56棘のないバラ
棘のないバラといってもこの場合人間の手によって棘を取り除かれたバラのことで、オルソン家ではある意味を持っていました。セレモニーの際にいただく花束のバラは棘がきれいに取り除かれていることがあります。恐らく相手に安心感をもたせるものだと思います。
マリサとフレッドが一夜を過ごしている頃、一台の馬車が暗い野中の道を走り抜けていた。オルソンとルークが家へ向かっている馬車だ。御者近くに吊るされたランタンの薄暗い明かりを頼りに、魔女か魔物かが出没しそうな道を駆け抜いている。宿に泊まることなど考えていないふたりは御者に無理を言ってこの強行軍を頼み込み、見返りにフランスの金貨数枚をもたせた。もう彼らにフランスの通貨は必要ないからである。
やがて馬車は空が白みかけたころ、屋敷へ到着した。しかしオルソンはすぐに屋敷内へ入ることをやめ、庭に近い離れの小屋で寝起きしていた庭師ジョナサンのもとへ行った。
「ジョナサン、起きろ。領主が帰ったのだぞ」
領主の声を聴いて飛び起きるジョナサン。大きな声を出しそうになったがオルソンは口に指をあて、静かにするように促す。
「久し振りだね、ジョナサン。見ての通り僕たちは帰ってきたよ。庭を守ってくれてありがとう」
ルークも小声で話す。
「……なんとまあ、こんな出迎えは初めてです。おかえりなさいませ……ご主人様、坊ちゃま」
ジョナサンはすぐに身支度をすると、ふたりとの再会を喜んだ。
「お忍びのような感じでお戻りになったことを考えると、何かお考えがあってのことでしょうか。すぐにトーマスに報告をします。イライザやメアリーにも報告したほうがよろしいんで?」
「いや、トーマスだけで良い。いいか、この屋敷に再びヘンリエッタの手の者がやってくるはずだ。ヘンリエッタはこの家を根絶やしにしようとしている。アーネストやジョシュアが狙われているのだ。奴らに気付かれないように我々は動かねばならん。……なぜこうもヘンリエッタがこの家を狙うのか、私の遠い記憶の過去にその答えがあったのだ」
オルソンの言葉を理解したジョナサンは、一時的ではあるが、ふたりを小屋に匿う。ヘンリエッタがイライザを毒殺しようとして以来、使用人や来客対応に慎重だ。だが、例外があった。
「ルーク坊ちゃま、シャーロット様とエリカがおいでになっているのですよ。なんでもジョシュア様が新しい曲に取り組まれるそうで、エリカに伴奏の練習が入ったようです。集中してエリカの音楽を勉強させたいからと、しばらく滞在するとおっしゃいました。お会いになりますか」
ジョナサンの言葉に目を見開くルーク。ここにシャーロットがいるなんてどんなに嬉しいころだろう。
「……そうか……。残念だがシャーロットに会うのはすべて解決してからだ。いらぬ波風を起こしたくない……」
考え直して断わるルーク。オルソンはルークの気持ちを理解し、肩を叩いた。
「それでこそオルソン家の息子だよ。お前もオルソン家の秘密を知る者なら尚更だ」
オルソンがルークに寄り添った頃にはすっかり朝になっていた。
「何か食べるものをトーマスに手配してもらいましょう。使用人たちに悟られないように質素なものしかできませんけどよろしいですね。そして、どのように私とトーマスが手伝ったらいいか後で伺います。ところでご主人様、お聞きしますが、ご主人様は年配のトーマスを気遣って執事見習の男をよこされましたか?実はご主人様の書面をもったクレメントという男が執事見習としてトーマスと共に行動をしています」
ジョナサンの言葉に顔を見合わせるオルソンとルーク。
「バカな!私はそのような書面を書いてもないしクレメントという男も知らない。……敵は既にこの屋敷へ入っているということだ。トーマスと会うことはやめた方が良さそうだ。トーマスに言えばその横にクレメントがおり、トーマスの動きを観察するだろう。私たちだけでやらねばならん」
オルソンはすでに怪しきものが屋敷に雇われていることに驚愕をする。しかも偽の書面をもっている。明らかにヘンリエッタの仕掛けだろう。
「やはりそうでしたか……。ご主人様が書面をもたせて人だけをよこすとは思えなかったですし、執事見習となるとある程度この屋敷での働きが必要ですからね。見ず知らずの男に屋敷運営の采配をさせるなんて恐ろしいだけです。この屋敷では特に」
ジョナサンは黙り込んでいるふたりにあることを話す。敵はその機会に姿を現すのではないかという夜会の話だ。
