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夜明けの章

 国名は実在のものを使用していますが、細かい地域名は架空のものです。尚、資料の収集に努めてはいますが、偏見に思われる描写が見受けられることもあり得ますので、申し訳ございませんが先にご了承ください。

 *


 幸せな夢の中にいるはずなのに、

 突然、ばらばらばら……と不自然な轟音が響いた。


――嫌だなぁ


 夢と現の境界をふらふらするうちに、少しずつ現実(こちらがわ)がはっきりしてくる。

 もどかしいような名残惜しいようなその刹那が過ぎ去り、不自然な轟音は自然なものとなり、それに細かな音や視覚触覚嗅覚が加わり――


 情報解析完了。

「…………、ちょっと待ておい」

 ぼくはベッドの上で頭を抱えた。


 薄暗く群青色の残る空が覗く、少し高いところにある小さな窓から、ばらばら轟音を撒き散らしながら戦闘機が過ぎ去っていくのが見える。大きな影が窓に吸い込まれるようにして部屋から消えた。後に残るのは激しく揺れる火影、容赦なく迫る熱気、焦げ臭く乾いた匂い、遠のいていく轟音に代わって威勢良く響く、火の粉がぱちぱち爆ぜる音、

 激しくドアをノックする音と切羽詰った人の声。訛りのきついフランス語。

「起きてください!! 起きてくださいっ!! 建物に爆弾が直撃しました!! 細菌兵器放射線物質等々は確認できません!! 防煙マスクと防炎ローブを着用してただちに避難してください!! 早く早く早く!! ……くそっ、起きないか……」

 この宿の管理人さんの声だ。

 枕元の『緊急用』の棚に置いてある防煙マスクを装着し、傍にかかっている迷彩柄の分厚いローブを纏い、バッグを掴んでドアに駆け寄る。……鍵……あ、やばい。差しっぱなしか。夜盗が来なくてよかった。

 ドアを開けると、そこには黒い顔に汗を滲ませた管理人さんが張り詰めた表情で立っていた。

「おはようございます」

「おはようございます! ……はいいですから早くついてきてください! 非常口へご案内します! ついでに連れの方を起こしてください!」

 ぼくと同じ防煙マスクと迷彩柄のローブに、『Master』の腕章。管理人さんはぼくの装備を一瞬で確認すると、非常口とは逆方向――『連れ』の部屋へと早足で歩き出した。

 この状況でも駆け出さないとは、随分と落ち着いた管理人さんだ。

「連れ……起きてないのか、みひろちゃん」

 深く嘆息してぼくも管理人さんの後に続く。

 まだこのフロアに火は回っていないようだが、通路に火が回るのも時間の問題だろう。


『301号室』


 どんどん、と半ば投げやりに2、3回ノックをし、管理人さんはドアを大きく開け放って大声で呼びかけた。

「起きてくださいっ!! 空爆です!!」

「みひろちゃん!! 起きろ!!」

 窓の外の炎が作る荒々しい火影が、煉瓦の壁に騒々しく揺れる様は、さながら暖炉の中を覗き込んだようだった。勿論煉瓦と言っても耐火用に改良されたものだ、ただの土塊を焼いたものとは違う。それでも外壁を這う炎の、壁から浸透する熱気や煙に包まれているだけで、キャンプファイアの大きな炎に焼かれている魚になったような気分になる――わかってはいることだが、この火だって一般に日常生活で見られる普通の酸化反応ではないだろう。

 命を守る壁を焼き尽くし、人を殺すためだけに特化した炎だ。

 防壁と殺意の激しい攻防。

「みひろちゃんっ!! 空爆だって!!」

 ドアとは対角線上に設置されたベッド。この緊迫した状況の中、……白い羽毛布団の中央のふくらみは微動だにしない。

「……すみません。この人110dBのアラーム耳元で鳴らしても起きない人ですから」

「そんな事情はどうでもいいですからとにかく起こしてくださいよ!」

 この状況でもぼくらを見捨てないとは、素晴らしく心の広い管理人さんだ。

 ぼくは部屋の中を見回して、窓際にある備え付けのテーブルの上の水差しに目を留めた。

 重みのある合金の水差しである。

 紅蓮の影と鉛色が、鈍く光る表面でめらめら争っている。

「よいしょ」

 ひやりと重みが手に伝わる鈍器を、火照った手で握り締め、

「ごめんねみひろちゃん、でも死ぬよりマシだと思うんだ」

 いやそんなもので殴ったら即死でしょうよ……と背後でなにやら呟きが聞こえた気がしなくもないが、静止が入る前に大きく振りかぶる。

「えい」

 

