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継家族  作者: fumia
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プロローグ

 元華族の血筋で、政財界にも強い影響力を持つ桐谷家本家の、一万坪にも達する広くて大きな日本家屋風の豪邸である本邸では、現当主権三郎の三女の雅と、彼女の夫であった石蕗 達彦の葬儀がしめやかに、しかし盛大に行われていた。

 喪主を当主である今年65歳になる権三郎自身が務め、葬儀自体の手配の一切を、桐谷家が株式の殆どを占有し、一族で経営している桐谷グループの傘下にある冠婚葬祭企業に委任し、多くの弔問客が訪れる中、屋敷の一角に造られた親族専用の控え室では、共に享年25歳という若過ぎる二人の死を嘆き悲しんでいる訳でもなく、かといって悲しい出来事とはいえ、親族一同が久々に会せたことを喜ぶわけでもなく、非常に剣呑とした空気がその場を覆っていた。


 その理由の一つは、莫大な石蕗家の遺産である。雅が結婚した石蕗 達彦が、既に両親が二人とも他界している身の上である上に、年商500億円以上もたたき出す大企業の石蕗コンチェルンの社長であった事である。彼の亡き後、石蕗コンチェルンその物は彼の弟で、専務として兄の右腕として支えていた孝彦が後任の社長に就任し受け継いだが、彼自身が所有していた不動産などの莫大な資産は彼と彼の妻である雅との間に生まれた子供に全て受け継がれる事になっていた。つまりその子を母親の実家である桐谷家で引き取ることによって達彦の遺産の全てが桐谷家に転がってくる事になるのだ。

 だがもう一つの理由として、その子……まだ1歳になったばかりの石蕗 桃香を誰が引き取って育てるかという問題があった。

 本来であれば母方の祖父母である当主の桐谷 権三郎と淑子が引き取れば一番丸く収まりそうだが、石蕗家の遺産が転がる以上、桃香そのものには全く興味はないが、石蕗家の遺産だけは欲しいと思う虚け者達が醜い争いを繰り広げていたのである。


 当主権三郎と淑子の長男で、今年38歳になる康一郎とその妻で35歳の綾音は、来年中学受験を迎える長男の康史を有名な超一流の私立の中高一貫校に裏口で入れるための寄付金を確保するために金がどうしても必要だった。だから桃香なんぞ本当は引き取りたくもないが、石蕗家の遺産は非常に魅力的だった。

 同じように今年35歳になる次男の司も桐谷グループの傘下として自らが経営する会社の資産状況が芳しくなく、父親にしょっちゅう泣きついて資金を調達することで、ギリギリ自転車操業で切り抜けているような万年赤字経営だったので、康一郎と同じように彼も金を必要としていた。しかし彼は独身な上に子ども嫌いだったので当然桃香を引き取ってまともに育て上げる気などさらさら無かった。

 27歳の次女小依とその夫で30歳の皆川 大毅に至ってはただ単に遊ぶ金欲しさの為に遺産を狙っていた。無論二人とも子育て?何それ?な状態である。

 そんな息子娘たち夫婦が揃って、当の桜の気持ちを無視して、五者五様に自分勝手な主張をぶつけ合いながら馬鹿馬鹿しく醜い争いを繰り広げる様を見て、今年62歳になる淑子は溜息をついていた。

 淑子自身は自分の末っ子が忘れ形見である孫娘の桜を自分と権三郎の元で引き取りたいと考えていた。そして一度は桃香を引き取ると宣言をしたのだが……。

「何言っているんだよ!お母さん。お父さんとお母さんも歳なんだぜ!しかも桃香はまだ1歳の赤ん坊だ。その歳でまた一から子育てするなんて大変だろう?お前らもそう思うよなあ?司、小依?」

