53嫡男
女性を子孫を残すだけの道具としか見られていなかったとしたら悲しすぎますね。実際貴族は嫡子がないと『家」は終わってしまうのです。イギリスのスチュアート家は何人もの王や女王を輩出しましたが、最後のアン女王は多くの子を出産するも、その子たちは夭逝したり病気をもって至りで結局子孫を残せず、ドイツから英語の話せぬ国王ジョージ1世を迎えます。赤の他人ではなく、スチュアート家と繋がる親戚筋です。
このお話しで何度も出てくるジェームズ・スチュアート氏は父親が名誉革命によって追い出され、廃位しているのと、カトリック教徒であったため、王になることはできず、現在まで『王位を請求している身分の低い者・僭王と呼ばれています。ドイツから迎えたジョージ1世はハノーヴァ王朝の始まりであり、近世になって呼名がウインザーと変えられてます。
また、ジョージ1世も南海泡沫事件にかかわっているようです。彼の話で小説書けそうですね。
マリサたちが3隻の船と戦う少し前のこと。テイラー子爵家ではジェーンが待望の男の子を産んで以来、和やかな毎日を送っていた。ジェーンとテイラー子爵は親子ほどの年齢差はあるものの、人が変わったように赤子に接するテイラー子爵の姿に、かつての冷たいまなざしをするテイラー子爵と同一人物だとは思えないほどである。
「ご主人様、もうあとは私たちがお世話しますから、どうぞ本でもお読みになって落ち着いてくださいな」
女中頭や乳母は赤子の世話をすると、布でぐるぐる巻き(スウォドリングという当時の育児法)にしてゆりかごに寝かせた。ハイハイをしだした今が一番事故に遭いやすいだけでなく、綺麗といえない床を手のひらを使ってハイハイすることは何処でどう病気に感染するかわからなかったからだ。
とにかく用もないのに周りでうろうろしているテイラー子爵が邪魔になって仕方がない。
「わかった……後を頼むよ」
テイラー子爵はそう小さく言うと部屋の外へ出て大きくため息をつく。
長らく彼はマリサへの復讐しか考えていなかった。その過去の自分を思えば、結婚して子孫を残すことなどない未来だった。しかし和解した今は良き伯父と姪の間柄である。商船会社アトランティック・スターズ社の出資者のひとりとなり、海賊襲撃に遭って損傷していたブリガンティン船を買い取り修理と艤装をしてオルソン救出の機動力ジェーン号の費用を出した。オルソンとマリサがいない今、会社の経営を任されている。
ひとりになるとよくあの事件のことを考えてしまう。まだ未解決の事件だ。
ゴブリン号で起きた反乱については、首謀者スミス少尉が収監中に毒の入ったキャロットケーキを食べて命を落とすという結末で終わってしまった。スミスを名乗っていた男の素性は明らかにされていない。最期にあった老婆はスミスの祖母だとも言っていたが、本当に彼をスミスだと思っていたのかどうかもわからない。ともかくスミス少尉は事件の真相を語って裁判にかけられることもなく死んでしまったのだ。彼の正体について行方不明になっている貴族の子息がスミス少尉なのではないかという推測だけが残っている。そのため、事件の顛末はフレッドたち4人の士官とクーパーの証言で語られるだけとなった。
ただ、疑問は残る。ゴブリン号事件の発端となった偽の封緘命令書は誰がだしたものかという疑問だ。海軍司令部の中にも事件の関係者がいるとみて間違いはない。しかし自分はすでに海軍を引退しており、それを調べる権限はない。司令部の良心に任せる外ならなかった。
静かに過ごしているとジェーンが柔らかな声で歌を歌っているのが聞こえた。ゆりかごでぐずぐずいっている赤子を寝かしつけているのだろう。ジェーンもまた結婚前とは違う一面を見せるようになっていた。勝気で気位の高いジェーンであったが、赤子の前ではそのようなものは必要ないのだろう。棘のないバラのように美しさだけを表している。
赤子の名前はハリソン。テイラー子爵が自分の名にちなんだも名前を付けた。
ハリソンの誕生以降、人々が祝いの為に屋敷を訪れるようになった。そしてこの日、ジェーンと仲の良いシャーロット数度目の訪問をしてきた。今回は何とあのエリカもそばにいる。
エリカは物おじしながらもしっかりと礼をし、丁寧な言葉でお祝いの言葉を話す。
