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【完結】薬師の冷遇妻が解く、公爵家の秘密 〜放置した旦那様が溺愛に変わるまで〜  作者: 木風


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第六話

冬が来た。


御堂家の庭は、葉を落とした木々が枯れ枝を空に向けて伸ばしていた。

しかし家の中は、以前とは違う空気が流れていた。

静花は少しずつ快復し、笑顔が増え、使用人たちも、どこか安堵したように働いていた。


蓮子が去ってから、家の中が静かになった。

その静けさはかつての冷たい静けさとは異なる、温かみを含んだものであった。


澄乃はその変化を、じんわりと感じながら過ごしていた。

颯介と過ごす時間は、以前よりも増えていた。

書斎で話すことも、食後に茶を飲みながら語り合うことも、庭を並んで歩くことも。


それは夫婦として当然のことではあったが、澄乃にとっては新鮮で、大切なことに思えた。

そしてある夜、颯介が澄乃の部屋を訪ねてきた。


「夜遅くにすまない」

「いいえ」


颯介は部屋に入り、しかし椅子に腰かけず、窓の外の月を少し見てから、澄乃の方を向いた。


「澄乃」


名前を呼ばれた。

苗字でなく、名前で。

颯介が澄乃の名前だけを呼んだのは、これが初めてのことだった。


「はい」

「……話したいことがある」


颯介は静かにそう言って、澄乃の方へ近づいた。


「この一年、お前に対してひどいことをした。結婚初夜も、その後も……お前を妻として、一人の人間として、ちゃんと向き合ってこなかった。静花のことを言い訳にしながら、実は……向き合うことが怖かったのかもしれない」


澄乃は何も言わずに、颯介の言葉を、静かに聞いていた。


「お前が来た時、正直に言うと、お前がどういう人間かを知ろうとしていなかった。静花の世話ができる、穏やかな人間というだけで、それ以上のことを考えていなかった。それは、お前に対して失礼なことだった」

「……」

「静花の薬のことを指摘してもらった時、お前の知識と判断力に、驚いた。しかしそれ以上に、お前が静花のために、静花がお前を拒絶していたにもかかわらず、それでも動いてくれたことに……私は、何年もこの家で静花の傍にいて、気づかなかったことに気づいたお前の眼に、驚いた」


颯介は澄乃の前で立ち止まると、深く頭を下げた。


「謝りたい。遅くなったが……お前には、本当に申し訳ないことをした」

「旦那様、頭をお上げください」


颯介が顔を上げると、澄乃は続けた。


「謝罪は受け取ります。でも、旦那様も辛かったのだと思います。静花様のこと、蓮子様のこと……旦那様なりに、最善を尽くしていたのでしょう。ただ、その方向が少し違っていただけで」

「優しいな」

「優しくはないかもしれません。ただ、怒っていないのは本当です」

「怒った方が、私はまだ楽だった気がする。お前が静かに、何も言わずにいてくれる方が……自分の至らなさが、ずっと重く感じられた」

「それは……それは少し、意図していたかもしれません」


颯介は笑った。

本当の意味で、笑ったのだ。

初めて見る顔は、目元に皺が寄り、端整な顔が崩れる、人間らしい笑い顔。

澄乃は少し驚きながら、気づいたら自分も微笑んでいた。


「澄乃。遅くなったが……お前のことを、知りたい。お前の好きなもの、嫌いなもの、考えていること、夢見ていること。これまで聞いてこなかったことを、これから聞いても構わないか」


澄乃の胸の中で、何かが溶けていくような感覚が広がる。

一年以上、この家でずっと積み上げてきた、静かな孤独の壁。

それが、颯介の言葉でゆっくりと緩んでいく。


「構いません」

「それと」


颯介はわずかに声を低めた。


「お前と、ちゃんと夫婦になりたいと思っている。名前だけの夫婦ではなく」

「……は、い」

「返事が固いな」

「固くて当然です」

「そうか」


頬が熱くなるのを、澄乃は感じた。

颯介は少し笑ってから、真顔になって言った。


「お前は薬が好きか」


唐突な問いに、澄乃は笑いそうになった。


「はい。子供の頃から」

「なぜ」

「誰かの苦しみが和らぐのを、見ているのが好きなのです。頭痛が引いて、ほっとした顔になる瞬間。食欲が戻って、美味しそうにご飯を食べる瞬間。そういうものが……嬉しいのだと思います」