と、康一郎が口火を切ると、

「兄さんの言うとおりだよ。母さん。桃香ちゃんは僕が責任をもって面倒を見るから……。」

と司が兄の言葉に便乗し、それを受けて、

「独身で子供の居ない司兄さんに子育てなんて出来る訳が無いでしょう?桃香ちゃんはわたし達が引き取らせて頂きますわ。」

と、小依が申し出た。

「お前ら夫婦だって子供が居ないだろうが!その理屈なら桃香は我が家で引き取ったほうが一番良いだろう。幸い康文も弟か妹が欲しいって言っているし、俺も綾音も今度子供が出来るなら女の子が欲しいなって思っていたところだしな。なあ、お前?」

と、康一郎が声を上げると、

「ええ。だからぜひ引き取れるなら、桃香ちゃんを私達の娘として育ててみたいのよ。」

と、綾音の方も夫の言葉に同調した。

 しかし、それを聞くや否や、

「嘘つけ!お義兄さんもお義姉さんも、康文君を裏口入学させる軍資金が欲しいだけじゃないか!!」

と、大毅が大声を上げると、

「五月蝿い!黙れ!ただ単に遊ぶ金が欲しい奴に言われたかねぇ!!引っ込んでいろ!」

と、康一郎も応戦した。

「いい加減になさい、お前達……。」

と呟くと、葬式の最中なのにも関わらず大乱闘を催そうとする子供たちを呆れ半分諦め半分で眺めながら、あまりの情けなさに淑子は自分の蟀谷に手を当てて俯いた。


 ほぼ同時刻、親族たちが肉弾戦をおっ始めた和室とは別の、この家で数少ない洋間の一つである応接間で、3人の人物がテーブルを挟み、ソファーに座って話し合いをしていた。

 あまりの衝撃発言に信じられず、

「本気ですか?!お義兄さん!お義姉さん!」

と叫んで、23歳になる石蕗 孝彦は目の前の、二人掛けのソファーに仲良く腰を掛ける義姉夫婦、特に夫の方へ向かって真意を問うように視線を向けた。

 その視線に応えるように30歳になった桐谷 雅彬は隣に座る32歳になる妻の桐谷 紫苑と目配せを交わした後、孝彦の目を真直ぐ見つめて大きく頷くとこう言った。

「ああ、そのつもりだよ。紫苑ともよく話し合った上での結論だ。私達が桃香ちゃんを引き取って育てたいと思う。」

「しかし、お義姉さんは兎も角、桜はお義兄さんとは何の血縁関係もない子供なんですよ?」

「大した問題じゃないさ。世間では、実子だと思っていたら実は嫁が他所で作ってきた他人の子供だった、なんていう事も結構ある。大切なのは血ではなく心の絆だ。そうだろう?」

「で……でも、お義兄さんもお義姉さんも、お祖父さんお祖母さん……、桐谷家の本家で育てた方が桃香にとって良い、とあんなに仰っていたじゃないですか!何で今になって急に……?」

「あ――……、孝彦くん。誤解の無いように言っておくが、僕らは別に達彦くんの遺産など興味も無いし、必要ともしていない。別にそんなお金が無くても私達は特に生活に困ってないしね。桃香ちゃんが家に来て家族が一人増えたところで厄介に思うこともない。むしろ、僕ら夫婦には子供が居ないから桃香ちゃんが来てくれる事の方が嬉しいんだ。」

「そうかも知れませんが、やはり御当主に引き取って頂いたほうが上手く行くんじゃないんですか?」

「僕も今日までそう考えていたんだが……、君も見ただろう?あの様子じゃ僕らが何言っても仕方ないだろうし、お義母さん一人がお義兄さんや小依ちゃん達を説得するのは難しそうだったからねえ。現に、丁度今、交渉が決裂したらしいからね……。」

