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57夜会

夜会に紛れて暗躍するネズミと仕留めようとするネズミ捕り。何も知らないこどもたち。

オルソン家は危機を乗り越えられるか。


 昼ともなると屋敷の広間から音楽が聞こえだした。午前中読み書きの勉強をしていたエリカが課題を早々に済ませて、ジョシュアの奏でるバイオリンのためにハープシコードを練習している。そしてしばらくするとバイオリンの音も聞こえてきた。短い滞在期間の間にエリカは譜読みをし、練習を重ねており、早くもジョシュアのバイオリンと合わせられたようだ。夜会での披露に備えて練習に熱が入っているのだろう。指導している楽師長もまた、夜会の舞曲の練習を団員と行っている。この夜会で貴族の引き立てがあるかもしれないからだ。貴族は芸術に関心を持ち、教養としている。そして気に入った芸術家が見つかればパトロンとなり資金的な援助をするのである。

 

 そんなオルソン家の庭では四季咲きのバラが咲いており、害虫駆除の為ジョナサンが手入れをしていた。


(風通しの悪いところがあるようだ。葉に病がついている。おっと、ここには小さな虫が連なっている。屋敷にも害虫、バラにも害虫……)


 仕事をしながら時々トーマスとクレメントの動向を観察する。ジョナサンはクレメントの化けの皮をはがして殴り飛ばしたい気持ちでいっぱいだ。嘘をついて執事見習として入ってきたことが許せない。まるで引退宣告でもされたかのように落ち込んだトーマスが哀れでならない。

 

 夜会を通して繰り広げられようとしている展開を知ることなく、エリカとジョシュアの音楽練習が続いている。その様子を見守るシャーロット。シャーロットは夜会のことを訪れてから知ったので、何もそのような準備をしていない。アーネストの妻として夜会の采配をしているメイジーはこのことを気遣ってくれたが、シャーロットは表立って出ないことを決めていた。準備がどうこうでなく、あくまでも主役はエリカとジョシュアであり、シャーロットはエリカの保護者代理だという立場を貫き通す気でいた。そして何よりもクレメントのことが気になって仕方がなかった。グリンクロス島で何回か海賊襲撃に会い、対応をしたシャーロット。マリサほどではないが、それらに対する警戒心が芽生えていたのである。今回もクレメントの様子に何かおかしいと感づいたのも、そうした警戒心の表れである。シャーロットの心にエリカを守りたいという気持ちがあった。スチーブンソン家の、いわばマリサから預かったエリカを無事に送り返さねばならない。


「シャーロットおばさん、私たちの練習の成果はどうだった?」

 一通り練習を終えたエリカが駆け寄ってくる。その横にはジョシュアもいる。

「そうね……誰が聞いても褒めてくださるほど上手だったわよ。こんな短期間に曲を仕上げてふたりとも立派ね。きっと夜会ではどんなお姫様や王子様よりも主役になるわ」

「お姫様……」

 シャーロットの言葉に顔を赤らめるエリカ。昔話のお姫様のようになれるということか。

「さあ、楽師長のところへいって褒めてもらいなさい。これで褒めなかったら私が楽師長を叱ってあげる」

 シャーロットの冗談めいた言葉を聞いてふたりは顔を見合わせると楽師長のところへ走って行く。


 

 オルソン拉致の件もあり、長らくオルソン家は夜会を開いていなかった。久々の夜会とあって厨房は料理の仕込み作業に追われ、屋敷内は朝から念入りに掃除がなされた。クレメントはメイジーとともに、もてなしの仕方を考えている。花を飾るにしてもどの花を何処にどう飾るかだ。例の棘のないバラは廊下に飾ってあり、トーマスもそれを確認することができた。バラを見て思わず声を出しそうになったトーマスだが、努めて平静を保ち、気付かないふりをした。そして目をつむると、どこかにいる領主オルソンのことを思った。

