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 ぼくはそこまで銃撃戦が得意なわけではなかった。 じゃあ何が得意だったのかといえば、別に得意なことは何もなかった。 要するに戦争が苦手だった。 こういうことは性に合わないと言っていい。

 みひろちゃんはそういうわけでもなかったみたいだけど。

 彼女が真っ先にピストルを向けたのは、真正面にいた大統領だった。

 ドアのほうを振り返ってすらいない……悠然と大統領に銃口を向けている。

 迷彩服が動きを止める。 

 赤い部屋で、むしろ鮮やかにすら見えてしまう、草色のまだら模様。 

 膠着が、赤い部屋を支配していた。

「――動かないでください。 この人いなくなったらさすがに困るでしょう」

「……おとなしく捕まってもぼく達は殺されないんじゃないの?」

 対してぼくは、大統領に背を向けて、5つの銃口と対峙している。 ドアは既に閉められていた。 誰が殺されても、何がどうなろうとも、ぼく達をこの部屋から出すことだけはしない、ということか。 そりゃそうか。 ……この部屋の人間を、大統領含め皆殺しにしたところで、ぼく達はこの部屋から出られない。 そんなことしないけど。 だったらおとなしくしてたほうがよかったんじゃないか? ねえ、みひろちゃん。

「読み違えたよ。 くそっ……プロジェクトも間違えることがあるんだな」

「え?」

「あたしが教育支援なんて綺麗ごとしか言わなかった理由、わかるよな。 裁判になったときのためにあたし達は黒いことは一言も喋っちゃいけないんだ……研究成果を使った軍事支援とか、さ。 俎上に載せられるのは、教育支援、資金援助、物資援助……まあそんなところかな? この政府、金は足りてるよ。 戦争を続けられるくらいにはね……ヨーロッパの一部の国から援助してもらってるんだ。 それなりに懐に余裕のある国ばかりだ……植民地が増えると思えば安いだろうさ。 つうか国連の金がないんだ、むしろ。 物資援助とプロジェクトに加担するリスクと、比べてみたらプロジェクトに加担するリスクのほうが大きいんだ。 それで教育支援はいらないときた……当然だな。 大統領、あなたにはあたし達を無事に帰すつもりなんてありませんでしたね」

 これだけ迅速に動く軍人を戸の傍に準備しておいたのは人質としてぼく達を拘束するためだけじゃない……ということか。 銃口を向けられながらも平然と頬杖をついて、大統領は頷いた。

「思い出したんだよ、稜」

「何を」

「この国――」

「なにをこそこそ喋っているんですか。 日本語だなんて卑怯ですよ」

 大統領がみひろちゃんの言葉を遮った。 少し焦ったような口調だった。 みひろちゃんの横顔に、苦々しげな表情が浮かぶ。 

「どうなってんだよみひろちゃん……全くわけがわからない」

「……あたし達は今は殺されることはない。 でも、国連との交渉が終わってから殺されないとも限らない」

「それは今無意味に抵抗する理由になるのか?」


「この政府が秘密裏に開発してるもののひとつは、遅効性の生物兵器だ(、、、、、、、、、)


 目の前にいる軍人の、汗の浮いた黒い顔が馬鹿にしたような表情をする。 罠の中でもがく日本人……日本語がおそらくわからない彼にはそういった認識なんだろう。 それか、みひろちゃんの言葉を聞いてぼくがよっぽど呆けた表情を浮かべたか……

「はじめて聞いたよ」

「あたしも聞いたことはないよ。 プロジェクトも知らないと思う……でも、ツリーハウスのあった熱帯雨林、覚えてる?」

「うん」

 忘れるわけがない。 何かが蠢いていた、濃緑――

「あれを見る前だけどね、あたしあそこで死体を見てるんだ」

「気付かなかったよ」

 ぼくは死体なんて見かけなかったぞ。

「気付かなくて当然だよ。 死体にはカビが生えてた。 ちょっと見てみたら、死体の口とか目とかあとは傷口かな? そんなところを中心に、緑色のカビが」

 想像するだけで吐き気がしてきた。 そんなものを見てたのか、ひとりで……

「マレーシア支部の植物科の友達がよく専門分野のカビの話をしてくれるんだけどね。 彼女が最近やってるのが、近年発見された熱帯に分布する毒性のあるカビの種を調べて、毒薬や生物兵器に使われないように、使われても治療ができるようにするっていう研究だった。 工夫次第で人間にも寄生するらしいんだ……それこそ兵器として開発されたら恐ろしいことになる、って彼女は言ってたよ。 写真を見せてもらったけど、そっくりそのままだった。 ただし野生種は人間には寄生しない。 工夫をしないと。 ただ、言うには……黄色人種が特に持ってる遺伝子が、かどうかまだわからないけど、一段階の開発をしたこのカビに対する抵抗力をもつらしい」

 じゃああそこには結局生物兵器が潜んでたのか。 あとでちゃんと検査しないと。 やだなぁ、琉の死体も緑色のカビの塊になるんだ……あ、でも黄色人種だから大丈夫かもな。

「もしかして……それを、ぼく達に(、、、、)秘密裏に(、、、、)使われる(、、、、)可能性が(、、、、)あった(、、、)ってことか?」

「交渉が済めば穏便に帰してもらえる。 ただ、ほとぼりが冷めた頃に死ぬ可能性は高いと思う……言い訳はいくらでも出来るんだ。 この国は」

「何でそこまで考えたんだ、みひろちゃん……」

「案内人がずっとホルスターに手をかけてたとか、そもそもプロジェクトは政府があたし達を人質にすることを前提にしてるけどどうなんだろう、そんなゲーム理論がここで通じるのかとか、ツリーハウスのこととか今の話とか、人体実験とか……メリットを付加するなら、こういう手段もありえるな、って。 よくわかんないけど、何か勘が働いた……それに、この状況はまだ正当防衛だ」