「決裂って……。」

「孝彦くん、君にも聞こえるだろう……。丸く収まった話し合いであんなにドッタンバッタン騒ぐと思うかい?」

と、さっきから大騒ぎする音が聞こえる向こうの控え室の方へ顎を向けながら雅彬は苦笑して皮肉った。

 そんな雅彬を見て孝彦は不安に駆られながら、雅彬と紫苑の方へこう尋ねた。

「でも、お義兄さん達が桃香を引き取るなんて事になったら、この家でのあなた達の立場が益々悪くなりませんか?」

「なるだろうね、多分……。主に僕の立場が……、だが……。」

「そんな事言わないで、あなた。心配してくれてありがとう、孝彦くん。でも、心配しなくても大丈夫よ。」

「そうそう、私達はあくまで桃香ちゃんを引き取りたいのであって、遺産を受け取る権利に興味もないし欲しくないからね。孝彦くんとお義母さん達には申し訳ないと思うが、桃香ちゃんと一緒に一旦遺産を受け取る権利を得た後、すぐにお義兄さん達に引き渡すつもりだ。そんで、仲良く遺産を分割してくれれば良いと考えている。むしろ連中にとっては、ある意味厄介払いが出来るんだ。感謝されこそすれ、これ以上連中から蔑まされる事もないだろうさ。」

 そう呟く雅彬の姿は、この家での雅彬の扱いをよく知る孝彦から見ると、とても寂しいものに感じた。


 雅彬は旧姓を藤原といい、京都市の出身で大阪の私立の男子校の進学校である高校を卒業した後、一浪して中国地方の国立大学の農学部へ進学、そこでも1年留年して卒業し、広島市の中規模な食品会社に就職して技術開発の研究者として勤務していたとき、そこの会社の取引先で、たまたま本社から出向して見学に来ていた桐谷 紫苑と出会って付き合うようになり、結局入婿という形で結婚し、妻が社長として経営する食品・化学関係の会社を専務兼開発部長として支えている、経歴だけで見れば典型的なダメな人であり。孝彦も兄嫁を通じて初めて雅彬に出会った頃は、人が善さそうな性格だがダメな大人というか……パッとしない人だなあ、というのが第一印象であった。事実今もそうだが、雅彬は妻の紫苑に名実ともに食わせて貰っているような状況なので、紫苑の兄弟たちから『ヒモ』のようだと馬鹿にされ、桐谷家の資産目当てで結婚したのではないかと訝しく思われ、今日まで夫婦そろって散々な扱いを受けてきたのである。

 だが、当主の権三郎とその妻の淑子だけは雅彬を少しとはいえ何故か評価していた。孝彦も雅彬と仕事などで付き合っている内に段々とその理由が分かってきた。


 雅彬は、普段は無気力でヤル気がないただのオッサンだが、好きな事や自分の専門分野には嬉々として仕事をこなし、細かいところまでとことん拘る技術屋肌の男であった。特に専門である酵素開発と発酵技術には会社内でも定評があった。さらに彼は、彼自身は斜に構えているだけだと言っているが、しょっちゅう他の人とは違う視点からの発想で奇抜で斬新な事をいろいろやって成功させていた。それに彼はいい意味でも悪い意味でもオタクでマニアックであり、プライベートでは車の収集や改造に、エロゲやアニメのグッズ収集や腕時計なども集めているコレクター色が強いオタクであり、仕事でも自身が開発した乳酸菌発酵の健康飲料を愛飲するヒロインがいるエロゲが出来るという噂を聞けばそのゲームを出すエロゲメーカーと単独交渉し、そのゲームの初回特典として、そのヒロインがパッケージに印刷されたその健康飲料を紛れ込ませたり、そのゲームのヒロインを会社のマスコットの一人として起用したり、果てはそのエロゲがヒットしてアニメ化されることになった時、真っ先に製作委員会のスポンサーとして名乗りを上げた挙句、そのアニメの制作会社と放映するTV局に依頼して、アニメバージョンのヒロインにその健康飲料の宣伝をさせるというアニメCMを造らせてアニメのAパートとBパートの間に流させるということまでやってのけ、見事萌えオタという新規顧客を開拓してみせたのである。

 しかも彼のすごいところは、ゲームやアニメとタイアップしての商品開発はもちろん。自分とこの商品のCM動画を某動画サイトに上げたり、某巨大掲示板に会社公式の『お客様の御意見募集スレ』というのを作ったりして、匿名で多くの利用者から要望や不満、意見を受け入れ、それを参考にすることでより良い商品を開発し続けているのである。


