共同前線 【岸本視点】
なかなかゲームが始められません。
…にしても、杉下がいい奴っぽくなりました。
Cブロック。11日目。1時53分。
あれから十分間強の時間が経過した。
リクライニングシートの上で、難儀そうに唸る桜木君。手を胸の前で組み、難しい顔。
「とりあえず、誰でもいいから声を掛けてみようよ。契約さえできれば誰でもいいんだし」
そう提案してみる。
「まあ、それが一番手っ取り早いか」
彼は腕組を解き、大儀そうに立ち上がった。眼元にはわずかにクマがあって、寝むたそうだった。それも無理もないこと。最近夜の時間帯に行動することが多くなったからだ。かくなる私も結構眠い。
彼に同調する様に立ち上がり、
「行こうか」
「そうだな」
「うん」
と言った。
彼は私に背を向け、トイレの方向へと向かう。長身の割に華奢な痩躯。それは背中や身体つきだけの話ではない。彼は驚くほど手足が細い。帰宅部だから当たり前と言えば当たり前だが、それにしては妙にすらっとしている。無駄な脂肪のない、研磨された肉体。そう形容した方が適切だと思う。けれど、彼の周りには哀愁や哀悼の念が滲み出ていた。
もしかしたら、妹さんに会いたいのかもしれない。
「……どうした? もしかして、誰か起きてる?」
彼は慌てて辺りを見渡した。
「……誰も起きてないな……まさか、具合でも悪いの? ある程度の薬ならあっちで売ってるぞ」
彼が指差したのは食糧販売機だった。あそこで薬を買ってみたらどうだ? どうやらそういうことらしい。
「……ごめん、何でもないから。私大丈夫だよ」
私は空元気な笑顔を振りまけた。これ以上彼に重荷を課すわけにはいかない。
それならいいけど、気分が悪くなったら言えよ。
彼は再び背を向けた。
私は小さくかぶりを振って、彼の元に歩み寄った。
行先は中央広場。
目的は良くも悪くも同じ運命を辿るであろう同士の勧誘。
それは勝利への布石でもあり、敗北への系譜でもある。
私と彼でゲームの勢力図を作り上げる。
もうすでにゲームは始まっている。
中央広場。11日目。2時2分。
トイレのファンを抜け前衛的な扉を潜った先には、見慣れた光景がった。
中央広場の真ん中には、円形の形をした円卓。その周りには綺麗な具合に椅子が並べてある。いつも通りの景色。ただ、いつもと違う点があるとすれば、椅子の片隅に誰かが座っていることだった。
それは杉下和馬だった。百七十五cmの身長を丸めこみ、食料販売機で購入したであろう菓子パンらしき物をむしゃむしゃと食べていた。それが何とも悲しげで、悲壮感を煽るものだった。
私たちの足音に気付いたらしく、日本人形の様な緩慢とした動作で私たちを見た。
「……岸本と桜木……」
まるで呻く様な声。危篤状態の病人がかけなしの元気を振り絞って出す悲鳴に類似していた。
「……杉下か。どうした?」
彼が少し心配した様子で問う。おいおいと言いながら右手を上げ、杉下君の肩に手を置こうとした。実際に手を置いた。しかし、杉下君にこれといった反応はなかった。
おそらくゲームへの不安と、これまでの生活の疲弊が溜まっているのだろう。確かにここ最近の生活は精神を削り取る様なものばかりだった。寝ることすらままならない、文字通り神経を張り詰める日々。それは私や彼も例外ではなく、ゲームプレイヤー全員に当てはまることだと思う。
私たちの不穏な動きを機敏に察知し、例の扉とゲームの真相を知った杉下君。しかし、杉下君と最も親密な間柄にあった佐久間百合はどうなったのだろう?
佐久間百合。
彼女は杉下君の恋人で、黒髪のショートボブと小動物を思わせる笑顔が特徴的。それに加えて精神力も強く、小柄な体つきの割には女子バレーボール部の副キャプテンを担うほどの実力者。気難しいことで有名な女子バレーボール部部長の雨季坂さんにすら一目置かれる、才色兼備の女の子だ。
今現在彼女がCブロック内にいる事は間違いない。しかし、何度かCブロックに足を運んだが、彼女の姿は見えなかった。
「……おい、大丈夫かよ……」
彼が困ったように呟く。その表情は複雑そうで、杉下君を追いこんでいる責は俺にもある。そう言ったことを苦悩している風に思えた。
前と変わらず、杉下君は脱力した様子だった。
「……ねえ、そう言えば佐久間さんはどうしたの?」
その途端、杉下君はがばっと顔を上げた。その眼は何かを堪えているようで、今すぐにでも決壊しそうだった。
「……百合は……Cブロックにいる…みんなを纏めなきゃって初めは意気込んでたけど……しばらくして脱力したみたいにへたれこんで……ずっとリクライニングシートで……寝てる……」
途切れ途切れの告白。しまったと思うまもなく、杉下君は頭を下げた。涙を堪えている風に見えた。
「……だから、百合のために……百合をここから脱出するためにゲームに挑戦するつもりだった……けど、脱出できるのはたったの一人。それも、俺や桜木を含む七人だけにしか脱出できる可能性は……ない……」
思わずそんなことないよと叫びたいのを堪える。
それではだめだ。それを教えちゃだめだ。
心の中の戒め。決して露呈してはいけない情報。
覚悟は決めたはずだった。
例え他人を蹴り落としてでも、ゲームに勝利するって。そのための手段は厭わないって。
そんな独りよがりの決心が揺らぎそうになる。
不安になって、とっさに彼を見た。
彼は歯ぎしりをして、ゆっくりと肩に置いた手を離した。
「……今は一人にしておこう」
そう言って、杉下君から離れた。
黙って彼について行った。背後からはすすり泣く様な声。私は自分の耳を塞いだ。
聞いてはいけない。それでは決意が揺らいでしまう。他人を踏み越えるという決意が……。
前を向くと、彼の背中が見えた。制服ごしでも分かる直立不動の背中は、いつになく矮小に見えて薄汚く他者を顧みない自分を責めている様だった。
ゲーム会場。11日目。2時12分。
ゲーム会場には誰もいなかった。
侘しい孤独と虚しい静寂があるだけ。
がらんとしたゲーム会場。私は壁に寄り掛かった。
「みんな自分のブロックに帰ったのかな?」
「だろうな。下手にプレイヤーと関わりたくない――――もしかしたら自分の情報がばれるかもしれない。それでなくても他人なんて信じられない。そういった懐疑と焦燥感だけがみんなを動かしてるってわけさ」
悲しそうに彼は言った。
「…どうする、契約書の件? 誰もいないんじゃ契約すらできないよ」
「どうもしない。別に始まったばかりだから俺と岸本だけでも親は取れると思う」
「けど心配だよ。万が一ってこともあるし――――」
――――杉下君と組むってのはどう?
なんて言えるはずなかった。
今の杉下君は苦悩している。
弱かった自分を責め、何もできなかった自分に後悔する。
そんな混沌とした状態の杉下君を下手に刺激してはいけないと思う。
そんな私の思いを悟ったのか、
「杉下はそっとしておくべきだと思う。仕方のないことだけど、これは杉下と佐久間の問題。部外者が口出ししていいわけないしな」
まあ、同じ被害者といえばあながち間違ってもいないけどな。
彼は痛々しく笑う。
「……そうだね」
私達はひっそりとゲーム会場を去った。