 自分の意見を何も求められず、ただ存在だけしているような時間が過ぎてゆく。自分はまだ引退をしたわけではないのに存在を無視するかのようなクレメントの行動。今までは気落ちしてやる気が出なかったが、あのバラを見てトーマスに何かしら力がわき上がった。まだ負けていない……彼はそう自分を奮い立たせる。


 トーマスの仕事を奪うことで屋敷を牛耳っているかのようにふるまうクレメント。シャーロットは使用人だけでなく、クレメントの違和感をアーネストにも伝えている。そのため、アーネストもクレメントの動向を観察していた。そして招待客のリストの写しを作ると密かにジョナサンに渡した。

 オルソンは誰を招待しているのかを知りたかった。オルソン家として交流のある貴族たちは限られている。毒の守り人という裏の仕事をもっていたオルソン家は意図的に大きなかかわりをしていなかった。

 

 もっとも、過去にオルソンの亡き妻マデリンがいたころは、割と華やかで交流も活発であり、夜会が事あるごとに開かれていた。社交界の花といわれるほど美しかったマデリンを妻に迎えたオルソンは相応の暮らしを約束していたからである。オルソンが王室に反旗を翻いたある貴族を闇に葬ったとき、その功績によりマデリンを得ることができた。美しいマデリンをこよなく愛したオルソンだったが、やがてマデリンは出入りをしていた若い画家を気に入り、使用人たちの目を気にすることなく不貞を働いた。オルソンがマデリンの浪費によって傾いた財政を立て直すために擁護していた海賊船に乗っていた頃の話である。その後マデリンの不貞行為はオルソンの知るところとなり、マリサとオルソンによって画家もろとも殺されている。オルソン家にとって裏切りは『死』であった。


 そのオルソンはジョナサンから招待客リストを受け取って精査をした。名前を見ると以前から交流のある貴族たちばかりだ。しかし夜会をわざわざ設定したことを考えると、クレメントが何か行動を起こすことは明らかだった。来客の使用人として紛れてくるか、或いは密かに侵入してくるのか。どちらにしても行動を起こすのは夜だろう。

 

 庭の一角から女性の声がしてきた。聞き覚えのある声、シャーロットの声だ。それだけでなくエリカの声も聞こえる。そしてジョシュアの声も。きっと練習を終えて庭を散策しているのだろう。今小屋を出れば彼女と会うことができる……。小屋でこの声を聴いていたルークの心は大きく揺らぐ。そんなルークの表情に気付いたオルソンはそっと彼の肩を叩くを首を横に振った。

 

 

 それぞれの思いを笑うかのように時間は過ぎてゆき、穏やかに夜が訪れると次々に馬車が屋敷へ到着した。馬車を降り立った貴族たちは皆、煌びやかに飾りたてている。市民のエリカも発表の場であったのでシャーロットがドレスを準備していた。エリカがグリンクロス島にいたとき、自分が着なくなったドレスの生地を使ってドレスを作っていた。これは市民であるエリカに贅沢をさせてはならないというハリエットの意向である。ハリエットはフレッドが貴賤結婚によってかなり陰口ややっかみを受けていたことから、市民であるという身分をわきまえていた。

 それでもエリカはやはり子どもである。お姫様のように広がったドレスや結い上げた髪型をするとしばらく鏡の前から離れなかった。この様子をマリサの育ての母であるイライザも温かい目で見守っている。孫であるシャーロットに会うことができるのは、この音楽の練習ぐらいだからである。


 夜会が始まり、楽師たちの音楽が始まった。この後、エリカとジョシュアの音楽発表があり、舞踏会へと続く予定だ。もちろん子どもであるエリカとジョシュアは舞踏会の時間には部屋へ戻って寝なければならないが、きっと興奮して寝つけられないだろう。

