69新たな家族と旅立ち
旅立ちのところからアーティガル号編最終話の後半部へつながります。
時系列が今になって明らかになったような……。
話は海戦を終えたマリサが帰宅して間もないころに戻る。この日ちょっとした嵐がスチーブンソン家を襲っていた。スチーブンソン家ではマリサの第2子懐妊の報告を受けてハリエットが卒中を起こしそうなくらいマリサをしかりつけていたのだ。
「全く、懐妊しているかもしれない状況でなぜ戦いに出たの!あなたひとりじゃないでしょう?ほんとにもう……言葉が出ないくらい……」
そう言って泣き崩れるハリエット。しかったり泣いたり忙しいほどである。それだけマリサのことを心配をしたのだろう。ハリエットのこの姿にマリサはひたすら謝るしかなかった。
「ごめんなさい……もうしません……ほんとにごめんなさい……」
船を降りてスチーブンソン夫人としてこの家に残り、家事と育児をしていく生き方をしてみたが何だかんだで結局船に乗っているマリサ。落ち着いた陸の生活も悪くないが、”青ザメ”時代から『連中を守る』という意識を持っていただけにどうしても船に乗ってしまう。しかし今回ばかりはハリエットからこっぴどく叱られても反論できないくらい、マリサに落ち度がある。
「……イライザさんがいても同じことを言うわよ。エリカがどんなに寂しい想いをしてきたか考えてごらん。エリカは親に甘えることができず、頑張ったことも話せない生活だったのよ。周りを親以外の人に囲まれていい子でいるしかなかったのよ。そこをよく考えて頂戴」
ハリエットは涙をぬぐいながら胸の内を話した。その言葉はマリサに深く突き刺さる。マリサ自身も育ての親はいたが、振り返ってみると使用人時代や海賊時代を考えても周りを大人たちに囲まれて子どもらしい生活をしてこなかった。だから、エリカには同じ思いをさせたくなかったはずだ。
(あたしはあたしだ……そんな思いをずっと持ってきた。でも、家族がいる今、あたしはひとりじゃない……。あたしはあたしだけど、スチーブンソン家のあたしなんだ。そんな生き方を考えなくてはいけない……)
これまで自分の考えを貫き通したマリサだったが、ハリエットの言葉を受けて自分という個の前にスチーブンソン家の家族であるという自覚が前面に出てくる。
第2子の懐妊はそれまでのマリサの生き方に変化をもたらした。
幸いハリエットの叱責は長く続かず、自分も言い過ぎたといって、マリサを気づかいながら家事をしだした。とっておきのパイの試作をするときにつわりが襲ってきたが、エリカを懐妊しているときほどひどくなかった。あの頃に比べたらまだ体調はいいからだろう。
「エリカひとりじゃこの家は絶えてしまうと母がよく嘆いていたから、君がその状態で今回の作戦に参加していたことを怒るのはもっともなことだろう。もし海戦前にそれを聞いていたら僕も君を引き留めた。無事だったから良かったものの、何かあったらどうするつもりだったんだ?だから、もうこのような無茶をしないでほしい。君がアトランティック・スターズ社に関わるのは反対をしない。陸から船にどうかかわるか考えるのも方法のひとつ。僕の立場から言えることはそれだけだ」
第2子懐妊を聞いたフレッドもまた、ハリエットと同じ反応をした。この状態でよくまあ、上陸部隊として戦い、船でも死闘をしたものだ。熱くなりすぎたというだけで済む話ではない。でもフレッドはマリサを家事と育児だけで終わらせる気はなかった。使用人時代のスキルで家事を立派にこなすマリサだが、それはそれ、マリサが一番マリサらしい顔をするのは船に乗っているときや船に関わっているときだということを知っていたからである。他の女性にはないものをマリサは持っている。それがマリサに引き付けられている理由だ。
そして同じ空の下、良き知らせが届くことなく時は過ぎてしまい、自分たちの望みを未来につなごうとしている者がいた。