颯介は澄乃の顔を、しばらく黙って見ていた。


「お前が最初に頭痛薬を持ってきてくれた夜」


と颯介はゆっくりと言った。


「お前が部屋を出ていってから、私はその薬を手に取って……こんなことを気にかけてもらえたのは、いつぶりだろうと思った。静花のことばかり考えていて、自分のことを考えてくれる人間がいるとは、思っていなかった」

「旦那様……」

「あの時から、お前のことが気になっていた。気になっていたのに、どう近づいていいかわからなかった。静花のことも、仕事のことも……言い訳は多かったが、本当のところは、ただ、怖かったんだと思う」

「何が怖かったのですか」


颯介は少し間を置いた。


「……好きになることが、だろうな」


澄乃は颯介を見た。

颯介も澄乃を見ていた。


「好きになって、その気持ちをどうしたらいいかわからなくなることが怖かった。今まで、そういうことを考える余裕がなかったから」

「旦那様は不器用でいらっしゃるのですね」

「……そうかもしれない」

「今、気が付いたのですか?」

「ああ」


澄乃は声を出さずに笑った。

颯介は少し眉を上げ、それからまた笑った。先ほどよりも、少し柔らかく。

澄乃の胸の中で、暖かいものが静かに広がっていた。

颯介が一歩、澄乃に近づいた時だった。廊下を小走りの足音が近づき、控えめなノックが鳴る。


「旦那様……静花様が。少し胸が苦しいとおっしゃっています」


一年以上、繰り返された合図。

澄乃の指先が、わずかに止まった。

颯介は立ち上がらなかった。代わりに、扉の方へ視線だけを向け、短く言った。


「医師を呼べ。宮部にも伝えろ。静花には私から言う。――今夜、私はここを出ない」


女中が扉の向こうで息をのんだのち、立ち去るのを感じ、澄乃もまた、息をのむ。


「澄乃」


颯介は初めて、言い訳ではなく、確かめる声で澄乃の名を呼んだ。


「……怖がらせたくない。だが、終わらせるべきことがある。今夜は、お前の傍にいる」


澄乃は答えずに、ただ両手で包んでいた湯呑みを、そっと机に置いた。

颯介が一歩寄り、澄乃の指先に触れるように手を重ねる。

湯呑の温かさが去るのに合わせ、颯介の体温が指先から胸へゆっくり伝わってきた。


「澄乃」

「はい」

「……もう少し、近くにいていいか」

「はい」


ランプの光が、二人を柔らかく照らし、窓の外で、冬の風が木々を揺らしていた。




年が明け、春が来た。

梅の花が咲き始めた御堂家の庭に、澄乃と颯介は並んで立っていた。


「約束通りだな」


颯介が言うと、澄乃は微笑んだ。


「昨年の秋に、来春一緒に見ようとおっしゃいましたね」

「覚えていたか」

「もちろんです」


白い梅の花が、朝の光の中で静かに咲き、甘い香りが、冬から春への移ろいの中に漂っている。

颯介は澄乃の傍に立ち、梅を見ながら言った。


「静花の学校が、来月から決まった」

「それは良かったです」

「女学校だ。静花が自分で選んだ。随分と積極的になった」

「静花様は元来、そういうお方だったのだと思います。ただ、囲いの中に長くいて、できないと思わされてきた。本当の姿が、ようやく出てきているのでしょう」

「お前のおかげだ」

「静花様と旦那様の力です」

「頑固だな」

「旦那様こそ」


二人は少しの間、黙って梅を見ていた。

颯介が澄乃の手を取った。

ゆっくりと、静かに。澄乃はその手を握り返した。


颯介は何も言わなかったが、その表情に満足した様子が滲んだ。

澄乃は梅の花を見ながら、一年前の自分には、こんな春が来るとは思っていなかった。

孤独な夜が続いて、自分がこの家のどこにいるのかわからなくて、それでも静かにやり過ごしていた。

でも今、颯介の手がある。傍に人がいる。

その温もりは本物だと、澄乃にはわかった。


「澄乃」


颯介が呼んだ。


「はい」

「好きだ」


簡単な言葉だった。

飾りのない、短い言葉。

しかしだからこそ、それは颯介らしかった。

澄乃は颯介を見て、微笑んだ。目の端が少し滲んだが、それは隠さなかった。


「私も……私も、旦那様のことが好きです」


颯介は澄乃の肩を引き寄せた。

澄乃はその胸に、静かに頭を預けた。

梅の花が風に揺れ、甘い香りが二人を包む。


澄乃は颯介の傍に立ったまま、白い梅の花を見上げた。

春の光の中で、御堂家の庭は穏やかに輝いていた。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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