「ジョシュア、わたしうまく弾けるかしら。今、とても緊張をしているの。いろんな気持ちで緊張しているの。何をどうしていいかわからないくらい緊張しているの」

 エリカは珍しく何度も同じ場所をいったり来たりしている。しゃべらないといけないくらい緊張しているようだ。そう、ジョシュアとエリカにとってこれは公式な発表の場でもあるのだ。ここで認められたら近い将来欧州へ演奏旅行をして腕を磨くこともできる。

「大丈夫だよ。だって僕も緊張をしているもの。ほらね」

 そう言ってジョシュアはエリカの小さな手を取ると自分の胸に当てる。

「……わ……わかりません……」

 顔を赤らめて慌ててジョシュアから手を離すエリカ。


 この様子をシャーロットは微笑ましく見ていたが、時間が来たのでふたりを広間へ連れて行った。


 会場へ入ると、すでに招待客たちが歓談をしたり酒や料理を楽しんでおり、今夜の主役であるふたりの子どもを見て歓声を上げる。一体どのような腕前のこどもなのだろうかと興味を示し、そのまま声を潜めた。

「坊ちゃま、エリカ……あなたたちの緊張はじゅうぶん伝わっていますよ。これまでたくさん練習をなさったのだから、存分に演奏されたらよろしい。私たちも心から成功を祈っております」

 楽師長は緊張しきっているふたりを見て語り掛ける。その言葉に無言で頷くジョシュアとエリカ。


 庭のほうからかすかにバラの香りが漂ってきた。エリカはじっと目をつむると心を落ち着かせる。


 最初はジョシュアのバイオリン演奏で、披露したのはヴィバルディのバイオリンソナタだ。ジョシュアの刺激的なバイオリンの音色が静寂を破ると、あたりの空気が一瞬に変化した。しばらくしてエリカの伴奏が入り、競演はその場の人々をのみ込んでいく。子どもといえど、互いを信頼しているふたりの演奏はその後も多くの貴族たちが見守る中で続いた。この楽譜は楽師が欧州へ旅行した際に持ち帰ったものである。ジョシュアに続いてエリカはスカルラッティのソナタを何曲も披露した。短い曲だが、指の動きの早さを求められる曲がほとんどだ。緊張していたエリカだが、バイオリン演奏の伴奏をきっかけに集中力が増し、今や周りの客人のことも忘れているほどだ。驚くほどの集中力でエリカは音を奏でていく。ひとつひとつの音を丁寧に出すことで、客人たちの耳をとらえ、外で聞いていた使用人たちも笑顔になった。こうしてジョシュアのバイオリン演奏とエリカのハープシコード演奏は多くの人びとを魅了していった。

 それらが終わるや否や、あちこちの客人たちから歓声が上がった。そして是非とも自分たちの夜会で披露してほしいとの声がいくつも聞かれた。

 その歓声は終わることなく続いたため、本来の目的である舞踏会が遅れそうになる。しかし音楽は客たちの行動を変えることもできるのだ。

 

 楽師長が客人たちの様子を見計らって舞踏の曲を指揮する。この合図でジョシュアとエリカは惜しまれつつ広間を後にした。あとは大人の舞踏会である。


「ジョシュア、まだ私ドキドキしているの。あんなに多くの人の前で演奏するなんてなかったことですもの。でも、それ以上にジョシュアの演奏は素晴らしかったわ。伴奏をしながら聞いていた私がうっとりしてしまったぐらいだから」

 そう言うエリカの顔はまた赤くなっている。それでも安堵の表情がみられるのはやり切ったからか。しかしこの安堵はすぐに第三者の声で消えてしまう。

「とても素晴らしい演奏でしたよ。夜会という場ではありますが、こうして公におふたりの実力を客人たちに聞いていただき、認めてもらったわけですから、()()()()()ご主人様も満足してらっしゃいますよ」

 そう言って背後から声をかけたのはあのクレメントだった。

 ジョシュアはエリカをかばうとむくれた顔つきで答える。

「……()()()()()()()()()()()()?ぼくはそんな話を聞いていないよ。……ああ、そうか。君はこの家の執事になるんだから僕の知らないことも知り得ているんだよね」