 ごつ


 予想以上にえげつない音がして、厚い布団がばさりと吹き飛んだ(、、、、、)

「――迩好……じゃないな。おはようございます」


 果たして彼女は――生きていた。

 白いシーツに片膝を立てて、32口径のピストルの銃口をまっすぐぼくに向けて。


 防炎ローブと防煙マスクは既に着用済みだ。

……寝苦しくなかったのだろうか。

「……、見ればわかるけど空爆だ。逃げないとだよ、みひろちゃん」

「……稜か。ごめん」

 さして申し訳なさそうにでもなく謝り眠そうにピストルを仕舞うと、鈍器の当たったところを抑えて、顔をしかめながらベッド脇にある鞄を掴む。ぼくの隣ではようやく重い布団を跳ね除けた管理人さんが、みひろちゃんを見て絶句していた。

「………………人間じゃない」

「失礼な。人間ですよ……、あれ? 琉くんは」

「先に逃げてるんじゃないか、あいつなら」

「もうひとりの連れの方はひとつ下のフロアですので、他の従業員が誘導しています」


 安宿でもさすがに火の回りの遅い建材を使っているためか、幸いなことに通路に火自体は来ていない。しかし流れてくる煙は熱気の中に淀んでいて、マスクをしていても早足で歩くうちに少しくらくらしてくる。マスクに覆われていない肌が熱に圧され、じりじりと汗をかいている。騒音と隔てられ、しんとした廊下にも激しい影の濃淡がちらちらとゆらめき始める。非常口が近いのだろうか……逸る足をせかせか動かし、視界も定かではない煙の中を競歩のように進む。

「非常口はエレベータ式になっています。地下まで降りたらすぐに確認がありますので。下の階は既に宿泊者従業員ともに全員の脱出が確認されたと連絡が入っています」

 つきあたりの分厚い壁に、四角い穴があった。

「……」

 苦々しげな表情で乗り込むのを躊躇しているみひろちゃんを管理人さんが急かす。

「メンテナンスは常に行っておりますから安全ですよ」

「……壁が全て透明ってのはどうかと思いますが」

 穴に入ると、足元や天井に銀色の滑車やレールが渡されているのが、透明な壁越しに細部までよく見えた。

 最上階からの眺めは、外壁を伝い燃え盛る炎にかき消されている。今空は、起きたときより白んでいるだろうか……長方形に切り取られた空間から見えるのは、朝焼けとも程遠い熱い橙色一色だ。エレベータの箱に使われている透明な素材は最近プロジェクトで開発した透明な耐火材。目下研究中の材料なため原料の入手も難しく、高価ではあるが、断熱効果は他の建材の追随を許さない。瞼を閉じてさえいればひんやりした洞窟の中にいるのと大して変わらない感覚だ。

「脱出します」

 管理人さんの冷静な合図とともに、透明な箱は外へと飛び出した。

 

 荒れ狂うばかりに踊る橙色と、箱の周りを渦巻く轟音の中を、

 箱はレールを伝って、重力に従って落ちていく。

 ――やがて炎を通り抜け、

 冷たく硬い地盤に開いた地下室へ。

 

 