「……ぼく達が今やるべきことは拘束されないことだな」

 いい加減痺れを切らしたらしい大統領が席を立った。

 緩慢にぼくの脇を通り過ぎて戸口に向かう。 兵士が驚いたようにドアを開けた。

「まだ話し合いは終わってませんよ、大統領」

 みひろちゃんがフランス語で迷惑そうに大統領を引き止める。 大統領が戸口の向こうにいるため、みひろちゃんは今はぼくと同じように、銃口と対峙している。 用を足しにいく、とひらひら手を振って、大統領はいなくなった。

 兵士のひとりがドアを閉め、鍵をかける。 かちゃ、という音と同時に他の4人がぼく達に照準を合わせなおした。 彼らはぼく達を傷を負わせずに取り押さえることが出来る……時間を稼がなくては。 

「お互い穏便にすませよう、交渉ってのは平和にやるものだよ……ぼく達を逃がしてくれないか? 君達は人質を失う。 ぼく達は核物質を得ずに帰る。 メリットもないけどデメリットもない。 幸いこっちの本部はまだ話がわかる人たちだからね、ぼく達はそれでも構わないんだ。 君達のトップはどうなんだ?」

「時間稼ぎか? ムダだ」

 相手は意外にも日本語で返してきた。 多少カタコトではあるけど……ん? じゃあさっきまでの会話の意味、わかってたのか。

「兵役にバイリンガルが必要なのか、陸続きは大変だね」

「日本語をわかるは俺だけ。 その女の言うこと、少しいい」

 少しいい……? 少しだけ正しいってことか。 

「あなたを使うつもりだ。 ……あなたたち、を使うつもり。 でもカビじゃない」

「実験体として使うつもりは確かにあった、でも彼女の言うカビの実験じゃない?」

 日本人が英語で話すときとかも単数複数はよく間違えるよな。 ……いや、そんなことじゃなくて。

 みひろちゃんが口を挟む。

「どうしますか? 多分あなた達5人くらいだったら拘束される前に殺せますよ」

 ……いや、無謀なことを言うなよ。 

 日本語を話せる軍人が口を開きかけた瞬間、みひろちゃんは彼が構える銃の銃身を撃った。

「!!」

 脇に飛びのいて、隣の銃も撃ち落す。 兵士達の弾は、ボスッと鈍い音をたててソファに穴を開けた。 脚を狙ったらしい、なるほど彼らは本当にぼく達を殺せないのか……みひろちゃんに合わせた照準をぼくに移した端の軍人の銃を撃つ。 取り落としてはくれなかった……持ち直す前に、腕に照準を当てる。 と、隣から悲鳴が聞こえた――ぼくのすぐ横に、わき腹を撃たれた軍人が倒れこんだ。 ソファにぶつかり、机に折り崩れるように――隊にいた(、、、、)佐藤が確か(、、、、、)わき腹を撃たれて(、、、、、、、、)ちょうど(、、、、)こんな風に(、、、、、)――


 一瞬、走馬灯のように、赤い部屋に黒い岩礁と波飛沫が見えた。


 びくびくと痙攣している軍人の草色の迷彩服は、朝鮮軍の軍服に変わる……

 死臭。 潮風に混ざる血の匂い。 赤黒い濁流――

 それらはすぐに、土埃の匂いに変わった。 机は瓦礫に見えた。 ひっくり返った皿とつぶれた苺――瓦礫と血だまりの中で息絶える琉――赤いカーペットの上で苦しむ軍人――


「稜!」


 ぼくが後ろから羽交い絞めにされるのと、みひろちゃんが窓ガラスを割るのが同時だった。


 パリン……

 硝煙と迷彩色の舞う混乱の中に、防弾ガラスにひびが入る、涼やかな音が響いた。


 そして――地震のように激しく部屋が揺れた。

 地震の経験が少ない軍人は、咄嗟に腕を緩める。 緩んだ腕を振り払った途端、急にめまいがした。

 めまい?

 ……いや、部屋が歪んでる。

 水面に映った風景を、指でつついたみたいに……


 水面。 ……あたりが澄んだ水で満たされている。 兵士達が、宙にゆらゆら浮いている――これも幻? 自然に息は出来る。 でも――ぼくの瞳が水盆になったみたいに、たゆたう水の中で、赤色が踊っていた。 綺麗な水だ。 涙みたいに……ああなるほど、涙か。 乾いた大地から、枯れた瞳から、踏みにじられた心から、溢れた涙がオアシスを哀しみで潤してるのか……死の匂いだ。 命の匂いだ。 尊い誇りと唄が、内陸から土埃を流離って……こんなに純粋な水に。 

 政治の小細工も何もない、透明な祈り。

 確かに、そう思った――


 水に揺られながら手をかざしてみる。

 指先が透けて、水に溶けていた。


――ずっと、この存在の根底にあったのに


 贖罪のためだけにここにいるわけじゃない。 罪悪感だけで生きてちゃいけない。

 ぼくはずっと何かを押し込めてここまで来た……自分は生きてていいのか? 死ぬべきなのか? 何をしなきゃいけない?

 机上の空論だった……答えが出ないわけだ。 ぼくは正しいことと正しくないことを、曖昧な境界で捉えている。 それは今、はっきり答えを下せることか? 



 魔法の水だ。

 掘り起こすだけで圧倒的に衝撃を与える、ぼくの中で罪悪感に埋もれていた何かを――表層で輝かせてくれた。


 ごめんな、琉。

 なんでこんな単純なことを忘れてたんだろう、ぼくは――



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