雨の日にだけ会う、ニートなお姉さんの話
雨の日が好きだ。
偏頭痛持ちの人は辛いと言うだろうし、自転車通学の人はめんどくさいと嘆くだろうけど、それでも僕は好きだ。
しとしととビルの合間に降り注ぐ小ぶりの雨も、木々を大きく揺らしながら打ちつける大ぶりの雨も、その全てを好きだと断言できる。
そんな、雨の日のこと。
*
「こんな雨の日になにしてんの、少年よ」
声が耳に入って、振り返る。
黒いフードを深く被った女性がいた。
「⋯⋯散歩ですよ」
「散歩って、傘も差さずに?」
家の周りを散歩することは、雨の日の日課だった。
傘を差していなかったのは、なんとなくそんな気分だったからだ。生身で雨に降られる感覚は、全身を自然に身を包まれているような感覚でとてもいい。
「風邪ひいちゃうよ」
「濡れたって、案外ひかないものですよ」
「まあ、たしかに。いつもひいてないし」
むむ、もしかしてお姉さんも、よくするのだろうか。
その割にには、ばっちり傘を差しているようだが。
それにしても─────怪しい。
ショートパンツに黒いパーカーと、部屋着のような格好のお姉さんはフードを深く被っているせいで顔を窺い知れず、差している傘を相まって、なんだか怪しい雰囲気だった。
「でも制服が濡れちゃう。ていうか、学校は?」
「今日はいいかな。いい塩梅の雨だしサボります」
「ふふ、なにそれ」
あ、笑い方は案外かわいい。
お姉さんは口元に手をあてて、鈴を転がすみたいに笑った。
「あなたこそ、平日の朝っぱらからなにしてるんですか?会社なら遅刻ですよ」
「えーとね、わたしは────」
一泊置いて、見上げるようにお姉さんがこっちを見上げる。
目元がちらりと見えて、あざとい動作に胸が少しドキッとした。
「ニートなの」
お姉さんの傘から垂れ落ちた水が、学校指定のローファーのつま先を濡らす。
自信満々に無職を宣言するお姉さんに、ドキドキとした感情は吹っ飛んでいった。
*
「今日は傘、差してるんだ?前より雨弱いのに」
「霧雨が傘の上で積もって大きな水滴になるのを見るのが好きなんです」
「おかしな子だね」
それから雨の日には、お姉さんが声をかけてくるようになった。
なにやら、この住宅街に住んでいるらしい。部屋の窓から僕の姿を見かけると、すっとばしてここまで来るのだそうだ。
ただそこまでして僕に話しかけてくる理由は、いまだにわからない。
「どうしてあなたは僕に構うんですか?」
「好きだから」
「えっ」
ノータイムで発せられた言葉に、唖然とした声が出た。
お姉さんはニヤリと頬を吊り上げる。
「あ、今ドキッとした?ドキッとしたでしょ。可愛いなあまったくもう───あいたっ」
ドキッ、とした感情はあっという間にでイラッ、に変わって、思わず傘の杖でお姉さんの頭をこずいてしまった。
「あ、ごめんなさい」
怒るかな、って思ったけど、お姉さんは目を輝かせて笑みを浮かべていた。
「どうしました?」
「いま、傘に溜まった水滴が一斉に飛び散って、ちょっと綺麗じゃなかった?」
「それは少し、思いましたけど──」
「だよね、もっかい見たい。叩いていいよ」
「変態ですか?」
すぐイタズラしてくるし、考えていることは分からないけど、この人のこういう感性は嫌いじゃない。
ニートだけど。
*
「げっ」
「美人なお姉さんを見た第一声がそれなの、おかしくない?」
「でもニートなので」
「うっ」
最近は梅雨入りして、雨の回数も増えてきた。
つまり、彼女と会う回数も増えたということだ。
会話には少しばかり親しみが増して、遠慮なんかもなくなってきている。
「君の姿を見て健気に家を飛び出してきたんだよ?褒めてくれてもいいのに」
「自宅警備員が家飛び出しちゃダメじゃないですか。たった一つの仕事なのに」
「うう、少年君が優しくない」
お姉さんは話してみると、彼女は案外気さくだった。
外見は一見クールで近寄りがたい印象だけど、話してみるとそうでもない。
「辛辣なこと言うわりに、少年君は散歩のルート変えないよね。ルート変えたらわたしも見つけられないから来れないのに」
「⋯⋯⋯⋯あなたの影響でルーティンを変えるのが癪なだけです」
「あ、照れてる照れてる。そういうとこ、お姉さんとしてはたまりません」
真面目な顔してなに言ってるんだ、この人。
「今日はどこまでいくの?」
「ぐるっと一周して、駅の方まで。今日は学校に行くので」
「えー、どうせ遅刻なんだし、もう少し付き合ってよ」
「ハロワークまでだったら付き添いますよ?」
お姉さんがジト目で睨んでくる。
互いに無言で歩き出した。
雨音と隣のお姉さんの足音が、心地いい。
彼女のことは嫌いじゃない。
