第四話
十一月に入ったある夜、颯介が澄乃の部屋を訪ねてきた。
その夜の颯介は、どこかいつもと違い、表情が硬く、何かを迷っているようでもあった。
部屋に入り、椅子に腰かけてから、しばらく黙っていた。
「どうなさいましたか」
澄乃が促すと、颯介は少し間を置いてから言った。
「静花のことで、相談したいことがある」
「はい」
「最近、静花の体の具合が良くない。薬を飲んでいるのだが、なかなか回復しなくて……いや、むしろ少し悪くなっているような気がして」
「それは、いつ頃からですか」
「ここ数ヶ月のことだ。柴田先生という方に診てもらっていて、薬も処方してもらっているのだが」
澄乃は颯介の顔を見た。
「その柴田という先生は、どういった方ですか」
「義母……蓮子が以前から懇意にしている医者だ。静花が小さい頃から診てもらっている。実績もある、という話だったが……お前から見ると、どうだろう。一度、静花の薬を確認してもらえないか」
颯介の声には、何かを恐れているような、それでいて何かを確かめたいという気持ちが混じっていた。
「ですが、私は静花様に避けられて……」
「静花にはよく言って聞かせる。どうか……」
「私は医者ではございません。素人の見立てになりますが、それでよろしければ」
「構わない。お前の見立てを聞きたいのだ」
静花は澄乃を受け入れていない。
しかし颯介が頼んでいる。
そして静花が苦しんでいるなら、薬について知る者として、見過ごすことはできなかった。
「わかりました。明日、静花様にご挨拶の上、薬を見せていただけますか」
「ありがとう」
颯介はそう言って、深く頭を下げた。
澄乃は少し驚いた。颯介が頭を下げるのを見たのは初めてのことだったから。
翌日、澄乃は颯介と連れ立って静花の部屋を訪ねた。
静花の部屋は、御堂家の邸宅の南側にある日当たりの良い洋室。
部屋の中は小物で飾られ、少女らしい空間だったが、窓のカーテンは半分閉じられ、部屋全体がどこか薄暗い。
ベッドに横たわっていた静花は、澄乃を見て、眉を顰める。
「お兄様……何故この方がいらっしゃるの」
「静花、言っただろう」
「本当にこの方に?本物の薬師でもないのに」
「お前のためを思って頼んでいる」
颯介がそうと言うと、渋々といった様子で頷いた。
澄乃は静花に近づき、「失礼いたします」と言って、まず静花の顔色と瞳の具合を観察した。
顔色は白く、目の下に隈がある。体全体が倦怠しているように見える。
「最近、手足が痺れることはございますか」
「……少し」
「食欲は」
「ないわ。食べると気持ち悪くなって」
「頭痛は」
「……毎日のように」
澄乃は静花の症状を頭の中で整理しながら、薬の瓶を見せてもらった。
棚の上に三本の薬瓶が並んでいた。
それぞれに柴田医師の筆跡で成分らしきものが書かれていたが、澄乃は中の粒薬を取り出し、匂いを嗅ぎ、色を見た。
「これは……」
澄乃は一本目の瓶を手に取り、表記を確認した。
体を温めると書いてある。
しかし中の薬から漂う匂いは、むしろ利尿を促す性質のある生薬のものに近かった。
「少し拝見してもよろしいですか」
澄乃は薬を一粒取り出し、指先で砕き、鼻に近づける。
澄乃の頭の中で、何かが繋がった。
しかし今は表情を変えてはいけない。
澄乃は意識して顔を穏やかに保ちながら、薬瓶を棚に戻した。
「ありがとうございます、確認させていただきました」
「これで終わりですか?何かわかったのですか」
「今少し調べたいことがあります。少し時間をいただけますか」
「頼むな、澄乃」
「…………」
書斎の扉を閉め、二人だけになると、澄乃はゆっくりと口を開いた。
「旦那様、静花様の薬について、申し上げたいことがございます。ただ、これは私の見立てであって、確定的なことは申せません。まずそれをご承知おきください」
「わかった、聞かせてくれ」
颯介の目が鋭くなるのを見て、澄乃は一度息を整えてから言った。
「先ほどお薬を拝見しましたが、処方の内容が、静花様の症状と合っていないように思われます」
「どういうことだ」
「静花様のご症状を伺うと、体の冷え、倦怠感、食欲の低下、手足の痺れ、頭痛——これらは全て、脾胃の弱りと気血の不足から来るものと考えられます。本来ならば、気を補い、血の巡りを助ける薬が必要なはずです」
「しかし、柴田先生は……」
「柴田先生がどのようにお考えかは存じません。ただ、今の薬に含まれている成分の一つは、強い利尿作用を持ちます。体から水分を大量に排出させる性質のものです。体が弱い方、特に血気が不足している方には、むしろ症状を悪化させるものです」
澄乃はさらに続けた。
「また、別の薬に含まれているものは、少量なら問題ないのですが、長期にわたって服用した場合、消化器に負担をかける可能性があります。食欲不振や吐き気の原因になりうる成分です」
「……つまり、静花の薬は、効いていないどころか、悪化させている、ということか」
「断言はできません。あくまで私の見立てです。ただ……その可能性が高いと、私は思います」
沈黙が落ちた。
颯介は立ち上がり、窓の外を見ると、しばらく動かなかった。
「柴田という医者は、信頼できる人物か、確認が必要だな」
と颯介はやがて言った。
「お前に頼みがある。静花に合う薬を、調合してもらえるか。今すぐ飲ませてやりたい」
「はい。すぐに準備します」
澄乃が静花のために調合した薬は、四君子湯を基にしたもの。
脾胃の機能を回復させ、気力を補う薬方である。
それに体の冷えを和らげる当帰と、血の巡りを助ける生薬を加えた。
静花は薬を見て顔をしかめた。
「こんなもの、飲んでも意味があるの?柴田先生に失礼でしょう」
「静花。頼むから、一度だけ、飲んでみてくれ」
静花は颯介の顔を見て、いやいやながら薬を飲んだ。
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