「大げさでしょ、先輩」
そんな事を言っている間に女性陣がやってきた。山岸玲子に広田玲於奈、朝倉しおり。浴衣姿の3人はぐっと大人っぽい。
「やだ、2人ともあんまりジロジロ見ないで」
そういう広田玲於奈の薄緑の浴衣がまぶしい。
「私は玲於奈が行くって言ったからついてきただけだから……」
一方、まるで、「あなたたちとは仕方なく一緒にいるだけですからね」と強調するかのような朝倉しおり。ピンクの浴衣は可愛らしさを強調している。
「あんたたち、何デレデレしてるの。とっとと行くわよ」
そういって、先頭に立つ山岸玲子。紺色のオーソドックスな浴衣。派手すぎないシックないでたちと、珍しくアップにした金髪のギャップが絶品である。
「みんな、はぐれないように気をつけて」
そう言う山岸が一番はぐれそうだ。河川敷はありとあらゆる種類の人でごったがえしていた。5人で屋台をめぐる。左にはアメリカンドッグやチョコバナナ。右にはお決まりのお面屋やわた菓子屋がある。そんな中、朝倉が右手奥にかき氷屋を見つけた。
「玲於奈、あそこでかき氷食べようよ」
相変わらず、広田しか相手にしてない朝倉。広田はそんな空気を察してか、全員分買ってくることを提案した。俺も一緒について行く。
「ねぇ、大友君。しおりの事で嫌な思いしてない?あの子も悪気があって言ってるわけじゃないから許してほしいの」
「え、そう?何か言われたかな、俺」
「そう言ってくれると嬉しい。大友君は知ってるかどうかわからないけれど、実は私、みんなより年上なの」
「どういうこと?」
「中学卒業から1年間、親の仕事の都合で海外に行っていたの。なんでついて行くんだって思うかもしれないけれど、私自身、一度海外に行ってみたくて。だけど、そのせいで学校の勉強は1年遅れたの。日本の学校は海外のカリキュラムは反映されないから」
「それで、1年遅れで入学したの?」
「ええ。だから私だけ年上で、飛び級とかあるけど、やっぱり一人だけ違うっていうのはクラスの中では浮いちゃうよね。だから、私、大友君の気持ちも後藤君の気持ちも、すごくよくわかる。それで、最初の1年、クラスでずっと友達ができなかったんだけど、しおりだけは友達になってくれた。あの子、あんなんで、引っ込み思案だから、私に話しかけてくれたのもすごく勇気がいることだと思う。だからね、今度は私があの子を助ける番なの。一緒のクラスになるために「申請」したし、しおりを「セブンス」に推薦したのも私。坂口さんは私を入れたかったみたいだけど、ああいうの「キャラ」じゃないし」
屋台に並ぶ列が進んでいく。それにしても凄い人だかりだ、もう10分はならんでいるだろうか。
「お、大友じゃん。今日は広田とデートか」
後藤隆二のその手には、ブルーハワイとメロンのかき氷が握られていた。いかにも体に悪そうな青色と緑色が、食欲をそそる。かき氷はこうでないと。
「隆二君こそ、どうしたの?」
「ダチたちとやってきた……といいたいところだけど、今回は兄貴とやってきたんだ。兄貴、本当は「セブンス」のメンバーと来る予定だったみたいなんだけど、こないだ、色々あったからさ、来づらくなっちゃったみたいで」
肩をすくめる隆二。
「あらそう、それは、どっかの誰かが頑張りすぎちゃったせいよね」
そう言っていたずらっぽく笑う広田。俺のことか。
「ねぇ、後藤君。よかったら2人も一緒に来ない?私たち5人で来てるんだけど、みんなで花火見た方が楽しいじゃない」
隆二は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに、満面の笑顔を見せた。とてもクラスの不良グループのリーダーとは思えない。
「えっ。本当にいいのか?もし、俺が邪魔だってことなら、兄貴だけでもいいから入れてほしい」
「もちろんいいわよ。だって賢治君が来づらい原因の一端は私たちにもあるわけだから」
「ね?」とでも言いたげな顔で俺を見る広田。だけど、俺も異存はない。後藤兄弟に合流場所を教え、まずは列が進むのを待つ。、数分間並んで、ようやく俺たちの番になった。人数分、かき氷を買った。氷が溶けないようにに急いで帰る。「早く早く!」と急かされる。だけど、嫌な感じはしない。頭がキーンとなりながらかき氷を食べる。
「やだ、藤巻さん、舌が真っ青ですよ」
「朝倉君こそ、舌、真っ青だよ」
なんとなくいい雰囲気になっている二人。しばらくすると、後藤兄弟がやってきた。
「……どうも。今日は「セブンス」のみんなと来るつもりだったんだけど、弟がどうしても来たいっていうから一緒に来たんだ」
見え透いた嘘。弟はそんな兄貴の嘘に付き合っている。
「やぁ。こういうのはみんなで見た方が楽しいからね。大友君のクラスメイトでしょ?僕は藤巻健輔。3年生だけど大友君と一緒に映画研究会をやってるんだ」
「よろしく。俺は後藤隆二。あと、こっちが兄貴の賢治。よろしく」
何も事情を知らない藤巻先輩が後藤兄弟に話しかける。先輩のファインプレイだ。朝倉しおりは、まだ少し緊張しているようだ。それに比べて。
「なぁ」
「ん?」
ずるずるずるといういつもの音が聞こえてくる。
「どうでもいいんだけどさ、暑くないか?」
「あげないよ?」
そういって、ラーメンをかきこむ山岸。かき氷に続いてラーメンとは恐れ入る。山岸がかき込むそれは白鴎という関市にある超有名店が出す屋台のそれは白エビをふんだんに使ったニューウェーブ系のラーメンだ。
「いらないから」
「ふうん」
ずるずるずる。あたりを見回すと、高校生らしき面々も何人かいた。その中に「セブンス」の面々も、「クラッシュ」の面々も、他のクラスの面々も何人かいる。「セブンス」には当然朝倉と賢治の姿はない。代わりに手塚がいた。そして坂口さん。
「あ」
話に夢中な藤巻先輩が間抜けな声をあげた瞬間、巨大な花火が上がった。1発、2発。花火がうちあがるのと少し遅れて、花火の音が聞こえる。最初は順番に打ち上げられる花火はどんどん連続で上がっていく。それにつれて夜空一面が花火で覆われる。色とりどりの花火で。30万発となると、その光景も時間もケタ違いだ。そして、その花火が川面に映る。花火が上がっている間、真昼のような明るさだ。隣の山岸も、賢治も、朝倉達も、みんな、花火が上がるたびに色が変わっていった。赤だったり、緑だったり。そして、花火を見つめる山岸玲子の顔。これまでに一度も見たことがない顔だった。