まあ、ニートだけど。
*
今日も今日とて姿を現したお姉さんを前に、目を丸くする。
「どう、似合ってる?」
彼女は白いシャツの上にスーツに身につけていて、いかにもOLといった装いだった。
「夢じゃないから、目擦らないでよ。気分で着てみただけだから」
苦笑するお姉さん。
「なんだ、コスプレですか」
そうだよな。てか、普通の会社ならもう始業してる時間だし。お姉さんはやっぱりニートだ。安心した。
「コスプレってのは酷くない?これでも一年前までは、これで仕事してたんだけど」
「冗談はいいですよ」
「嘘じゃないから!ほんとだから!」
唇を尖らせて抗議してきた。
傘の水滴が飛んで肩に降りかかる。
「似合ってますよ」
「────え、な、なに急に。ナンパ?」
「最初に聞いてきたの、あなたでしょう。似合ってる?って」
「そういえばそうだった。いきなりプレイボーイみたいなこというから、びっくりしちゃったよ」
プレイボーイは女性を敬語で褒めたりなんてしないと思うけど。
でも実際、彼女のスーツ姿はよく似合っていた。
先入観を抜きにしてみれば、仕事ができそうなお姉さんだ。
白シャツからスタイルを強調する張りすぎた胸は、少々目の毒ではあるが。
「ずっと着れなかったんだけど、あっさり腕通せちゃったな。君のおかげかも」
「日頃の散歩で痩せでもしたんですか?」
「⋯⋯⋯⋯まあ、それでいいや」
傘の端同士がぶつかりそうな距離で、横に並ぶ。
それにしてもスーツ姿のお姉さんは、ほんとにバリキャリみたいだ。案外、ほんとに仕事はできたのかもしれない。
まあやっぱり、ニートなんだけど。
*
梅雨も、そろそろ明けだ。
天気予報によれば、明日からはしばらく晴れが続くらしい。
「よかった、今日は傘持ってて」
「逆に、なんで持ってないんですか?」
そういうお姉さんは、なぜか傘を差していなかった。
今日の雨は小降りだけど、このままだとじきにびしょ濡れになってしまうだろう。
「それじゃ、失礼しますっと」
「ちょ、なにしてるんですか!」
「なにって相合傘だけど」
「なに相合傘させてるんですか、って聞いてるんですけど!?」
戸惑う僕を無視して、お姉さんは僕の腕ごと傘を引っ張って歩き始めた。
「⋯⋯⋯⋯⋯」
「急に黙り始めたね?さっきまで不満げだったのに」
「そんなこと、ない、です」
「なんで静かになったか、教えてあげよっか?」
お姉さんがぐい、と寄って、耳元で囁く。
「おっぱいの感触、堪能してるでしょ」
かあと顔が熱くなって、お姉さんを引き剥がす。
「えー、酷い。このままじゃ濡れちゃうよ」
「知りません。傘を差さない方が悪い」
「照れ隠し、ごちそうさまです」
意地悪く笑うお姉さんから、顔を背けた。
「でもびしょ濡れになるのは困るな。入れて?」
「⋯⋯⋯触れないでくださいよ」
「あ、素直に入れてくれるんだ。優しいね」
少し傘を彼女の方にズラすと、お姉さんは嬉しいそうに入ってきた。
わかってたけど、距離が近い。
「いつもビニール傘だよね。雨が好きなら、傘にもこだわればいいのに」
「透明なやつじゃないと、伝ってくる水滴が内側から見えないじゃないですか」
「ふむ、確かに」
呼吸で肩を上下するたびに、お姉さんと少し触れ合う。
大きく息を吸った。
お姉さんの肩も、心なしか普段より大きく上下している気がする。
しばらく、無言で歩き続けた。
「⋯⋯⋯⋯梅雨が明けるね」
「そうですね」
「学校、サボれなくなっちゃうね」
「まあ、仕方ないです」
「わたしとも、会えなくなるよ?」
「それも、仕方ないです」
歩みが止まった。
気がついたら、駅のすぐ少し前まで来ていた。
あと数歩踏み出したら、傘は必要なくなる。
「ちょっとは惜しんでくれてるってこと?」
「まあ、少しくらいは、思わなくもないです」
「わたしは、すっごく惜しいんだけどなあ……」
耳元で呟かれた言葉に気を取られている間に、とん、と肩を押された。
上には屋根があるので、もう傘は必要ない。
彼女は懐から折り畳み傘を取り出すと、手際よく開いて、かざした。
「また、雨の日にね」
少し寂しそうに笑う彼女は、身を翻して去っていった。
学校に向かうまでの電車の中では、彼女のことが頭から離れなかった。
*
古典の先生の話をだらだらと聞き流しながら、窓の外を眺める。
予報にはなかったけど、空模様は少し怪しくなっていて、今にも雨が降り出しそうだった。
雨が降ればいいと思う。
そこに付随した気持ちの中に『彼女に会いたい』という気持ちがあることに気がついて、なんだか悔しくなった。
ニートのくせに。
長文にして書きたい衝動があるので、評価いただければ幸いです。