「ケント伯爵の反乱の芽は潰され、フランスの拠点も爆破されたらしい。ヘンリエッタの消息もわからなくなった。……あのオルソンとかいう男は私たちの力になるとヘンリエッタは言っていたが、あれ以降情報が私のもとへ届かなくなった。……我々の計画は思惑通りにいかなかったということだろう……。私はスチュアート家の血を引く者であり亡きアン女王の血を引き継ぐものだ。正当な継承者である私がなぜこのような身に置かれているのか。ローマ法王の手厚い庇護を受けているとはいえ、私は統治者でありたいのだ。王位を請求している者ではない」
空を見上げたまま一筋涙を流す男、ジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアート氏である。そばで子供を抱いているマリア・クレメンティナ・ソビエスカは温かいまなざしで彼を見つめた。ふたりは互いに引き合った仲である。ジェームズがどのような立場であっても彼を信頼し愛していた。
彼らの希望といえる長男チャールズ・エドワード・スチュアートはふたりの胸の内を知ることなく、笑顔を見せている。ふたりに愛しまれ順調に育っており、チャールズの笑顔は老僭王(王位を請求する者)と揶揄されるジェームズの陰を消すかのように明るく温かだった。チャールズの存在はその後スコットランドでも人気となり、いとしのチャールズ王子(Bonnie Prince Charlie)、或いはチャールズ3世とも呼ばれるようになる。(ジャコバイト派でない人々はこの子を若僭王と呼び、父子2代にわたり王位を請求する姿を嘲笑した。よってチャールズ3世という名はイングランドで認められている名前でない。2022年に即位したチャールズ3世がその名を使っている)
ローマでの暮らしに不自由はない。しかし自分の故郷はイングランドである。なんとしても自分の足で国の土を踏みたかった。その思いは息子チャールズが継承していく。
マリアはその後第2子となるヘンリー・ベネディクトを産む。
1745年のジャコバイト蜂起でチャールズはブリテン島に足を踏み入れ、国王陛下の軍隊を破ることに成功するが、その後に起きたカロデンの戦いで惨敗をして逃亡する。成長したチャールズが結婚するも子どもはできず、妾との間に女児が生まれただけだった。妾との子どものは嫡子とならないため、ヘンリーに期待を寄せられた。しかしヘンリーは王位継承に目もくれず聖職者の道を歩み、枢機卿としてローマの地に骨をうずめた。
こうしてスチュアート家の嫡子は絶え、遠縁の者に王位への期待が寄せられたが彼らはそのような活動をしなかった。
1725年。ロンドン港で荷積みを終え、客人を待つアーティガル号の姿があった。今回は商船の航海でなく客船としての航海だ。
そこへ慎重に桟橋を渡り、荷物とともに少女と貴族、幾人かの使用人たちが乗り込んでいく。
「行ってきます。きっとうまくいくから心配しないでね」
それは成長したエリカだった。あどけなさがまだ残るが背も伸び、顔つきも引き締まっている。エリカに寄り添うかのように側にいるのはオルソン、アーネストの子ジョシュアだ。ジョシュアは益々アイザックに似てきており、とても可愛がられていた。エリカがレッスンに来るたび共に勉強したり遊んだりしていたので一緒に旅をしたいといっていた。また、同行者としてマリサの育ての親であり、オルソン家の使用人として長く働いているイライザもいた。オルソンはエリカのためにイライザを同行させることにしたのである。
エリカはオルソンの計画でドイツやフランスへ演奏旅行に出かけて腕を磨くのである。市民相手の演奏だけでなく貴族や王族が出席するサロンにも招かれている。
エリカを見送る家族としてマリサとハリエット、そしてマリサとフレッドの第2子マーガレットもいた。マリサとシャーロットの生みの母親の名をつけられたマーガレットは、どこかマリサに似ており金髪碧眼である。まだ幼いが、言語理解に優れ、言葉をすぐに覚えるところまでマリサに似ている。
「姉さんは遠いお国で音楽の勉強をするのね。クリスマスには帰ってくるかしら」
