7意味なすもの、なさないもの
騙すほうと騙される方の駆け引き。いっさいがっさい吐いてしまえ!といいたいところですが騙すのは相手のことを熟知し相手より上位に立とうとします。
ほんとうに……こういった交渉ができる政治家が現れたらいいなあ。
マリサたちが情報収集にあたっているころ、ツタの葉が外壁を覆っている小さな屋敷に幾人かの人が出入りしていた。屋内の調度物や絵画は当時の栄華を物語っているものの、使用人どころか財を成した住人の姿はない。出入りしているのは家族でなく何かの目的を持った人々である。
酒を貯蔵するための半地下室では一人の男が拘束されたまま横たわっていた。小さな体中に打撲の跡があり、少し体を動かそうとするだけで痛みが彼を襲った。拘束されるのは”光の船”の嘆きの収容所以来である。こんなことは人生でそう何度も経験するものではない。採光用のごく小さな高窓から漏れる光でうっすらと内部がわかり、時折ネズミが片隅を走り抜けていくのが見えた。さすがに嚙まれでもしたら病気を引き起こすだろう。慌てて痛みをこらえながら体を起こすと、深呼吸をして今生きていることを確認する。
(これが私の最期の場にふさわしいということか……。アーネスト、ルーク、お前たちにとって良き父親でなかったことを申し訳なく思う)
息子たちの姿とともに使用人たちの顔もうかぶ。あの日、無実の罪で捕らわれたアルバート・オルソンは抵抗するも力及ばず、ここへ来ていた。目覚めると尋問や暴力が待ち受けており、オルソンは彼らに抵抗する力もないまま時間が経過していった。生かさず殺さず……それはあの嘆きの収容所を指揮していたガルシア総督のやり方と似ていた。その暴力の底辺には何があるというのだろうか。彼らはまだ目的を語っていない。また、彼らの発音にある特徴があったことから彼らがフランス人、或いはフランスとかかわっているのではと考えている。
フランス人の発音には大きな特徴があった。『H』の発音である。フランス人は『H』の文字を発音しない。この特徴は彼がフランス人であると確信できる理由となった。貴族としてフランス語のたしなみを心得ているオルソンは、彼らの会話からフランス国内の情勢を耳にすることができていた。
(私を毒の守り人と知っている彼らはそれを知ってどうするのだろうか。ただ、残念なことに毒の守り人は自分を守るすべを知っている。まあ、最期を飾るとしてもマリサに負けないような演技をしてみせるか……)
毒の守り人は失敗したときのために自らを葬る術を考えている。ただ、今回は事情が違う。ならばせいぜい相手を欺くことを考えて行動を起こすほうが良かろう。
この半地下室にはかつて多くの酒が貯蔵されていたのだが、それらは壊れた樽の木切れへと置き換わっている。オルソンはこの家がどのような歴史を経てきたのか知る由もなく、自分を連れ去った彼らの目的もわからないままだった。冤罪であると誰が証明するだろう。国中で大騒ぎになっていることを考えると、屋敷に残された家族や使用人たちのことが心配でならない。
自分を捕らえた奴らはオルソンに毒物の精製と効果や与え方の情報を求めてきた。しかしそれをどう使うのかというオルソンの問いに答えず、逆上して暴力をもってオルソンの問いを返した。このことにオルソンは彼らの目的が政変ではないかと危惧した。代々王室を守るために影で敵を暗殺してきたオルソン家の長子だが、いいように利用されていると思うこともある。それでもそれはオルソン家の所以であり、誰に不満を漏らすわけでもなく先祖から使命を全うしてきた。
オルソンが一呼吸置いたとき、誰かが古びた扉を開けて入ってきた。
「ご気分は如何かしら、オルソン伯爵。ご立派な貴族もこうなれば罪人と同じでしょう」
入ってきたのは金髪の華奢な女性だ。質素なドレスをまとっているものの、その所作から彼女が貴族ではと思われた。
「お前は……」
オルソンは高窓の薄明かりに照らされたその姿をみて驚く。紛れもなく使用人のヘンリエッタだ。