 ジョシュアの返しにクレメントは一瞬たじろいだ。そもそもアーネストやジョシュアたちはオルソンの無事を知っているが、屋敷の使用人たちは事件の詳細を知らないままである。それなのに『領主が死んだ』というのはどうしたものか。この言葉でジョシュアのクレメントへの不信が決定的となる。生まれたときから執事のトーマスに親しみをもち、信頼をしていたジョシュアは、クレメントに反抗心をもっていた。それはトーマスを差し置いてなんでもやろうとしているこの男に対する不満の表れでもあった。言葉を捜しているクレメントを後にジョシュアはエリカを部屋へ送り届けると自分の部屋へ向かう。


 

 部屋では使用人が待っており、ジョシュアの更衣の手伝いをする。演奏が上手くいったことを褒めたが、ジョシュアは難しい顔をしたままだった。きっと何か気に入らないことがあって機嫌が悪いのだろう、とそれ以上何も語りかけることなく使用人はさがることにした。

 エリカのほうも演奏が終わったころを見計らってイライザとシャーロットが待機しており、エリカの髪をほどいたりドレスを脱がせて寝かせたりするための手伝いをする。それだけでなく、マリサの代わりに子守歌を聞かせて、無事に演奏が終わったことを喜んだ。イライザの子守歌はマリサが慣れ親しんだ歌でもあり、エリカもマリサから何度も聞いてきた曲だ。マリサがいないときはずっとハリエットが自分の親しんできた子守歌を歌ってくれるので、エリカは歌を覚えてハープシコードで変奏曲にして弾くこともあったほどだ。

「シャーロットおばさまは夜会になぜ出なかったの?」

 エリカは大人の事情など知らないので、なぜシャーロットが夜会に出ないのか不思議に思っている。この問いにシャーロットは答えずほほ笑んでエリカの枕元で座っているだけだ。答えを待つかのようにしばらくシャーロットの顔を見ていたが、やがてエリカは寝入ってしまう。今日一日緊張の連続だったので疲れがでたようだ。

「シャーロット様、私は厨房の手伝いをしてまいりますから、何かあればお申し付けください」

 イライザはエリカの寝顔を確認するとシャーロットに断りを入れて部屋を出る。


 夜会はやがて大きな山場となり、盛り上がる舞踏に客人たちは大盛況だ。広間の屋敷の灯はうっすらと庭を照らしていく。その庭の小道に動く影。僅かな灯りで一瞬その影は姿を現した。ヘンリエッタである。


 ヘンリエッタは製粉工場をでたあと、急ぎの馬車でル・アーブル港へ向かっていた。少しでも紛れるためであった。そしてそこに英仏間を行き来していた民間船ブリトマート号に乗り込み、渡英していたのである。ブリトマート号はジェーン号やアーティガル号と同じアトランティック・スターズ社の船だったが、艤装をしていない商船だったのでヘンリエッタは疑うことなく乗船していた。ブリトマート号にマリサとオルソンの宿敵が乗っていることはショーン船長他誰も気づかなかった。オルソンたちが奇妙な追跡をしていたあのブリッグ船は、オルソンが自覚した通り彼らの目をごまかす囮船だった。


 ヘンリエッタは笑みを浮かべて物音を立てないように、誰もいない部屋の窓から侵入する。これはクレメントがわざと開けていたものだ。


 この侵入を見ていたものは月と星、そして庭に住む虫たちである。そこに僅かな足音と衣擦れの音に気付いたネズミ捕りがいた。ネズミ捕りは屋敷に起きる災いを防ぐために立ち上がると密かに後をつける。

 もうひとりのネズミ捕りはジョナサンの手引きで屋敷内へ入っている。


 ネズミ捕りがこれからはじまるのである。

 

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