 かた、と意外にあっけない音を立てて、箱は地下に到達した。

「……到着です。出てください」

 ウィ……ン、と奇妙な音を立てて透明な扉が開く。扉が閉じていようと開こうと眺めは全く変わらないのだが、

 煉瓦の壁に囲まれた地下室は、既に十数人の宿泊者や従業員の迷彩柄で埋め尽くされていた。

 扉が開いた途端に押し寄せる人ごみの暑苦しさと騒音に辟易しながら、ぼくらはエレベータから降りる。

「みひろさん! よかったぁ、無事だったんですね! ……あれ?お兄ちゃん何でここにいるの?」

 そんなことを笑顔で言いながら、ぼくらに……いや正確に言うとみひろちゃんに駆け寄ってきたのは、ぼくの弟の琉だ。

「……お前遠まわしに“死ね”って言ってんだろ、ぼくに」

「え? 遠まわし? ……そっか、鈍いお兄ちゃんにはもっと直接的に言うべきだったね」

「そういう問題じゃない」

「――……、……人って恐怖だけで死ねる気がする」

 ぼくの隣に、

 みひろちゃんが顔面蒼白で立ち尽くしていた。

「……エレベータから外が見えるってのはさ……」

 乾いて真っ青になった唇から、弱り果てた呟きが漏れる。

「何かもう……犯罪の域だよな……」

 

 熱気のこもった狭い地下室でざわめく人々の、ローブから覗く足の中に、一本の義足を見つけた。

「……」

 この地域に隣り合う砂漠、紛争前は大切な交易路だった砂の大地は、今や地雷原と化している。

 ぼくらはその砂漠を避けるように来たので実際に見たわけではないのだが、アフリカ支部の知り合いが言うには、殺伐とした砂の上に転々とかわいらしいぬいぐるみやおもちゃが置いてあるそうだ。お菓子が置いてあることもあるらしい。その知り合いは綺麗なペンダントを見つけたと言っていた。

『綺麗な宝石がついてるの。ほしいなーって思ったけどね』

 その時彼女が持っていた金属探知機は、ペンダントだけに反応したのではない。

 その下にある、子供一人粉微塵に吹き飛ばすくらいの威力を持った、残忍な兵器。

『残念ながら離れて爆発させた時にばらばらになってどっか行っちゃった。そのペンダント』

 こみ上げる恐怖と嫌悪に、暫く口を開けなかった。

 わざわざおもちゃで誘い寄せてまで子供を殺そうとする、化け物じみた殺意が――ただひたすらに、怖かった。

『まぁ子供は使える兵士だからね。使い捨ての兵士っていうのは便利なものだろうから……そうすると相手国としては排除の対象になっちゃうわけだけど』

 明らかに納得していない様子で彼女はそんな説明をしていたけれど、そもそも子供を兵士にするという発想がまずおかしいだろう。

 そんなことを言ったらこの紛争自体がまずおかしいわけで――全ての人が倫理の教科書どおりに行動できるなら、世界は平和なはずだけれど。

 それができないのが現実だ。

 夢を追って心を捨てて、やっと理解したこと。


「お兄ちゃん。あの人……兵隊さんだね」


 琉が義足の人を小さく指差して、囁いた。

「だってさっきクェーラ自治区の国章が描かれたベルトが見えたよ」

「……そうだな」

 同伴者はいないようだ。

 この激戦の中兵隊の一時休暇なんてのはなさそうだから……

「……怪我か何かで離脱したのかな?」

「足ひとつ吹き飛んだだけで戦線離脱させてくれる国家ならな」

 さっきからここにいる人達は彼のベルトに刻まれた国章に気付いているはずだ。しかし誰も不愉快そうな視線を向けることは無い――

 きっと誰も、何も言えないんだ。

 肩身狭そうに義足を引き摺る、おそらくは足よりも大事なものだって失っているであろう――敗走者に。

 

 ぼくらは政府の本拠地へ急ぐことを管理人さんに伝え、地下室を後にした。

 管理人さんは護衛をつけようとしてくれたけど断った。この状況の中勝手に入国したぼくらの任務に、誰かをつき合わせるのは申し訳ない。

 みひろちゃんがそう言うと管理人さんは、地下室の扉を開けながら、ぼくらの安全を祈ってくれた。フランス語ではない、――植民地にされる前からあったであろう、古い言語で。

『血の防壁は汝とともにあり涙は行く道を潤す恵みとならんことを――あなた方が私達の友であるのなら、鋭き槍はいつもその手にあります』

 そう言った管理人さんの目に、深い哀しみと力強い誇りが刻まれていた。


 


――幸せな夢だったのになぁ……


 本当に残念だ。

 せめて夜が明けるまで――もう少しだけ、綺麗な夢を見ていたかったのに。



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