 その多くがマニアとかオタクとかニッチな方面に向かって商品が投入されているため、一般客を相手にするより新規に顧客を開発することは厳しいが、一旦新規顧客となった客はそのまま固定客として、どんなに高いものでもスペックがよければ購入してくれるので、売上は少なくても彼ら夫妻の会社の利益率は他の桐谷グループ傘下の企業と比べて異常に突出して高かったので、それだけに売上が多くても原価割れして自転車操業やコスト削減を常に迫られている会社、特に司や康一郎が経営するような会社からは妬み嫉みの対象ともなっていた。


 だから常に彼らは、桐谷家のほかの兄妹、康一郎と司と小依から、些細なことから言われもないことまで、何かと理由をつけられては激しいバッシングに遭っていた。普通だったらそのまま夫婦関係が終わっていても不思議ではなかったが、未だに彼ら夫婦が仲良く暮らしているのは恐らく彼らが超人レベルの忍耐力を持っていた事と、当主夫妻の他に雅と達彦が唯一味方として支えていたという事に他ならない。

 だが、雅彬も紫苑も他の兄妹と何時までもギスギスとした関係をこれ以上続けたくはないのだろう。殆ど唯一の力強い味方だった義妹夫婦が逝った今、彼らの娘を引き取って同時に遺産を受け取る権利を他の兄妹に丸投げすることで、自分達だけが厄介者を引き受けるという損な役回りをする事で関係を修復したいという思惑もあったのかも知れない。


 真意はどうであれ、雅彬と紫苑が桃香を引き取ると言う以上、本当に自分達の娘としてきちんと育て上げるつもりなのだろう。兄を通じて彼らと逢ってそんなに間がないとはいえ、少なくともそういう事にかけては信頼のおける人だという事は十分に分かっているので、孝彦は姪のことをこの人達に託す事にした。

「……そういう事なら分かりました。お義兄さん、お義姉さん。桃香の事、どうか宜しくお願いします。」

 そう言って、孝彦は雅彬と紫苑に頭を下げた。

「顔を上げてくれ、孝彦くん。桃香ちゃんを引き取らせてくれるようにお願いするのは私達の方だ。」

「妹の代わりが勤まるか自身はないけど、桃香ちゃんが少しでも辛い思いをしないように、わたしも頑張るわ。」

「じゃあ、それなら私達も控え室の方へ戻ろうか。お義母さんやお義父さんを説得しなければならないし、お義兄さんや小依ちゃん達にも納得してもらわなきゃならん。」


 その後の説得は、少なくとも雅彬が想像した以上には上手くいったと彼は感じた。

 彼自身は義母を説得する自信は希薄だったが、淑子自身は雅彬と紫苑の事を基本的に信頼していたし、彼らが石蕗 達彦の遺産狙いではなく、信頼していた義妹夫婦の忘れ形見を自分達の娘としてきちんと育てるつもりであることは判っていたので彼らに桃香を託す事にした。だが、遺産を受け取る権利を他の兄妹へ完全に丸投げする事には同意することは出来なかった。


 一方、康一郎夫妻と司と小依夫婦は、当初今の今まで何処かへ行っていた雅彬と紫苑が、孝彦と一緒に乗り込んできたかと思った途端、いきなり開口一番に桃香を引き取ると宣言した事にすぐに猛反発したが、

