第55話 『瘴気』と不意打ち
辺境伯の屋敷に着いた瞬間、双子と爺さんは我に礼を言うなりパッと散って行った。各自やるべき事を把握しているからこそ、着いてからの行動は速かった。我とクリスは、応接室で待機するようにあらかじめ言われていたので、ソファに座ってくつろいでいた。
「クリス、神獣様、お帰りなさい。怪我はないかしら? 無事で良かったわぁ。待ってる間はお茶にしましょうねぇ。運動したからお腹が空いたかしら? サンドウィッチも持って来させようねぇ」
「お祖母様、レオンにもお肉をちょうだい?」
「ええ、勿論よ。神獣様は人型に戻られますか?」
『あぁ、そうだな。謁見には我もついて行く予定だからな』
我はすぐに人型をとった。きっと我の大好物である、あのジューシーな肉のサンドウィッチが出て来るだろうからな。辺境伯のシェフの飯はとても美味いから楽しみだ。
「レオンくんも来てくれるの? 嬉しいな」
「俺がクリスを置いていくわけがないだろう?」
「そうだね! あははっ」
うん? クリスが空元気な気がするな? 眠いのか? あれだけ集中して斃していたからな。やってる事は桁外れだが、体はまだ三歳なのだ。さすがに疲れたのだろう。
「クリス、少し横になったらどうだ」
「うーん、そうだね……」
「ククッ、頭が働いておらぬな? フェンリルの姿に戻るから、我の腹の上で休むが良い」
我はフェンリルの姿に戻り、毛足の長い絨毯の上に横たわった。クリスは我の腹の上であれば、場所がどこであっても寝ることができるからな。安心して身を委ねてくれるのは素直に嬉しいものだ。
「うん。ありがとう、レオン」
いつも通り、クリスは我の腹辺りの毛をまさぐりながら横になり、すぐに眠りについたようだ。「すぅすぅ」と規則的な寝息が聞こえる。
「あらあら、まぁまぁ。よほど疲れていたのねぇ。神獣様、いつもありがとうございます。サンドウィッチが来ましたから、わたくしがお口に運ばせていただきますね」
『おお! 助かるぞ。悪いな、婆さん』
「いえいえ、滅相もありませんわぁ。サンドウィッチは半分に切ったほうが良さそうですね。半分ならひと口で食べられそうではありませんか?」
『そうだな、味わって食べたいから半分ぐらいが良さそうだ』
「足りなければ、また持って来させますから、好きなだけお召し上がりくださいな」
『良いのか?』
「ええ、勿論です。この量で少ないようでしたら、普段召し上がる量がどれくらいか教えてくださいませんか? 毎回、その量でお持ちするようにしましょうねぇ」
『それはありがたい! 我は今あるサンドウィッチの三皿分は欲しいぞ。それでもこの体には少し控えめなぐらいだ。人型であれば、足りると思うが』
「そうでしたか。でしたら今度からは、三つ分の量をお持ちしましょうねぇ」
『ここの料理は美味いから嬉しいぞ。前回食べた、赤ワインのソースがかかっているステーキも絶品だったからな』
「あらまぁ。それはそれは良かったですわぁ。シェフに伝えておきますねぇ。きっと喜んで、またお肉の新しいレシピを開発してくれると思いますよ。ふふふ」
『本当か! 楽しみにしていると伝えておいてくれ』
「ええ、伝えておきますねぇ。残りの二皿も今持って来ましょうか?」
『いや、今は大丈夫だ。噛んで飲み込む度に、クリスが揺れるのが気になって味に集中できないからな。城に行っても、夜には帰ってくるだろう? その時に用意してくれるか?』
「ええ、ええ。そうしましょうねぇ。皆の分の食事も用意しておきますから、皆で食べましょうねぇ」
『あぁ、楽しみにしているぞ』
婆さんと約束したその晩、我らは辺境伯の屋敷に帰って来ることはできなかったのだった。
☆☆☆
『何なのだ、これは?!』
準備を終えた爺さん達が戻って来ても起きなかったクリスを背に乗せ、我と爺さんと双子は皇帝の下へ……正しくは、皇帝の執務室へ転移したはずだった。
「ふむ。何者かに妨害されたのでしょうが、レオン殿の力に敵う者など、そうおりますでしょうか?」
「お祖父様、そんなにのんびり考察していては困ります!」
「そうですよ! これは瘴気でしょう?! 長く吸ってしまうと、こちらにも大きな被害が出ます!」
ジョセフはいつでも、どんな時でも冷静だと思っていたが、今回は流石に動揺しているようだ。その証拠に、魔力が大きく揺れているな。