「ご嫡男のお誕生をお祝い申し上げます」
「あら、マリサの子どもにしてはとてもおしとやかね」
ジェーンはマリサの言動を思い出して笑う。
「エリカはハープシコードの弾き手としてかなり有望なのよ。私とオルソン家で練習を積んでいるの」
シャーロットのいう通り、エリカはシャーロットに教わったり、シャーロットに連れられてオルソン家の楽師へ教わったりしていた。オルソン家ではアーネストの長男ジョシュアがバイオリンを学習しており、よく伴奏を頼まれていた。ジョシュアとエリカはとても仲が良く、練習が終わると共に勉強をしたり庭を散策したりしていたほか、エリカは使用人として働いているマリサの育ての母、イライザと会えることで練習を楽しみにしていたのである。
オルソンが拉致された事件以降、しばらくオルソン家で練習をすることはできず気持ちの晴れない日々が続いたが、ルークからの知らせで無事にオルソンを見つけることができたと知った。そこへシャーロットの計らいでエリカが再び訪れるようになり、誰よりもジョシュアが一番喜んだ。
「あなたも私と同じ立場でしょう?まったく、貴族の女なんてイベントはいい人との結婚と嫡子を産むことだけとしか思えないわ。その点、マリサは自由よね。ときどき羨ましく思えてくるわ」
そう言ってジェーンは乳房をさする。産後から乳房が張ってきて仕方のないことがある。そのときは使用人に頼んで赤子を連れてきてもらい、授乳をする。テイラー子爵は乳母を雇ってくれたが、乳母の授乳と時間が合わないこともあり、そんなときはジェーンが授乳した。そのせいだろうか、とてつもなく我が子が愛おしく感じる。
抱かれて乳をのむ我が子。柔らかであたたかな我が子。か弱くて守られるべき存在である。
「そうそう、名前を聞いていなかったわね。伯父様のことだからきっと悩んで名づけられたと思うわ」
シャーロットの言葉にジェーンはクスっと笑うと、赤子を撫でながら言った。
「この子はハリソン。ハリーが名付けたってすぐにわかるわ」
ハリソンとは『ハリーの息子』という意味がある。
「赤ちゃん、かわいいね。シャーロットおばさまも赤ちゃんを産むの?」
ハリソンを覗き込みながらエリカが言うものだからシャーロットは顔を赤らめた。
「それよりも先にやらないといけないことがあるのよ」
あまりジェーンに負担を掛けてはいけないと思い、シャーロットはエリカを連れて屋敷を後にした。
シャーロットもジェーンと同じく家の存続がかかっている。マリサと双子であり、妹のマリサは市民であるスチーブンソン家へ嫁いでしまったので自分がよき殿方と結婚をして嫡男を産まなければならない。
(ルーク、私が貴方の帰りをどんなに心待ちをしているか気づいてくれるかしら)
オルソンと無事に会えたことは知らせで分かった。前回、オルソン家の東屋で結婚を約束してからずっと待ち続ける日々。結婚のことは父であるウオルター総督も快諾している。それは”青ザメ”時代にグリンクロス島を幾度となくオルソンが訪れており、その人柄を知っているからだった。オルソン自身もウオルターの屋敷からさらわれたマリサを育ての親であるデイヴィスやイライザに代わり、後見人として必要な躾と教育を施している。それはオルソンの野望もあったからだが、それに関係なくマリサは自立をした女性として成長したのだ。もしここにオルソンの手が入らなかったら、マリサは知識や教養など身につけることなく、海賊となったとしても慰み者で終わっていたかも知れなかった。ウオルター総督はこのことを十分に理解していたのである。それゆえにシャーロットがオルソンの次男と結婚をしたいと言ったことに反対をする気もなかった。
帰路の時間を無駄にすることなく、エリカは譜読みを熱心にしている。しかしまだ子どもであり、いつしかシャーロットにもたれかかって眠ってしまった。この様子に使用人はエリカを起こそうとしたが、シャーロットはそのままにさせる。
馬車の窓から見える景色はどこか物悲しい空色をしていた。ながれゆく町や森林地帯がのまれていきそうな気配である。
テイラー子爵がかかわったゴブリン号事件だけでなく、オルソンにかかわっている事件も終わっていない。