その日、ジョシュアの音楽発表を兼ねて夜会が開かれることになっている。夜会の采配はアーネストの妻メイジーがトーマスとクレメントに相談をして行っているが、それは建前で、クレメントの技量を伸ばすために企画されたものだ。トーマスはクレメントの仕事を見守るという立場である。これは余計にトーマスの自尊心を傷つけ、適格な助言を言えないようにしてしまったが、メイジーはそれが老齢のせいであると信じていたのである。
「トーマスは歳をとっていますが、まだ彼を超える使用人はいません。ご主人様がお戻りになり、クレメントが偽の見習いであると知ったらよい働きをすることでしょう。ご主人様、どうかトーマスを助けてやってください」
ジョナサンは目に見えて緘黙になったトーマスが哀れでならない。
「大丈夫だ。私たちはすべてを解決する。ジョナサン、今日の夜会の采配をメイジーから聞いてくれ。お前は庭師だ。客を迎えるにあたり準備することがあるからといえば、断らないだろう」
オルソンの言葉に深く頷くジョナサン。
クレメントが主になって采配をするのなら今日の夜会は格好の機会だ。オルソン家の長子アーネスト、その子ジョシュアが揃っており、メイジーもいる。この3人を殺せばいいことだ。必ず敵は姿を現し、行動を起こすだろう。
怪しい動きを見せていると言われるクレメント。その化けの皮をはがねばならない。
「ルーク、何かあればシャーロットとエリカを守れ。シャーロットはウオルター家の長女だ。彼女もまた根絶やしにされたらウオルター家は潰れる」
そう、シャーロットもまた、結婚して男子を産まなければならない立場だ。家の存続がかかっており、オルソンとかかわっていることを知れば狙われるかもしれない。それだけでなくエリカの存在もあった。
(エリカの魔法が解けなければ良いが……)
グリンクロス島海賊襲撃事件の際、アイザックとともにピストルの引き金を引き、身を守るために海賊を殺してしまった記憶。それを封じ込めるためにオルソンはエリカに催眠をかけた。それが音楽である。エリカはグリンクロス島での悲しみと恐怖の時間を忘れたかのように音楽の勉強に勤しみ、着実に才能を伸ばしていた。それはマリサにはない才能だった。譜読みを理解しただけでなく、音が鍵盤のどの音をさしているのかすぐにとらえることができ、聞いた旋律をすぐに再現することもできた。そんなエリカの才能はあの記憶と裏表だった。
「わかりました。ところでアーネスト兄さまに僕たちがいることを知ってもらった方が良いのでは?この屋敷でアーネスト兄さまの抱えているものを知っているのはトーマスとジョナサンだけです。トーマスが罠にかかった獲物のようになっているなら尚のこと兄さまは孤独です。僕たちのことを知ったら心強いと思います」
ルークはアーネストのことを心配している。妻のメイジーはオルソン家の秘密を知らない。それだけ国王の政敵を葬るという裏の仕事、オルソン家の秘密は代々の領主に重くのしかかっていた。その重みは相続とともに次の世代に引き継がれていったのだ。
「ジョナサン、お前なら比較的自由に動くことができるだろう。アーネストに棘を抜いたバラを届けなさい。もしメイジーがそのことを気にしたら、アーネストに怪我がないように棘を抜いたとでも言っておくがいい」
ルークの心配を聞いたオルソンはジョナサンにそう命じる。そしてこのことも忘れなかった。
「何か食べるものを頼む。私たちは昨日から何も食べていないのだ」
そう言うとそばにいたルークのお腹がグウーとなった。ふたりは急ぐあまり食事をとっていなかった。
「お安い御用ですよ。では仰せの通りにいたしましょう」
ジョナサンは久しぶりの主人の命令を実行すべく小屋の外へ出ていった。
「まさかこんなに早くヘンリエッタの手の者が入っているとは……」
そう呟くながらルークが振り返ると、いつのまにかオルソンはジョナサンのベッドの上で寝息を立てていた。
(誰よりも王室や家のことを心配して、ずっと休まる日がなかったんだね……。いつまでもお父様にそんな心労をさせたくない。僕たちはそれを思ってオルソン家の秘密を共有したんだ。だから今回で最後にしようよ)
オルソンにとっては束の間の休息だろう。それはルークも同じだった。ルークも椅子に深く腰掛けると体を休める。
3隻の船をジェーン号と協力して次々に航行不能にしたが、自分たちが追っているヘンリエッタはブリッグ船に乗っていなかった。まんまとやられたわけだ。
敵は執事見習として侵入しているクレメントだけだろうか。いや、たったひとりで事をやらかすとは思えない。何かの形でヘンリエッタはここへ来るだろう。オルソン家に強い恨みを持っているとすれば必ずここへ来るはずだ。
(夜会……?)