「ふふっ。なぜ私がここにいるのか不思議に思ってらっしゃるのね。……イライザに毒を盛ったのはこの私。とどめを刺そうと思ったら海賊上がりの誰かさんに邪魔されたので逃げてきたということよ。命を救われたイライザは今頃、自分がみたことを話しているのでしょうね。ジョナサンが関与していることもね」
ヘンリエッタは笑みを浮かべてオルソンに近寄る。その顔はもはや使用人の顔ではなく人の心を見通すかのような目つきをしていた。
「なるほど……どうやらお前も裏の顔があるようだな。私が毒の守り人であると知っての所業だろうが、それでも強引すぎないか?」
オルソンの問いかけにそれまで穏やかだったヘンリエッタの表情が険しくなる。
「あなたは私たちに力を貸さなければならないのよ!私はこの機会をずっと待っていた……ひと思いにあなたを殺してもよかったのにやらなかったのは、あなたの力が必要だからよ!」
そう言ってヘンリエッタは箱を差し出す。
「あの庭師ジョナサンは私を信じてくれたわ。身寄りのないこの私の嘘も信じてくれたの。嘘を信じてくれるなんて素敵な人材ね……私が毒の精製について聞こうとしたらこの箱を差し出したのだけど、結局中に書いてあるものの意味が分からなかった……確かに誰でもわかるようじゃ隠している意味がないものね。彼のほうが一枚上手だったということ。だから直接あなたに来てもらったの。ふふっ……これでも強引かしら」
ヘンリエッタが笑みを見せながら箱を開けると、そこにはいくつかのラテン語といくつかのギリシャ文字の入り混じった書物らしきものがあった。恐らくこれを毒の精製本だと思ったのだろう。
(ジョナサン、敵を欺いたのは見事だ)
オルソンはほくそ笑むとジョナサンの功績を胸の内で褒めた。ジョナサンは主人を裏切らず、この箱を使うことで秘密を守ったのだ。この箱に入った本はいわばダミーである。いつかオルソン家の秘密を利用しようとするものが現れるのを警戒するためにこの本があった。ラテン語とギリシャ文字を使って意味のないものを意味があるように書いてあり、文章に意味はなく、でたらめである。
「おお……やってくれたかジョナサン。オルソン家はこれでおしまいだ……」
オルソンはさも悲しそうに首を振り嘆いてみせる。しかしイライザはこのために殺されかけており、それについては申し訳ない気持ちもあった。
彼らの狙いはまさに自分である。
「私に何をどうしてほしいのだ?目的もわからずに行動するのは過ちのもとだからな。目的を教えてもらおうか、ヘンリエッタ」
これまで男たちは同じ質問をしても言おうとしなかった。そのため話すことはないとしたオルソンに暴力をもって返した。その痛みが体を動かすたび駆け巡る。
「貴族殺しの罪を着せられ、今となっては領地へ帰ることはできない可哀そうなアルバート・オルソン。あなたが毒の守り人でなければ順風満帆な人生だったでしょうね。目的がわからないと動けないということならこの際お話しましょうか。……私たちはジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアート様を国王にと望む派閥。カトリック教徒をないがしろにし、正当なスチュアート家の血を引くジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアート様を敵とするジョージ国王のやり方を許すことはできないの。代々スチュアート家に毒の守り人として陰ながら仕えた貴方がジョージ国王をあっさりと迎え入れていることがたまらなく腹立たしい。それに……」
そこまで言ってヘンリエッタは口ごもってしまった。オルソンはこの様子をみて、ヘンリエッタがまだ問題を抱えているのではないかと感じないではいられなかった。
「お前がどこで私のことを知ったのかは知らないが、確かにオルソン家は王室の命でその仕事をしてきた。もう過去のことだ」
王朝が変わったことと、海賊の横行でアーティガル号が海賊共和国の興亡に巻き込まれてしまったことで毒の守り人の依頼が入らなかったのは事実である。