思わずシャーロットはエリカの手を握り締めた。
同じころ、イタリアのローマでも同じ空を見つめている者がいた。高窓から流れゆく雲をじっと見つめる男はジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアート。ジャコバイト派が国王として迎えたいスチュアート王朝の血を引く人物である。アン女王の崩御後、同じスチュアート家でありながら彼はカトリック教だったため国王となることはできなかった。名誉革命の後、父ジェームズ2世はオラニエ公ウィレム3世によって廃位させられ、家族はフランスで亡命生活を送っていた。しかしスペイン継承戦争が終結てユトレヒト和約が結ばれると、イギリスとの関係修復の為ルイ14世は彼らを追放した。追放された母親とともに彼はカトリックの聖地ローマへ行き、ローマ教皇の庇護下に置かれた。その後、母メアリー・オブ・モデナは乳がんで死亡している。
ローマでの彼の生活は屋敷や年金など申し分のない待遇をうけ、ポーランド王の血を引くメアリー・クレメンティナ・ソビエスカと結婚をして長男をもうけている。待望の嫡男だ。しかし自分はまだ亡命をしている身分だ。この足でイギリスの地を踏もうと願っていてもまだそれは叶わない。自分を慕うジャコバイト派の活動を見守るばかりだ。
(あのオルソンとかという男……王室に関係しているとヘンリエッタは言っていたが、なぜ私は彼を知らなかったのだろう。私は正統な王位継承者だ。知らないはずがないのに、なぜだ……)
一向に進展しない王位継承の問題。ジャコバイト派の活動を心待ちにしているが、いまだに朗報はない。
息子の為にも国王としてイギリスの地にたちたい。しかしカトリック教徒であることは譲れない。
ヘンリエッタの話によればオルソンは毒を操る人間だということだった。毒によって邪魔者を排除し、あの忌々しいジョージ1世もあの世に送ることができるのだ。その思っていても実際に自分が行動できないことを腹立たしく思う日々だ。
彼の元にはヘンリエッタ他、フランスでの活動を受け持つ劇団の団長デュマや製粉業を表の仕事としているフィリップたちも計画を進めるために訪れている。が、なぜか彼らの来訪はなくなり、手紙もよこさなくなった。このことにジェームズは不安を覚えている。
(軍隊で反乱を起こせないのなら毒物で暗殺するのも手だ。オルソンは毒に精通しているときく。きっと要人の暗殺に役立つはずだ。だからうまくやってくれ……)
名誉革命は彼の人生を大きく狂わせた。あの革命などなければ、自分は今ごろイングランドの地に立ち、君主として人々に慕われていたはずだ。遠くイタリアの国で亡命生活を送るなんて誰が想像しただろうか。
外では妻のメアリー・クレメンティナ・ソビエスカが子どもと遊んでいる。これだけ見れば十分すぎるほどの幸せだと言えるだろう。だが、自分はやらなければならないことがある。それがイングランド国王となることだ。自分には支持者がいる。そしてヘンリエッタたちがフランスから密かに武器や火薬を運んでいる。ジャコバイト派は終わっていない。息子の為にも終わらせてはならない。
ジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアート。身分の低いものが王位を請求するだけの男(僭王)と揶揄する者もいる。自分を産んでくれた母は次々を子どもを出産するも皆夭逝してしまい、1988年6月にジェームズが生まれたときは替え玉ではないかともいわれたと聞く。だが、自分はルイ14世からイングランドとスコットランドの正当な王位継承者として認められている。英語の話せないハノーヴァーの王(ジョージ1世)の存在は到底認められない。
笑顔で母の呼びかけに答える息子チャールズ・エドワード・スチュアート。幼い我が子はスチュアート王朝の血を引くものだ。それはスチュアート朝の存続でありジャコバイト派の希望でもある。
じっと目を閉じ、ジャコバイト派として活動を続けている人々にジェームズ・スチュアートは期待を寄せた。
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