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諸刃の剣

 *


 今から10年前にあった事件について……新聞の小見出しにあったおぼろげな記憶。

 国立大学付属病院で第二の生体解剖。

 今の医科学界を思えば、その時点で第二の生体解剖だったことは信じられないけど、まぁそれまでの日本は表向き穏やかだったんだろう。 近代史の教科書、というよりは当時についての図書資料に従って、更に数十年遡って……’10年代初頭、日本の首相がめまぐるしく交代していた時期……『平成』自体が不況の代名詞みたいに言われているけど、その頃。 隣国との争いもあり、日本では情報操作が盛んだった。 手を汚したくない日本人を戦争に駆り立てるには、そうするしかなかった。 中国や北朝鮮では、政府がメディアというメディアを押さえつけ、徹底的な情報操作を行っている。 日本は民主的だ。 日本の教科書は嘘をつかない。 ちゃんと自国の過ちを認めるし、謝罪もした。 今では経済支援まで行っている。 当時の学生が何を感じていたかはわからないが、多少見識のある学生は気付いていただろう。 日本のメディアも負けず劣らず偏見に満ちた報道をしていることに。 そうして自民党政権で暫くして、国の情報操作はもはや新聞を読まない小学生にもわかるほど顕著になった――ただ穏和で靡きやすい国民性のせいか、誰も政府を止めることは出来なかった。 連日メディアには政権批判が並び、政権は耳をふさいだ。 怒りの矛先は主に東アジアの国々に向いた。 矛先が向いてしまえば烏合の衆となってしまうのがこの国の悪いところだ――平和の礎は破られた。 誇り高い平和国家は、憲法改正をティッピングポイントに右極化し、EA戦争に突き進むことになる。 4年前、開戦――だからこの事件が起こったのは戦争の6年前だ。 ぼくが9歳の頃。 割と最近じゃないか。

 某有名大学付属病院で、1人の男性が解剖された。 解剖後は人の形をとどめていなかったらしい。 このあたりはメディアによって脚色されている可能性があるので話半分に聞くとして、せめて首から上だけでも縫合で繕おうとかいう努力も感じられない遺体だったそうだ。 病院側は『本人の意思により、脳死を確認したうえで行ったこと』としていたが、遺族側は反対。 説明されていたのは皮膚細胞の提供だけだったこと、死亡通知を受け取ったのが解剖後だったこと、解剖手術の前々日には退院後家族でお花見に行く約束をしていたこと、その時にもし万が一死んだら兄の着流しを着せて桜の花を添えて納棺してほしいと言っていたことなどを証言し、付属病院を告訴した。 『あのぐっちゃぐちゃのミンチにどうやって俺の着流しを着せんだよ!』 カルテが改竄された痕跡も浮上し、警察が捜査を進めていった結果、執刀医はついに、解剖時にまだ生体反応があったことを認めた。

 太平洋戦争以来、だ。

 ついに狂気は再来した。

『まことに遺憾です。 遺族の方々には特に、本当に申し訳なく思っております』

 院長、執刀医を含め数人の病院関係者が解雇処分、と公表された。 ここまでだったら一時期世間を煽った残虐事件で済むかもしれない。 前述の通り、情報統制が進んでいた頃だったから、国民はテレビや新聞などを冷めた目で見るようになっていた。 一時、信用できる最速のメディアとしてネットがもてはやされたが、それを利用し掲示板にサクラを紛れ込ませる手段が横行し、聖域は失われた。 各メディアがおどろおどろしく書きたてたこともあり、このおぞましい事件はあっという間に人々の脳裏から消えた。

 ただ、問題はその後だった。


『あれは政府の指示でした』


 その数ヵ月後。 解雇された院長が政府の斡旋で地方の病院に下っているというニュースが報道された。 地方の病院では待遇が悪く、政府を恨んだ院長は記者を前に告白した。

『新薬の開発のために行わなければならない実験がある、そのためには人の臓器が必要だが、法律でこのような人体実験は禁止されている、何かあっても職と待遇は保障するから、と』

『文科省からですか?』

『いや、防衛省(、、、)……』

『どのような新薬ですか?』

『わかりません』

『わからないはずはないでしょう!』

『わかりません』

『専門家に……』

専門家が(、、、、)見ても(、、、)わかりません(、、、、、、)

『どういう意味ですか?』

『私たちが見ても、知り合いの研究者たちに見せても、何のための(、、、、、)実験なのか(、、、、、)理解できない(、、、、、、)ということです』


 メディアに冷めた大衆も、これには驚いた。

 (報道が正しいとして、院長がシラを切っているのでもないとして)国からこんな残酷な実験を委託された国立大学付属病院の最高峰でさえも、理解できない人体実験?

 そんなものを、何で由緒ある病院が請け負った?

 それは――誰が取り組んでいる、誰を(、、)どうするための研究だったんだ?

 無作為に選ばれたのかどうかはわからない、被害者――被検体――彼は、どんな対象として選ばれた?