マーガレットの良き遊び相手であり、時折音楽も教えてくれるエリカをマーガレットは大好きだった。
「大丈夫だよ。エリカの演奏はとても上手だからね」
マリサとハリエットは旅行の無事と演奏旅行の成功を祈らずにいられなかった。
「海賊にやられないように頼むよ、リトル・ジョン船長!」
マリサがリトル・ジョンに呼びかけると彼は大きく頷いた。もう堂々とした船長ぶりだ。
見おくる人々の中にはマリサとハリエットだけでなくシャーロットとルークもいる。ふたりの側にはまだ幼い男の子が乳母に抱かれていた。待ち望んでいたウオルター家の嫡子である。シャーロットとルークはあれから結婚をしていた。ウオルター総督はいったん総督の職を解かれて帰国したが、住民たちの強い要望で再びグリンクロス島の総督として任務に就いている。シャーロットたちはときどき国へ帰りオルソン家に立ち寄っていた。ルークがウオルター家の養子となった形であり、しかも後継となる嫡子をもうけることができた。これは結果的に『貴族社会において優位な立場につきたい』というオルソンの野望がかなえられたことになった。そのせいかオルソンはずっと機嫌がよかった。
また、アーティガル号の出航を見守っているのはマリサたちだけでなかった。戦時に備えて港勤務中のフレッドも甲板からアーティガル号をみつめ、エリカの姿を見つけては手を振っていた。彼の横にはあのクーパー少尉もいる。スコットランド沖の砲火以降、フレッドとクーパーは再びスパロウ号へ、コックス少尉やラッセル少尉、フォスター中尉はそれぞれ別の船に配属された。
「本当は奥様と一緒に見送りをしたかったのでなかったのですか」
クーパーはてっきりフレッドもマリサと一緒に見送るだろうと思っていた。
「マリサとはいつもすれ違っている。それでも僕たちの思うことは同じだ。すれ違っていても、個々の考えは違っていても……着地点は同じだ。こんな答えじゃ君の予想した答えにならないかもな」
フレッドは意味難解なことを言ってクーパーを困らせた。これまでにもマリサとすれ違ってきた。違う道を歩みながらどこかでその道は交差し、また別の道を歩む。それがマリサだ。
「例えが難しすぎて何をおっしゃっているのかわかりかねます。もっとも……中尉が照れてらっしゃるなら話は別ですが……」
そう言ってクーパーは笑みを浮かべた。本当はフレッドの言っていることを理解しているのである。照れているのはクーパーの方だった。
多くの人に見送られてアーティガル号が港を出ていく。乗員たちは若手に入れ替わっているが、あの連中の気質はしっかりと受け継がれている。
商船から海賊船、私掠船と形を変えてきたアーティガル号。これまでに数多の冒険をし困難を乗り越えての今がある。
あれから海賊ハンターとしての活動が落ち着き、マリサは私掠免許をウオルター総督へ返却した。アーティガル号の艤装は再び自衛に限られたものとなった。
時代遅れの海賊たちは時代に翻弄されながら生き残りをかけて戦い、見事に乗り切った。
商船会社の経営はオルソンとマリサ、テイラー子爵がそれぞれ出資し、助け合いながら経営にかかわっている。もちろん、テイラー夫人としてすっかり定着したジェーンと父親が陰になって支えていることも確かだ。
グリーン副長として身分を隠して任務に就いていたテイラー子爵は領主としての務めを果たさねばならず、軍を辞めて務めに専念していた。マリサが商船会社を立ち上げたことを聞きつけ、投資をすることで経営に加わった彼もまた策略家なのかもしれない。
しかしマリサにはそのような策略はどうでもいいことであった。互いの人望でうまくやれるならそれでいいと思った。
あたしはあたし。このマリサの気質は変わらないままだった。
水平線上へ消えゆくアーティガル号を見つめながらマリサは一抹の寂しさを覚えたが、それもすぐに消えた。
今の自分の針路をはっきりと見出していたからである。
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