「桃香を家で引き取りたいが、私達は達彦くんと雅ちゃんの遺産まではいらない。遺産を受け取る権利はお義兄さんと小依ちゃん達に譲渡するつもりです。」

と、雅彬が遺産の受け取りを拒否したので、内心でこいつは馬鹿かと嗤いつつも、厄介者を抱かえること無く金を手にできる、と心の中で大喜びしていた。


 だが、遺産を雅彬が全て放棄することに納得できない淑子が反対したのでやはり話は丸くは収まらないように思われた。

 すると雅彬は淑子に向かって、

「お義母様、達彦くんと雅ちゃんの遺産のうち少しでも私達が頂けば、残りをお義兄さん達にさし上げても構わないんですよね?」

と質問した。すると淑子は渋りながらも、

「ええ、まあ、いいでしょう。」

と返答すると、

「なら、達彦くんと雅ちゃんが桃香ちゃんの為に取り揃えていたベビー用品一式や子供服を私達に頂けませんか。僕らには子供が居ないのでそういう物が家に一切ないんですよ。さすがにこれから赤ちゃんが来るのにそういう物がないというのは話にならないし、そうかといって新しく買うのは面倒な上に、二人とも勝手というものがよく解らない。第一達彦くんと雅ちゃんが用意して桃香ちゃんが使っている物が既にあるのなら、そちらを使うほうが桃香ちゃんにとっても良いと思うんです。後は特に私達には必要だとも思いませんから、康一郎お義兄さんと司お義兄さんと小依ちゃんで仲良く分けちゃって下さい。それならお義母様も御納得して頂けますよね?いい加減、こういう時にこんな野暮な事で言い争うのは止めにしませんか?今は故人の冥福を祈るべきでしょう。そろそろ焼香が始まる時間ですから。皆さん行きましょう。」

と、半ば強引に話を終わらせ、葬儀へ出席するように皆を促した。


 本家から火葬場に向かうために助手席に乗り込んだ紫苑と共に愛車のシルバーメタリックのJZX100マークⅡのツアラーVの運転席に乗り込んだ雅彬は、シートベルトをしてエンジンを掛ける前に、乾いた涙がこびりついて曇ってしまった眼鏡を外すと、ポケットの中に手を突っ込んでハンカチを出し、殆ど30cmちょっとしかまともに見えない視界の中で、目の近くまでレンズを持ってきて、

「はぁ――っ。」

と息を吹きかけながら必死になってハンカチで眼鏡のレンズを拭いていた。

「ああ、駄目だ……こりゃ。取れないわ。」

「あなた、泣いているの?」

と、夫の様子を心配して紫苑が聞くと、

「ああ、少しな。でも大丈夫だ。じゃあ、そろそろ行こうか。火葬場までの道ってわかるよな?」

と、雅彬は、紫苑から見れば明らかに強がりつつ、車のエンジンを掛けてDレンジに入れてサイドブレーキを下ろすと、2台の霊柩車を先頭とする車列に付いて走りだした。

「そう言えば紫苑。桃香ちゃんはどうしたんだ?」

「桃香ちゃんならお母さんが一緒に連れて行くって。」

「そうか……。」


 火葬場に行く途上、信号待ちで停車していると、フロントガラスの上の端ギリギリの所にある空に、ジェット機が機体の後方に二筋の飛行機雲を残しながら飛び去るのを見た途端、何故か雅彬は涙を堪える事が出来なくなった。

 慌てたようにまたハンカチを出して、眼鏡をずらしながら目元にハンカチを当てている夫を見た紫苑は思わず、

「あなた……、大丈夫?」

「すまん、やっぱ駄目だ……。飛行機を見る度に思い出してしまう。」

「気にしすぎよ……。あなたの所為なんかじゃないわ。仕方が無い事だったのよ。」

「いや、僕の所為だ。僕が冗談で達彦くんに桃香ちゃんの為にも少しでも早く帰って来てやれよだなんて言わなかったら……。せめて一つ遅い便に乗っていればあんな目に遭わなくて済んだと思うと、遣り切れなくてな……。」

「起きてしまった事を嘆いてもしょうがないわ。あの二人の為にもわたし達が桃香ちゃんを立派に育て上げましょう。それが二人に対する一番の供養よ。」

「ああ。だが雅ちゃんも達彦くんも辛かっただろうなあ。こんな……、こんな幼い子を遺してあの世へ逝かなきゃならなかったなんて。それに桃香ちゃんも可哀想や。こんな小さいのにお父さんとお母さんが死んでしまったのだから……。」

「桜ちゃんのためにもわたし達があの子のお父さんお母さんに成ってあげましょう。」

「ああ……、そうだな。僕たちがあの娘の父親と母親になってやろう。」


 信号が青になり、信号待ちで止まっていた車の列が動き始めた。

 雅彬はハンカチで目尻に溜まった最後の涙をふき取ると、ハンカチをしまって眼鏡を掛け直して車を静かに発進させた。


 そして、それから15年の月日が過ぎた。

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