 院長は政府に起訴され、終身刑を言い渡された。

 遺族には多額の慰謝料が渡され、報道には一切登場しなくなった。 納得して引き下がったとは思えない……その時、日本国民は悟った。


 最後の砦が崩壊した。

 東アジア大戦は、すぐそこだ――


 *


――あれ。 割と覚えてる


 なんであんな狂気染みた事件を思い出したんだろう。 この部屋が狂気染みてるからか?

 まず目に入ってきたのは、狂おしいほどの赤だった。 隙間なく床に敷き詰められているのは、ここまでずっと踏みしめてきた紅のカーペット。 壁は赤茶色につやつや照っている木材。 ところどころ壁にかけられているのは、赤い花の絵、赤い頭巾を被った女性の絵、赤いタペストリー、大統領の座る椅子の横にある窓のカーテンも赤。 デスクの上に積みあがっているのは赤い本。 ぼくらが大統領と対峙して座っているふかふかのソファも赤。 目の前のテーブルに置いてあるのは苺。 目がちかちかしそうだった。 これも何かの策略だろうか。

「ようこそいらっしゃいました。 唯城様、妃野様」

 大統領は、鋭い目つきをした初老の男性だった。 黒人にしては肌の色が薄い。 白人との混血かもしれない。 加えて小太りだった。 栄養失調の国民ばかり見てきたからすごく違和感がある。 なんとなくいい印象は持たなかった。  

「どうも」

「事前に本部の方から話は聞いています。 兵器を譲ってほしい、と」

「そうです。 研究材料として」

「なんのための研究材料ですか?」

 これも事前に説明を受けているだろう。 まぁ、通過儀礼的な質問だ。 ぼくはいそいそと鞄からファイリングされた説明書類を取り出す。


 と、その瞬間。

 ふと足元に目を向けて――2,3度瞬きせずにいられなかった。

 違和感――紅のカーペットが、流れているように見えた。

 血の赤色(、、、、)に見えたんだ。


 どうしたんだよ、とみひろちゃんが急かす。 我に返って書類を手渡し、もう一度足元に目を落とした。

 普通のカーペットの色に戻っていた。

「エネルギー革命です。 特殊な核が必要なんです」

 開発しようとしているエネルギー供給システムについて軽く説明する。 要するに制御可能な原子力、だ。 平成何年だったか、東北地方が巨大地震に襲われ、その数年後関東も同規模の地震に襲われ、日本の存在が停止したあの災厄から――日本は、それでも原発への依存を止められなかった。 国会議事堂でさえも多大な被害を受けたのに、いや受けたからこそか、むしろ代替エネルギーにかける研究費が枯渇した。 あの頃の日本は復興より先に防衛を進めなければならないと判断した。 多額の資金が混乱に乗じて防衛費に回された。 他国の多大な支援のおかげもあって、高度経済成長もかくやというスピードで復興を遂げた日本は、そのまま戦争へと身を投じることになる。 

 プロジェクトが目をつけたのは、代替エネルギーへの転換をしなかった日本で発達した、原子力の技術だった。 安全な原子力が作れれば。 すぐに新しい研究室が創設され、研究が始まった。 そうして理論上は従来とは比較にならないくらい安全で、効率のいい原子力エネルギーシステムが考案された。

 その高い理想を満たす物質とそれを扱う技術が、この国にある。

「なるほど。 それで――わが国には、どのようなメリットがあるのでしょう」

「教育の援助です」

「……はい?」

「欧州の文化を積極的に取り入れる政策をされるつもりだと聞きました。 それには教育が必要です。 教員としてプロジェクトの優秀な研究員を提供させて下さい、私どもはこの政府に期待しているのです」

「……」

 この条件を彼が受け入れないことはわかっている。 例えば独裁政権下で起きる殺戮は、学識のある人たちが真っ先に殺される……教育された国民というのは間違った政府にとっては敵でしかない。 プロジェクト研究員による教育なんてもってのほかだろう。 プロジェクトと関係を持つことすら、彼には諸刃の剣のはずだ。

 それがプロジェクトの狙いだった。

 その諸刃の剣を、うまくすれば安全で強靭なものにできるかもしれないチャンス。

 つまりぼく達を人質にすること。

「いかがでしょう」

 みひろちゃんが満面の笑みを浮かべて念を押す。 ……よく笑っていられるな、成功したら人質になるんだよ? ぼく達。

「……教育、ですか。 残念ながらそんなものは必要ありません……」

 やっぱり。

 本性が出るとしたら、そろそろか?

 隣でみひろちゃんがこれ見よがしに録音機のスイッチを入れる。 いや、入れていたんだろうけど、今初めて入れた振りをしている。 明らかに挑発だ。 案の定大統領は眉をひそめた。






 大統領が、無表情で戸口にいた男に視線を送った。

 一瞬後に、ドアがいきなりバタンと開く。 どやどやと入ってきたのは銃を携えた軍人達。


――かかった……!


 全然嬉しくなかった。

「……みひろちゃん、どこまで我慢すればいい?」

「警察は優秀だから今抵抗したってあたしらに不利な証拠は出ないよ。 それに彼らはあたし達を殺せないんだ。 銃を……」




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