アーネストに引き継いだものの、実行する機会はなかった。オルソンにとって孫もおり、毒の守り人という裏仕事をやっていることに僅かばかりの後ろめたささえあった。
「あなたには過去の事でしょうけど、私たちは今必要としているの。アン女王陛下に恩義を感じているのなら、手を貸して……。さもないと屋敷へ刺客を送るわよ。イライザだけでなくアーネストとジョシュアもね……。嫡子がいなくなればオルソン家は断絶でしょう」
ヘンリエッタの目には憎しみが込められていた。先ほど口ごもったのはそのせいだろうか。それだけでなく、オルソンはヘンリエッタの顔つきに既視感があった。どこかで見たような気がしてならない。
「それは穏やかでないな。息子たちはともかくイライザに何かあれば元海賊団も黙っちゃいないということをこの際だから言っておく。お前が相手にしたマリサは船を降りたとはいえ、今でも武器の扱いは現役だ。そして元海賊団は数多の海戦を経験し、今や海賊ハンターとして海賊を狩っている。海軍とも戦争や海賊討伐でつながっており、下手をすると国を相手にしてしまうだろう。そうなれば分があるのはどちらかわかるだろう?だから息子たちとイライザには手を出すな。『手』というのであれば必要な手を差し出そう」
何やら腹のすわったオルソンの物言いはヘンリエッタの態度を軟化させる。
「では、私たちの望む毒物の精製をお願いしましょうか」
ヘンリエッタは仲間を呼ぶとオルソンの拘束を解いた。
一方、オルソンの屋敷の東屋では庭師ジョナサンがアーネストの尋問を受けていた。そばには執事のトーマスもおり、事の成り行きを見守っている。
「……さて、ジョナサン。私たちに話すべきことがありはしないか?」
ふたりを前にジョナサンはうなだれている。しばらくの沈黙の後、ようやく口を開いて自分とヘンリエッタのかかわりを話し始めた。
「今回の件は私が引き起こしたようなもんです……。ついうっかり気を許してしまいました。あの女、ヘンリエッタは私にしつこく毒の精製の効果について尋ねました。何度も知らぬ存ぜぬと言葉を返したのですが……私に色目を使ってきて……」
「それで毒の精製を教えたのか?イライザは殺されかけたのだぞ」
アーネストの話し方が荒々しくなる。
「教えたのはただ一つ……ご主人様が解毒をもっている毒物についてです。それ以外は教えていません。本物の精製本についても渡しておりません。あの本はご主人様が管理なさっていますから、私がヘンリエッタに渡したのは偽物の本です」
ジョナサンの言葉を聞いて安堵するアーネスト。父親のこと以上に、毒物の知識が反社会的行為をする人々に広まり、政治の混乱を引き起こすとしたら面倒である。
「そうか……。それがわかっただけでも良かった。ジョナサン、本来ならお前がやった裏切り行為はお父様にとって不義理であり不忠な行いだ。ただ、今までお前はオルソン家の裏の仕事を支え、守ってきた。それを考慮して今回は許すとしよう。ひとり身のお前に言うのも残酷かもしれないが、もう女に惑わされるな。お父様のことはマリサがアーティガル号の仲間とともに助け出してくれると信じている。私たちは今まで通りの日常生活をおくればいい」
そう言ってアーネストはジョナサンに手を差し伸べた。それでも父親の安否がわからず不安である。ただ、ここでジョナサンを始末しても何も変わらないことがわかっていた。家を分断するわけにいかず、自分が主になって動きたい気持ちを押さえるしかなかったのである。
「坊ちゃん……いや、アーネスト様。私はもう惑わされません。身をもってオルソン家に仕え、この過ちを償う所存でございます」
泣き崩れるジョナサンの体を起こしながら、アーネストは涙ぐんだ。庭師ジョナサンは乳母とともによく兄弟たちの面倒を見てくれたし、遊びの相手もしてくれた。子どもの頃の思い出の中にはマリサもいた。そんな人物を失うことがどうしてもできなかった。
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