『爺さん、エルフに連絡を取るぞ』
「えぇ、お願いします」
『エルフよ、我らは何処かに飛ばされたようだ。城に転移したはずなのだがな。そなたは我らがどこにいるかを感知できるか?』
『レオン殿! 申し訳ありません、私の失態です。レオン殿の居場所はかろうじて分かりますが、私が転移しても、恐らくそこには行けないでしょう』
『そなたもなのか?』
『はい。実は、クリス様のご命令に従い、捕らえた『人ならざる者』を牢屋に入れ、私自ら結界を張り、厳重に見張っていたはずなのですが……強固に張ったはずの私の結界が破られ、逃げられてしまいました。ですので、そちらの現象も、人ならざる者の仕業かと思われます』
『やはりそうか。どうやら、呪いのようなもの……双子たちは『瘴気』と言っていたが、その中に放り込まれたらしい』
『そ、そんなことがあって、いいのでしょうか! その場所は、皇都の教会……それも、『祈りの間』なのです。神聖力で満たされているはずの教会、それも『祈りの間』に『瘴気』があること自体があり得ないのですが。ふむ。神の加護があるレオン殿とクリス様は大丈夫だと思われますが、辺境伯の者たちが心配ですね』
『そのクリスが、疲れてまだ眠っているのだ』
『ええ? それは眠らされているのではないでしょうか。気配に敏感なクリス様が起きないなんて……』
我もエルフも抵抗できなかった力だ。クリスも抵抗できなかった可能性はある。だがそれよりも、我が動けないことの方が問題なのだ。
『はっ! 確かにそうだな? 今は我の背に寝ているが、これでは我も人型になれないし、身動きが取れないのだ』
『そうでしたか。私は既に教会の近くに転移しました。教会までは弾かれないように歩いて参りますので、少し時間がかかります。双子に、神聖力をぶつければ『瘴気』は薄くなると伝えてください』
『分かった。頼んだぞ』
転移することで飛ばされる場合、魔法を使わなければ入れることが多いのだ。飛ばされたとしても、魔法を使っていなければ、そこまで大きくズレることはない。だから確実に近づくために歩くと言っているのだろうな。
『ラウル、ラウラ! 神聖力をぶつけると良いらしいぞ。爺さん、エルフでも転移できないらしい。歩いてくると言っている』
「あ、本当ですね! 『瘴気』が薄くなりました!」
「ラウラ、シールドで弾く事も出来るみたいだ」
双子は、近づいて来る瘴気を消す事に必死になっているな。爺さんは、何か考えている様だ。
⭐︎⭐︎⭐︎
この空間に閉じ込められてから一時間ぐらい経っただろうか。双子の神聖力がそろそろ尽きてしまう頃だな。ん? 何か気配が近付いて来るな。
「はっ! ラウル、危ない!」
ラウラが叫んだ瞬間、爺さんがラウルを庇って左腕を負傷した。『瘴気』の塊のような物がラウル目掛けて飛んで来たのだ。
『まだだ、構えろ! まだ来るぞ!』
恐らく百発近い『瘴気の塊』が一気に飛んで来る感覚がある。これは流石に厳しいな。我とクリスも、無防備なままでは怪我は免れないだろう。クリスを背に乗せた状態では、神聖力を上手く使える自信がない。かと言って、降ろしては避けられない。八方塞がりかと思われたその時……
「バリア!」
我ら全員をスッポリと覆うように、ドーム型の結界が張られた。賢者のエルフが到着したのだ。ふぅ、間一髪だったな……。
「ジョセフ、大丈夫ですか!?」
「エルフ殿、助かりました。ありがとうございます」
「いえいえ、助かってないでしょう! 貴方のその怪我は重症ですよね!?」
「私にとって、孫たちが無事ならそれで充分です。それに勝るものはありません」
「お祖父様、ごめんなさい。私が油断してたから……」
シュンとするラウルに、爺さんは笑顔で首を振った。
「ラウル、大丈夫だ。自分を責めるんじゃない。頑張って瘴気を消そうとしてくれていたじゃないか。あれは不意打ちだったから仕方のないことだ。それより、まだ終わってないのだから気を抜かないように。神獣殿やエルフ殿ですら抵抗できない力の持ち主が現れるかも知れないのだからな」
「「はい、お祖父様!」」
背中に冷や汗をかきながら、張り詰めた空気の中『人ならざる者』は姿を現したのだった。
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