夜会には外部から客人が来る。その中に紛れてくるのかもしれない。これはこれでアーネストとトーマスに注意喚起をする必要がある。だが、トーマスはクレメントに動向を握られている。
それにしてもなぜヘンリエッタは執拗にオルソン家をおとしめようとするのか。彼女はオルソンに毒を生成させた後、仲間に命じて殺そうとした。一時は意識を失ったオルソンだが、彼はこうして生きのこっている。何も知らないヘンリエッタはきっと油断をしているだろう。
棘のないバラを届けるために小屋を出たジョナサンは、庭からほんのりとピンクの色味がかった中輪のバラを数本手に取ると丁寧に切った。そしてひとつひとつ棘をとり、余分な葉を落とした。このバラは庭の中でも病に強いものだ。香りこそ穏やかだが、手入れのしやすいバラである。
バラを手にしたジョナサンは庭に人影を見つける。こんな朝早くに誰かと警戒したが、それはアーネストだった。
「おはようございます、アーネスト様。えらく早いお目覚めですね」
「いろいろ考えることがあってね……。ずっとこの家の長子として気を張っていたが、この頃は疲れてばかりだ。寝ているのか夢を見ているのかわからないことがある。お父様も家を守るためにどんなに気苦労をされていたことだろう……てね、考えてしまう。で、お前はメイジーの為にバラを切ってくれたのか」
ジョナサンはアーネストの言葉を聞いてほほ笑むと持っていたバラを差し出す。
「あるお方からのメッセージですよ」
「あるお方?」
そう言ってバラの意味するものを考えるアーネスト。手にしたバラを見ると棘がきれいにのぞかれていた。それを見てアーネストの顔色が変わっていく。「……そういうことか……。神はちゃんと導いてくださった。……ジョナサン、これをトーマスもみることができるよう、廊下にさりげなく飾ってくれ。彼もこのバラを見れば何が起きているか理解するだろう」
「もうアーネスト様はひとりではありませんよ。私が寝起きしている小屋にご主人様とルーク様がいらっしゃいます。しかしアーネスト様は今まで通り知らぬ存ぜぬで動いてください。トーマスはクレメントの監視下に置かれていることを忘れないで」
そうジョナサンは耳打ちするとバラを手にして屋敷内へ入っていった。幸いトーマスとクレメントは他の仕事をしている様で使用人たちが朝食の準備に追われている厨房にも姿をみせていなかった。厨房にはイライザがおり、なんだかんだと適当に理由を言って昨日のスコーンとパイの残り物をもらい、小屋へ戻った。
ジョナサンが持ち帰ったものを早速食べるオルソンとルーク。ひと眠りした彼らの表情は良い。そんなふたりの為にジョナサンはコーヒーを点てるとふたりに差し出す。
「バラは廊下に飾っています。アーネスト様の指示です。飾ることでトーマスも目にすることができ、意味を理解するでしょうから」
「ありがとう。トーマスもこれで安心するだろうね。問題は今日の夜会にどんな形で不審者が来るかということだ。客人としてくるか、使用人としてくるか。或いは侵入してくるか……。僕たちだけでそれをやるには劇場が広すぎる。本当に僕たちの勝手な思い込みならありがたいのに」
ルークは正直なところ、先の読めないことに不安を覚えていた。
「ルーク、こんなときでもマリサは諦めなかったぞ。あいつは困難さがあるほどやる気を出す女だ。マリサに負けるな」
オルソンはそう言って笑った。
「では、ご主人様、ルーク様、私はいつも通り仕事をします。おふたりはその時までゆっくり過ごしてください。食べ物はまたイライザからもらってきます」
そう言ってジョナサンは小屋を後にした。
主人であるオルソンが、庭師の寝起きする粗末な小屋にいると誰が想像するだろうか。ふたりは体を休めつつ、武器の手入れをし、策を練っていく。ルークにしてもシャーロットに会いたい気持ちを抑えてのことだ。客人として滞在しているシャーロットはどのように夜会に出るのか。もし現れたらオルソンはヘンリエッタとクレメントを排除するだろう。ルークはそんな場にシャーロットをまきこみたくないと願っている。だが、駒は確実に進められていた。
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